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著作権判例セレクション

分担執筆に係る医学書における氏名の脱漏につき、氏名表示権侵害を認定した事例

昭和540219日千葉地方裁判所[昭和45()637]
第二 被告らの抗弁について
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1 被告Aは、第二外科教室にはL、M、被告Aの歴代教授のもとにおける一万数千に余る胃切除の手術例を通して蓄積された胃疾患の診断・治療等に関するすぐれた業績があることから、これらをまとめて、単に同教室の業績集といつた尖端的な学術書としてのみでなく、開業医等の実地医家にも向いた一般の医療現場に役立つような医学書として出版したいと考え、その企画をたてた。しかも被告Aとしては、同書のうちの主要な部分は自ら執筆するが、同書は第二外科教室員の衆智を結集し、かつ、同教室員らに対する教育的効果も考慮し、同教室員らにそれぞれ得意な部分を分担執筆させ、これを被告Aが文体・表現等を統一するばかりでなく、その必要のあるものは全面的に書き改め、ないしは分断・加除・訂正を加える等して、利用できるところを利用し、右目的に添う統一のとれた書物として、被告Aの著作名義で出版することを考えた。
2 そして被告Aは、右企画の遂行についての事務一切は第二外科教室の訴外B講師にさせることとして、同訴外人に原稿の収集整理等の出版のための下準備並びに被告会社との折衝を依頼したところ、訴外Bは、医学部の教室では、教授が、依頼を受けた医学上の原稿につき、講師や助手らに対し、下書きをさせることはよくあつたのに加え、被告Aからは、以前にも同被告が依頼された雑誌への原稿の下書きをたのまれたこともあつたことから、今回の依頼も右と同様のものと理解して、これを承諾した。
そこで訴外Bは、まず内外の医学書を参照して、出版目的に沿うように大略の目次を作成し、被告Aの了解を得て、同目次に従つて原告其他の第二外科教室員らに、各項目ごとに原稿執筆のための事前の依頼をなし、その内諾をとつた。
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11 本書の出版原稿の大部分は、以上のようにして、昭和446月ころには、一応確定されたので、被告会社に交付され、順次ゲラ刷りされた。そこで訴外Bは、このゲラ刷りを、被告Aの指示に基づき、分担執筆者全員に第一回目の校正のため閲覧させるべく回覧に付した。また、一部の原稿については、二枚、三枚のため、二度三度と回覧に付した。
しかし本書F項1胃下垂症部分のゲラ刷りは、何かの手違いのためもあつてかついに原告の手許には届かず、従つて現実には原告の目に触れることがなかつた。
12 被告会社は、右ゲラ刷りの原稿を受け取つた段階の昭和4473日、被告Aと正式に出版契約(以下本件出版契約という)を締結したが、その際被告Aから、「本書の出版のためには教室員に当初考えていた以上に協力してもらつた結果になつたから、右協力にこたえて本書の検印料の相当部分を分配したい。ついては、一応本書の著作者を被告A外8名とし検印料は、2%を編集者に、10%を各著作者らに、その頁数に按分して支払うような形式をとつて欲しい」旨の申入れをうけたので、法的には本書はあくまでも被告Aの単独著作であるとは考えていたけれども、同被告の希望どおり、形式上は編集著作物としての体裁をもつ契約書を作成することに応じた。
なおその後、被告会社と被告Aは、昭和45626日、被告Aが、右検印料のうち6%を協力者たる教室員に実質的に分配し、その余を同被告が実質的に取得することと確定したことから、改めてその旨の覚書きを取りかわしている。
13 しかるのち、被告Aは、昭和4412月ころ、原稿の最終的な校正及び内容の検討を集中的にかつ能率よくなすため、分担執筆した教室員全員を伊豆七滝の旅館に集めることを計画し、右全員に参加を求めたところ、原告は所用のためと出席を断つたが、教室員7名の出席を得た。同会合では、レントゲン部分の原稿に問題があつたので、これを新たに書き直させることとしたが、その他の原稿については、内容表現等について、すべて最終的な校正を完了した。
その際、出席者の一部から、被告Aに対し、出版にあたつては、各分担執筆者の名前を記念のために書物のどこかに表示して欲しい旨の希望が出され、被告Aはこれを了承した。但し、その表示方法については、具体的に決定されるに至らず、その詳細は訴外Bに一任された。
