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著作権判例セレクション

劇場用映画のトリミング、劇場用映画へのCMの挿入は同一性保持権を侵害するか

平成7731日東京地方裁判所[平成4()5194]▶平成10713日東京高等裁判所[平成7()3529]
2(一)以上によれば、本件映画は、ビデオ化及びテレビ放送される際に、トリミングにより、画面の一部切除が行われ、改変されたものと認められる。
しかし、ビスタサイズの映画をテレビ放送し、又はテレビ画面で鑑賞されるビデオに複製するについては、映画の画面をテレビ画面に合わせて調整する作業は必要なものであることは前記のとおりであり、本件映画のテレビ放送当時、前記②の方法(いわゆるノートリミング)のみにより放送されることは稀であったものである。そして、前記認定のとおり、原告は、本件映画がビデオ化、テレビ放送されることは承諾していたもので、映画製作者であり、本件映画の著作権者である被告伊丹プロが、テレビ放送やビデオ化するに当たって、前記認定のとおり、本件映画の製作において、総指揮者として、その編集、ダビング等を自ら取り仕切ったAが、それぞれの方法の長短を考慮したうえでトリミングを行ったのであり、これは、著作権法202項4号の「著作物の性質並びに利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に当たるものと認められる。
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【(二) ところで、ビスタサイズの劇場映画をビデオに複製したり、テレビ放映するに際しては、トリミングしてスタンダードサイズに改変する必要があることは右に述べたとおりであるとしても、映画監督の了解なしに行って良いかどうかは別の問題である。
一般に、映画監督は、撮影する映画の視聴者に与える影響等を考慮して、スタンダードサイズとするか、ビスタサイズとするか、シネマスコープサイズとするかを考慮した上で選択しているものであり、そのサイズの改変は、当該映画の映画監督が事前又は事後に了解を与えていた場合や、同意を得ないでの改変も正当化されるような特段の事情が認められない限り、著作権法201項に規定する「意に反」する「改変」に該当し、監督の著作者人格権を侵害するものであるからである。しかも、トリミングをするにしても、その具体的な方法としては、前記認定のとおり、種々の方法があるのであり、本件映画のトリミングに際しても、①の方法だけでなく、②や、③方法も行われていたのであるから、監督の了解については、その具体的なトリミングの方法についての了解を得るか、同意がなくても改変できるような特段の事情の存在が必要と解される。本件映画について、対外的に「監督」として作品の評価を受けるのは、控訴人であって、監督である控訴人の了解を得ないで行う改変行為は、監督の著作者人格権(同一性保持権)を侵害するものといわなければならない(もちろん、本件映画は、被控訴人伊丹プロの作品としても、また、製作総指揮に当たったAの作品としても、対外的な評価の対象となるから、被控訴人伊丹プロとしても、A個人としても、その映画の内容や、構成に強く関心を持つことは当然であるとしても、それだけで、監督の了解を得ないでする改変行為が正当化されるものではない。また、本件映画の撮影の最後の段階では、Aが編集等を取り仕切っており、その段階では、控訴人が何らの異議も述べていなかったとしても、その段階では、編集内容等について、控訴人も意見を述べる機会があったのであるから、その段階で何らの異議を述べていなかっただけで、直ちに、その後の改変に同意をしていたことにはならない。)。
そして、本件では、具体的なトリミングの方法についても、控訴人が了解を与えていたことを的確に認めることができる証拠はない。
