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著作権判例セレクション

【言語著作物(地図を含む。)の侵害性】史跡ガイドブックの侵害性が争点となった事例

平成130123日東京地方裁判所[平成11()13552]
() 本件は、原告が、被告らに対して、原告の著作物である書籍及び原稿について、被告らが無断でその一部を複製し、被告らが発行する書籍中に使用したと主張して、著作権(複製権)及び著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)侵害を理由とする損害賠償等を求めた事案である。

一 著作権の存否等について
原告著作物一及び二を原告が著作し、その著作権を有すること、及び、被告Bが被告会社の代表者であること、被告Bが中心となって被告書籍を作成・編集し、被告会社がこれを発行したこと、被告書籍の作成に当たり、被告らが原告著作物一を少なくとも参照したことは、前記「前提となる事実関係等」欄記載のとおりである。
二 被告らによる著作権(複製権)侵害の有無(争点1)について
原告は、被告書籍のうち対照表左欄記載の各記述部分は、原告著作物一の同表右欄記載の記述部分の複製に当たると主張するので、この点につき検討する。
1 原告著作物一の著作物性について
() 著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」をいい(著作権法211号)、その中には「小説、脚本、論文、講演その他の言語の著作物」(同法1011号)が含まれる。右にいう「創作的に表現したもの」とは、必ずしも表現の内容自体について独創性や新規性があるものばかりではなく、思想又は感情についての具体的表現形式に作成者の個性が表れているものであれば、これに当たるものというべきである。したがって、客観的な事実を素材とする表現であっても、取り上げる素材の選択や、具体的な用語の選択、言い回しその他の文章表現に創作性が認められ、作成者の評価、批判等の思想、感情が表現されていれば著作物に該当するということができる。
() 原告著作物一の内容等について
(証拠等)を総合すれば、次の事実が認められる。
原告は、歴史研究サークルであるS堂を主宰している。原告は、これまで新選組に関する研究を個人的に続けてきたが、全国各地に残る新選組に関する史跡を訪ね、これに関する史実や自己の感想を案内文として叙述して、右史跡を訪ねるための詳細なガイドブックとして、「ふぃーるどわーく下総・宇都宮」、「ふぃーるどわーく京都 東」等、数冊を出版している。原告が著作し、出版した原告著作物一も、これら一連の書籍と同様に、新選組副隊長であった土方歳三の出身地である多摩地方の新選組に関する史跡を、従前のガイドブックには紹介されていなかった史跡も含めて紹介し、これに関する史実や自己の感想を叙述したものである。同書は、多摩地方に残る新選組に関する史跡を訪ねるための、現地の情報に関する詳細で便利なガイドブックという性質を有している。そのため、その叙述内容は、史跡やそれに関する史実、歴史上の人物の紹介、鉄道の駅の案内やバスの時刻表等の交通機関の情報等を記述内容とし、これに現地の地図、墓所の様子(墓石の並び方)などのイラストを多数付加したものとなっている。
() 原告著作物一の対照表右欄記載の各記述部分の著作物性について
ところで、被告らは、原告著作物一が全体として著作物性を有することは認めるものの、原告著作物一の対照表右欄記載の各記述部分の著作物性を争うので、以下、これらの著作物性につき検討する。
(1) 原告著作物一は、このように、新選組に関する、一般に知られている史跡ばかりでなく、あまり知られていない史跡や従前のガイドブックでは紹介されていなかった史跡も含めて紹介し、それらの史跡を訪ねるためにはどのような交通手段を利用するのが便利かという情報を提供するガイドブックである。同書には、右史跡の選択、交通機関やその出発地点等の選択、またある史跡を紹介するに当たり、それに関わるどのような史実又は歴史人物を紹介するかという選択の点のほか、全体的な表現形式の統一性等にも工夫が見られ、創作性が認められる。
(2) 文章部分について
