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著作権判例セレクション

【引用】適用引用を認めなかった事例(翻訳台本からの引用)

▶平成14411日東京高等裁判所[平成13()3677]
() 本件は,米国の作曲家であるレナード・バーンスタインの著作に係る英語版演劇台本を日本語に翻訳し,その二次的著作物である翻訳台本につき著作権を取得した被控訴人(一審原告)が,控訴人(一審被告)らに対し,上記翻訳台本の一部を,被控訴人の承諾を得ず,かつ,同人の翻訳者としての氏名を表示しないまま,控訴人Aの著作に係る「絶対音感」と題する書籍に採録したとして,複製権侵害に基づく財産的損害の賠償金,著作者人格権(氏名表示権)侵害に基づく慰謝料等支払を請求したのに対し,控訴人が,上記翻訳部分の採録は著作権法32条1項所定の適法な引用に当たるなどとして,これを争い,原判決が上記侵害を認めて被控訴人の請求を一部認容したため,控訴人らがこれを不服として控訴を提起し,被控訴人が認容額を不服として附帯控訴をした事案である。

当裁判所も,原判決と同じく,複製権及び氏名表示権侵害が認められないとの控訴人らの主張には理由がないと判断する。その理由は,次のとおりである。
1 複製権侵害について
(1) 当事者間に争いのない事実及び証拠並びに弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア アメリカの著名な指揮者・作曲家であったレナード・バーンスタイン(以下「バーンスタイン」という。)は,若い聴衆にクラシック音楽の魅力や鑑賞方法を伝える啓蒙活動の一環として,1958年(昭和33年)から1970年(昭和45年)まで,合計25回にわたり,自ら,テレビ・シリーズ「Young People’s Concert」の舞台用台本を書き下ろし,ニューヨーク・フィルハーモニックとともに出演し,演奏した。その模様は,ビデオ化され,その後,日本においても,NHKが日本語字幕付きで放映した(被控訴人はビデオの日本語字幕の作成に関与した。)。
英語版演劇台本である「What Does Music Mean?」は,上記一連のシリーズの第1回台本として,1958年に,バーンスタインにより書き下ろされたものである。
イ クリスタル・アーツ社の代表者であるCは,平成7年ころ,バーンスタインの有していた権利を管理するアメリカの会社であるアンバーソン社から「Young People’s Concert」の「What Does Music Mean?」を日本語で上演することを依頼された。Cは,バーンスタイン役に日本人の指揮者である佐渡裕を配することを決め,これを前提に,被控訴人に対し,上記英語版演劇台本の日本語への翻訳を依頼した。被控訴人は,平成8年ころ,上記英語版演劇台本の日本語翻訳(邦題「ヤング・ピープルズ・コンサート・・音楽って何?」。)を完成させた。これが本件翻訳台本である。上記翻訳に当たっては,英語版演劇台本では,バーンスタインがピアノの弾きながら説明を加える方法を採っているのを,佐渡裕がピアノを弾かないで説明を加える方法に変えるなど,アンバーソン社の了解の下に,上記英語版演劇台本の一部に変更が加えられた。
1997年(平成9年)1月に,倉敷市において,本件翻訳台本に基づく上演が,佐渡裕の指揮と語りにより行われた。
本件翻訳台本は,ワードプロセッサーにより作成された,A4版14頁の冊子であり,表紙はなく,翻訳者名も記載されていない。
ウ 本件書籍は,平成9年の第4回21世紀国際ノンフィクション大賞を受賞した控訴人Aの著作に係る応募原稿に,受賞後,第八章を追加した上で,単行本化され,控訴人小学館から発行されたものである。
本件書籍は,幼少のころに身に付くとされる聴覚能力である「絶対音感」について,100名以上の音楽家,音楽教育関係者,科学者に対する取材やアンケート調査に基づき収集した,「絶対音感」に関する様々な実話や古今東西の音楽家等のエピソード等を紹介しながら,「絶対音感」というテーマを,異なった角度から多角的に考察したノンフィクション作品である。
本件書籍は,次の構成からなり,巻頭部分並びに巻末の取材協力者一覧,参考文献,索引部分を除く,本文の頁数は319頁である。
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エ 本件翻訳部分が採録された上記「第七章 涙は脳から出るのではない」においては,「言葉にならない言葉」,「音が動き,心が動く」,「コンピュータと音楽」,「書かれざるもの」,「神様が見えた」,「リアリティ」の各小見出しの下に,相互に関連はあるものの,それぞれが独立した話題が記述されている。
原告翻訳部分は,第七章の冒頭の「言葉にならない言葉」の小見出しの下で書かれた文章(239頁1行~242頁末行)中にあり,この文章の前半部分である「……」(本件書籍239頁2行~240頁5行)との記述に続いて,240頁6行ないし242頁末行までの部分に,別紙記載のとおりに複製されて,かぎ括弧でくくられて採録され,上記「言葉にならない言葉」の見出しの下に書かれた文章を締めくくっている。
