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著作権判例セレクション
【編集著作物の侵害性】英字新聞の「全記事抄訳サービス」の侵害性が問題となった事例/新聞にかかる編集著作権の翻案権の侵害を認定した事例/将来発生する著作権に基づく差止の可否(新聞の場合)/その他
▶平成5年8月30日東京地方裁判所[平成3(モ)6310]▶平成6年10月27日東京高等裁判所[平成5(ネ)3528]
(注) 本件は、米国において英語の日刊新聞「THE WALL STREET JOURNAL」(債権者新聞)を発行する債権者が、日本において「全記事抄訳サービス」と称して、右新聞の記事を抄訳した文書(債務者文書)を作成・頒布する債務者に対し、債務者文書の作成・頒布は債権者の右新聞について有する編集著作権を侵害するものであるとして、その作成・頒布の差止めの仮処分を申し立てたところ、これを認容する仮処分決定(本件仮処分命令)がなされたため、その取消し等を求めた仮処分異議事件である。
2 まず、既に発行された債権者新聞の編集著作権に基づく債務者文書の作成等に対する差止めの可否について、検討する。
(一)前記認定事実によれば、債権者新聞の紙面は、その新聞社の従業員である記者等が作成する原稿に基づいた報道記事、社説が主要な部分を占め、その他に株式相場、先物取引相場等の各種相場表、広告等によって構成されているところ、債権者新聞のこのような紙面構成は、債権者の従業員である編集担当者の精神的活動の成果の所産であり、また債権者新聞の個性を形づくるものであるから、紙面を構成するこれらの記事、写真、広告等の選択及び配列について創作性があるというべきであり、そしてこのような編集著作権は、債権者新聞を発行する債権者に帰属するというべきである。
(二)編集著作物である新聞における素材について考えてみる。
新聞は、社会に生起するさまざまな出来事を素早く広く伝達するための刊行物であり、その製作過程は、前記認定の債権者新聞についての過程で明らかなように、多数の記者が、多様な取材・調査活動等により情報を収集して原稿を作成し、編集担当者等による採否・内容等のチェックという過程を経て初めて、債権者新聞の紙面に掲載されるというのであるから、この事実からすると、原稿を作成しながら採用されなかったケースだけでなく、記者が一つの出来事について取材・調査活動を行いながら原稿を作成しなかったケースや何らかの出来事についての情報に接しながら、記者段階で採否を判断し、取材自体を行わないケースも存するであろうことは容易に推認できるものであって、このような製作過程を考慮すると、新聞記事の編集とは、記者の作成した記事原稿という媒体を取捨選択することによって、伝達すべき出来事自体を取捨選択しているものというべきである。そうすると、選択・配列の対象となる素材は、一方では記者の作成した記事原稿そのものであるが、また一方では原稿を媒体として記者が伝達しようとした出来事自体であるということができる。このように出来事自体を著作権法の「素材」と考えることができることは、旧著作権法14条本文が「数多ノ著作物ヲ適法ニ編輯シタル者ハ著作者ト看做シ其ノ編輯物全体ニ付テノミ著作権ヲ有ス」と規定して、編集の対象が著作物である場合に限って編集著作権の成立を認めたのに対し、現行著作権法がこの規定を改め、「素材」との表現を用いていることからも明らかである。そして、右のように、現行著作権法が「素材」との表現を用いたことにより、単なる事実、データ、用語等の選択・配列についても、創作性があれば、これに編集著作権を認めることができるようになったと考えられるのである。
(三)前記認定のとおり、債務者文書に記載された各項目はいずれも短文であるものの、一つの出来事を伝達するものであり、また債権者新聞に掲載された記事が一つの出来事を伝達するものであることはいうまでもないから、いずれも編集著作物における素材と考えることができるところ、債務者文書の各項目が伝達しようとしている出来事はいずれも債権者新聞の記事に掲載された出来事であり、債権者新聞の記事に掲載されていない出来事が債務者文書に記載されていることはなく、またその配列もほぼ同一であるから、債務者文書が伝達しようとした出来事の選択・配列は、債権者新聞が伝達しようとした出来事の選択・配列とほぼ同一ということができる。そして債務者文書は、その表題自体が債権者新聞の名称、日付け及び曜日を取り入れたものである等債権者新聞に依拠して作成されたものであることは明らかである。したがって、債務者は、債務者文書の作成・頒布行為により、債権者が債権者新聞について有する編集著作権の翻案権を侵害しているというべきである。
3 次に、将来の債務者文書の作成・頒布行為に対する差止めの可否について、検討する。
(一)著作権法112条は、著作権を侵害するおそれがある者に対し、その侵害の予防を請求することができる旨規定しているから、既に著作権が発生している場合は、たとえ侵害行為自体は未だなされていない段階においても、予測される侵害に対する予防を請求することができることはいうまでもなく、また民事訴訟法226条[注:現135条。以下同じ]は、必要性がある場合には将来の給付を求める訴えをすることができる旨規定し、更には著作権法は著作者等の権利の保護を図ることを目的としているから、これらの規定に鑑みれば、日刊新聞のように、短い間隔で定期的に継続反復して発行される著作物について、これまで著作権侵害行為がその発行毎になされてきた等の事情から、将来も発行予定の著作物に対する同種侵害行為が予想され、しかも発行による著作権の発生を待っていては実質的に権利救済が図れない場合には、将来の給付請求として、右著作物が発行されることを条件として、予測される侵害行為に対する予防を請求することができると解するのが相当である。