原告著作物一について、一例を挙げれば、対照表記載の「18頁 関田家」をみると、一般には知られていないこの史跡を、紹介する対象として選択したこと、この項目の記載内容として何を紹介するかという点、そのなかで、当時の地名、当時の当主の長男庄太郎が宮川信吉と共に新選組入隊を希望したこと、しかし長男は家を継げと断られ、悔し涙にくれたとの言い伝え、右宮川と新選組隊長近藤勇の関係、関田家の家業、出稽古に来る近藤のためにわざわざ離れの小屋敷を構えたこと、甲陽鎮撫隊を組織した前後には病身の沖田総司を匿い、同隊の後方野戦病院の役割をも引き受けていたこと及びその記述、右庄太郎の死亡日時、年齢等を選択したことの点に創作性が認められる。したがって、この項目の記述については、全体に著作物性が認められるというべきである。
もっとも、対照表「10頁 三鷹駅」の後半部分にある「JR中央線・総武線で東京から、特別快速24分、‥‥(中略)‥‥地下鉄東西線(総武線に乗入れ)で11分。」という記述のように、誰が記載しても異なった記述になり得ないものは、これを選択したことについても、表現形式においても創作性があるものとはいえず、著作物性を認めることができない。
このようにみると、対照表右欄記載の各記述部分の文章部分で著作物性が認められない(ただし、後記の同一性の有無の検討との関係で、被告書籍に該当する記述部分がないものは除く。)のは、対照表「10頁 三鷹駅」の4行目「JR中央線」以下の部分、対照表「25頁 国立駅」の全部、対照表「26頁 高幡不動駅」の4行目「新宿より」以下の部分、対照表「49頁 高尾駅」の2行目「東京より」以下の部分、対照表「58頁 多摩センター駅」の4行目「新宿より」以下の部分、対照表「62頁 鶴川駅」の2行目「新宿より」以下の部分となり、その余の部分には創作性が認められ、著作物性が認められる。
(3) 地図について
一般に、地図は、地形や土地の利用状況等を所定の記号等を用いて客観的に表現するものであって、個性的表現の余地が少なく、文学、音楽、造形美術上の著作に比して創作性を認め得る余地が少ないのが通例である。それでも、記載すべき情報の取捨選択及びその表示の方法に関しては、地図作成者の個性、学識、経験、現地調査の程度等が重要な役割を果たし得るものであるから、なおそこに創作性が表われ得るものということができる。そして、地図の著作物性は、右記載すべき情報の取捨選択及びその表示の方法を総合して、判断すべきものである。
そこで、原告著作物一に掲げられた地図について検討すると、例えば対照表記載の「竜源寺」の地図では、全体の構成は、現実の地形や建物の位置関係がそのようになっている以上、これ以外の形にはなり得ないと考えられるが、読者が最も関心があると思われる「近藤勇胸像」や「近藤勇と理心流の碑」等を、実物に近い形にしながら適宜省略し、デフォルメした形で記載した点には創作性が認められ、この点が同地図の本質的特徴をなしているから、著作物性を認めることができる。他方、たとえば同記載の「関田家及び大長寺周辺」の地図などは、既存の地図を基に、史跡やバス停留所の名前を記入したという以外には、さしたる変容を加えていないので、特段の創作性は認められない。
このようにみると、対照表右欄記載の地図部分で著作物性が認められないのは、対照表の「関田家及び大長寺周辺」の地図、対照表の「府中駅から大国魂神社周辺」の地図、対照表の「本田家周辺」の地図、対照表の「石田周辺」の地図、対照表の「日野周辺」の地図、対照表の「追分周辺」の地図、対照表の「中小田野周辺」の地図、対照表の「小野路」の地図であり、右以外の地図には著作物性が認められる。
2 被告書籍の内容等について 
(証拠)によれば、被告書籍は、その帯に「(土方)歳三と新選組の足跡を訪ね、多摩の地を徹底ガイド!本邦初公開!旧佐藤家、歳三が昼寝をした部屋など写真多数掲載、最寄り駅からの詳細マップ付、歳三と多摩との関わりを判りやすく解説」と記載されているように、多摩出身の土方歳三などに関わる史跡(多摩のみならず甲州をも含む。)を、比較的大判の多数の写真によって紹介しており、ガイドブックとしての役割を有しながら、小島資料館長C氏らの特別寄稿を掲載して、新選組に関する史実につき詳しく紹介し、また写真で楽しませるという内容を有するものである。被告書籍は、原告著作物一と同様、ガイドブックとしての役割を有する部分もかなり多いため、史跡やそれに関する史実の紹介、交通機関の情報等の記述も多く、現地の地図、墓所における墓石の並び方などのイラストを多数付加している。
原告著作物一との類似を原告により指摘されている部分は、被告書籍のうち、特別寄稿の部分等を除いたほぼ全部にわたる(ただし、多摩地区について記述された部分に限る。)。右部分は、原告著作物一で紹介しているのと同一の史跡を、これにまつわる史実や歴史上の人物と共に、そこへたどり着くための交通機関その他の情報を記述したもので、ガイドブックとしての機能を有するものであり、執筆者の感想を交えつつも、右のような情報をありのままに記載した叙述や地図等が多い。このように、原告著作物一と被告書籍のうち原告指摘の部分は、同一の史跡及び同一の史実を対象として客観的に叙述したもので、事実を執筆者の感想を交えながら記述し、多数の地図やイラストを付加しているという表現態様も共通している。