オ 本件書籍の333頁には,第七章の記述に関する参考文献として,「レナード・バーンスタイン『音楽って何?』Young People’s Concert第一巻台本・NHK,CBS(1960)」との記載があるものの,原告翻訳部分を本件翻訳台本から複製したことや,翻訳者が被控訴人であることを示す記載はなく,他にも,本件書籍中に本件翻訳台本やその翻訳者についての記載は見当たらない。
カ 控訴人Aは,本件書籍の執筆の過程で,Cに対する取材を行った際,偶然に,同人が代表者を努めるクリスタル・アーツ社が「ヤング・ピープルズ・コンサート」の日本語での公演を準備していることを知った。同控訴人は,Cから本件翻訳台本を見せてもらい,そこに記載された原告翻訳部分に感銘を受けたことから,Cに対し,同部分を資料として本件書籍に利用させてほしいと申し入れ,Cから了解を受けた。
Cは,本件翻訳台本の著作者である被控訴人から,本件翻訳台本を第三者に利用させることの許諾権限を付与されたことはなかった。
控訴人Aは,Cに本件翻訳台本の利用について許諾権限があるものと誤信しており,翻訳者が誰であるかを確認する必要性があるかどうかということについては思い至らなかったため,本件書籍の原稿執筆に当たり,原告翻訳部分の翻訳者が誰であるかについて,Cに確認するなどして調査したことはない。控訴人小学館も,本件書籍の発行に当たり,上記調査をしなかった。
(2) 控訴人らは,原告翻訳部分の本件書籍への採録は,著作権法32条1項の適法な引用に当たるから,著作権者の許諾を得ていなくとも,複製権侵害に当たらない,と主張する。
ア 著作権法32条1項は,「公表された著作物は,引用して利用することができる。この場合において,その引用は,公正な慣行に合致するものであり,かつ,報道,批評,研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。」と規定している。著作権法32条1項がこのように規定している以上,これを根拠に,公表された著作物の全部又は一部を著作権者の許諾を得ることなく自己の著作物に含ませて利用するためには,当該利用が,①引用に当たること,②公正な慣行に合致するものであること,③報道,批評,研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものであること,の3要件を満たすことが必要であると解するのが相当である。
イ 「引用」に当たるというためには,引用して利用する側の著作物(以下「引用著作物」という。)と引用して利用される側の著作物(以下「被引用著作物」という。)とが,明瞭に区別されていなければならないことは,事柄の性質上,当然である。被引用著作物が引用著作物と明瞭に区別されておらず,著作物に接した一般人において,引用著作物中にその著作者以外の者の著作に係る部分があることが判明しないような採録方法が採られている場合には,そもそも,同条にいう「引用」の要件を満たさないというべきである。
前に認定したところによれば,本件書籍中において,原告翻訳部分は,括弧で区分され,本件書籍の他の部分と明瞭に区別されているから,「引用」の要件を満たしていることは,明らかである。
ウ 被控訴人Aによる原告翻訳部分の引用が,公正な慣行に合致するものと認められるか否か,についてみる。
引用に際しては,上記のとおり,引用部分を,括弧でくくるなどして,引用著作物と明瞭に区別することに加え,引用部分が被引用著作物に由来することを明示するため,引用著作物中に,引用部分の出所を明示するという慣行があることは,当裁判所に顕著な事実である。そして,このような慣行が,著作権法32条1項にいう「公正な」という評価に値するものであることは,著作権法の目的に照らして,明らかというべきである。
ここにいう,出所を明示したというためには,少なくとも,出典を記載することが必要であり,特に,被引用著作物が翻訳の著作物である場合,これに加えて,著作者名を合わせて表示することが必要な場合が多いということができるであろう(著作権法48条1項,2項参照)。
前記認定によれば,本件書籍中には,原告翻訳部分を掲載する直前の本文で,「Cは,バーンスタインの言葉を日本語に置き換えた台本を制作し,日本の子どもたちに音楽の素晴らしさを伝えるコンサートを企画している。ここでは,Cの許可を得て,その第一回「音楽って何?」と題するコンサートでバーンスタインが語った言葉の一部を紹介したい。」との記述があり,また,参考文献欄には,「レナード・バーンスタイン『音楽って何?』Young People’s Concert第一巻台本・NHK,CBS(1960)」が掲げられているものの,いずれも,被引用著作物が本件翻訳台本であることを示すには足りず,かつ,いずれの個所にも,翻訳者が被控訴人であることは記載されていない(原告翻訳部分を掲載する直前の上記本文の文言によれば,Cこそが出典の翻訳者であるような印象を与えるものとなっているということも,可能である。)から,これらの記述のみでは,出所を明示したということはできないというべきである。
