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著作権判例セレクション

【著作権侵害総論】英文の自然科学論文(ある物質の性質を実験により分析し明らかにすることを目的とした研究報告)の侵害性が問題となった事例

平成161104日大阪地方裁判所[平成15()6252]▶平成17428日大阪高等裁判所[平成16()3684]
() 本件は、原告が、被告外数名がその名義で発表した論文が、原告が作成した論文に依拠するものでありながら、執筆者として原告の氏名が表示されておらず、また、論文中で原告が作成した論文の成果を前提としたものであることも指摘しなかったと主張し、このような論文を発表したことが、著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)の侵害にあたるとして、損害の賠償とともに、著作権法115条に基づき、著作者であることを確保し、著作者の名誉及び声望を回復するための措置を請求した事案である。

1 争点(1)(著作者人格権の侵害)について
(1) 自然科学に関する論文と著作物性について
著作権法において、著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」(2条1項1号)とされている。すなわち、著作権法が保護する対象は、思想又は感情の創作的な表現それ自体であって、思想、感情もしくはアイデア、事実もしくは事件など表現それ自体でないもの又は表現上の創作性がない表現は、著作権法が保護するものではないと解するのが相当である(最高裁判所第1小法廷平成13年6月28日判決参照)。
したがって、論文に同一の自然科学上の知見が記載されているとしても、自然科学上の知見それ自体は表現ではないから、同じ知見が記載されていることをもって著作権の侵害とすることはできない。また、同じ自然科学上の知見を説明しようとすれば、普通は、説明しようとする内容が同じである以上、その表現も同一であるか、又は似通ったものとなってしまうのであって、内容が同じであるが故に表現が決まってしまうものは、創作性があるということはできない。
もっとも、自然科学上の知見を記載した論文に一切創作性がないというものではなく、例えば、論文全体として、あるいは論文中のある程度まとまった文章で構成される段落について、論文全体として、あるいは論文中のある程度まとまった文章として捉えた上で、個々の文における表現に加え、論述の構成や文章の配列をも合わせて見たときに作成者の個性が現れている場合には、その単位全体の表現として創作的なものということができるから、その限りで著作物性を認めることはあり得るところである。
(2) 著作者人格権侵害か否かを判断するに当たっての原被告論文の比較方法
前記(1)のとおり、著作権法によって保護されるのは、思想又は感情の創作的な表現であり、思想でもアイデアでも事実でもない。したがって、学術研究における実験の結果やそこから得られた知見といった、学術研究の成果そのものは、著作権法による保護の対象とはならないものである(勿論、学術研究の成果を他者が盗用し、自らのものとして発表するような行為は、それ自体、一般の不法行為となり得る場合もあるであろうけれども、著作権法が保護するのは表現自体であるから、表現そのものを盗用しない限り、著作権法上の権利を侵害するものとはならない。)。
したがって、被告が被告論文を作成し、発表したことが、原告論文についての原告の著作者人格権としての氏名表示権及び同一性保持権を侵害したものであるか否かを判断するためには、原告論文と被告論文の表現を比較すべきものであって、そこに記載されている研究の過程や成果についての内容を比較すべきものではない。
以上の点に関し、原告は、複数の研究者で共同研究した場合の研究成果について、個々の研究者がその役割に応じて、論文発表に際しては当然に共同執筆者としての地位が与えられるべきであり、その氏名を表示しないことは著作者人格権としての氏名表示権を侵害するものであるとか、実験分野の論文では、何よりもその表現によって裏付けられている論理の過程そのものがより重要な要素であるから、表現上の相違があるからといって著作者人格権を侵害していないとはいえないなどと主張するが、上述したところに照らして到底採用の限りでない。
(3) 原被告論文の比較
上記(2)で判示したところに照らし、被告が被告論文を作成し、発表したことが、原告の原告論文についての著作者人格権としての氏名表示権及び同一性保持権を侵害したものであるか否かについて検討する。
なお、原告論文及び被告論文はいずれも英文の論文であり、比較すべきは上記のとおり記載内容ではなく表現それ自体であるから、その比較は原文である英文で行う必要があることは勿論である。
