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著作権判例セレクション
【映画著作物】「霊言」と呼ばれる宗教行為を撮影した動画映像の著作物性及び著作権の帰属が争点となった事例
▶平成24年09月28日東京地方裁判所[平成23(ワ)9722]
1 本件各霊言の著作物性の有無について
(1) 証拠によれば,本件各霊言は,原告内部において「霊言」と呼ばれる宗教行為を撮影した動画映像(本件霊言1は103分の動画映像,本件霊言2は117分の動画映像)であること,本件各霊言はDVDに収録されたものであることがそれぞれ認められる。
そうすると,本件各霊言は,映画の効果に類似する視覚的又は視聴的効果を生じさせる方法で表現され,かつ,物に固定されたものであると認められる。
(2) また,証拠によれば,本件各霊言は,原告代表役員が題名,主題,列席者及び全体の構成を決定し,文殊菩薩(被告の過去世とされる文殊菩薩)の霊が原告代表役員に降霊したという設定で,原告代表役員と列席者との対話の模様(対話の内容については甲3参照)を撮影したものであることが認められる。
本件霊言1の冒頭では,原告代表役員が,文殊菩薩の霊を降霊させる前に,原告代表者役員自身の発言として,今後,マスコミ等で原告代表者と被告との関係が問題とされることが予測されるため,それに先だって信者の皆さんにその概要を知っておいてもらいたい旨の発言がされている。本件霊言2の冒頭でも同趣旨の発言がされている。
そして,本件各霊言では,上記冒頭の各発言の後,降霊の儀式がされ,例えば,(文殊菩薩の霊が降霊した)原告代表役員は,本件霊言1では,「イエスなんて,どうせあんな,まあ,大したことない,十字架なって死刑になった,大したことない,ただの殺され男ですけど,パウロが出て世界に伝道したことによってキリスト教は世界宗教になった。だから,本当はキリスト教の,本当の教祖はパウロだって,聖書だって,キリスト教の中にはあるんですよ。」,「私がこの前,あんた方にこんなに苦しめられるから神様に祈ったら出てきたのはミカエルでしたよ。だから,ミカエルは,やっぱ政治は分かつって思ってますから,政治は分かつってのが,これ,知恵の始まりなんだから,だから,私は,政治は分かつから,ばしっと厳しく物を言うんで,この亭主は,政治は分かたないで,まあまあと収めるから,これはだめなんですよ」,「美の女神,美っていうのは,ほら,お化粧の部分であって,1枚むけば,それは夜叉になるのが女じゃないですか。」,「あなたね,あの,文殊教典読んでないかもしれんけどさ,文殊教典というのはね,あの,釈迦の十大弟子をね,けちょんけちょんにやっつけた教典なんですよ。それを信じる人が大乗の徒なんですよ。それが世界に広がった。世界宗教の仏教の正体は文殊教典なんですよ。それは,大乗のその出家,出家の十大弟子ってのは,みんなばかだということを証明した書なんですよ。」,「まあ,イエスのいいとこだけ取り出せばいいわけよ。で,まあ,あの,悪いとこは全部切ればいいのよ。だから,それは外科手術が要るのよ。だから,Bの悪いとこをぶち切って,いいとこだけ残せばいいのよ。その仕事が要るわけ。」,本件霊言2では,「今,今応援してくれてるからね。うん。私は,だから神に祈ったら,出てきた,ミカエルが出てきたからね。だから,ミカエルに毎日祈ってるから,ミカエルが応援しくれて,来てるわけですから,ミカエルは今,アメリカを指揮して,戦争あちこちしてるぐらいですから,世界最強でございましょうからね。だから,あなた方踏みつぶすのにちょうど手頃なあれですので,七大天使はミカエルの部下でございますからね。」,「釈迦は実在の人間かもしれないけれども,実在の人間として,80年ばかしの人生を生きて,あと死んだ人間釈迦はいるかもしれないけれども,それを神格化して偉くしたのは,後代の,弟子たちでありましょうから,私の知恵の力でもって,釈迦がブッダになり,釈尊になり,世界宗教になったんです。」,「それで世界宗教になったわけですから。実際,じゃあ,まあ,キリスト教で言やあ,イエスは十字架にかかって野垂れ死にしよったけれども,パウロは,パウロは直接イエスに会ったことがない人ですけども,その人が伝道者になって,キリスト教を世界宗教にしたでしょう?
