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  著作権判例セレクション
   氏名表示権の侵害事例/氏名表示権の不行使条項の効力を認めなかった事例
  
  
  ▶平成16年11月12日東京地方裁判所[平成16(ワ)12686]
  (注) 本件は,弁理士である原告が,被告が所長を務める特許法律事務所に在職中に執筆した原稿を,同事務所の所長を務める被告が,「創英知的財産研究所」の名称で他の1名と共著として出版した書籍において,原告の氏名を表示せずに掲載するなどしたことから,原告が,被告に対し,被告の行為は,原告の著作者人格権(氏名表示権,同一性保持権,公表権)を侵害するものであるなどとして,損害賠償を求めた事案である。
  
  (争いのない事実等)
  
  〇 被告は,「知的財産権入門-制度概要から訴訟まで」と題する書籍(「本件書籍」)を株式会社法学書院を通じて出版すべく,原告を含めた本件特許事務所の職員らの間で,本件書籍の原稿の執筆者を募集した。
原告は,これに応じ,「著作権の登録」について原稿(「本件原稿」)を執筆した。
  
  〇 原告は,本件特許事務所を退職することを決意し,被告にこれを伝えたところ,被告との間で,本件特許事務所に在職中執筆した本件原稿等について,「著作権に関する覚書」(「本件覚書」)を締結した。
  
  〇 本件覚書には次の記載がある。
  
   創英国際法律事務所所長弁理士B(=被告。以下「甲」という。)とA(=原告。以下「乙」という。)は,乙が創英国際特許法律事務所(以下「事務所」という。)在職中に作成した著作物(プログラムの著作物を含むがこれに限らない。)の一切に関し,次のとおり覚書を締結する。
  
  第2条(著作権の帰属)
  
  乙は,別紙著作物目録記載1及び2の各著作物は,すべて甲の発意に基づき,事務所在職中にその職務として作成したものであり,その著作権及び著作人格権が原始的に甲に帰属することを確認する。
  
  2 乙は,今後,甲の発意に基づき,事務所在職中にその職務に関連して作成する著作物について,就業規則等に特段の規定のない限り,その著作権及び著作人格権が原始的に甲に帰属することを確認する。
  
  3 乙が事務所の業務と関係なく作成した著作物について,その著作権を留保しつつ,別紙著作物目録記載1及び2記載の出版物等に掲載を希望するときは,別途,甲・乙間で覚書を作成する。
  
  第3条(著作権の譲渡) 
  
  乙は,別紙著作権(ママ)目録3記載の著作物について,甲の発意に基づき,事務所在職中にその職務に関連して作成したものであることを確認する。
  
  2 乙は甲又は甲の指定する者に対し,別紙著作権(ママ)目録3記載の著作物に関する著作権の全部を譲渡するものとし,前項の事実に鑑み,譲渡の対価は無償とする。
  
  3 甲は,著作物の末尾その他適切な場所に,乙を執筆担当者,制作スタッフ等として表示することに努めるが,乙は,当該表示をもって自らが著作権者である旨を主張しないことを確約する。
  
  4 乙は,甲又は甲の指定する第三者が著作権の登録を希望するときは,これに協力する。
  
  第4条(著作人格権)
  
  乙は,別紙著作物目録記載3の各著作物について,甲又は甲から本件著作権を承継した者(一般承継と特定承継とを問わない。)若しくは甲から当該著作物を利用する権利を取得した者に対し,著作人格権を行使しない。
  
  
  2 各争点についての判断
  (1) 争点1について
  
  本件原稿が原告の執筆によるものであることは当事者間に争いがないところ,被告は,本件原稿の執筆は職務著作に当たるからその著作者は被告である旨を主張するので,まず,この点について判断する。
  
  法人その他使用者(以下「法人等」という。)が著作権法15条1項の規定に基づき著作物(プログラムの著作物を除く。)の著作者となるためには,当該著作物が,法人等の業務に従事する者により職務上作成されるものであることを要する。
  
  ア 原告は,被告の経営する本件特許事務所に在職中に弁理士の資格を取得し,被告との契約により,被告から年俸を支給され,本件特許事務所の仕事に従事する者であるから,原告と被告との間に雇用関係が認められる。
  
  イ 次に,個々の著作物が著作権法15条1項にいう「職務上作成する著作物」に該当するかどうかは,法人等の業務の内容,著作物を作成する者が従事する業務の種類・内容,著作物作成行為の行われた時間・場所,著作物作成についての法人等による指揮監督の有無・内容,著作物の種類・内容,著作物の公表態様等の事情を総合勘案して判断するのが相当である。
  
