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著作権判例セレクション

ノンフィクション作品同士の侵害性が争われた事例

平成121226日東京地方裁判所[平成11()26365]▶平成140130日東京高等裁判所[平成13()601]
[控訴審]
本件は、被控訴人Bが執筆し、同株式会社日本経済新聞社が出版している「Cとソニースピリッツ」との題号の書籍(被控訴人書籍)中の「エピローグ」部分は、控訴人の執筆に係る「夕刊フジ」の連載記事「デジタル・ドリーム・キッズ/ソニー燃ゆ」中の第65回「天才を送った日」との題号の掲載記事(控訴人著作物)を複製又は翻案したものに当たり、被控訴人書籍の発行、販売及び頒布は、控訴人の著作権(複製権、翻案権)及び著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)を侵害するものであるとして、控訴人が、被控訴人らに対し、被控訴人書籍の出版の差止め及び損害賠償を求めた事案であり、控訴人の請求をいずれも棄却した第1審判決に対し、控訴がされたものである。

第3 当裁判所の判断
1 複製権の侵害について
(1) 控訴人は、まず、被控訴人書籍の原判決別紙一覧表A欄の各記述部分は、これと対応する控訴人著作物の同B欄の記述部分を複製したものである旨主張するが、両者は著作物としての同一性を有しておらず、前者が後者の複製物に当たるということができないことは、以下のとおり訂正、削除するほか、原判決の関係部分の判示のとおりであるから、これを引用する。
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(2) 構成の同一性について
ア 次に、控訴人は、控訴人著作物全体と被控訴人書籍対比部分をそれぞれのまとまりとして比較検討する必要があるとした上、控訴人著作物の構成には独創性があり、被控訴人書籍対比部分の構成は、一部を除き控訴人著作物と同一である旨主張する。確かに、控訴人著作物と被控訴人書籍対比部分の各記述内容を、順を追って対比すると、いずれも、C氏の死亡日時及び死因、本件葬儀の日時及び場所、主な会葬者の紹介(政界、財界、電機業界の順)、隣室の模様、本件葬儀の形式、本件葬儀の開始、葬儀委員長H氏の夫人Iによる葬送行進曲の演奏、遺骨の入場及び祭壇への安置、会葬者による1分間の黙祷、G氏の夫人Fによるメッセージの代読という流れで構成されており、その構成において大部分が共通するということはできる。
イ しかし、控訴人著作物も、被控訴人書籍対比部分も、ともに本件葬儀の模様を客観的に叙述するという共通する明確な主題を有することは明らかであるところ、このような主題に基づいて叙述しようとした場合、冒頭にC氏の死亡日時及び死因の記述に始まり、続いて本件葬儀のアウトラインとなる日時及び場所、主な会葬者、会場の様子、葬儀の形式といった事項を記述する構成を採ることは、客観的事実を型どおりの常識的な順序で記述したものであって、そこに創作性を見いだすことはできない。そして、これに続く叙述は、本件葬儀の式次第に沿って時系列的に記述するにすぎないといわざるを得ず、このことは、ソニー株式会社作成の「Sony Times 故Cファウンダー・最高相談役ソニーグループ葬特別号」の記述の内容及び順序に照らしても明らかである。したがって、このような記述の内容及び順序に表現上の創作性があるとは到底認めることはできない。
ウ また、記述対象の取捨選択に関しては、別表控訴人記事欄と被控訴人書籍欄の各記述の対比から明らかなように、被控訴人書籍対比部分は、控訴人著作物で取り上げられていない内容として、C氏の晩年の様子(別表被控訴人書籍欄())、C氏が経営者としての「顔」だけでなく、本格的な幼児教育の研究に取り組むなどの幅広い「顔」を持っていたとの記述(同())、C氏が財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長に就任して以来のボーイスカウトとの関係に触れている記述(同())、遺影について「普段からあまり怒ることのなかったC氏の優しい眼差しで溢れた写真である」との記述(同())、G氏が病気療養中であることについて具体的に説明する記述(同()、夫人の代読したG氏のメッセージを具体的に引用している記述(同()())等を含む一方、控訴人著作物の記述中、遺影の下の天皇陛下から贈られた花や勲章について触れている記述(別表控訴人記事欄(9))、Jアナウンサーが進行役を務めたとの記述(同(12))、献灯時に流された音楽や祭壇に点灯する様子に具体的に触れている記述(同(14))、黙祷の間に流された音楽に触れている記述(同(21))、夫人の代読とされたG氏のメッセージは、実際には夫人が綴ったものであったとの記述(同(23))、上記メッセージが読み上げられた際、「会場のあちこちで目頭を熱くする光景が見られた」との記述(同(24))については、いずれも控訴人著作物に対応する記述がなく、記述対象の取捨選択において相当程度異なっている。そして、これらの記述対象の取捨選択は、本件葬儀の模様を客観的に叙述するノンフィクションの著作物としては、その創作性を有する部分であると解されるから、被控訴人書籍対比部分と控訴人著作物の構成は、記述対象の取捨選択という観点から見ても、創作性が認められるような特徴的な表現部分に同一性は見いだせない。