そこで、上で述べたところを前提として、両論文の類似点として原告が主張するところに即して、具体的に両者の比較を行うこととする。
原告が両論文が類似している点として主張するもののうち、別紙A「類似点についての原告の主張」(1)①ないし⑭部分の両論文の原文(英文)は、それぞれ別紙C「原告主張(1)部分の原文」のとおりである(なお、これは別紙B「類似点についての被告の主張」記載のものと異なるが、これは同別紙に記載された両論文の引用が不正確なことによる。)。
これらをそれぞれ比較すると、まず、①ないし④及び⑥ないし⑭部分については、個々の部分の表現において両者間で類似する点もないではないものの、それは、その説明しようとする内容が同一ないし類似の自然科学上の知見や事実関係であるため、誰が書いても同一又は類似する表現になってしまうようなものであって、原告論文中の当該部分について表現における創作性を認めることはできない。
そして、その前後を含めた文章として比較すれば、その文章表現や論述の構成は明らかに異なっており、両者が類似しているということはできない。したがって、これらについては、被告論文が原告論文を複製ないし翻案したものとすることはできない。
⑤については、表現は類似しているということもできるが、両者の記述しようとしていることは、「最近、摘出平滑筋が耐性やその発生の検定に有用とされてきている」という客観的な事実関係であり、これを記述しようとすると、誰が書いても同一又は類似する表現になってしまうようなものであって、原告論文も通常とは異なった表現を用いたものとも認められないから、原告論文の当該部分について表現における創作性を認めることはできない。したがって、これについても、被告論文が原告論文を複製ないし翻案したものとすることはできない。また、両者における⑤を含む段落全体を引用すると、それぞれ別紙D「⑤を含む段落全体の原文」のとおりであって、両者を比較すると、その全体としての表現としても、段落内の構成としても、両者が類似しているといえないことは明らかである。したがって、⑤を含んだ段落について検討した場合には、被告論文が原告論文に類似したものということはできない。
また、原告が両論文が類似している点として主張するもののうち、別紙A「類似点についての原告の主張」(2)(被告論文の表2)は、原告の主張によっても、そこに記されているデータの数値が同一又は近似しているというだけで、原告論文における表1及び2に記載されている数値が被告論文における表2に記載されているという時点で既に表現を異にするというべきであって、到底これらが類似するということはできない。
さらに、被告論文と原告論文を全体としてみても、両論文が表現において類似するとすることはできない。
(4) 小括
以上のとおりであるから、被告論文が原告論文を複製しているとも、翻案しているとも認めることはできない。
したがって、被告による、原告論文についての原告の著作者人格権侵害はこれを認めることができない。
2 なお、本件における両当事者の主張立証態様に鑑み付言する。
()
(3) 以上のとおり認められる事実に照らせば、本件研究における実験は、原告が関与した実験によってほぼ完結したというものではなく、その後も生薬学教室において継続された実験も含めて、初めて研究としての一応の結論を導くに足りるものとなったと推認することができる。したがって、本件研究における原告の役割は、P3の指導の下、生薬学教室で行われたインド人参ないしウィタフェリンA及びWS-4とクロニジン耐性との関係についての実験において、その作業の一部に従事することであったと推認するのが相当である。
したがって、原告が、その作業に従事していた実験の結果から一定の知見を得ることがあったとしても、それは、原告が主体的に行った研究によって原告が得た知見として、あるいは、完成した研究の結果得られた知見として評価すべきものではなく、むしろ、原告も関与していた研究の途中で得られた仮説であるというべきである。
よって、被告論文の薬理学的部分の内容も、原告論文に依拠したものであるとは認めることができない。

[控訴審]
(1) 言語の著作物の翻案とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものである(2条1項1号参照)から,既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷平成13年6月28日判決参照)。
なお,既存の著作物に依拠し,その表現上の本質的な特徴の同一性のあるものを作成する行為のうち,新たな思想又は感情の創作的な表現が加えられていない場合は,複製に当たる。