パウロの立場に立つのが私で,だから,キリスト教の研究者の中にもですね,実質,キリスト教の実質上の,ほんとの教祖はパウロだと言う人もいるんですよ。これは,うそじゃないですから。本当にキリスト教学において,パウロが本当の教祖で,イエスは,そういう,その先駆者にすぎなくて,それを拡大してキリスト教にしたのはパウロだという考えが,キリスト教にはあります。同じように,ソクラテスってのは,もう,ちゃらんぽらんなおっさんで,対話ばっかりしてたけども,プラトンっていう人が出てきて,それで,哲学というものができたという説で。おんなじように,その,対峙は,釈迦と文殊がおんなじ対比で,釈迦っていう,人間釈迦,60,80年ほど生きたおっさんがおったけれども,あと何百年か後に出てきた文殊というのが,それを体系化して,りっぱな教えにして,大乗仏教にしたために,世界中に広がったと。だから,実質上の教祖は文殊であると。だから,元々,わたしのほうが上だと言ってる。」,「いや,ルシフェルは,すごく優れた魂だったのよ。もう,もうちょっとで神様の寸前まで行ってて,で,尊敬もされてたし,みんなから人気もあったのよ。それに神がしっとして,たたき落としたのよ。」などと発言している。
このような発言をみても,本件各霊言は,題名,主題,列席者及び全体の構成を決定した原告代表役員の個性が表現されているといえるのであって,思想又は感情を創作的に表現したものであると認められる。
そうすると,本件各霊言は,創作的な表現であり,上記(1)と併せると,映画の著作物の要件(著作権法2条3項)を満たすから,映画の著作物であると認められる。
(3) これに対し,被告は,言語的表現の単純な記録にすぎない動画映像が,映画の著作物とされるためには,創作的表現としての編集行為が認められなければならないが,本件各霊言には創作性を認めるに足りる編集行為は存在しない旨主張する。
また,被告は,著作権法が,映画の著作物について,著作者の特定や著作権の帰属に関して他の著作物と異なる特則を置き,特に頒布権を付与しているのは,映画が製作に莫大な費用を要する著作物で,作成を主導するプロデュース業務と著作物を作成する創作活動たる制作業務が別個に担われることが多く,制作も総監督の指揮のもと,実演家,演出家,カメラマン,美術担当者など多くの人々の共同作業によってされるため,創作の全体的形成に寄与した者を著作者とする一方で,映画製作を発案,企画し資本投下する映画製作者に一元的に著作権を与え,資金回収を容易ならしめる必要性が高いからであるとして,このような観点から見た場合,本件各霊言には映画の著作物としての実質性を見いだすことができない旨主張する。
確かに,著作権法は,映画の著作物について,その著作者の要件を「映画の著作物の著作者は,・・・制作,監督,演出,撮影,美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者とする。」(同法16条本文)と定め,映画製作者を「映画の著作物の製作に発意と責任を有する者をいう。」(同法2条1項10号)と定義し,映画の著作権の帰属について「映画の著作物の著作権は,その著作者が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは,当該映画製作者に帰属する。」(同法29条1項)と定めるとともに,「著作者は,その映画の著作物をその複製物により頒布する権利を専有する。」(同法26条1項)と定め,特に頒布権を認めている。このような規定が設けられた理由として,主に劇場用映画について,その制作に多数の者が関与し,著作者の確定が容易ではないことや,多額の投資が必要であり,その円滑な利用のためには映画製作者が権利を集中的に行使できるようにする必要があったなどが考えられる。
他方で,著作権法は,映画の著作物について,「『映画の著作物』には,映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され,かつ,物に固定されている著作物を含むものとする。」(同法2条3項)と規定するのみであるから,当該要件を満たす著作物を映画の著作物として定めているというべきであって,当該要件に加えて編集行為が必要であるとする解釈や,映画の著作物を劇場用映画又はこれに類するものに限定する解釈を採用することはできない。そして,同法16条本文,29条1項,26条1項等の規定に加え,その立法理由を考慮したとしても結論が左右されることはない。
したがって,被告の主張はいずれも採用できない。
2 本件各霊言の著作権が原告に帰属するかについて
(1) まず,本件各霊言の著作者について検討するに,前記1(2)のとおり,本件各霊言は,原告代表役員が題名,主題,列席者及び全体の構成を決定したのであるから,原告代表役員は,本件各霊言の「制作,監督,演出…を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者」(著作権法16条本文)であると認められる。
そうすると,本件各霊言の著作者は原告代表役員であると認められる。
(2) 続いて,本件各霊言の映画製作者について検討するに,映画製作者の定義である「映画の著作物の製作に発意と責任を有する者」(著作権法2条1項10号)とは,映画の著作物を製作する意思を有し,当該著作物の製作に関する法律上の権利・義務が帰属する主体であって,そのことの反映として当該著作物の製作に関する経済的な収入・支出の主体ともなる者と解するのが相当である。
そして,証拠によれば,本件霊言1は,平成22年11月27日,原告の支部・精舎に向けて衛星配信により放映されたこと,本件霊言2は,同年12月8日以降,原告の支部・精舎に向けて衛星配信により繰り返し放映されたことがそれぞれ認められるから,本件各霊言は原告の信者向けに製作された著作物であると認められる。
そうすると,本件各霊言を製作する意思を有し,本件各霊言の製作に関する法律上の権利・義務が帰属する主体は,原告であると認めるのが相当であるから,原告が本件各霊言の映画製作者である。
また,前記1(2)のとおり,原告代表役員は,本件各霊言の題名,主題,列席者及び全体の構成を決定し,自ら列席者と対話しているのであるから,原告代表役員が原告に対して本件各霊言の製作に「参加することを約束」(著作権法29条1項)していたと認めるのが相当である。
(3) 以上のとおり,本件各霊言の著作者は原告代表役員であり,本件各霊言の映画製作者は原告である。そして,本件各霊言の著作者である原告代表役員は,本件各霊言の映画製作者である原告に対し,本件各霊言の製作に参加することを約束していたのであるから,本件各霊言の著作権は原告に帰属する(著作権法29条1項)。