(二)債権者は、年間売上高において13億ドルに及び、またフォーチュン誌500社ランキングにおいて264位にランクされる等の有力メディア企業であること、債権者の発行する債権者新聞は、1889年に創刊され、以来継続して発行されている米国最大の日刊新聞であること、同紙は、従前から一定の編集方針を有し、これを堅持していること等は前記認定のとおりであり、これらの事実によれば、出来事の選択・配列について創作性のある債権者新聞が今後も確実に継続して発行され、したがって、債権者において、今後発行する債権者新聞について、これまでと同様の編集著作権を確実に取得するということができる。
また、債務者は昭和61年9月から継続して債務者文書を作成し頒布してきたものであること、債務者は債権者からの中止要請に対し、記事原文コピーサービス等は中止したものの、債務者文書の作成頒布は中止せず、かえって顧客である会員に対し今後もこれを継続する旨を記載した文書を送付していること等の前記認定事実によれば、債務者は、将来債権者新聞が発行される毎に、これに依拠してこれまでと同様の債務者文書を作成・頒布して編集著作権侵害行為を行うであろうことも確実であると認められる。
更に、前記のとおり、債権者新聞は日々発行される日刊新聞であり、これに対応する債務者文書はその発行後直ちに作成され頒布されるというのであるから、債権者において、債権者新聞を発行する都度、対応する債務者文書の作成・頒布の予防ないし停止を請求すること、そしてその目的を達成することは、事実上極めて困難であるといわざるをえない。したがって、債権者新聞を現に発行するまで編集著作権に基づく予防請求をなしえないとするのは債権者の編集著作権の保護に欠けるというべきである。
(三)右のとおり、日々発行される債権者新聞について、その発行毎に同種編集著作権侵害行為が反復継続され、今後も同種侵害行為が予想され、しかも債権者新聞が発行されなければ予防請求することができないとするのでは実質的に債権者の編集著作権保護が図れないから、将来の給付請求の必要性があると認められる。また将来債権者新聞が発行されたときには、前記2の場合と同様に、債権者新聞に対応した債務者文書が作成され、債権者の編集著作権が侵害されるおそれがあると認められる。したがって、債権者は、債権者新聞が発行されることを条件として、これに対応した債務者文書の作成・頒布行為の予防を求めることができるというべきである。
なお、債権者は、将来発生する編集著作権に基づく差止請求権が現時点で既に発生し、これを被保全権利とする旨の主張をしているが、この主張の趣旨は、将来の債務者文書に対する差止めを求める点にあるから、右債権者の主張の中には、将来編集著作権が発生することを条件とし、この編集著作権が現実に発生した段階で生じる差止請求権を被保全権利とする主張も含まれているものと解される。
4 前記認定の諸事実によれば、債務者は、今後引き続き債務者文書の作成・頒布行為を行い、これにより債権者は著しい損害を被るおそれがあると認められるから、保全の必要性があるというべきである。
5 以上のとおりであって、本件仮処分命令は、将来の債務者文書に対する作成・頒布の差止めを何らの条件を付することなく認容した点において相当でないから、その主文を別紙(1)のとおり変更するのが相当である。
二 債務者の主張に対する判断
1(債務者の主張1(一)(二)について)
債務者は、憲法21条の表現の自由は、情報の受け手の知る権利をも保障するものであり、特に時事に関する情報の流通は民主制にとって不可欠であることから、著作権法は著作者に対し創作への報償として一定の権利を付与するものの、情報の過度の独占は文化の発展を阻害するため、同法は、創作への報償と情報の自由流通の間に適切なバランスを取ることを目的とし、また同法10条2項は、このような憲法の表現の自由に由来する重大な要請のための著作権は一定程度道を譲るべきことを宣言した規定と解すべきである旨主張する。
しかしながら、憲法21条の表現の自由が、情報の受け手の知る権利をも保障するものであり、特に時事に関する情報の流通は民主制にとって不可欠であることは、債務者の主張するとおりであるが、著作権法1条は、同法の目的について、「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」と規定しているのであって、債務者主張のように、創作への報償と情報の自由流通の間に適切なバランスを取ることを目的としていることを規定しているわけではなく、また事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は言語の著作物に該当しない旨を定めた同法10条2項も、事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道がそもそも同法2条1項1号にいう「思想又は感情を創作的に表現したもの」に該当しないから保護の対象にならないということを確認的に規定した規定であると解されるのであって、債務者主張のように、表現の自由に由来する重大な要請のために著作権は一定程度道を譲るべきことを宣言した規定であると解することはできない。
