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著作権判例セレクション
【著作隣接権】レコード製作者としての複製権(著作隣接権)の侵害を否定した事例(法44条1項の適用を認めた事例)
▶平成12年05月16日東京地方裁判所[平成10(ワ)17018]
(注) 基礎となる事実
原告らは、それぞれ、別紙音源目録記載の各レコード(「本件各レコード」)にそれぞれ固定されている各楽曲の実演(「本件各音源」)を最初に固定した者であり、本件各レコードにつき、著作隣接権(レコード製作者の権利)を有する。
被告○○は、放送法上の委託放送事業者として、通信衛星放送サービス「スカイパーフェクTV」の第400チャンネルないし第499チャンネルにおいて、音楽を中心としたラジオ番組(「本件番組」)を、デジタル信号により有料で公衆に送信しており、本件各音源も本件番組において公衆に送信されている。
本件番組において、本件各音源を含む商業用レコードに収録された音楽が公衆に送信されるに当たっては、次のような処理が行われる。
(1)アナログ再生及びデジタル変換:音楽CDをアナログ再生し、その信号をデジタル信号に変換する。
(2)圧縮:右デジタル信号を、コンピュータ上で、所定の規格に従い圧縮(データをまとめてサイズを小さくすること)する。
(3)保有サーバへの蓄積:右圧縮されたデジタル信号を、保有サーバに蓄積する。右保有サーバは、被告第○○がリース会社からリースを受けて、自己の設備として管理・利用している。
(4)番組編成及び編成サーバへの入力:各チャンネル毎に番組を編成した上、その内容をプログラムデータ形式で編成サーバに入力する。
(5)送出サーバへの送信及び蓄積:編成サーバは、保有サーバにアクセスし、入力された番組編成データに従って、必要な音楽データを保有サーバから複数の送出サーバに送出させる。送出サーバは、保有サーバから送られた右音楽データを蓄積する。
(6)多重化:送出サーバから送出される音楽データを多重化する。すなわち、チャンネルごとに1本のデータの流れになっているもの(エレメンタリー・ストリーム)を、13本ごとに一本のデータの流れ(トランスポート・ストリーム)にまとめる。これによって、限られた電波の範囲内において、より多くのデータを公衆に送信することが可能となる。
(7)スクランブル加工:右多重化された音楽データにスクランブル加工を行う。
(8)誤り訂正符号付加・インターリーブ処理:右スクランブル加工された音楽データに、誤り訂正符号を付加するとともに、インターリーブ処理を加える。
(9)変調:右音楽データを変調する。すなわち、デジタル・データを電波に変換する。
(10)衛星への放出(アップリンク):変調によって形成された電波を、地球局アンテナから通信衛星に向けて送信する。
(11)衛星による増幅と公衆への送信:地球局アンテナから送信された電波は、通信衛星の受信アンテナによって受信され、通信衛星に搭載された中継器によって増幅されて、地上に送信される。
受信チューナーにおける信号処理:本件番組において、前記記載の処理手順を経て地上に送信された音楽データは、各受信者が保有する受信アンテナによって受信された後、同じく各受信者が保有する受信チューナーにおいて、次のような処理がなされた上で、音楽としてスピーカー等から出力される。
(1)電波からデジタル・データに復調される。
(2)誤り補正符号及びインターリーブに基づいて、誤りが検出、訂正される。
(3)スクランブルが解除される。
(4)多重化が解除されて、各チャンネルごとの信号が取り出される。
(5)圧縮が解除される。
(6)デジタル信号からアナログ信号に変換される。
受信チューナーにおける前記記載の処理のうち、(2)ないし(5)の処理が行われる間は、音楽データが、受信チューナーに設けられたランダム・アクセス・メモリー(以下「RAM」という。)に蓄積されることになる。
一 争点2(保有サーバにおける複製権侵害の成否)について
1 被告○○が、本件番組において本件各音源を公衆に送信するに当たって、本件各音源に係る音楽データを保有サーバに蓄積する行為が、本件各レコードの「複製」に当たることは明らかである。
2 著作権法102条1項により準用される同法44条1項の適用の可否
(一)本件番組の送信が著作権法上の「放送」に当たるか否かについて
