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著作権判例セレクション

【二次的著作物】漢文訓読文の二次的著作物性を認定した事例

昭和570308日東京地方裁判所[昭和51()8446]
() (漢文)訓読」とは、漢文の語順構成を維持しながら、訓点を付して日本語の文体に置き換えて読解すること。

1 古典「将門記」は、およそ10世紀中ごろに成立したと推定されている平将門の事績を和臭の変体漢文で記した作者不詳の戦記文学であつて、その原本の存在は明らかでなく、現在では、次の二種の写本が現存する。その一つは、名古屋市内の真福寺が蔵する写本でいわゆる「真福寺本」と称せられるもので、承徳三年(1099年)書写の奥書があり、冒頭に若干の欠文があるがほぼ清書文の体をなし、全体にわたつて読点、返り点、送り仮名傍訓が施されている。他の一つはBが旧蔵し、Cが現に所蔵するいわゆる「片倉本」と称されるものであつて、奥書はなく書写の年代は不詳であるが、「真福寺本」より古い書写と考えられており、その本文の前後にかなりの欠落部分がみられ、現存部分は「真福寺本」の八分の五程度であり、訓点や傍訓が施されているほか、誤字、脱字も多く訂正、加筆箇所があり、「真福寺本」と個々の部分について随所に相違点がみられる。江戸時代につくられた抄略本として、名古屋黎明会の蓬左文庫本、内閣文庫本、慶応義塾図書館蔵本、書陵蔵部本、静嘉堂文庫蔵本、神宮文庫蔵本その他が存するが、いずれも「片倉本」系統の抄略本とみられ、内容はその二分の一程度に圧縮されている。なお、印刷されたものとしては、江戸時代寛政年間に版行された植松有信木版本と群書類従所収本その他が存するが、これらは「真福寺本」の系統に属するものである。
2 原告Aは、前記「真福寺本」を底本に「片倉本」を対校本として選定し、前記群書類従本以下の抄本を参考本とし、従前発表されている諸学者の校本を参照して校合作業を行いこれにより確定した校合文を読み下して、本件訓読文を完成させた。すなわち、原告Aは、底本とした「真福寺本」については大正14年古典保存会出版のコロタイプ復刻版を、対校本とした「片倉本」については昭和30年貴重古典籍刊行会出版のコロタイプ復刻版を、前記群書類従本以下の抄本についてはその復製本を用い、底本を基礎にして、これと対校本、参考本、既存の校本とを比較対照し、原告Aの奈良平安時代の政治史、社会史専攻の研究者としての30年余の学識に基づき、底本の一つ一つの言葉の持つ意味を解釈して、底本の文意、文脈、修辞上の特徴を把握し、これに則して、底本中の意味不明不通の文字、不鮮明な文字、誤字、脱字、衍字、衍文を検出し、文字の補充、削除、改変、順序の変更等によりこれを正し、異体文字を現行の文字に改める等して校合文を確定するとともに、底本、対校本、前記の抄本に存する傍訓、返り点、送り仮名、句読点を参考にし、原告Aの解釈した底本の意に即し、その文脈、修辞上の特徴を損わないように訓点、句読点を施してこれを読み下し、現代人にも理解できる程度の文語体の文章に書き改めて、本件訓読文を完成させたものである。
3 右のように和臭の変体漢文を訓読するについては、原典が成立した年代、その時代の用語、文法、当時の政治的、経済的、社会的背景、原著作者の地位身分、写本成立の年次、その伝来の系統、写本作成者の学殖等原典の文意を解釈するについての諸条件を考究し、この研究の結果から訓読者が解釈した原典の文意を、あるいは原典の成立した時代の読み方に近付けて書き表わし、あるいは現代人に理解できる文章に書き改めることが必要であるが、この作業の各々について、訓読者各自の諸般にわたる学識、文章理解力、表現力の差異等により、訓読者各自の個性の表現ともいうべき異なつた結果が生じるものであり、本件訓読文は、これに先立つて公表されている「将門記」についての他の訓読文と比較すれば、幾多の点で相違し、原告Aの学識経験に基づく独自の訓読文として完成されている。
以上の事実が認められ、これを覆えすに足る証拠はない。
三 右認定の事実によれば、本件訓読文は、「真福寺本」による「将門記」を原著作物とし、その内面形式を維持しつつ、原告Aの創意に基づきこれに新たな具体的表現を与えたものであつて、著作権法第2条第1項第11号の規定にいう著作物を翻案することにより創作した著作物に該当すると解して何の差支えもない。