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著作権判例セレクション

書籍の利用(複製翻案)につき包括的許諾を認定した事例

平成131220日京都地方裁判所[平成11()111]▶平成140918日大阪高等裁判所[平成14()287]
()本件は,原告が,「本件戯曲」が原告の著作物の翻案であり,また,本件戯曲中の個々の翻訳が原告著作物中の翻訳の著作物の複製であるとして,本件戯曲の複製,出版又は頒布の停止を求めなどを求めた事案である。

2 争点(2)(原告は被告らに原告著作の利用を許諾したか。)について
上記のとおり,本件戯曲は,原告著作の翻案であるということはできないが,本件戯曲中の翻訳には原告著作中の翻訳文のほぼ複製といってよいものがあることから,争点(2)について検討することとする。
(1) 以下の各所に掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,本件戯曲成立に至るまでの原告と被告Bの交流について,以下の事実が認められる。
()
(2) 上記認定の事実に照らして検討する。
上記(1)エの「本はもちろん手許の資料も好きなだけ使ってください。」との原告の発言が,本件で問題となる翻訳部分の使用の許諾まで意味するのか否かは,それだけでは必ずしも明確とはいえないが,原告が目を通しチェックしていることが明らかな本件戯曲の第1,2稿に,本件戯曲の71,72頁,132,133頁,149頁,190,191頁の翻訳部分が既に記載されていること,(1)キ記載の乙30の記載内容に照らせば,翻訳部分の使用も含めた包括的許諾がされたものと認めるのが相当である。
原告は,許諾にかかる書面が作成されていないことを問題とするが,乙56ないし77から窺える原告と被告Bの親密な関係に照らせば,書面の作成がなくとも,原告が許諾したと認めることは不自然とはいえない。原告はこの点,原告から被告Bに宛てた手紙に本件戯曲の第1,2稿に対する賛辞のようなものがあったとしても,表面的・儀礼的なものである旨主張するが,例えば乙68(1992年7月17日の原告の被告B宛の手紙)は6枚にわたり横書きでびっしりと書き込まれたものであり,表面的・儀礼的なつきあいであったとするのは不自然である(なお,2頁には,当時企画されていた本件戯曲に基づくドイツ公演について「初日にはぜひ2人揃って行きましょう」と,5頁には「Bさんの台本,成功間違いなしです。」とある。なお,原告は,平成6年2月15日には,本件戯曲に基づくドイツ公演の企画《乙82》について報じる朝日新聞を添付した上で,「ドレスデンでの勝利の暁には劇場のテッペンでビールで乾杯」とするファックス《乙76》をも送っている。)。
原告から被告Bへの手紙は平成6年半ばころで途絶えているが,そのことから,直ちに,許諾の解除がされたと認めることはできない(したがって,ゲビルティッヒの詩の翻訳は第1,2稿では使用されていないが,許諾の範囲内である。)。
(なお,本件戯曲においては,後書きで原告著作の翻訳を使用したとは明示されておらず《「いうならば,当劇はA氏,リフトン女史と私の精神的な共同作業によるものといってもいい。」という程度の記載である。》,ポーランド原典その他各国語訳に当たって意訳した原告の翻訳の利用としてはいささか礼を失するきらいはあるが,そのことが,本件で問題となる翻訳が許諾の範囲にあるとの判断を左右するものではない。)
3 結論
よって,原告の請求は,その余の点について判断するまでもなく理由がないから,これを棄却することとする