(1)著作権法は、2条1項7号の2において「公衆によって直接受信されることを目的として無線通信又は有線電気通信(有線電気通信設備で、その一の部分の設置の場所が他の部分の設置の場所と同一の構内(その構内が二以上の者の占有に属している場合には、同一の者の占有に属する区域内)にあるものによる送信(プログラムの著作物の送信を除く。)を除く。)の送信を行うこと」をもって「公衆送信」とした上で、同項8号において「放送」を「公衆送信のうち、公衆によって同一の内容の送信が同時に受信されることを目的として行う無線通信の送信」と定義しているところ、本件番組の各チャンネルにおける送信が、その態様に照らし、公衆によって直接同一の内容の送信が同時に受信されることを目的として行う無線通信の送信であることは明らかであるから、本件番組の送信は、著作権法2条1項8号の「放送」の定義に当てはまるものであり、したがって、同法44条1項所定の「放送」にも当然該当するものというべきである。
この点、原告らは、前記のとおり、本件番組が多数のチャンネルを設けて音楽をジャンル分けした上で各チャンネルにおいて同一の曲目のセットを多数回繰り返し送信するという点をとらえて、聴取者の嗜好に応じて都合のよい時に好きな楽曲を受信させるものであり、その実態はリクエスト送信(聴取者からの個別のリクエストに応じて楽曲を個別に配信すること)と異ならないから、「公衆によって同一の内容の送信が同時に受信される」ものとはいえない旨主張する。しかしながら、原告らの右主張は、本件番組の右のような実態を挙げて、聴取者が番組プログラムの範囲内において、都合のよい時間帯に好きな楽曲を受信・聴取することができ、聴取者にとってみれば、結果的にリクエスト送信に近い利便性が得られるという事情を指摘するものにすぎず、そのことが、本件番組において、各チャンネルごとに同一の内容の送信が行われ、それが公衆によって同時に受信されているという、送受信の態様に影響を及ぼすものではないから、原告らの右主張は採用できない。
(2)原告らの主張の当否について
原告らの主張の要旨は、著作権法において、放送との関係でレコード製作者の複製権を制限する規定(102条1項、44条1項)が設けられたのは、当時現に存在していたNHKや民放テレビ局・ラジオ局による「放送」を想定した上で、これらにおいては、①公共性と同報性とを強く有すること、②番組編成の一部としてレコードを利用するにすぎないこと、③アナログ放送であり、レコード購入に代替する音質のものを提供するものではないこと、④放送により消費者の需要を喚起しレコード購入を促進する側面を持つことなどの事情があることに照らし、レコード製作者と放送事業者との関係の合理的調整の観点から、右のような制限を認めることが妥当であるとの価値判断を行った結果であるから、右価値判断の前提となった利益状況が妥当しない通信事業については、たとえそれが無線通信の送信であっても、レコード製作者の複製権の制限が認められる「放送」には当たらないというべきところ、本件番組の送信は、その実態からみて、右のような利益状況が妥当しないものであるから、著作権法上の「放送」とはいえない、というものである。
そこで、右主張の当否について検討するに、著作権法は、昭和45年の制定時から、「放送」について、「公衆によって直接受信されることを目的として無線通信の送信を行うこと」との定義規定を置き(平成9年法律第86号による改正前の著作権法2条1項8号)、右のような「放送」との関係でレコード製作者の複製権を制限する規定(著作権法102条1項、44条1項)を設けており、その後、平成9年法律第86号による改正において、自動公衆送信に関する送信可能化権の新設に伴って、「自動公衆送信」、「放送」、「有線放送」及びこれらの上位概念である「公衆送信」についての定義規定が改めて整備されるに当たっても、「放送」については、前記(1)記載のとおりの定義規定を置き、右のような「放送」との関係でレコード製作者の複製権を制限する前記規定をそのまま維持しているのである。このような著作権法の「放送」についての規定形式からすると、仮に、立法に当たって、原告らが主張するような立法当時における放送事業者とレコード製作者との間の利益状況が考慮された事実があるとしても、結局のところ、著作権法は、「放送」に当たるか否かについての基準を、その定義規定に明示された送受信の態様の点のみに求める立場を採ったものというべきであるから、原告らが主張する前記①ないし④のような事情の有無によって、「放送」に当たるか否かの結論が左右されると解するのは相当でない。著作権法における「放送」に当たるか否かついては、前記のような規定形式からして、その定義規定に明示された送受信の態様のみによって判断すべきものとされていることが一義的に明確であるといえるから、これに当てはまるものは、著作権法上の「放送」に当たるといわざるを得ない。そして、本件番組の送信が右定義規定に当てはまることは前記(1)のとおりであるから、原告らが主張する本件番組の実態にかかわらず、本件番組の送信は著作権法上の「放送」に当たるというべきであり、原告らの前記主張は理由がない。