3 原告著作物一と被告書籍の同一性について
() 被告書籍のうち対照表左欄記載の各記述部分が、原告著作物一の同右欄記載の記述部分の複製に当たるというためには、被告らが原告著作物一に接し、これに依拠して同左欄記載の各記述部分を執筆したことのほかに、右各記述部分が原告著作物一の対応部分と著作物としての同一性、すなわち著作物の本質的特徴を感得しうる程度の同一性を有することを要するというべきである。本件において、被告らが原告著作物一を少なくとも参照したことは当事者間に争いがないので、依拠の点は認められるというべきである。
原告著作物一と被告書籍の右各記述部分が同一性を有するかどうかは、原告著作物一と被告書籍の著作物としての態様、叙述内容、叙述形式等を参酌のうえ、原告著作物一と被告書籍の各記述部分の表現形式を対比して、被告書籍における記述部分から、原告著作物一における記述部分の本質的特徴を感得しうるか否かによって決すべきである。
() 対照表右欄及び左欄記載の各記述部分(文章部分)の同一性について
そこで、以下、このような観点から、原告著作物一中の対照表右欄の部分と、被告書籍中の同左欄記載の記述部分の同一性を検討すると、同表を一見して明らかなように、被告書籍の同左欄記載の記述部分は、原告著作物一の該当部分とほとんど同じである。
例えば、同表の「竜源寺」の項を見ると、原告著作物一における記述は、「曹洞宗大沢山竜源寺。新選組局長・近藤勇と、彼の従兄弟で隊士だった宮川信吉の墓がある。門前の駐車場には近藤勇の胸像と天然理心流の碑などが建ち、本堂裏の墓所には香花が絶えない。近藤勇の墓所は、墓地に入ってすぐ右手。五基並んだ墓の、右からふたつ目が近藤勇の墓。手前寄り右側にある青い屋根付きの金属箱の中に、訪問ノートが納まっている。慶応四年四月二五日没。法名・貫天院殿純忠誠義大居士。次の区画の角が宮川家の墓。宮川信吉の墓は、墓所の左手前側で横向きに建つ。近藤勇の墓には大勢の人が訪れるが、こちらに気付く人はとても少ない。ついでに手を合わせてやって下さい。法名・良忠院義栄道輝居士。」というものであり、他方、被告書籍における記述は、「曹洞宗大沢山龍源寺。新選組局長近藤勇と、彼の従兄弟で隊士だった宮川信吉の墓がある。門前の駐車場には近藤勇の胸像と天然理心流の碑などが建ち、本堂裏の墓所には線香・花が絶えない。近藤勇の墓所は、墓地に入ってすぐ右手。五基並んだ墓の右からふたつ目が近藤勇の墓。手前寄り右側にある青い屋根の(原文のまま)付きの金属の箱の中に、訪問ノートが納まっている。一八六八(慶応四)年四月二十五日没。法名『貫天院殿純忠誠義大居士』。次の区画の角が宮川家の墓。宮川信吉の墓は、墓所の左手前側で横向きに建つ。法名『良忠院義栄道輝居士』。」 というものであって、「竜源寺」を「龍源寺」と、「香花が絶えない」を「線香・花が絶えない」と、「金属箱」を「金属の箱」と、それぞれ言い換え、年号に西暦を付し、法名に「 」を付し、「近藤勇の墓には大勢の人が訪れるが、こちらに気付く人はとても少ない。ついでに手を合わせてやって下さい。」の部分がない点以外は一字一句同じである。
また、対照表「撥雲館」のように、何らの言い換えもなく、ほとんど一字一句同じという箇所もある。同表に掲げられた箇所は、ほとんどが右のように、わずかな差異があるのみか、一字一句全く同じであり、その数も50か所(うち史跡は33か所、歴史上の人物は10名、駅が7駅)にのぼっている。被告書籍で採りあげた多摩地区の史跡は32か所であり、囲み記事で採りあげた歴史上の人物は11名、駅は7駅(多磨霊園駅を除く)であるから、被告書籍のかなりの部分にわたり、右のように同一性が認められるということができる。
たしかに、右()に認定したように、原告著作物一と被告書籍は、いずれも新選組に関する多摩地方の史跡という同一の場所につき、同一の史実、歴史上の人物及びこれに到達するために用いる同一の交通機関を対象として、これを紹介し、客観的に記述し、地図等で説明するという内容・表現態様の論稿であるから、記述された内容が事実として同一であることは当然にあり得るものであるし、場合によっては記述された事実の内容が同一であるのみならず、具体的な表現も、部分的に同一ないし類似となることがあり得ると考えられる。しかしながら、右のようにほとんど一字一句同じというのであるから、単に対象とする史跡や史実等が同じということが、このような同一性を生じた原因と解するのは相当でなく、被告らが原告著作物一をそのまま模倣したことによるものと認めざるを得ない。