(2) そうすると,被告論文に,原告論文に記載されているのと同一の自然科学上の知見が記載されているとしても,自然科学上の知見は表現それ自体ではないから,このことをもって直ちに被告論文が原告論文の複製又は翻案であるとはいえず,原告の著作者人格権が侵害されたということもできない。被告が被告論文を作成し,発表したことが,原告論文についての原告の著作者人格権としての氏名表示権ないし同一性保持権を侵害したものであるか否かを判断するためには,原告論文の表現と被告論文の表現とを対比するのが相当であって,両論文に記載されている自然科学上の知見,すなわち研究の過程や成果についての内容を対比すべきものではない。
原告論文及び被告論文は,いずれも英文の論文であり,対比すべきは上記のとおり両論文の記載内容ではなく表現それ自体であるから,その対比は,原文である英文同士で行うのが相当である。
これに対し,原告は,実験分野の論文では,何よりもその表現によって裏付けられている論理の過程そのものがより重要な要素であるから,表現上の相違があるからといって著作者人格権を侵害していないとはいえないなどと主張するが,上記主張は前記説示に照らして採用することができない。
(3) また,前記のとおり,表現それ自体の同一性が認められる場合であっても,当該記述が,表現上の創作性がないものであるときには,当該記述は著作権法の保護を受けることができない。
自然科学論文,ことに本件のように,ある物質の性質を実験により分析し明らかにすることを目的とした研究報告として,その実験方法,実験結果及び明らかにされた物質の性質等の自然科学上の知見を記述する論文は,同じ言語の著作物であっても,ある思想又は感情を多様な表現方法で表現することができる詩歌,小説等と異なり,その内容である自然科学上の知見等を読者に一義的かつ明確に伝達するために,論理的かつ簡潔な表現を用いる必要があり,抽象的であいまいな表現は可能な限り避けられなければならない。その結果,自然科学論文における表現は,おのずと定型化,画一化され,ある自然科学上の知見に関する表現の選択は,極めて限定されたものになる。
したがって,自然科学論文における自然科学上の知見に関する表現は,一定の実験結果からある自然科学上の知見を導き出す推論過程の構成等において,特に著作者の個性が表れていると評価できる場合などは格別,単に実験方法,実験結果,明らかにされた物質の性質等の自然科学上の知見を定型的又は一般的な表現方法で記述しただけでは,直ちに表現上の創作性があるということはできず,著作権法による保護を受けることができないと解するのが相当である。
これに対し,原告は,自然科学上の知見の表現においては,表現技法は,論理性,一義性,明確性等の要請があり,当該自然科学上の知見を一般的に認識し得るようにするための論理的かつ簡潔な表現技法も,著作権法上保護されるべきものであると主張する。
しかしながら,原告主張のような表現技法について著作権法による保護を認めると,結果的に,自然科学上の知見の独占を許すことになり,著作権法の趣旨に反することは明らかである。
したがって,原告の上記主張は,採用することができない。
(4) さらに,原告は,複数の研究者で共同研究した場合の研究成果については,個々の研究者がその役割に応じて,論文発表に際しては当然に共同執筆者としての地位が与えられるべきであり,研究者の了解なく,その氏名を表示せずに論文を発表することは著作者人格権としての氏名表示権及び同一性保持権を侵害するものであるとも主張する。
確かに,証拠及び弁論の全趣旨によれば,本件研究において原告が相当程度の役割を果たし,原告が得た研究成果の一部が被告論文に反映されていることが認められ,これによれば,被告論文が原告論文に依拠していると考えられなくはないが,原告が本件研究の共同研究者であるという一事をもって当然に被告論文の共同著作者の地位を取得するということはできず,上記主張は独自の見解であって採用することができない。
2 以上の見地から,原告論文と被告論文とを原文(英文)同士で対比して検討すると,以下のとおり,原告論文のうち原告が両論文が類似している点として主張する部分は,表現それ自体ではない部分(自然科学上の知見)を除けば,表現上の創作性があるとは認められず,また,そうでないとしても,原告論文と被告論文は,表現上の本質的な特徴の同一性があるということができないか,類似しているとはいえない。
()
(1) ①部分について
ア 原告論文の①部分の意味内容は,「インド人参の二つの主成分であるウィタフェリンA及びWS-4(ウィタノサイドⅥ)は,クロニジンによって誘発される耐性を減弱化させた」という自然科学上の知見を記述したものであり,被告論文の①部分の意味内容も,ほぼ同旨の自然科学上の知見を記述したものであると認められる。