なお、原告らは、本件番組の送信は、その実態からみて、レコード製作者に送信可能化権が認められる自動公衆送信のうちのプッシュ型インターネット放送と実質的に異ならないから、これと区別され、レコード製作者との関係で、自由な送信が認められかつ一時的固定も認められる「放送」に該当するとはいえない旨も主張するが、「自動公衆送信」(著作権法2条1項9号の4)と「放送」とは、著作権法上明確に区別された定義規定が置かれているているところ、前記のとおり「放送」の定義規定に該当し、「自動公衆送信」の定義規定に該当しないことが一義的に明らかな本件番組の送信について、右のような実質論のみから「放送」に該当しないということができないことは、前記の説示が同様に当てはまるところであって、原告らの右主張も理由がない。
(二)被告○○が著作権法上の「放送事業者」に当たるか否かについて
(略)
(三)本件番組において音楽データを保有サーバに蓄積することが「放送のための一時的な録音」に当たるか否かについて
(1)著作権法102条1項によって準用される同法44条1項における「放送のために」「一時的に録音」するとの要件がいかなる場合を意味するかについては、とりわけ「一時的」なる文言に多義的な解釈の可能性があることからすると、右文言自体から一義的に明確であるとはいえないから、その解釈に当たっては、同条項が設けられた趣旨を考慮する必要があるというべきある。そこで考察するに、同条項が放送事業者による放送のためのレコードの一時的な録音をレコード製作者の複製権を侵害しないものとして認めた趣旨は、本来レコードを用いた放送はレコード製作者の許諾を要せず自由に行い得るものとされるところ(ただし、商業用レコードを用いた放送については、レコード製作者への二次使用料支払義務が生じる。)、他方において、放送が一般的に放送対象物の録音物・録画物によって行われることが通常であることから、具体的な放送に通常必要とされる範囲内でのレコードの録音は、その放送自体が自由に行い得るのと同様の意味において、これを自由なものとして認めることにあるものと解される。したがって、同条項におけるレコードの「放送のための一時的な録音」に当たるか否かを判断するに当たっては、当該録音が、その目的とされる放送の実態に照らし、具体的な放送に通常必要とされる範囲内のものか否かという観点から考察すべきものである。
(2)(証拠)及び弁論の全趣旨によれば、被告○○が本件番組における音楽データを保有サーバに蓄積するに当たっては、次のような運用がなされていることが認められる。
① 本件番組で放送される曲目は、放送予定週のおおむね1か月ないし1か月半前に決定し(ただし、新譜については、直前に放送予定を決める場合もある。)、現に保有サーバに蓄積されている曲でないものについては、右のように放送予定を具体的に決定した後に、放送予定週の直前の金曜日までに、保有サーバへの蓄積を行う。
② 保有サーバの容量は、1テラバイトであり、1曲5分とすると約10万曲分に相当する音楽データを蓄積することができるが、実際には、右容量を限界まで使用することはなく、4万曲から7万曲程度の蓄積にとどめている。
③ 保有サーバにリンクされたコンピュータには、削除する曲を検索するためのプログラムが設定されており、一定の日付けを入力することによって、最終放送日がその日以前である曲を検索し、これらを一括して消去できるシステムとなっている。
④ 毎週の番組内容の変更のため、保有サーバに新たな曲の音楽データを蓄積するに当たっては、前記②の容量との関係で、既存の音楽データを消去する必要があり、前記③のシステムによって、現にその週に放送中の曲と具体的な放送予定が決まっている曲を除いて、最後に放送された日が古い曲から順に、必要な曲数分を消去する。
⑤ 平成10年8月末からは、少なくとも三週間おきに保有サーバをチェックし、前記③のシステムによって、最後に放送された日が三か月より前の曲を検索し、これらを一括して消去している。