なお、控訴人は、遺影や遺骨に関する記述を選択したことに独創性がある旨主張するが、本件葬儀の会場において、C氏の遺影がひときわ目立つ大きさで祭壇の正面に飾られていたこと(前掲平成10年1月21日付け日本経済新聞夕刊の「故C氏グループ葬」との見出しの記事の写真参照)、遺骨の入場が本件葬儀のいわば重要な見せ場の一つであったと解されること(前掲参照)からすると、むしろ遺影や遺骨について触れない方が不自然というべき事項にすぎず、これを取り上げたこと自体に創作性があるとはいえない。
(3) 独創的な表現の対比について
ア 控訴人は、控訴人著作物の独創的な表現において、被控訴人書籍の表現は同一であるか又は類似しており、被控訴人書籍対比部分中、控訴人著作物の表現と異なる部分は創作性がない旨主張するので、以下検討する。
イ 控訴人が控訴人著作物の独創的な表現であると主張する表現のうち、まず、遺影及び遺骨の描写について見るに、この点の控訴人書籍の表現は、「正面祭壇に飾られたCの遺影は、首を少し左側にかしげ、頬づえをつくように左手を頬に添えて微笑んでいる。その遺影の真下には、天皇陛下から贈られたカスミソウや菊花の白い花が飾られ、贈正三位の勲章が並べられた。」(別表控訴人記事欄(8)(9))、「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウト日本連盟の隊員たちに守られて、子息のEの胸に抱かれたCの遺骨が入場、祭壇一番上に安置された。黒い布で覆われ、十字架をかけた遺骨を収めた箱は、それを見下ろすように飾られた大きな遺影のなかのC自身の手のひらにすっぽり入る大きさであった。」(同(18)(19))というものであるのに対し、被控訴人書籍のこれに対応すると考えられる表現は、「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウトの少年隊員に先導させた格好で、長男・Eの胸に抱かれたC氏の遺骨が入場してきた。C氏とボーイスカウトとの関係は、彼が昭和六十年、七十七歳の時、財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長に就任して以来である。遺骨を収めた箱は、祭壇の一番上に安置された。骨箱は黒い布で覆われ、十字架がかけられていた。それを見下ろすかのように、微笑むC氏の大きな遺影が飾ってあった。遺影の中のC氏は、首を少し左に傾げ、左手を頬に添えていた。普段からあまり怒ることのなかったC氏の優しい眼差しで溢れた写真である。」(別表被控訴人書籍欄()())というものである。
この両者の表現を対比するに、C氏の遺影についての描写中、「首を少し左側にかしげ」と「首を少し左に傾げ」(前者が控訴人著作物で後者が被控訴人書籍。以下この項において同じ。)、「左手を頬に添えて」と「左手を頬に添えて」、「それ(注、骨箱)を見下ろすように飾られた大きな遺影」と「それ(注、同)を見下ろすかのように、微笑むC氏の大きな遺影が飾ってあった」との各表現、遺骨の入場についての描写中、「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウト日本連盟の隊員たちに守られて」と「葬送行進曲とともに、制服姿のボーイスカウトの少年隊員に先導された格好で」、「子息のEの胸に抱かれたCの遺骨が入場」と「長男・Eの胸に抱かれたC氏の遺骨が入場」、「黒い布で覆われ、十字架をかけた遺骨を収めた箱」と「骨箱は黒い布で覆われ、十字架がかけられていた」との各表現は、部分的には同一であるか又は類似しているということができる。
しかし、純然たるフィクションとして創作されたものであれば格別、控訴人著作物も、被控訴人書籍も、ともに本件葬儀という共通の歴史的事実を取り上げたノンフィクションであることを踏まえて、その創作的な表現部分の同一性を考える必要があり、上記の同一又は類似する部分に係る控訴人著作物の表現は、いずれも遺影の様子及び遺骨の入場シーンの様子を比較的客観的に描写した部分であって、着眼点や具体的な表現においても、ありふれた慣用的な表現にとどまり、表現上の創作性がない部分であるといわざるを得ない。他方、控訴人著作物の上記表現中、「遺影のなかのC自身の手のひらにすっぽり入る大きさであった」との部分、被控訴人書籍中の「C氏の優しい眼差しで溢れた写真である」との部分については、いずれも表現上の創作性を看取することができると解されるが、前者の表現部分に対応する部分において、被控訴人書籍の具体的な表現は全く異なるものとなっている。さらに、控訴人著作物においては、遺骨の入場シーンの描写に先立って遺影の様子を叙述しており、両者は独立した描写となっているのに対し、被控訴人書籍においては、遺骨が入場して、祭壇に安置されたとの描写に続いて、「それを見下ろすかのように、微笑むC氏の大きな遺影」との表現を通じて、すなわち、遺影の中のC氏の視線を介して、一連の流れの中で遺骨から遺影の描写へと転じているものであって、このような創作的な構成において控訴人著作物とは全く異なるものとなっている。