14 これを受けて訴外Bは、被告会社の担当者と相談のうえ、教室員らの様々な希望も考慮して、本書の著作者の表示は、表紙ないし扉部分には、被告Aを編者、訴外Bを協同編者と表記するばかりでなく、現実に分担執筆に当つた者を協同執筆者として列記し、さらに右協同執筆者については、各その執筆した原稿を含む項目の文末並びに当該目次部分にもその氏名を表示することとした。なお、項目によつては、複数の執筆者の原稿を組み合せたものもあつたため、これについては、その複数の者の氏名を右各部分に並記することとした。
そこで訴外Bは、右方針に従つて被告会社にこれを指示したが、訴外Bは、分担執筆を依頼した者らの氏名を記載したメモ等を既に処分してしまつていたため、同指示を記憶にのみに頼つて行なわざるをえなかつたし、一方、出版の予定日時も切迫していたので、執筆者らから確認をとる暇もなかつたことから、同指示から、本書F項文末及び同目次部分につき、原告氏名と訴外Nの氏名とを、過失により脱漏し、また他の項目につき訴外Fら何名かの氏名をも同じく脱漏した。
なお被告会社においては、当時においても、教室員の誰がどの部分を分担執筆をなしたものであるかを、具体的かつ正確には知らなかつたし、またそれを知るよしもなかつた。
15 かくして被告会社は、昭和45年春ころ、被告Aから出版のための校正を完了した確定原稿を受け取つたので、同原稿に基づく印刷により本書の第一版を出版し、同年615日ころからその販売頒布を開始した。
16 原告は、右日時ころ、被告会社から執筆者らに対して贈呈された本書を閲読したところ、原告が提出した胃下垂に関する原稿はそのまま収録されずに、前記のとおりの形でその一部のみが本書治療編F項1胃下垂症の記述に利用されているにすぎないこと、並びに同項文末及び同目次部分には、訴外C、同Dの氏名の表示がなされているのみで、原告の氏名が脱落していることを初めて知り、直ちに訴外Bに対し、異議を申し述べた。
17 これに対し訴外Bは、右原告氏名の脱落については、自分のミスであつたことを認め、即座に被告会社と連絡をとつたが、同被告より、本書は既に第一版として1500〇部を印刷済みであるから、原告氏名の前記脱落箇所への追加印刷は、第二版以降にすることで了承してほしい旨の返答を受けたので、これを原告に伝えたところ、原告はこれに対しては特に意見を述べなかつた。しかし、原告は、この直後、被告会社へ直接抗議に行つた。
18 被告会社は、本書出版に関しては、自己には何らの過失も存しないと考えたが、原告からの右抗議を受けたことから、紛争の拡大を防ぐため、被告Aと協議して、本書第一版として既に出荷したものについては、すぐさま回収にかかり、既に一般に販売される等して回収が不可能な279部を除くその余を回収した。そして同回収分と被告会社の在庫分につき、昭和462月ころまでに、原告氏名の脱落部分の追加印刷を完了した。また、本書を第一版のみで絶版とすることにした。
以上の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
二 従つて右認定事実によれば、本書は、第二外科教室という団体名で発行されたものでないこと、また、本件著作は、原告がかねて独自に研究学習して蓄積していた胃下垂等に関する学識に基づいて創作したものであることは、いずれも明らかであるところ、他に原告が、第二外科教室における職務上の規定あるいは暗黙の諒解又は慣行等により、本件著作を、第二外科教室という団体の著作物として出版することにつき承諾を与えたとみられるような事情は全く窺えないし、また、原告が本件著作を執筆するに当つては、被告Aの具体的な指揮監督の下に、単に、同人の著作を助けたにすぎない者であることなどの事実も認められないので、被告らの抗弁のうち、本書が第二外科教室の団体著作物であるとの点、及び原告が、被告Aの著作補助者にすぎないとの点はいずれも採用できない。
三 次いで被告Aは、「原告は、被告Aが本件著作につき自由に加除、変更を加えて、その全部又は一部を本書の胃下垂症の記述として利用すること並びに本書第一版においては本書F項文末及び目次同項部分に原告の氏名を記載しないことを、事前又は事後に承諾した。」と主張するところ、原告が本書の性質上、ないしは他の分担執筆者の原稿との表現の統一等の必要の限度で、被告Aにおいて、本件著作につき、加除訂正をなすことを事前に承諾していたことは、原告の自認するところである。
1 そこで以下、被告Aが本件著作につきなした分断が、右承諾の範囲内に存するか否かを検討する。