(3)① 右のような運用の実態からすると、本件番組における音楽データの保有サーバへの蓄積は、特定の具体的な放送予定を前提として初めて行われるものであり、また、保有サーバに蓄積される総曲数が限定され、放送されない曲はいずれは消去されるという運用システムの下で行われるものであるから、具体的な放送上の必要に応じ、その必要性の範囲内において行われているものということできる。
右システムの下においても、頻繁に放送されることになる曲については、特定の放送が終了しても消去されないまま次の放送のために蓄積が継続する事態も生じ得るが、それは具体的な放送予定が反復して入ることによって結果的に生じる事態にすぎないのであるから、これも具体的な放送上の必要性の範囲内のものにほかならないのであり、また、このような事態が結果的に生じるからといって、運用システム自体が音楽データを長期間継続的に蓄積することを本来的に予定したものということはできない(なお、前記のとおり、結果的に蓄積が継続し、その期間が録音又は最後の放送の日から六か月を超えることになれば、著作権法44条3項[注:現4項。以下同じ]の適用により、当該録音が事後的に違法とされることになるが、本件における本件各音源の録音に関し、原告らは、右条項の適用を主張するものではないから、この点は、本件では問題とならない。)。
したがって、本件番組における音楽データの保有サーバへの蓄積は、その運用の実態に照らし、それがいずれ消去されることが予定されたシステムの下における蓄積であるという意味において「一時的」なものといえるものであり、また、具体的な放送に通常必要とされる範囲内において行われるものであるから、著作権法102条1項によって準用される同法44条1項における「放送のための一時的な録音」に当たるものと認められる。
② 原告らは、本件番組における音楽データの保有サーバへの蓄積は、一般的な放送用として、複数の異なる番組において汎用することを当初から目的とした蓄積であるから、「放送のための一時的な録音」とはいえない旨主張する。
しかしながら、本件番組における音楽データの保有サーバへの蓄積が、具体的な放送予定を前提としたものであって、一般的な放送用に行われるものでないことは前記のとおりである。
また、右蓄積は、前記のとおり、具体的な放送上の必要性がなければいずれは消去されるという運用システムの下で行われるものであるから、汎用することを当初から目的とした蓄積であるともいえない。この点、本件番組において、複数のチャンネルで繰り返し放送されることになり、その間蓄積が継続する曲もあることは否定できないが、そのような事態は、その後の放送予定次第によって結果的に生じることであり、蓄積時に確定していることではない。そして、曲によっては、そのような事態が蓄積の当初から予想される場合も考えられるが、だからといって、一般的に音楽データの保有サーバへの蓄積が、汎用することを当初から目的としたものであるとまではいえない。
さらに、複数回の放送に使用することを予定したものであることを理由に、直ちに当該蓄積が「放送のための一時的録音」に当たらないものと解すべき根拠はなく、むしろ、著作権法44条3項が、同条1項の「一時的録音又は録画」がその後の保存の継続によって違法となる場合を規定するに当たって、録音又は録画から六か月以内に当該録音物又は録画物を用いた放送があった場合には、その放送の時からさらに六か月以内は、右録音物又は録画物をなお放送のために保存することも違法にならないものとして認めていることからすれば、むしろ、著作権法44条は、一度の放送によって消去されることなく、その後の放送において再び使用されることを予定した録音又は録画であっても、「放送のための一時的な録音又は録画」として許容され得ることを前提にしているものということができる。加えて、仮に、複数回の放送に使用することを予定した蓄積が「放送のための一時的録音」に当たらないとの立場に立つとすると、本件番組のような音楽放送を行う放送事業者としては、レコードの違法な複製となることを回避するために、複数回の放送に使用することが具体的に予定されている曲であっても、個々の放送予定が終了する都度これを消去し、次の放送のために再びこれを蓄積することを繰り返さざるを得ないことになるが、このような事態は、放送事業者に極めて煩雑な事務負担を強いることになる反面、これによって、レコード製作者に格別の利益をもたらすという関係も認められないのであって、社会的・経済的にみて不合理な結果を招来させるだけである。