[控訴審]
2 争点(2)(控訴人は,被控訴人らに控訴人著作の利用を許諾していたか。)について
(1) 認定事実
 ()
(2)ア 上記引用に係る認定事実,ことに①平成4年1月上旬,控訴人がイスラエルの被控訴人B方に滞在した際,被控訴人が控訴人に対し,コルチャックの生涯の劇化の構想を述べ,被控訴人Bがその脚本を書くのに控訴人著作を参考にしてよいかと尋ねたところ,控訴人は,「一緒に雑魚寝をし,飯を食べた仲。それに,その本は井上君が活躍し,伊藤さんのおかげで出たもの。本はもちろん手許の資料も好きなだけ使ってください。だが友人の間でそんなことを聞く方がおかしい。」と述べていること,②控訴人は,本件戯曲の第1稿(前記1で控訴人著作の複製・翻案と認められる部分が既に描写されている。)について,気がついた点について被控訴人Bの原稿に自ら手を入れたり,被控訴人宛の書簡等で指摘し,また,控訴人の講演において,本件戯曲の第1稿の一部を一般聴衆に披露していること,③控訴人は,本件戯曲の最終稿である第4稿についても,サムエルとギエナのエピソードは事実無根との指摘を行ったものの,控訴人著作の利用自体については特に異議を述べていないことなどに照らすと,控訴人は,被控訴人Bに対し,本件戯曲制作に当たって控訴人著作を使用することについて,包括的許諾を行ったものと認めるのが相当である。
なお,控訴人は,本人尋問において,第3稿,第4稿を見ていないと供述するが,乙54,78に照らして,採用できない。
イ 控訴人は,許諾に係る書面が作成されていないことを問題とするが,乙56ないし77から窺える控訴人と被控訴人Bの親密な関係に照らせば,書面の作成がなくとも,控訴人が許諾したと認めることは不自然とはいえない。さらに,控訴人は,控訴人から被控訴人Bに宛てた手紙に本件戯曲の第1,2稿に対する賛辞のようなものがあったとしても,表面的・儀礼的なものである旨主張するが,例えば乙68(1992年7月17日の控訴人の被控訴人B宛の手紙)は6枚にわたり横書きでびっしりと書き込まれたものであり,表面的・儀礼的なつきあいであったとするのは不自然であり,また,同号証の2頁には,当時企画されていた本件戯曲に基づくドイツ公演について「初日にはぜひ2人揃って行きましょう」と,5頁には「井上さんの台本,成功間違いなしです。」とあり,さらに,平成6年2月15日には,控訴人から被控訴人に対し,本件戯曲に基づくドイツ公演の企画(乙82)について報じる朝日新聞を添付した上で,「ドレスデンでの勝利の暁には劇場のテッペンでビールで乾杯」とするファックス(乙76)をも送っていることなどに照らすと,前記本件戯曲の第1,2稿に対する控訴人の批評が表面的・儀礼的なものにとどまると解することはできず,控訴人の主張は採用できない。
ウ また,控訴人は,被控訴人Bの本件戯曲創作に当たっての控訴人著作の利用に関し,利用の範囲,許諾内容,許諾料等が約定されていないことを指摘する。しかし,原判決引用に係る前記(1)の認定事実に徴すると,昭和61年1月ころに知り合った以降の控訴人と被控訴人Bの交友状況や,被控訴人Bの尽力もあって控訴人著作の出版に漕ぎ着けられたことなどもあり,孤児院等の運営や児童の教育に関するコルチャックの思想,実践活動を日本等に普及させるという控訴人と被控訴人Bの一致した方針のもと,控訴人が被控訴人Bによる本件戯曲の制作に控訴人著作の利用を含めて全面的に支援・協力していく旨意思表明していたのであって,両名の関係は,控訴人著作の利用に関し,利用の範囲,許諾内容,許諾料等を問題として許諾するか否かを決めるというようなものではなく,何の留保もなく,当然に包括的に許諾を与える間柄であったというべきである。したがって,控訴人の前記主張を採用することはできない。
エ そのほか,本争点に関する控訴人の主張は,いずれも前記認定・判断を左右するものではなく,採用の限りでない。
オ したがって,前記1のとおり本件戯曲において,控訴人著作の複製又は翻案と認められる部分が複数箇所存するとしても,いずれも控訴人の事前の包括的許諾に基づき利用されたものである以上,被控訴人Bによる本件戯曲の制作及び被控訴人Cによる本件戯曲の出版は,いずれも控訴人著作物に関する複製権ないし翻案権を侵害するものとはいえない。
第5 結論
以上の次第で,その余の争点について判断するまでもなく,控訴人の被控訴人らに対する請求はいずれも理由がなく,これを棄却した原判決は,結論において相当であって,本件控訴はいずれも理由がない