イ しかしながら,原告論文の①部分には,特に原告の個性が表れた表現は見当たらず,同部分は,前記自然科学上の知見を読者に一義的かつ明確に伝達するために,一般的に用いられる表現を用いているにすぎないと認められる。
そうすると,原告論文の①部分は,表現上の創作性があるとはいえない。
ウ また,前記イの点をおいても,被告論文の①部分は,原告論文の①部分と異なり,クロニジンによって誘発される耐性について,「試験管内の実験において,モルモット回腸の電気刺激で」(on electrically stimulated guinea-pigileum in vitro)という説明がされていること,原告論文の①部分と被告論文の①部分は,英文表現の構文において全く異なること,例えば「耐性」という単語につき,原告論文は「tolerance」,被告論文は「tachyphylaxis」を用いているなど,具体的な表現において異なったものとなっていることが認められる。
してみると,被告論文の①部分のうち,原告論文の①部分と同一性を有する部分は,表現それ自体ではない部分(自然科学上の知見)にすぎず,他方,上記相違点を考慮すれば,被告論文の①部分の表現から原告論文の①部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきであるから,原告論文の①部分と被告論文の①部分は,表現上の本質的特徴の同一性があるということもできない。
(2) ②部分について
原告論文の②部分及び被告論文の②部分は,いずれも冒頭に「It is(was) reported that」という記載があり,また,出典が明記されていることからすれば,いずれも他の論文(Kulkarni,S.K.;Ninan,I.J.Ethnopharmacol. 1997,57,213.)中の記載を引用したものにすぎず,原告論文の②部分の表現自体に創作性があるとは認められない。
(3) ③部分について
ア 原告論文の③部分の意味内容は,「クロニジン(0.3から100nM)は用量依存的に回腸の収縮の阻害を示す。その50%阻害する用量は4.2nMであった。クロニジン(10nM)と90分接触させておくと,その収縮は68.6±11.4%にまで減弱された。収縮抑制力が減弱されたことを示す。この時の50%阻害する用量は15nMに移動した。」という実験結果及びこれにより導かれる自然科学上の知見を記述したものである。
他方,被告論文の③部分の意味内容も,ほぼ同旨の実験結果等を記述したものであると認められる。
イ しかしながら,原告論文の③部分には,特に原告の個性が表れた表現は見当たらず,同部分は,前記実験結果等を読者に一義的かつ明確に伝達するために,一般的に用いられる表現を用いているにすぎないと認められる。
また,文章の順序も,前記実験結果及びこれにより導かれる自然科学上の知見を論理的に表現するためには,原告論文の③部分のような順序で記述するのが通常であると認められる。
そうすると,原告論文の③部分は,表現上の創作性があるとはいえない。
ウ また,前記イの点をおいても,原告論文の③部分と被告論文の③部分は,説明の順序が共通することが認められるけれども,「収縮抑制力が減弱された」という部分については,原告論文は「the original active doses were less effective in causing a reduction in the twitch」という表現を,被告論文は「their effective concentrations in the first treatment were less effective to the twitch responses」という表現をそれぞれ用いるなど,具体的な表現において異なったものとなっていることが認められる。
してみると,被告論文の③部分のうち,原告論文の③部分と同一性を有する部分は,表現それ自体ではない部分(実験結果及び自然科学上の知見)にすぎず,上記相違点を考慮すれば,被告論文の③部分の表現から原告論文の③部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきであるから,原告論文の③部分と被告論文の③部分は,表現上の本質的特徴の同一性があるということもできない。
(4) ④部分について
ア 原告論文の④部分の意味内容は,「クロニジンの耐性の生じていない回腸片にまずクロニジンだけの反応曲線を得,2回目はその10分前にウィタフェリンA及びWS-4(10μMと30μM)を添加した。このときはクロニジンの収縮に何ら変化はなかった。一方,クロニジンと2検体を長時間接触させると,用量依存的にクロニジン耐性の発生を抑制した。用量曲線は,左へシフトしてほとんどクロニジン処置なしの対照群のレベルまでになった。」という実験方法及び実験結果を記述したものである。
