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著作権判例セレクション
【著作権侵害総論】創作性の程度と保護の範囲(インターネット上の掲示板への書込みの著作物性が争点となった事例)
▶平成14年10月29日東京高等裁判所[平成14(ネ)2887]
(注) 本件は,XYZが設置,管理するホームページ上の掲示板に文章を書き込んだ被控訴人らが,同人らが書き込んだ文章の一部を複製(転載)して書籍を作成し,出版,販売頒布した控訴人ら及び出版社に対し,同人らの行為は被控訴人らが上記文章につき有する著作権を侵害するとして,上記書籍の出版等の中止及び損害賠償金の支払などを請求したのに対し,原判決が,上記侵害を認めて,被控訴人らの請求を,金員支払請求の一部を除いて認容したため,控訴人らがこれを不服として控訴を提起し(出版社は控訴を提起しなかったため,原判決が確定),被控訴人らが認容額を不服として附帯控訴をした事案である。
1 原告各記述部分の著作物性について
(1) 著作権法において,著作物とは,「思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものをいう」(著作権法2条1項1号)と定義されている。同規定によれば,ある表現が著作権法上の著作物として同法の保護を受ける著作物であるというためには,それが,「文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するもの」であること(この要件は,主として実用品について問題となるものであり,本件では問題とならない。)に加えて,それが,①思想又は感情の表現であること,②創作的表現であること,すなわち創作性を有すること,が必要である。単なる事実の記述は思想又は感情の表現であるということはできない。もっとも,単なる事実の記述のようにみえても,その表現方法などから,そこに筆者の個性が何らかの形で表われているとみることができるような場合には,思想又は感情の表現があるとみて差し支えない。
著作物と認めるためのものとして要求すべき「創作性」の程度については,例えば,これを独創性ないし創造性があることというように高度のものとして解釈すると,著作権による保護の範囲を不当に限定することになりかねず,表現の保護のために不十分であり,さらに,創作性の程度は,正確な客観的判定には極めてなじみにくいものであるから,必要な程度に達しているか否かにつき,判断者によって判断が分かれ,結論が恣意的になるおそれが大きい。このような点を考慮するならば,著作物性が認められるための創作性の要件は厳格に解釈すべきではなく,むしろ,表現者の個性が何らかの形で発揮されていれば足りるという程度に,緩やかに解釈し,具体的な著作物性の判断に当たっては,決まり文句による時候のあいさつなど,創作性がないことが明らかである場合を除いては,著作物性を認める方向で判断するのが相当である。
ある表現の著作物性を認めるということは,それが著作権法による保護を受ける限度においては,表現者にその表現の独占を許すことになるから,表現者以外の者の表現の自由に対する配慮が必要となることはもちろんである。このような配慮の必要性は,著作物性について上記のような解釈を採用する場合には特に強くなることも,いうまでもないところである。しかし,この点の配慮は,主として,複製行為該当性の判断等,表現者以外の者の行為に対する評価において行うのが適切である,と考えることができる。一口に創作性が認められる表現といっても,創作性の程度すなわち表現者の個性の発揮の程度は,高いものから低いものまで様々なものがあることは明らかである。創作性の高いものについては,少々表現に改変を加えても複製行為と評価すべき場合があるのに対し,創作性の低いものについては,複製行為と評価できるのはいわゆるデッドコピーについてのみであって,少し表現が変えられれば,もはや複製行為とは評価できない場合がある,というように,創作性の程度を表現者以外の者の行為に対する評価の要素の一つとして考えるのが相当である。このように,著作物性の判断に当たっては,これを広く認めたうえで,表現者以外の者の行為に対する評価において,表現内容に応じて著作権法上の保護を受け得るか否かを判断する手法をとることが,できる限り恣意を廃し,判断の客観性を保つという観点から妥当であるというべきである。
(2) 原判決は,別紙原告記述及び転載文一覧表の原告記述欄…の各記述部分について,同表転載文欄記載の転載文中に,一部分が省略された形で転載されているため,転載された部分ごとに分けて,それぞれ著作物性を判断し,一部分につきその著作物性を否定した。しかしながら,原審の上記判断は,その判断手法自体に問題があるというべきである。まず,被控訴人らは,原告各記述部分の著作物性を主張するに当たり,一次的には,それの属する原告各記述(例えば,上記一覧表の原告記述欄…それぞれの全体が,一個の著作物であり,それの一部として著作物性を有すると主張しているものと理解するのが相当である。そうである以上,著作物性の有無の判断は,まず,これらそれぞれの記述全体について行われるべきである。そして,上記(1)で述べた解釈に照らすと,原告各記述は,一個の記述全体としてみたとき,いずれも記述者の個性が発揮されていると評価することができるから,これに対しては,著作物性を認めるのが相当である(このことは,仮に,各番号ごとの一個の記述全体を構成する部分の中に,それだけを取り出して評価すれば創作性の認められないものが含まれていたとしても,影響を受けるものではない。極論すれば,全体としては創作性の高い著作物であっても,それを構成する部分に細かく分けていって,各部分のみを独立に評価すれば,多くの場合,その中に創作性の低いもの,場合によっては,上記(1)の基準によっても創作性を認めることの困難なものが出てくることは,避けられないであろう。)。