  これを本件についてみるに,上記1の認定事実によれば,原告は,本件特許事務所在職中に弁理士の資格を取得し,それ以降は,主に特許事務を扱う弁理士として,主として特許,実用新案等の出願手続等の弁理士法4条に掲げる事務に従事していたものであるところ,本件原稿は,被告が「創英知的財産研究所」の名称で科学ジャーナリストであるCと共に出版する知的財産権法の入門書(本件書籍)の一部分をなすものとして作成されたものであり,その執筆者は本件特許事務所の職員の間で任意参加の形式で募集し,これに応じた者から選ばれたものである。そして,各執筆担当者による原稿作成作業については,本件特許事務所の勤務時間外に行うべきことが被告により指示され,本件原稿も,当該指示に従って勤務時間外に作成されたものであり,また,本件原稿の記載内容についても,被告から具体的指示がされたものではない(本件書籍の出版に至るまでの間に,被告及び執筆担当者との間で,数回の執筆者会議が開かれたものではあるが,そこでは,本件書籍全体の章立て,執筆者の分担などを決定したものであり,個別の原稿の具体的記載内容を決定したものではない。)。また,本件書籍においては,その冒頭に,原告を除く執筆担当者の氏名が表示されている。
  
  上記によれば,本件書籍の出版は本件特許事務所の本来的な業務内容に含まれるものではなく,また,本件書籍のための原稿執筆は本件特許事務所において原告が日常担当する業務に直接含まれるものでもない。そして,本件原稿の執筆の行われた状況やその際における被告の関与態様,本件書籍の体裁,公表態様等に照らしても,本件原稿が,著作権法15条1項にいう「職務上作成する著作物」に該当するとは,到底認められない。
  
  ウ この点に関して,被告は,本件特許事務所の研究活動の一環として,「創英知的財産研究所」の名称で,本件書籍以外にも書籍を出版したり,講演会等の活動を行っており,これらの活動は,本件特許事務所の職務の範囲内のものであること,俸給の中に創英知的財産研究所の活動の対価が含まれていると述べ,査定基準等の査定項目に「創英知的財産研究所」の活動が明示され,創英知的財産研究所の活動は,職員が自らその報酬を受け取ることができる外部での講演活動等と明確に区別されているなどと主張する。
  
  しかし,被告の挙げる書証(「勤務弁理士および弁護士の年俸額決定時における査定項目および査定基準の概要と考え方について」と題する書面)には,「経営に関する査定」の項目において,「新規顧客の獲得,営業,事務の改善や管理,新人獲得,各種のプロジェクト,創英知的財産研究所活動,その他,多様な面に着目する。」と記載されているが,そこでは単に「創英知的財産研究所活動」の語が記載されているだけであって,その具体的内容は全く明らかではないし(かえって,「年俸契約の更改に当っての査定に対する自己申告書」における「経営に関する査定に対して」の項目には,「営業,事務管理,新人獲得,プロジェクト,その他,創英の現在の経営,および将来の事務所の発展に協力する姿勢と実績」と記載されているだけであり,「創英知的財産研究所」に関する活動は記載されていない。),被告が職員個人の外部での活動という,大学における知的財産一般に関する学生向け講義と本件書籍の分担執筆行為を何をもって区別するのかも明らかでない。
  
  かえって,原告が退職する際に被告との間で締結した本件覚書の記載に照らせば,本件原稿は,被告の業務として執筆されたものではないことを被告は自認しているといえる。
  
  すなわち,本件覚書においては,本件覚書に添付された別紙著作物目録1(「創英ボイス」-季刊・月刊・英文・臨時増刊号その他一切を含む。)及び同目録2(「事務所ホームページ」-和文・英文その他一切を含む。)の各著作物については,本件覚書2条において,被告の発意に基づいて作成され,原告の職務として作成したものであり,原始的に被告に著作権及び著作者人格権が帰属することを確認しているのに対し,本件原稿が掲載された本件書籍(本件覚書添付の別紙著作物目録3の(1))については,本件覚書3条1項において,「職務に関連して作成したものであること」を確認し,同条2項において,著作権を原告から被告又は被告の指定する者に対し譲渡すること,4項において,著作権の登録について原告が協力することを記載し,原告がその著作権者であることを前提とした形で条項を定めているのである。このような規定の仕方からみても,本件書籍に掲載した本件原稿の執筆活動については,これが本来の原告の業務の範囲内の業務ではないことを,被告自身が認めていたというべきである。
  