したがって、本件番組における音楽データの蓄積が複数回の放送に使用されることを予定したものであるとしても、それが「放送のための一時的録音」であることを否定する理由にはならないというべきである(なお、原告らは、本件番組において、複数回の放送が同一チャンネル内に止まらず、異なるチャンネルにも及ぶことを、特に「放送のための一時的録音」に当たらないことの根拠として主張するが、本件番組のように、同一の放送主体が音楽のジャンルごとに多数のチャンネルを設定してこれらを一体的に運用している音楽放送において、録音された曲が一つのチャンネル内で複数回放送される場合と異なるチャンネルにわたって複数回放送される場合とで、前記の解釈を別異とすべき理由は見当たらない。)。
以上によれば、原告らの前記主張は理由がない。
(四)以上を総合すれば、被告○○が本件番組において本件各音源を公衆に送信するに当たって、本件各音源に係る音楽データを保有サーバに蓄積する行為は、放送事業者が、本件各レコードを、自己の放送のために、自己の手段により、一時的に録音する行為であるといえるから、著作権法102条1項によって準用される同法44条1項が適用され、原告らの本件各レコードについてのレコード製作者としての複製権を侵害するものとはいえない。
二 争点3(違法な私的複製の教唆・幇助による複製権侵害の成否)
1 弁論の全趣旨によれば、本件番組において送信された本件各音源を受信した受信者の中に、これを受信チューナーに接続した録音機器によってデジタル方式のMDに録音する者が相当数存在することが推認されるところ、右のような録音が当該受信者による本件各レコードの「複製」行為に当たることは明らかである。
2 著作権法102条1項によって準用される同法30条1項の適用の可否
(一)右のような受信者による本件各音源のMD録音が、一般的に、個々の受信者にとって、「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること」を目的として行われていることは明らかであり(右の事実自体については当事者間に実質的な争いがないといえる。)、また、右録音が公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器を用いて行われるものでないことも明らかであるから、個々の受信者による右録音行為は、著作権法102条1項によって準用される同法30条1項が規定する「私的使用のための複製」に当たるものといえる(個々の受信者の中には、右のような使用を超えた使用を目的として、本件各音源をMDに録音する者がいることも考えられるが、被告らがそのような録音を具体的に教唆・幇助しているという事情はおよそ認められないから、本件では、右の点は考慮しない。)。
(二)原告らの主張の当否について
原告らは、著作権法30条1項は、ベルヌ条約9条(2)本文に基づく規定であるから、同法30条1項の「私的使用のための複製」に当たるというためには、同条約9条(2)ただし書が規定する「ただし、そのような複製が当該著作物の通常の利用を妨げず、かつ、その著作者の正当な利益を害しないことを条件とする。」との条件を満たす必要があるとの前提に立った上で、本件番組の公衆送信に関する前記記載のような実情からすれば、本件番組の受信者が本件各音源をMDに録音する行為は、レコード製作者によるレコードの通常の利用を妨げるものといえるから、同法30条1項の「私的使用のための複製」には当たらない旨主張するので、右主張の当否につき検討する。
まず、ベルヌ条約9条(2)の規定と著作権法30条1項との関係をみると、同法30条1項は、同条約9条(2)本文が特別の場合に著作者等の複製権を制限することを同盟国の立法に留保していることを受け、右複製権の制限が認められる一態様を規定したものということができるから、同条約9条(2)との関係においては、同法30条1項が同条約9条(2)ただし書の条件を満たすものであることが必要である。しかしながら、具体的にどのような態様が右条件を満たすものといえるかについては、同条約がこれを明示するものではないから、結局のところ、各同盟国の立法に委ねられた問題であるといわざるを得ない。そして、右のような同条約9条(2)を具体化するものとして規定されている同法30条1項は、それが同条約9条(2)ただし書の条件に沿うものであるとの前提の下で、前記(一)のような要件の下における複製を複製権に対する制限として認めることを規定しているというべきである。したがって、著作権法によって認められる私的使用のための複製であるか否かを論じるに当たっては、同法30条1項の規定に当たるか否かを問題とすれば足りるものであって、同条項の背景となるベルヌ条約の規定を持ち出して、その規定に当たるか否かを直接問題とするまでもないというべきである。したがって、原告らの前記主張は、その立論の前提において誤りがあるといわざるを得ない。
