Kaneda Legal Service {top}

役立つ記事

『「声」は保護されるか』

AI技術の急速な発達とともに、声優その他人の「声」を生成AIに学習させて、その声に似た音声を生成するAIが開発され、現に使われています。そのような事例において「声」の主である人からの何らかの許諾を得ている例はほとんどなく、ここに、人の「声」を保護する必要はないのか、必要があるなら、どのように保護するべきかが問題となっています。
人の「声」の保護のあり方については、いくつかのアプローチがあると思われますが、ここでは、「著作権法」との関係並びに「肖像権」「パブリシティ権」との関係について解説したいと思います**

**人の「声」の保護に関しては、一定条件の下で商標法や不正競争防止法との関係も問題となりますが、以下では割愛します。

▼ 著権法(著作隣接権)との関係

著作権法上「実演家」は、実演家人格権と著作隣接権を享受できます(著作権法(以下、「法」といいます。)89条1項6項)。ここで「実演家」とは、「俳優、舞踊家、演奏家、歌手その他実演を行う者及び実演を指揮し、又は演出する者」と定義されています(法2条1項4号)。さらに「実演」の定義として、実演とは「著作物を、演劇的に演じ、舞い、演奏し、歌い、口演し、朗詠し、又はその他の方法により演ずること」であると規定しています(法2条1項3号)。したがって、「声優」は、一般的に、著作権法上の「実演家」に当たり、声優の「実演」は、著作権によって保護されることになります。さらに、プロの声優に限らず、例えば、詩や小説を朗読する一般人でも、彼(彼女)が「演劇的に朗読する」(朗読に演劇的な要素が加わる)ものであれが、それは、「実演」に当たり、彼らは実演家として著作権法上の保護を受けることができます。
もっとも、ここで留意していただきたいのは、声優や朗読者が著作権法上の保護を受けるのは、あくまで彼らがおこなった「実演」自体であって、彼らの「声」(音声データを含む。以下同じ。)そのものではない、という点です。すなわち、人の「声」そのものが著作隣接権で保護されるものではないということです**

**「声」そのものは著作権法上の「著作物」(法2条1項1号参照)にも当たらないため、著作権による保護もあり得ません。

▼ 肖像権による保護の可否

現在、我が国には、「肖像権」を明文化した法令は存在しませんが、肖像権は判例によって確立した人格権的権利(利益)です。判例(昭和441224日最高裁判所大法廷[昭和40()1187])は、『個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。』と述べその存在を認めています、また別の判例(平成171110日最高裁判所第一小法廷[平成15()281])は、『人は,みだりに自己の容ぼう等を撮影されないということについて法律上保護されるべき人格的利益を有する(最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決参照)。もっとも,人の容ぼう等の撮影が正当な取材行為等として許されるべき場合もあるのであって,ある者の容ぼう等をその承諾なく撮影することが不法行為法上違法となるかどうかは,被撮影者の社会的地位,撮影された被撮影者の活動内容,撮影の場所,撮影の目的,撮影の態様,撮影の必要性等を総合考慮して,被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである。また,人は,自己の容ぼう等を撮影された写真をみだりに公表されない人格的利益も有すると解するのが相当であり,人の容ぼう等の撮影が違法と評価される場合には,その容ぼう等が撮影された写真を公表する行為は,被撮影者の上記人格的利益を侵害するものとして,違法性を有するものというべきである。』と述べて、肖像権侵害の不法行為性について言及しています。
もっとも、ここで問題となっている人の「容ぼう等」が「容ぼう・姿態」を指しており、人の「声」が果たして「容ぼう等」に含まれるのかが問題となります。人の「声」を人の「容ぼう」及び「姿態」と同列に並べることが文理解釈上困難であると考えられるため、今のところ、人の「声」が上記判例で認められた肖像権により保護される可能性が高いとは言えない状況です。もっとも、生成AIの技術が急速に進んでいる今、人の「声」であっても、その「法律上保護されるべき人格的利益」を認めてよい場面が登場するかもしれません(それを「肖像権」と呼ぶかどうかは別にして……)

▼ パブリシティ権による保護の可否

現在、我が国には、「パブリシティ権」を明文化した法令は存在しませんが、判例(平成2422日最高裁判所第一小法廷[平成21()2056])は、『人の氏名,肖像等(以下,併せて「肖像等」という。)は,個人の人格の象徴であるから,当該個人は,人格権に由来するものとして,これをみだりに利用されない権利を有すると解される(氏名につき,最高裁昭和58年(オ)第1311号同63年2月16日第三小法廷判決,肖像につき,最高裁昭和40年(あ)第1187号同44年12月24日大法廷判決,最高裁平成15年(受)第281号同17年11月10日第一小法廷判決各参照)。そして,肖像等は,商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合があり,このような顧客吸引力を排他的に利用する権利(以下「パブリシティ権」という。)は,肖像等それ自体の商業的価値に基づくものであるから,上記の人格権に由来する権利の一内容を構成するものということができる。他方,肖像等に顧客吸引力を有する者は,社会の耳目を集めるなどして,その肖像等を時事報道,論説,創作物等に使用されることもあるのであって,その使用を正当な表現行為等として受忍すべき場合もあるというべきである。そうすると,肖像等を無断で使用する行為は,①肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用し,②商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付し,③肖像等を商品等の広告として使用するなど,専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合に,パブリシティ権を侵害するものとして,不法行為法上違法となると解するのが相当である。』と述べて、その存在及びパブリシティ権侵害の不法行為性を認めています。したがって、人の「声」に関してパブリシティ権が認められれば、その限りで人の「声」を保護することが可能です。この点、パブリシティ権の対象である「肖像等」について、人の「声」は、「肖像」そのものではないとしても、本人の人物識別情報をとして「肖像等」に含めて考えてよいのではないかとの解釈が有力です。そうすると、上記判例で,「肖像等を無断で使用する行為」の例として挙げられたものに人の「声」を当てはめて考えてみると,少なくとも、以下の場合には、「声」のパブリシティ権を侵害するものとして不法行為法上違法となると解されます**
①声それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用している場合
②商品等の差別化を図る目的で声を商品等に付している場合
③声を商品等の広告として使用している場合

**以上はあくまで例示的に挙げられているため、他に「専ら声の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合」には,パブリシティ権による保護が可能であると解されます。
**パブリシティ権が認められるためには、その人の「声」が「商品の販売等を促進する顧客吸引力を有する場合」でなければならないため、有名な声優の声などであれば格別、一般人の声が一般的にパブリシティ権の対象になるかといえば、それは難しいということになりそうです。
AK