次に,上記一覧表によれば,上記各記述部分は,いずれもさほど長いものではないこと,分けられて転載された部分同士が近接していることが認められることを考慮すると,上記各記述部分については,全体として一個の転載行為がなされたものとみるべきであって,転載行為についての評価も,転載文全体を単位として行うのが相当であり,転載された部分ごとに分けて行うのは相当でないというべきである。
(3) 上記(1)で述べた解釈に照らすと,原告各記述部分は,それ自体としてみても,原判決が著作物性を否定した部分も含め,いずれも,程度の差はあれ記述者の個性が発揮されていると評価することができるから,著作物性を認めるのが相当である。この点において,当裁判所は,原判決と判断を異にする。
(4) 本件各転載文は,一部を省略したり,順序を変えたり,接続詞など細部を変えたりした部分はあるものの,基本的には,原告各記述部分の表現を変えずにほとんどそのまま複製したものであり,そのいわゆるデッドコピーに近いものであると評価すべきものであることは,別紙原告記述及び転載文一覧表から明らかである。
(5) 以上を前提に,原告各記述,それに対応する,原告各記述部分,本件各転載文を対比した場合,本件各転載文中の多くは,全体として,それに対応する原告各記述の複製として評価し得るものであり,少数(例えば,上記一覧表の…など)は,原告各記述全体に対する割合が小さすぎるため,原告各記述全体の複製として評価することはできないものの,対応する原告各記述部分の複製として評価することができるというべきである。
(6) 上述したところによれば,控訴人らが本件書籍を著作,出版,販売した行為は被控訴人らの複製権を侵害する行為であるというべきである。本件書籍の出版,発行等の差止めを求める被控訴人らの請求には理由があり,これを認容した原判決は相当である。
(7) 控訴人らは,原告各記述部分のようなインターネット上の掲示板への書込みの著作物性について,①インターネット上の掲示板への書込みは全世界において毎秒単位で膨大な数がなされ,しかも,随意に消去されているため,その全容を把握することが困難であること,②インターネット上の書込みを利用するために,書込みをした者の承諾を得ようとしても,書き込みが多くの場合匿名でなされるため,連絡をすることが困難であることから,このような承諾手続が必要となるとインターネット上の情報の利用が制約されることとなり,ひいてはインターネットの発展を阻害することになること,③インターネット上での掲示板への書込みは,多くの場合対価が得られないような程度の内容のものが大部分であること等の実状に鑑みると,インターネット上の掲示板への書込みの著作物性の判断に当たっては,従来の情報伝達手段におけるより厳格な基準によるべきであり,具体的には「何らかの評価,意見」や「何らかの個性」があるだけでは足りず,「相当程度にまとまった独自の思想又は感情に基づく独創性が表現されている」ことを必要とすると解すべきである,と主張する。
しかしながら,膨大な表現行為が行われているため全容の把握が困難であること,匿名で行われた場合に表現者の承諾を得るのが困難であること,対価が得られないような程度の内容の表現行為が多く見られることは,インターネット上の書込みに限られず,他の分野での表現についてもいえることであるから,これらの事情は,インターネット上の書込みの著作物性の判断基準を他の表現についてよりも厳格に解釈することの根拠とすることはできないというべきである。控訴人らは,インターネット上の書込みについて,承諾を必要とする範囲を広く解すると,インターネット上の情報の利用を制約することになり,ひいてはインターネットの発展を阻害することになる,と主張する。しかしながら,インターネット上の書込みについて,その利用の承諾を得ることが全く不可能というわけではない。また,承諾を得られない場合であっても,創作性の程度が低いものについては,多くの場合,表現に多少手を加えることにより,容易に複製権侵害を回避することができる場合が多いと考えられるから,そのようなものについても著作物性を認め,少なくともそのままいわゆるデッドコピーをすることは許されない,と解したとしても,そのことが,インターネットの利用,発展の妨げとなると解することはできないというべきである。
控訴人らは,被控訴人らは匿名で書込みをし,その内容について責任追及を困難にすることを選んだ以上,その書込みについて著作権等の権利を主張することは許されない,と主張する。確かに,例えば,他人の名誉を毀損するなど,その内容について法的な責任を追及されるような内容のインターネット上の書込みを匿名でした者が,他方で,その書込みについて権利を主張することが,権利の濫用などを理由に許されないとされる場合があり得ることは,否定できない。しかしながら,そのような場合があり得るからといって,その理屈をインターネット上の書込み一般に及ぼし,およそ匿名で行った書込みについては,内容のいかんを問わず,権利行使が許されないなどど解することができないことは明らかである。
控訴人らは,被控訴人Jが,インターネット上で偽名を用いて他人を誹謗,抽象する書込みを行っているとして,そのことを理由に,本件について,権利行使を認めるべきではない,と主張する。しかしながら,本件の書込みとは別の書込みの内容は,何ら本件の書込みについての権利行使に影響を及ぼすものではないというべきであり,控訴人らの上記主張は主張自体失当である。
控訴人らの主張は,いずれも採用することができない。