したがって、遺骨及び遺影の描写中、控訴人著作物の創作的な表現部分において、被控訴人書籍の表現がこれと同一であるとも、類似するともいうことはできない。
ウ 次に、控訴人は、控訴人著作物中の「カラープロジェクションとカラーモニターを通して葬儀に参加した」(別表控訴人記事欄(6))、「宗教色のさほど強くない『映像と音楽による葬儀』だった」(同(7))との表現についても、独創性がある旨主張する。
しかし、これに対応する被控訴人書籍の表現は、「カラープロジェクションやカラーモニターに見入りながら、Cの冥福を祈った。」(別表被控訴人書籍欄())、「葬儀の形式それ自体は宗教色のあまり強くなく、むしろAVメーカー『ソニー』を育てたC氏に相応しい『映像と音楽』で彩られていた。」(同())というものであって、両者を対比すると、まず、前者の表現部分については、「カラープロジェクション」、「カラーモニター」との共通の用語を用いているほか、共通ないし類似する表現があるとはいえず、特に、控訴人著作物における「・・・を通して葬儀に参加」という創作的な表現部分は、被控訴人書籍に対応する表現がない。また、後者の表現部分については、ともに宗教色が薄いことをいう点及び「映像と音楽」との用語を象徴的に使用している点で類似するということはできるが、前掲の日本経済新聞夕刊記事(甲8)にも、「正午に始まった葬儀は、トランジスタラジオの開発など『音と映像の世界を作り上げたCさんにふさわしいお別れの会を』との趣旨で、宗教色は薄く、歌や故人のビデオ映像を盛り込んだ内容となった」と記載されていることに照らすと、上記の類似点に係る控訴人著作物の表現は、本件葬儀の特色として関係者の共通の認識をいう表現にすぎないというべきであって、独自の創作性を有するということはできない。
エ また、控訴人は、被控訴人書籍対比部分中、控訴人著作物の記述と異なる部分(別表被控訴人書籍欄()()()()(ソ)()()()()(下線部を除く。)、()())には創作性がない旨主張する。確かに、被控訴人書籍の上記各記述を個々に取り上げた場合、表現上の創作性は比較的乏しいものと解されるが、本件葬儀の模様を客観的に叙述するノンフィクションの著作物としては、記述する対象の取捨選択という観点から、その創作性を基礎付けるものであることは、上記(2)で述べたとおりである。
(4) 以上のとおり、原判決別紙一覧表の各記述部分の対比においても、また、控訴人著作物全体と被控訴人書籍対比部分とをそれぞれのまとまりとして対比しても、被控訴人書籍は控訴人著作物の内容及び形式を覚知させるに足りないといわざるを得ず、著作物としての同一性を肯定することはできない。したがって、複製権の侵害をいう控訴人の主張は、依拠性について判断するまでもなく、理由がないというべきである。
2 翻案権の侵害について
言語の著作物の翻案とは、既存の著作物に依拠し、かつ、その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ、具体的表現に修正、増減、変更等を加えて、新たに思想又は感情を創作的に表現することにより、これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいい、思想、感情若しくはアイデア、事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において、既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には、翻案には当たらないと解される(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決)。これを本件について見るに、原判決別紙一覧表の各記述部分の対比においても、また、控訴人著作物全体と被控訴人書籍対比部分とをそれぞれのまとまりとして対比しても、そもそも表現上の本質的な特徴の同一性が維持されていないか、表現上の創作性がない部分において同一又は類似の表現があるにすぎず、被控訴人書籍に接する者が控訴人書籍の表現上の本質的な特徴を直接感得することができるといえないことは、上記1の認定及び判断に照らして明らかである。
したがって、翻案権の侵害をいう控訴人の主張は、依拠性について判断するまでもなく、理由がないといわざるを得ない。
著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)の侵害について
被控訴人書籍が控訴人著作物の複製物又は翻案に係る二次的著作物に当たるとはいえないことは上記のとおりであるから、著作者人格権(氏名表示権、同一性保持権)の侵害をいう控訴人の主張も理由がない。
4 結論
以上のとおり、控訴人の被控訴人に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がない。

※参照(類似事件)▶平成121226日東京地方裁判所[平成11()26366]▶平成140919日東京高等裁判所[平成13()602]