() 対照表右欄及び左欄記載の各記述部分(地図部分)の同一性類否について
()に判示した文章部分同様、被告書籍に掲載されている地図から、原告著作物一に掲載されている地図の本質的特徴が感得し得れば、同一性が肯定できるものというべきである。原告著作物一に掲載されている地図のうち、前記1()(3)で創作性が認められるとした地図、殊に墓所の見取図等は、いずれも美術的要素が強いものであるので、これに見られる本質的特徴の部分が被告書籍の該当部分に見られるかを検討すべきである。
このような観点から被告書籍の地図を見ると、例えば、対照表五四頁記載の「近藤家墓所」については、原告著作物一においては、地図全体は上方から鳥瞰するような形で記載しているのに、墓石や石灯籠を実物に近い形にしながら適宜省略して記載し、また、墓石や石灯籠は横倒しにしたように、辞世の詩碑やノート入れは斜め上から見たように、それぞれ記載している点が特徴ということができる。
これに対し、被告書籍においては、地図全体はやはり上方から鳥瞰するような形に記載しており、墓石や石灯籠、ノート入れの形は原告著作物一と同様に実物に近い形にしながら適宜省略して記載し(殊にノート入れの形は原告著作物一とほぼ同じである。)、墓石や石灯籠、辞世の詩碑やノート入れをすべて斜め上から見たように記載している点が異なっているだけで、通常北を地図の上方に配置するのにそうでなく左方に配置したことなど全く同じといえる。
同表に掲げられた箇所のうち原告著作物一において創作性が認められるものは、ほとんどが右のように、その本質的特徴が被告書籍においても感得しうるものであり、その数も21か所にのぼっている。被告書籍に掲載された多摩地方の地図が46個ほどであるから、被告書籍に掲載された多摩地方の地図のうち半数近くにおいて原告著作物一に掲載された地図と同一性が認められるということができる。
() 以上によれば、被告書籍中の対照表に掲記の部分は、前記1()(2)(3)で創作性が認められないとした部分を除き、同表の原告著作物一の該当部分の本質的特徴を感得しうる程度に、これと同一性を有するものであるから、その複製ということができる。
4 原告の許諾の有無について
被告らは、被告らが原告著作物一を複製することを原告が許諾したと主張するので、この点につき検討する。
前記争いのない事実記載のとおり、原告が、被告が原告著作物一を少なくとも参考にすることを承諾したことは当事者間に争いがない。ところで、前記3()()記載のとおり、被告書籍は、そのうちのかなりの部分にわたって、原告著作物一の複製の部分が占めており、しかもその複製の態様も一字一句同じというものである。著作者として書籍を出版したことのあるような者であれば、通常、自己の著作物を、このようにいわば「丸写し」にすることには容易に同意しないものと考えられる。殊に、証拠によれば、被告書籍の出版前に原告と被告らが交渉した際、原告が被告書籍による原告著作物一の著作権侵害に意を払っていた様子がうかがわれるものであり、これらの点に照らせば、被告が原告著作物一を複製することを原告が許諾したという点は、証拠上認めるに足りないというべきである。したがって、原告の許諾をいう被告らの主張は、採用できない。
また、被告らが、原告著作物一をいわば「丸写し」にすることについて、原告が許諾したと誤信したとしても、右認定のように、原告が容易に同意しないものと考えられ、かつ原告の姿勢がそのことをうかがわせるものであったのに被告書籍を発行したのであるから、被告らには、原告著作物一の著作権を侵害することにつき、少なくとも過失があったというべきである。
三 被告らによる著作者人格権侵害の有無(争点2)について 
前記二認定のとおり、被告らは、原告著作物一を、無断で複製して被告書籍を発行し、被告らの著作物のように表示したものであるから、原告の氏名表示権を侵害したものであるうえ、原告著作物一を被告書籍に取り込んで、改変を加えて発行したものであるから、原告の同一性保持権をも侵害したものであるということができる。
被告らが原告の著作者人格権を侵害するに当たっても、少なくとも過失があったと認められることについては、著作権侵害について二4で判示したところと同様である。
四 原告の差止請求の可否及びその具体的内容(争点3)について