他方,被告論文の④部分の意味内容も,ほぼ同旨の実験方法及び実験結果を記述したものであると認められる。
イ しかしながら,原告論文の④部分には,特に原告の個性が表れた表現は見当たらず,同部分は,前記実験方法及び実験結果を読者に一義的かつ明確に伝達するために,一般的に用いられる表現を用いているにすぎないと認められる。
また,文章の順序も,前記実験方法及び実験結果を論理的に表現するためには,原告論文の④部分のような順序で記述するのが通常であると認められる。
そうすると,原告論文の④部分は,表現上の創作性があるとはいえない。
ウ また,前記イの点をおいても,原告論文の④部分と被告論文の④部分は,例えば「添加した」という単語につき,原告論文は「administrated」,被告論文は「applied」を用いており,「このときはクロニジンの収縮に何ら変化はなかった。」という意味内容につき,原告論文は「showed no significant effect on clonidine」,被告論文は「did not show any significant effect on the action of clonidine」という表現を用いているなど,具体的な表現において異なったものとなっていることが認められる。
してみると,被告論文の④部分のうち,原告論文の④部分と同一性を有する部分は,表現それ自体ではない部分(実験方法及び実験結果)にすぎず,他方,上記相違点を考慮すれば,被告論文の④部分の表現から原告論文の④部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきであるから,原告論文の④部分と被告論文の④部分は,表現上の本質的特徴の同一性があるということもできない。
(5) ⑤部分について
原告論文の⑤部分と被告論文の⑤部分は,ほぼ同一の表現が用いられているが,これらは,いずれも他の論文(Ramaswamy,S.;Pillai,N.P.; Gopalakrishnan,V.; Ghosh,M.N.Eur.J.Pharmacol. 1980, 68,205.)中の記載を引用ないし要約したものであると認められる。
また,原告論文の⑤部分と被告論文の⑤部分は,いずれも,「最近,摘出平滑筋が耐性やその発生の検定に有用とされてきている」という自然科学上の知見を記述したものであるが,原告論文の⑤部分には特徴的な表現が見当たらず,同部分は,上記知見を読者に一義的かつ明確に伝達するために,一般的に用いられる表現を用いているにすぎないから,原告論文の⑤部分の表現自体に創作性があるとは認められない。
(6) ⑥部分について
原告論文の⑥部分と被告論文の⑥部分は,ほぼ同一の表現が用いられているが,これらは,いずれも他の論文(Drew,G.M.Br.J.Pharmacol.1978,64,293及びColado,M.I.;Martin.M.I.J.Pharm.Pharmacol.1992,44,101)中の記載を参考にしたものと認められるから,原告論文の⑥部分の表現自体に創作性があるとは認められない。
(7) ⑦部分について
ア 原告論文の⑦部分の意味内容は,「この結果,今回の研究は,摘出モルモット回腸にクロニジンを長時間処理することはクロニジン耐性(クロニジンの回腸収縮抑制作用が失われること)及びAChへの感受性向上を誘発することを明らかにした。」という自然科学上の知見を記述したものである。
他方,被告論文の⑦部分(ただし,「In agreement with...」以下)は,同旨の意味内容を含むものの,AChへの感受性向上に関する言及はない。
イ しかしながら,原告論文の⑦部分には,特に原告の個性が表れた表現は見当たらず,同部分は,前記自然科学上の知見を読者に一義的かつ明確に伝達するために,一般的に用いられる表現を用いているにすぎないと認められる。そうすると,原告論文の⑦部分は,表現上の創作性があるとはいえない。
ウ また,前記イの点をおいても,原告論文の⑦部分の後段と被告論文の⑦部分の後段は,英文の構文,個々の表現とも全く相違することが認められ,被告論文の⑦部分のうち,原告論文の⑦部分と同一性を有する部分は,表現それ自体ではない部分(自然科学上の知見)にすぎず,他方,被告論文の⑦部分の表現から原告論文の⑦部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきであるから,原告論文の⑦部分と被告論文の⑦部分は,表現上の本質的特徴の同一性があるということもできない。
(8) ⑧部分について