しかし、前記認定のとおり、控訴人は、本件映画がビデオ化されること、ビデオ化される際には、トリミングが行われることについて了解を与えていたこと、ビスタサイズの映画がビデオ化される際には、スタンダードサイズにトリミングされることが当時では通常であったこと、Aが、本件映画の製作総指揮として、本件映画の編集、ダビング、特殊撮影や、合成部分の仕上げ等の業務を行い、このようなAの編集等の参与について控訴人が特段の異議も述べていなかった事情を総合すると、本件改変行為当時としては、Aが、監督としての控訴人の了解を得ないでトリミングをしても差し支えないと判断し、その行為に出たとしても、本件改変行為当時としては、その行為は、妥当なものでなかったということはできず、著作権法2024号の「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に該当するものと認めるのが相当である。Aとしては、トリミングの具体的な方法について控訴人から一任を得るか、トリミングを行ったビデオについて控訴人に意見を述べる機会を与えることが当時としても望ましかったとはいえ、前記認定の本件映画の撮影完了に至るまでの経緯及び当時としてはビスタサイズの映画のビデオ化についてはトリミングが行われるのが通常であったことに鑑みると、Aが、本件映画の製作総指揮者あるいは本件映画の著作権者である被控訴人伊丹プロの代表者として、別紙の内容の改変を行ったとしても、当時としては、容認される程度のものと認めるのが相当である。】
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【(五)(1) Aが本件映画のテレビ放映に際し、販売及びレンタル用のビデオと同様にトリミングをした上、テレビ・コマーシャルの挿入箇所を指定した本件テレビ放映用ビデオを作製したことは当事者間に争いがなく、また、劇場映画を民間放送で長時間にわたり放映する場合には、テレビ・コマーシャルを挿入する必要のあることが通例であることは、弁論の全趣旨により認められる。そして、検証の結果(当審)によれば、テレビ・コマーシャルの挿入指定箇所は、六箇所であることが認められる。
(2) 一般に、テレビ・コマーシャルの挿入が必要であるとしても、著作者である監督の了解を得ないで行われたその挿入は、当然に正当化されるものではなく、その挿入の回数、時間、挿入箇所等の内容によっては、当該劇場映画が視聴者に与える印象に影響を及ぼすものと認められるから、その態様如何によっては、著作権法201項に規定する「意に反」する「改変」に該当する場合があると解される。本件では、具体的なテレビ・コマーシャルの挿入箇所の指定につき、Aが、控訴人の了解を得たことを的確に認めることのできる証拠はない(本件映画の最終段階で、控訴人が、Aの編集等につき、特段の異議を述べていなかったとしても、それだけで、控訴人が具体的なテレビ・コマーシャルの挿入に了解していたことにならないことは、本件映画のビデオ化について述べたところと同じである。また、Aが本件映画の製作総指揮の地位にあることによって、改変行為を正当化することができないことも、本件映画のビデオ化について述べたところと同じである。)。
(3) しかし、前記認定のとおり、本件では、控訴人が本件映画のビデオ化、テレビ放映などの二次的利用を広く承諾していたものであり、その中には、当然、民間放送でのテレビ放映も含まれ、しかも、テレビ放映の際の六箇所のテレビ・コマーシャルの挿入部分の指定も、前記トリミング及び改変と同様、本件映画の製作総指揮として編集等を実質的に取り仕切ったAにより慎重な配慮に基づいて行われたものであり、その回数、時間、挿入箇所等を併せ考えても、これらのテレビ・コマーシャルの挿入箇所の指定は、控訴人の了解の範囲内にあるものと認められるから、著作権法2024号に規定する「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ない改変」に該当するものと認めるのが相当である(本件映画のビデオ化におけるトリミングと同様に、Aとしては、事前に著作者人格権を有する監督としての控訴人に意見を述べる機会を与えることが望ましかったとはいえるが、それを怠ったからといって、「やむを得ないと認められる改変」に該当しないものということはできない。)。
(4) 控訴人は、六箇所のテレビ・コマーシャルの挿入のうち、別紙のとおりシーン六七(食堂)とシーン六八(地下通路)の間にテレビ・コマーシャルを挿入したことが音楽を中断させるものであって問題であると主張するが、この点を考慮するとしても、その他の挿入箇所に控訴人の指摘によっても特段の問題が認められない以上、本件映画のテレビ放映におけるテレビ・コマーシャルの挿入全体としては、右に述べたとおり、「やむを得ないと認められる改変」に該当するといわなければならない。
(六) 以上のとおり、監督の著作者人格権に基づく控訴人の廃棄請求は、認めることができない。】
[控訴審同旨]