そして、本件番組の個々の受信者による本件各音源のMDへの録音が、一般的に、前記(一)記載のような目的・態様のものであり、それが著作権法30条1項の規定に当たるものであることは前記のとおりなのであって、原告らが主張する前記記載のような本件番組の公衆送信の実情を考慮したとしても、それが個々の受信者による録音の目的・態様自体に影響を及ぼすものではないから、右の結論を左右するものではない。しかも、原告らが主張する「レコード製作者によるレコードの通常の利用を妨げる」という状態は、本件番組の公衆送信が前記のような実態のものであるが故に初めて生じ得るものであるが、単に本件番組を受信するにすぎない聴取者に対して、右のような公衆送信の実態に関する責任を問うことはできないはずであるところ、その目的・態様において著作権法30条1項の「私的使用のための複製」に本来該当すべき個々の受信者による録音行為について、右のような公衆送信の実態を理由として、著作権法30条1項の「私的使用のための複製」に該当しない違法な行為であると結論付けることは、結局のところ、個々の受信者に、自己の責任領域に属しない他人の行為についての責任を負わせるに等しい結果となるのであって、実質的にみても不当というべきである。
したがって、原告らの前記主張は理由がない。
(三)以上によれば、本件番組において送信された本件各音源についての音楽データを受信した個々の受信者がこれを受信チューナーに接続したオーディオ機器によってMDに録音する行為は、一般的に、著作権法102条1項によって準用される同法30条1項で許容される「私的使用のための複製」に当たるから、原告らの本件各レコードについてのレコード製作者としての複製権を侵害するものとはいえない。
3 原告らの主張は、個々の受信者による本件各音源のMDへの録音が本件各レコードの違法な複製であることを前提とした上で、被告らによる本件番組における本件各音源の公衆送信が、右ような個々の受信者による違法な複製を教唆又は幇助する行為として違法であるという構成によるものであるところ、前記2で述べたとおり、個々の受信者による本件各音源のMDへの録音は、本件各レコードの違法な複製とはいえないのであるから、原告らの主張は、その前提を欠くものというべきである。
したがって、原告らの違法な私的複製の教唆・幇助による複製権侵害の主張は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。
三 争点4(受信チューナーにおける複製権侵害の成否)
1 RAMへのデータ等の蓄積が著作権法上の「複製」に当たるか否かについて
(一)著作権法における「複製」とは、「印刷、写真、複写、録音、録画その他の方法により有形的に再製すること」を意味し(同法2条1項15号)、プログラムやデータを磁気ディスクやCD-ROMに電子的に記録し、コンピュータの出力装置等を介して再生することが可能な状態にすることも、右「複製」に含まれることは明らかである。
ところで、RAM(ランダム・アクセス・メモリー)とは、コンピュータにおける作業データ等を保存する集積回路であり、一般に「メモリー」と称されるものである。通常、コンピュータ上でデータ等を処理する際には、ハードディスク等のファイルからデータ等がRAMに移され、作業時にはコンピュータの中央演算処理ユニット(CPU)によってRAM上のデータ等が処理され、処理が終了してファイルが閉じられると右データ等はRAMから元のハードディスク等に再び移されることになる。このように、RAMにおけるデータ等の蓄積は、一般に、コンピュータ上での処理作業のためその間に限って行われるものであり、また、RAMにおけるデータ等の保持には通電状態にあることが必要とされ、コンピュータの電源が切れるとRAM内のデータはすべて失われることになる。右のような意味において、RAMにおけるデータ等の蓄積は、一時的・過渡的なものということができ、通電状態になくてもデータ等が失われることのない磁気ディスクやCD-ROMへの格納とは異なった特徴を有するものといえる。