原告論文の⑧部分と被告論文の⑧部分は,ほぼ同一の表現が用いられている部分があるが,原告論文及び被告論文には出典が明記されていることからすれば,これらは,いずれも他の論文(Bentley,G.A.;Newton,S.H.;Starr,J.Br.J.Phamacol.1983,79,125.及びColado,M.I.;Martin.M.I.J.Pharm.Pharmacol.1992,44, 101.)中の記載を引用ないし要約したものであると認められるから,原告論文の⑧部分の表現自体に創作性があるとは認められない。
(9) ⑨部分について
ア 原告論文の⑨部分の意味内容は,「ウィタフェリンAとWS-4は,クロニジンの短時間処理に対して何らモルモットの回腸の電気刺激による収縮に影響を与えなかった」という実験結果ないし自然科学上の知見を記述したものである。
他方,被告論文の⑨部分の意味内容も,ほぼ同旨の実験結果ないし自然科学上の知見を記述したものであると認められる。
イ しかし,原告論文の⑨部分には特徴的な表現が見当たらず,同部分は,前記実験結果ないし自然科学上の知見を読者に一義的かつ明確に伝達するために,一般的に用いられる表現を用いているにすぎないものと認められる。
ウ 以上によれば,原告論文の⑨部分は,表現上の創作性があるとは認められない。
(10) ⑩部分について
ア 原告論文の⑩部分の意味内容は,「モルモットの回腸端部(1.5~2cm)をとり,1gの張力をかけて,以下の組成(mM)の生理栄養液を含む,いわゆるマグヌス槽の中に酸素を飽和にして37℃に保った。;NaCl,119;KCl,4.7;CaCl2,2.5;MgSO4,1.0;NaHCO3,25;KH2PO4,1.2;(+)-glocose,11.1。β交感神経受容体の効果を除去するためにプロプラノール(1μM)を常に栄養液中に添加した。」という実験方法の説明を記述したものである。
他方,被告論文の⑩部分の意味内容も,ほぼ同旨の実験方法の説明を記述したものである。
イ しかしながら,原告論文の⑩部分には,特に原告の個性が表れた表現は見当たらず,同部分は,前記実験方法を読者に一義的かつ明確に伝達するために,一般的に用いられる表現を用いているにすぎないと認められる。そうすると,原告論文の⑩部分は,表現上の創作性があるとはいえない。
ウ また,前記イの点をおいても,原告論文の⑩部分と被告論文の⑩部分とは,英文の構文が全く異なり,個々の表現及び使用された単語において相違することが認められ,被告論文の⑩部分のうち,原告論文の⑩部分と同一性を有する部分は,表現それ自体ではない部分(実験方法)にすぎず,他方,被告論文の⑩部分の表現から原告論文の⑩部分の表現上の本質的な特徴を直接感得することはできないというべきであるから,原告論文の⑩部分と被告論文の⑩部分は,表現上の本質的特徴の同一性があるということもできない。
(11) ⑪部分について
原告論文の⑪部分と被告論文の⑪部分には,ほぼ同一の表現が用いられている部分があるが,これらは,いずれも他の論文(Bj.J.Pharmacol.,52.597-603(1974),P.598)中の記載を参考にしたものと認められるから,原告論文の⑪部分の表現自体に創作性があるとは認められない。
(12) ⑫部分について
原告論文の⑫部分と被告論文の⑫部分は,英文の構文,使用された単語とも相違しており,類似しているとはいえない。
(13) ⑬部分について
原告論文の⑬部分は,一つの文章の一部にすぎず,創作性のある表現とはいえない。
(14) ⑭部分について
原告論文の⑭部分と被告論文の⑭部分は,英文の構文,使用された単語とも相違しており,類似しているとはいえない。
(15) 表について
原告論文の表1及び表2と被告論文の表2は,表の形式や記載されたデータの種別等が全く相違しており,類似しているとはいえない。
3 なお,原告論文の全体の構成と被告論文のそれとを対比してみても,原告が類似点であると主張する部分の記載順序は,原告論文においては,①,⑥,⑩,⑪,③,④,⑬,⑫,⑤,⑦,⑧,②,⑨,⑭であるのに対し,被告論文においては,①,②,③,④,⑤,⑥,⑦,⑧,⑨,⑭,⑩,⑪,⑫,⑬であって,全く相違している。
そして,他に被告論文が原告論文の複製ないし翻案であるとか,被告が原告論文について原告が有する著作者人格権を侵害することを認めるに足りる的確な証拠はない。また,原告が被告論文の共同著作者に当たるというべき証拠もない。
4 その他,原審及び当審における当事者提出の各準備書面記載の主張に照らし,原審及び当審で提出,援用された全証拠を改めて精査しても,当審及び当審の引用する原審の認定,判断を覆すほどのものはない。
5 以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,原告の請求はいずれも理由がないから,これを棄却した原判決は相当であり,本件控訴は理由がない。