本件著作が(a)ー(b)・(c)ー(d)・(e)ー(f)の各部分に分断され、その各中間及び(e)ー(f)部分の後には、訴外D、同C、同Nが胃下垂症につき執筆した原稿が挿入ないし付加されて、本書のうちのF項胃下垂症が構成されたことは、前判示のとおりであるが、前掲(証拠)によれば、(a)ー(b)・(c)ー(d)・(e)ー(f)の各部分は、それぞれ胃下垂症についての概説、手術方法等の各記述として、いずれも胃下垂症に関するある程度まとまつた項目であることが認められるのに加え、右各部分の間ないし後に続けられた前記訴外Dらの原稿は、胃下垂症に関する第二外科としての見解を示すについて、原告の執筆した原稿に不足していた項目についても記述しているか、ないしは同原稿の記述より適切詳細なものであること、本件著作自体も、原告が胃下垂症に関して執筆提出した原稿の一部にすぎないこと並びに原告としても本書が第二外科教室における業績を一般に広める目的のため、被告Aがすべての提出原稿につき、これを右目的に合致するよう適切に配置することを了承していた以上、その一部が分断されその間に被告Aらの筆になる原稿もしくは見解が挿入されるなどのことも当然予想していたと認められること等前判示の本書の目的、体裁、その出版に至つた経緯並びに被告Aの本書についての役割等を総合して考えるときは、被告Aと同被告の補助者である訴外Bが右のように本件著作を分断しその間に他の原稿を挿入、付加したことは、原告が事前になしていた右承諾の範囲内にあるものと解するのが相当である。
2 しかしながら、被告A及びその補助者である訴外Bが、本書F項文末並びに目次同項部分に原告氏名を記載しなかつたことについては、医学部の教室において、教授が中心となつて医学書が教室員らの協力のもとに出版される場合には、教授の単独著作名で出版されることもまれではなく、また分担執筆をした教室員の氏名が表示される場合においても、せいぜい表紙ないしその扉部分等に列記されるにすぎない場合も多いこと及び原告が本書は右態様の医学書であることを承知のうえ原稿を提出したことは前判示のとおりであるので、右事実からすれば、本書への執筆者としての原告の氏名の掲記の方法を具体的にどのようにするかについては、原告は、被告Aの裁量に委ねていたものと推認することができる。
しかしながら、被告Aは、分担執筆をした教室員らからの申し出に従い、本書に分担執筆者すべての氏名を掲記することを承諾し、その掲記方法については訴外Bに一任したこと、そこで訴外Bは右氏名を表紙扉部分に列記するばかりでなく、各分担執筆部分を含む各項目、文末並びに目次部分にも記載することとして、その記載方を被告会社に指示したが、過失により原告氏名の記載の指示を前記本書F項文末等において脱漏し同箇所には訴外D、同C両名の氏名のみが掲記されるに止まつたこと、本書第一版出版後、訴外Bは、原告の右氏名の脱漏についての指摘に対し、第一版についてはそのまま何の手当もしないでおくことの趣旨で了解を求めたところ、原告は、そのとき直ちに特段の異議は述べなかつたが、その直後に被告会社に対して右点につき抗議していることは前判示のとおりである。
以上の事実によれば、原告が本件著作部分を含む本書F項が訴外Dないし同Cによつて執筆されたかのような外観を呈していることを事前ないし事後に承諾したとは到底解されず、他に前記原告の氏名の脱漏したまま本書第一版が出版販売されることを原告が承諾したと認めるに足る証拠はない。
ところで、もともと執筆者の氏名の具体的な掲記の方法については、被告Aの裁量に委ねられていたことは前記のとおりであるところ、同被告が、訴外Bを通じ、被告会社に対し、単に、本書の扉や目次に執筆者名を掲記することを指示するに止め、各文末にまでこれを挿入することの指示をしなかつたとすれば、それは当然裁量の範囲内の指示ということができるから、原告は、F項文末に原告の氏名が掲記されていないことにつき、なんら被告Aの責任を追及しえないというべきである。しかし、本件では、事情は異なり、被告Aは、訴外Bを通じ、執筆者全員の氏名を、扉や目次に掲記するばかりでなく、各分担執筆にかかる文末にまでも挿入するように被告会社に指示していることは前記のとおりである。
そうだとすれば、特定人の文末における氏名の脱漏は、氏名を掲記されたその他の者との間に差別を生ぜしめたという意味において、結果としては、その特定人の人格権を侵害する行為となるのである。
3 従つて以上によれば、被告Aは、本書出版のための確定原稿を被告会社に交付するに当り、本書各編の各項目ごとの分担執筆者の氏名をその文末及び目次部分に掲記して、各分担執筆者の著作人格権を侵害しないよう注意すべき義務があるのにこれを怠り、漫然とこれを訴外Bにまかせきりにした過失により、本書F項文末及び目次同項部分に原告氏名の掲記を脱漏し、その結果原告の著作人格権を侵害したものというべきである。