そこで、RAMにおけるデータ等の蓄積について、右のような特徴を踏まえた上で、著作権法上の「複製」に当たるか否かについて検討することとする。
(二)著作権法は、著作物を利用する行為のうち、無形的な利用行為については、公になされるものに限って、著作者が右行為を行う権利を専有するものとし(同法22条ないし26条の2)、他方、有形的な再製行為(複製)については、それが公になされるか否かにかかわらず、著作者が右行為を行う権利を専有するものとしている(同法21条)。すなわち、著作権法は、著作物の有形的な再製行為については、たとえそれがコピーを一部作成するのみで公の利用を予定しないものであっても、原則として著作者の排他的権利を侵害するものとしているのであり、前記のような著作物の無形的な利用行為の場合にはみられない広範な権利を著作者に認めていることになるが、これは、いったん著作物の有形的な再製物が作成されると、それが将来反復して使用される可能性が生じることになるから、右再製自体が公のものでなくとも、右のように反復して使用される可能性のある再製物の作成自体に対して、予防的に著作者の権利を及ぼすことが相当であるとの判断に基づくものと解される。
そして、右のような複製権に関する著作権法の規定の趣旨からすれば、著作権法上の「複製」、すなわち「有形的な再製」に当たるというためには、将来反復して使用される可能性のある形態の再製物を作成するものであることが必要であると解すべきところ、RAMにおけるデータ等の蓄積は、前記(一)記載のとおり一時的・過渡的な性質を有するものであるから、RAM上の蓄積物が将来反復して使用される可能性のある形態の再製物といえないことは、社会通念に照らし明らかというべきであり、したがって、RAMにおけるデータ等の蓄積は、著作権法上の「複製」には当たらないものといえる。
(三)右のような結論は、次に述べるとおり、プログラム(著作権法2条1項10号の2)に係る著作者の権利に関する著作権法の規定との関係からも裏付けられる。
すなわち、プログラムをコンピュータ上で使用するに当たっては、これをいったんコンピュータ内のRAMに蓄積すること(ローディング)が不可欠であるから、プログラムの使用行為とそのRAMへの蓄積行為とは、不可分一体の関係にあるといえるところ、著作権法は、プログラム著作物に関して、著作者がこれを使用する権利を専有する旨の規定を置いていない。しかも、同法113条2項[注:現5項。以下同じ]は、「プログラムの著作物の著作権を侵害する行為によって作成された複製物を業務上電子計算機において使用する行為は、これらの複製物を使用する権原を取得した時に情を知っていた場合に限り、当該著作権を侵害する行為とみなす。」と規定しているところ、同条項は、プログラムを使用する行為のうち、一定の要件を満たすものに限って、プログラムに係る著作権を侵害する行為とみなすというものであるから、プログラムを使用する行為一般が著作権法上本来的には著作権侵害にならないことを当然の前提としているということになる。してみると、著作権法は、プログラムの使用行為及びこれと不可分一体の関係にあるプログラムのRAMへの蓄積行為については、同法113条2項の場合を除いて、違法でないとの前提に立っているものと解されるところ、その理由は、RAMへの蓄積行為が前記のような一時的・過渡的な性質であるため、著作権法上の「複製」に当たらないことにあると解するのが相当である。
原告らは、著作権法113条2項の規定について、RAMへの蓄積行為が本来的に「複製」に該当するとの前提に立った上で、あえてプログラムのユーザー保護のために、プログラムの使用及びそれに伴うプログラムのRAMへの蓄積が違法となる場合を限定する趣旨の規定と解すべき旨を主張するが、同条項の規定形式、すなわち、本来異なるものを同一のものとして扱う場合に用いるところの「みなす」という法令用語を使用していることからしても、同条項は、本来著作権に触れる行為とはいえないものを、特に著作権侵害行為と認める趣旨の規定であって、原告らが主張するように、本来著作権に触れる行為であるものについて、それが違法となる場合を限定する趣旨の規定でないことは明らかというべきである。したがって、原告らの右主張は失当である。