1 右に認定したように、被告書籍は、原告著作物一を複製したものと認められ、これに対する原告の許諾は認められないから、原告の右複製部分に対する差止請求は理由がある。そして、前記認定のように、被告書籍は、ほぼその全体にわたり、原告著作物一を複製したもので、しかも複製部分は被告書籍のかなりの部分を占めるから、右複製部分を削除した上で被告書籍を発行することは不可能ということができる。したがって、原告は、被告書籍の全体の印刷、製本、販売及び頒布の差止めを求めることができるというべきである。
なお、この点に関し、原告は、被告書籍の全体の印刷、製本、販売及び頒布の差止めを求める理由として、原告著作物二の利用契約の解除をも主張しているが、この点を判断するまでもなく、右に判示したように、被告書籍の全体の印刷、製本、販売及び頒布の差止めを求めることができるというべきであるから、右解除の成否については判断しない。
2 著作権法1122項は、「侵害の行為を組成した物、侵害の行為によって作成された物又はもっぱら侵害の行為に供された機械若しくは器具の廃棄その他の侵害の停止又は予防に必要な措置を請求することができる。」と規定しているところ、被告書籍の印刷、製本、販売及び頒布の禁止並びに被告書籍の廃棄はもちろん、訴外株式会社▽▽出版流通センター((証拠)によれば、同社は被告会社の委託により被告書籍を卸売、小売していることが認められる。)から回収して廃棄すること、被告書籍の半製品及びその印刷の用に供した原版フィルムの廃棄、その原稿の電磁的記録が入力されているMOディスクその他の記録媒体から右記録を消去することは、いずれも、同項所定の侵害の停止又は予防に必要な措置と解されるから、これらを求める原告の請求は、いずれも理由がある。
五 原告の損害賠償請求の可否及び損害額(争点4)について
1 前記二及び三に判示のとおり、被告らには、著作権(複製権)及び著作者人格権の侵害につき、少なくとも過失が認められるから、原告は、被告らに対し、これらの侵害行為によって被った損害の賠償を請求し得る。
2 著作権(複製権)侵害に基づく損害について
被告書籍の定価が11500円であることは当事者間に争いがない。
証拠によれば、被告書籍の印刷部数は5000部であるところ、原告の申立てに係る仮処分の執行により、右のうち949冊が回収されていることが認められる。これに、多少の返品在庫があること(その数量を認めるに足りる証拠は存しない。)を考慮すると、その販売数量は約4000冊と認めるのが相当である。また、弁論の全趣旨によれば、被告書籍を書店等に卸す場合の金額は定価の7割の1050円と認めるのが相当である。さらに、(証拠)によれば、被告らは、被告書籍の印刷製本代として2853900円を支出したことを認めることができるので、右卸価格に販売数量を乗じた420万円から右支出を控除した残額は1346100円となり、これが被告らの被告書籍発行によって得た利益と認められる。被告らは、右以外に、特別寄稿者への原稿料、カメラマンへの支払分その他の経費を主張するが、これらを認めるべき証拠はない。
前記二認定のように、被告書籍は、ほぼその全体にわたり、原告著作物一を複製したもので、しかも複製部分は被告書籍のかなりの部分を占めるから、著作権法114四条1項により、右金額全額をもって、原告の損害と認める。
3 著作者人格権侵害に基づく損害について
前記前提となる事実関係及び(証拠等)によれば、被告らは、原告著作物一をほぼ丸写しに近い形で使用しながら、原告(S堂)の名前は協力者として掲載するにとどめ、原告著作物一は参考文献として掲載するにとどめたことが認められ、原告は、被告らの右行為により、原告著作物一を一部改変された上で、その意に反する形でこれを使用されたものと認められる。なお、右2に認定のとおり、被告書籍は、既に店頭に並んでいたものを除き、原告の仮処分の執行により回収されている。
以上の点に加えて、本件全証拠により認められるその余の諸般の事情を併せて総合考慮すれば、被告らの行為により原告が被った精神的損害を慰謝するに足りる額としては、50万円をもって相当と認める。また、これについては、不法行為時である被告書籍発行の時から遅滞に陥るものと解される。
3 弁護士費用
本件における原告の請求の内容、本件事案の性質、本件訴訟の審理経過その他の事情を総合考慮すれば、被告らの不法行為と相当因果関係あるものとして被告らに負担させるべき弁護士費用としては、50万円をもって相当と認める。
六 謝罪広告請求の可否(争点5)について
前記認定の被告らによる不法行為の態様、原告の被った精神的損害の内容その他、本件における一切の事情を総合考慮すると、本件においては、前記の損害賠償に加えて被告らに謝罪広告を命ずるまでの必要性は存しないものと認められる。