四 被告Aは、原告の同被告に対する本訴請求は権利の濫用であると主張する。なるほど、前認定によれば、被告Aもしくは訴外Bが、前記の手落ちが判明した後直ちに是正のための措置を採り、結果として既に頒布ずみの279部を除いては全部訂正され、前記権利侵害の大部分は回復されたことが認められるけれども、前記本書出版に至る経緯として認定された事実関係を総合して考えるとき、右請求が権利濫用と解することはできないし、また他にこれを認めるに足る証拠もない。従つて被告Aの右主張は採用できない。
第三 被告会社の抗弁について
一 被告会社は、「仮りに本書出版によつて原告の著作人格権が客観的には侵害された部分があつたとしても、被告会社は同書出版につき無過失であつた。」と主張するので検討する。
本書F項文末及び目次同項部分に原告の氏名を脱漏せしめたまま本書を出版販売したことは、原告の著作人格権に対する侵害になることは前判示のとおりである。
そして被告会社は、本件著作を本書の一部として前認定の形で出版することにつき、自ら編集会議を開催する等して直接原告の承諾をとることをしなかつたことは当事者間に争いがない。
しかしながら被告会社としては、本書出版の企画は被告Aのいわゆる持ち込み企画であつて、本書出版の企画を被告会社自身として決定した当初においては、本書は、被告Aの単独著作物として出版されるものであると説明を受けていたこと、また、本書のような目的内容を有する医学書は、たとい教室員の協力があるとしても、教室の事実上の代表者である教授の単独著作名義とすることがこれまでにも多く、仮りに当初から協力教室員の氏名を各分担部分に記載するような編集著作物として出版を申し込まれたとすれば、その商品的価値の点においては、問題があることから、出版販売を受諾していたかどうか疑問であること、従つて被告会社は、本書出版に際しては、被告Aに対し、特に本訴のごとき著作権に関する紛争を予防するため、その持込み企画の性格上からしても、被告Aにおいて本書の著作内容及び協力者との関係等一切を調整して、確定した出版原稿を受け取る旨の約束をとりつけていたこと、被告会社は、ゲラ刷りのための原稿を受取つた時点においても、同原稿には、執筆者の氏名の記載は一切なく、また出版についての著作者側との折衝は被告A並びに訴外Bとの間においてのみ行なわれていたため、原告が本書の本件著作部分を担当執筆したことを知らなかつたばかりでなく、それを知る必要もなかつたし、またその機会もなかつたこと、そして本書の分担執筆をした教室員らの氏名を本書に掲記することになつた旨の申し入れを受けた時点においても、その氏名の掲記方法並びに掲記すべき者の範囲は、前記出版に関する約定に基づきすべて訴外Bの指示に従つてこれをなしたものであることは、いずれも前判示のとおりである。
従つて被告会社としては、本書出版の確定原稿は、著作者側の代表者である被告Aないし実質的統括者であり、かつ、その履行補助者である訴外Bによつて、すべての点につき、調整が完了しているものと信じたことは、むしろ当然のことと解せざるを得ない。
よつて右事実関係の下においては、被告会社としては自ら本書出版のために編集会議を開催する等して、原告に対し本件著作を本書第一版のような形式で出版することにつき同意を求めるべき注意義務は存しなかつたと言わざるを得ないし、他にそのような注意義務があることを認めるに足る証拠もない。
なお原告は、請求原因に記載したとおり、被告会社は、被告Aが原告の著作人格権を侵害するに至つた過失を承継する旨主張するが、原告の同主張は独自の見解にすぎず、当裁判所の採用しえないところである。
よつて被告会社は、本件原告の著作人格権の侵害については無過失であつたと認められる。
第四 原告の損害について
(請求の趣旨1に関して)
原告の医学研究者としての地位、被告Aの原告の著作人格権侵害の程度、右侵害を生ずるに至つた経緯、その過失の態様、特に被告会社は、原告の著作人格権を侵害した本書第一版のうち回収不能である279 部を除き、その余の第一版については、既にその侵害部分につき訂正を加えたことにより、現在その害は回復されていること、その他本書が著作出版されるに至つた経緯等以上判示の一切の事情を総合するときには、原告が被つた損害は、軽微であつたと言わざるを得ないので、本件で原告が被つた精神的損害を慰謝すべき金額としては金3万円と評価するのが相当である。
(以下略)