(四)また、原告らは、著作権法が「複製」の定義について、「有形的に再製すること」と規定するのみで、著作物を感知させる状態の継続時間については何ら制限を設けていないから、RAMへの蓄積が電源の停止によって消滅するものであるからといって、これを「複製」に当たらないと解することはできない旨主張する。しかしながら、「有形的な再製」という概念と、これと対置し得る「無形的な再製」という概念とを区別する基準は、必ずしも一義的に明確とはいい難いものというべきであり、前記(二)及び(三)のような事情を考慮すれば、RAMへの蓄積については、前記のような一時的・過渡的な性質故に、著作権法にいう「有形的な再製」というに至らないものと解すべきである。著作権法が「複製」の定義規定において著作物を感知させる状態の継続時間について何ら制限を設けていないからといって、RAMへの蓄積が「複製」に当たらないと解する妨げとなるものではない。原告らの右主張は、採用できない。
さらに、原告らは、ベルヌ条約及び万国著作権条約の複製権に関する規定においては、「複製」について「その方法や形式のいかんを問わない」(万国著作権条約においては「方法のいかんを問わない」)ことが規定されているから、これと適合するように著作権法上の「複製」の概念を解釈すれば、RAMへの蓄積も「複製」に当たると解釈しなければならない旨主張する。しかしながら、右各条約の複製権に関する規定(ベルヌ条約9条(1)、万国著作権条約4条の2第1項)は、「複製」の概念自体について規定するものではなく、所与の概念とされている「複製」に当たる行為について、その「複製」行為の方法や形式がいかなるものであるかにかかわらず、著作者がこれを許諾する排他的権利を有することを規定するものにすぎないのであり、他方、右各条約において、他に「複製」の概念を定義付ける規定もないのであるから、結局のところ、RAMへの蓄積が我が国の著作権法における「複製」に当たるか否かという点についての解釈が、右各条約によって覊束されるという関係は認められないというべきである。また、原告らが主張する国際会議における勧告や合意声明によっても、我が国の著作権法に関する右の点の解釈が覊束されるという関係は、やはり認められない。原告らの右主張も、また、採用できない。
2 受信チューナーのRAMにおける蓄積について
本件番組における音楽データが受信チューナーのRAMに蓄積される過程は、前記記載のとおりであり、右蓄積が前記のような一般的なコンピュータのRAMにおけるデータ等の蓄積と同様に一時的・過渡的なものであることは明らかであるから、本件番組において受信された本件各音源を受信チューナーのRAMに蓄積する行為は、著作権法上の「複製」には該当せず、したがって、原告らが有する本件各レコードについてのレコード製作者としての複製権を侵害するものではない。
四 なお、本件の特質にかんがみ特に付言するに、本件における原告らの主張(とりわけ、争点2における著作権法44条1項の「放送」に関する主張及び争点3における同法30条1項の「私的使用のための複製」に関する主張)の趣旨は、本件番組の公衆送信がその実態からみて、著作権法がおよそ想定していない新しい形態のものであるが故に、これに著作権法の規定をそのまま当てはめると、レコード製作者である原告らの利益を不当に侵害し、その犠牲の下で本件番組を運営する被告らに不当な利益をもたらすという実質的な利益の不均衡を生じさせることになるから、このような結果を生じさせないように、著作権法を実質的に解釈すべきであるというものであると思われる。
しかしながら、当裁判所としては、著作権法の解釈論としては、前記のとおりの結論を採るのが相当であると考える。なるほど、原告らが主張するような本件番組の公衆送信の実態を前提とすれば、現状において、原告らと被告○○との間に、実質的な利益の不均衡が生じているとの原告らの主張も理解できないではないが、この点を前記のような著作権法の解釈に反映させようとする原告らの本件における主張は、法律の解釈論の枠を超えるものといわざる得ない。あえていえば、右のような実質的利益の不均衡を問題とする議論は、立法論として、あるいは、著作権法97条に基づく二次使用料の額の決定のための協議を行う際や文化庁長官による裁定を求める際に、主張されるべきことというほかはない。
五 結論
以上によれば、被告らが原告らの著作隣接権(レコード製作者としての複製権)を侵害している旨の原告らの主張は、いずれもこれを認めることができないから、争点1をはじめ、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。