  さらに,本件書籍の原稿の執筆活動が,被告の業務の範囲内のものに当たるのであれば,そもそも,本件書籍には,「創英知的財産研究所」の名称のほかに,執筆担当者の氏名を表示する必要性はないところ,本件書籍の冒頭には,「執筆者」として,「C」,「創英知的財産研究所」のほか,原告を除く執筆担当者の氏名も表示されているのであるから,この点からしても,本件書籍の原稿の執筆活動が,被告の職務の範囲に入らないことを被告において自認していたというべきである(なお,本件書籍において,「創英知的財産研究所」を「創英国際特許法律事務所に併設された組織であり」と説明していることに照らせば,「創英知的財産研究所」が被告個人の変名である旨をいう被告の主張は容易に採用しがたく,本件書籍について,被告が「自己の著作の名義の下に公表」したといえるかどうかも疑問がある。)。
  
  エ 以上のとおり,本件原稿の執筆活動は,原告の業務とは認められず,本件原稿が「職務上作成された著作物」に該当するということはできない。したがって,職務著作であるとの被告の主張は採用できない。
  
  オ そうすると,本件原稿の著作者は原告であり,著作者人格権は原告に帰属する。
  
  そして,本件原稿は,本件特許事務所に所属する弁理士らによって,別紙「文章等の削除,変更,挿入が行われた箇所」に記載のとおり,文章等の削除,変更及び挿入による校正が施された後,別紙「本件書籍中における本件原稿」のとおり,本件書籍初版第1刷に掲載されたが,執筆者として原告の名前は掲載されていない。
  
  したがって,原告の氏名を表示しないで本件原稿を本件書籍に掲載したことは,氏名表示権の侵害に当たる。
  
  しかし,上記校正の内容についてみると,本件原稿について改変されている部分は,いずれも,分担執筆に係る複数の原稿により構成されるという本件書籍の性質上,法律名の略称や仮名遣いを統一した点や,法律解説書という観点から本件原稿において不正確ないし不適切な表現を手直ししたものであって,その校正内容は,本件書籍の性質に照らせば不相当なものとはいえない。改変内容が,上記のようなものであることに加えて,被告において,本件書籍の出版を間近に控えて短時間のうちに校正を行う必要に迫られていたという事情のあることをも併せて考慮すれば,上記改変は,やむをえない改変(著作権法20条2項4号)にとどまるものというべきである。
  
  また,原告は,本件書籍の出版について,公表権の侵害をも主張するが,そもそも本件原稿は本件書籍に掲載されて出版されることを前提として執筆されたものであって,被告による本件書籍の出版に伴い公表されることは原告においても事前に了解していたものであるから,本件書籍の出版により,原告の公表権が侵害されたとはいえない。
  
  カ まとめ
  
  以上のとおり,本件原稿の本件書籍への掲載は,原告の有する著作者人格権(氏名表示権)を侵害するものと認められる。
  
  (2) 争点2について
  
  上記のとおり,本件原稿の本件書籍への掲載は,原告の有する著作者人格権(氏名表示権)を侵害するものというべきであるが,被告は,原告が本件覚書を締結したことにより,原告が著作者人格権を行使することは許されない旨主張するので,この点について判断する。
  
  本件覚書4条には,本件原稿について,原告は,被告又は被告から著作権を承継した者又は被告から当該著作物を利用する権利を取得した者に対して著作者人格権を行使しない旨が記載されている。しかし,前記1に認定したとおり,従来,被告により「創英知的財産研究所」名義で出版された知的財産権に関する出版物には,被告主宰の本件特許事務所の構成員を含めて,分担執筆担当者の氏名が表示されていたものであり,このような事情があったことから,本件覚書についても,原告は,自己の氏名が本件書籍に表示されることを前提として署名,捺印したものであるから,本件覚書に上記条項(4条)が存在することを理由として,原告が本件原稿について氏名表示権の不行使を約したと認めることはできない(また,前記のとおり,本件書籍には,原告を除く執筆担当者の氏名は「執筆者」として表示されており,結局,氏名を表示されていないのは原告のみであるところ,本件覚書4条により原告がこのような差別的な取扱いをも容認していたと認めることは,到底できない。)。
  
  そうすると,本件覚書4条の存在を理由として,本件訴訟において原告が本件原稿について著作者人格権(氏名表示権)を行使することができないとする被告の主張は,採用できない。
  
  (3) 争点3について
  
  ア 前記1に記載された認定事実を総合すれば,著作者人格権(氏名表示権)の侵害により原告が被った損害額(慰謝料)としては,20万円をもって相当と認める。
  
  また,原告が,本訴の提起及び訴訟追行のために弁護士を選任したことは当裁判所に顕著であるところ,本件事案の内容,審理の経緯その他諸般の事情を考慮すれば,原告に生じた弁護士費用のうち5万円については,被告による著作者人格権侵害行為と相当因果関係のある損害として被告に負担させるべきものと認めるのが相当である。
  
  イ 上記によれば,被告の著作者人格権侵害行為により原告が被った損害は合計25万円と認められる。