このように,控訴人Aは,本件書籍に原告翻訳部分を掲載するに当たり,原告翻訳部分を括弧で区分することによって,他の部分と明瞭に区別して引用であることを明らかにはしたものの,原告翻訳部分を本件翻訳台本から複製したものであることも,翻訳者が被控訴人であることも明示しなかったのであるから,このような採録方法は,前認定の公正な慣行に合致するものということはできないというべきである。
この点につき,控訴人らは,罰則上,著作権侵害の罪とは別に出所明示義務違反の罪が設けられていることを根拠として,著作権法48条1項の出所明示義務は,同法32条1項により適法な引用と認められる場合に課される法律上の義務ではあるものの,この義務に反し出所明示を怠った場合であっても,著作権侵害が成立するわけではない,と主張する。
しかしながら,控訴人らの上記主張は,出所を明示しない引用が適法な引用と認められる場合(出所を明示することが著作権法32条1項にいう公正な慣行に当たると認められるには至っていないことを,当然の前提とする。)には当てはまっても,出所を明示することが公正な慣行と認められるに至っている場合には,当てはまらないというべきである。出所を明示しないで引用することは,それ自体では,著作権(複製権)侵害を構成するものではない。この限りでは,控訴人らの主張は正当である。しかし,そのことは,出所を明示することが公正な慣行と認められるに至ったとき,公正な慣行に反する,という媒介項を通じて,著作権(複製権)侵害を構成することを否定すべき根拠になるものではない。出所を明示しないという同じ行為であっても,単に法がそれを義務付けているにすぎない段階と,社会において,現に公正な慣行と認められるに至っている段階とで,法的評価を異にすることになっても,何ら差し支えないはずである。そして,出所を明示する慣行が現に存在するに至っているとき,出所明示を励行させようとして設けられた著作権法48条1項の存在のゆえに,これを公正な慣行とすることが妨げられるとすれば,それは一種の背理というべきである。
控訴人らの上記主張は,採用することができない。
エ 原判決は,本件書籍への原告翻訳部分の引用は,引用の目的上正当な範囲内で行われたものということはできない,として,上記ア③の要件該当性を否定する。
しかしながら,前記で認定したところによれば,控訴人Aは,音楽とは何か,人間とは何か,という最終的なテーマと密接に関連し,同テーマについての控訴人Aの記述の説得力を増すための資料として,著名な指揮者・作曲家の見解を引用,紹介したものであるということができ,かつ引用した範囲,分量も,本件書籍全体と比較して殊更に多いとはいえないから,原告翻訳部分の本件書籍への引用は,引用の目的上正当な範囲内で行われたものと評価することができる。この点において,当裁判所は,原判決とは見解を異にする。
オ 以上述べたところによれば,本件書籍への原告翻訳部分の採録は,出所の明示を怠った点において公正な慣行に合致せず,著作権法32条1項の適法な引用には当たらないというべきであるから,複製権を侵害するものというべきである。
控訴人らは,本件書籍はノンフィクション作品であり,収集事実の記述について過度の制約を加えられれば,ノンフィクションの使命ともいえる歴史的事実の発掘・紹介や過去の事実に関する批評・問題提起などが著しく困難となり,作品自体が成立しなくなるとして,このことを引用の適法性の判断に当たり考慮すべきであると主張する。しかしながら,本件において,出所の明示を要求することが,収集事実の記述について過度の制約を加えることになるとは到底考えられない。
控訴人らの主張は,採用することができない。
2 氏名表示権侵害について
前記1で認定説示したところによれば,本件書籍への原告翻訳部分の引用は,被控訴人の著作者人格権である氏名表示権をも侵害することは明らかである。
3 過失の有無について
(1) 控訴人らは,Cないしクリスタル・アーツ社が本件翻訳台本を作成していると考えてもやむを得ない事情があるから,あえてそれ以上に翻訳者を調査する注意義務はなく,出所を明示しなかったことについて控訴人らに過失はない,と主張する。しかしながら,控訴人らは,バーンスタインによる原著作物を翻訳して本件翻訳台本を作成した者がいることに思いを至し,この点について調査をすれば,通常なら,容易に本件翻訳台本の翻訳者が原告であることを知り得たというべきである。そして,本件全証拠によっても,控訴人らが上記調査をすることを困難とするような事情があったと認めることはできないから,控訴人らは過失責任を免れないというべきである。
控訴人らの主張は採用することができない。
(2) 以上述べたところによれば,控訴人らは,過失により,被控訴人が本件翻訳台本について有する複製権を侵害するとともに,被控訴人の著作者人格権である氏名表示権を侵害したものというべきであり,控訴人らの行為は,被控訴人に対し,共同不法行為を構成する。