本件において、債務者は、前記のとおり、債権者新聞の個性を形づくる素材の選択・配列を債権者新聞に依拠してこれを模倣した債務者文書を作成し、これを多数の者に商業ベースで頒布していたものであって、このような行為が表現の自由の名を借りて許されるものでないことはいうまでもなく、債務者の前記主張は理由がない。
2(債務者の主張1(三)について)
債務者は、原著作物自体を代替しない要旨や要約については許諾なしで、データベースに編入しうることを認める考え方があり、この考え方は電子的手段によらない弱い編集物である本件においても認められるべきであり、本件において、債権者新聞の各記事に対応する債務者文書の各記述は最小限の要旨であり、個々の記事についても、全体についても代替しうるものでないから、本件は許容される旨主張する。
しかしながら、原著作物自体を代替しない要旨や要約については、原著作物の著作権者の許諾なしでデータベースに編入しうるとの考え方が存在するとしても、それは、そのような要旨や要約が原著作物自体を代替しない以上原著作物の著作権を侵害するものではなく、またこの種のデータベースは、データベースとしての独自の観点から情報の選択又は体系的な構成をし、この点について創作性を有し、他者の編集著作権をも侵害するものではないと考えられるからであって、債務者文書に採用された項目の選択・配列が、債権者新聞の記事の選択・配列に依拠し、ほぼ同一である本件においては、前記のような考え方は相当しないのであって、右債務者の主張は理由がない。
3(債務者の主張1(四)について)
債務者は、編集著作物は、与えられた素材を選択・配列するという、それ自体では創作性の発揮しにくい行為を根拠とするから、その保護も弱くならざるをえない、素材の選択・配列行為は、元来従属的で創作性を発揮しにくいものであるから、安易に著作物性が認められてはならないし、仮に編集著作物性が認められる場合であっても強い保護を認めるべきではない、新聞においては、素材の特性から、事実自体の独占につながらないように格別の配慮が必要である旨主張する。
しかしながら、素材を選択・配列することが創作性の発揮しにくい行為であり、その保護も弱くならざるを得ない旨の債務者主張の一般論自体肯定することができない。また、新聞の場合、記者が種々の取材・調査活動で接することのできた多数の出来事のうち、新聞記事として何を取り上げ、どのような形で取り扱うかは、新聞の個性を形づくるものであり、新聞としての創作性を大きく発揮しうるところであるから、創作性の発揮しにくい行為である旨の債務者の主張は到底首肯することができないし、世の中には、一般総合新聞、経済新聞、スポーツ新聞、地方新聞、業界新聞等の多種多様な新聞が存在し、これら各新聞の個性は選択・配列された出来事の相違に基づいたものということができ、このような選択・配列の創作性に所定の保護が与えられるのは当然のことであって、強い保護を認めるべきではない旨の債務者の主張は採用できない。また、何人も、種々の方法をもって事実に接することができるのであるし、また新聞に掲載された個々の記事から事実を抽出して利用することも当然許容されるものであるから、特定の新聞における素材の選択・配列の創作性を保護することが、事実自体の独占につながるとの論も到底理解できないことであって、この点に関する債務者の主張も理由がない。
4(債務者の主張1(五)について)
債務者は、編集著作権は特定レベルの素材を前提に、その選択・配列の創作性によってかろうじて成立する微妙な権利であり、素材の表現が異なれば、素材に依存する編集著作物の表現も異ならざるを得ないところ、本件においては、言語表現としての素材のレベルは全く異なり、債権者新聞の各記事とこれに対応する債務者文書における文章とは、複製や翻案という著作権侵害関係に立たないから、編集物全体としての表現も全く異なるものであって、編集著作権の侵害には当たらない旨主張する。
しかしながら、編集著作権は素材の選択・配列に創作性があることにより成立する権利であるから、編集著作権の侵害の有無を考えるに当たっては、選択・配列の対象となる素材の内容・趣旨が実質的に同一であれば、両素材の具体的表現の相違は考慮する必要はないというべきところ、新聞という編集著作物においては、原稿のみならず、原稿という媒体により伝達される出来事自体も素材として考えることができること、債権者新聞の記事と債務者文書の項目とを対比すれば、両編集物の素材としての出来事の選択・配列に同一又は類似性を認めることができること、債務者文書における出来事の選択・配列が債権者新聞のそれに依拠して作成されたものであること等から、債務者文書の作成・頒布が債権者新聞の編集著作権を侵害するものであることは前記判示のとおりであって、債務者の右主張は理由がない。
5(債務者の主張1(六)について)
債務者は、将来発生する編集著作権に基づく差止請求は現行著作権法の解釈上許されないから、将来分の差止請求は許されない旨主張するが、前記判示のとおり、本件においては、将来発生する編集著作権に基づく差止請求が可能であるとするものではなく、将来の給付請求の必要性があるとして、債権者新聞が発行されることを条件に、発行により生じた編集著作権に基づく予防請求を認めたものであるから、債務者の主張は、この限りにおいて理由がない。
6(債務者の主張1(七)について)
債務者は、債務者文書の作成・頒布は公正利用の法理により許容される旨主張する。
一般的に公正利用の法理が認められるかどうかはともかく、本件は、債務者において債権者新聞を無断利用して債務者文書を作成し、これを1か月3万円余の会費、又は100字当たり1000円の料金等の商業ベースで、多数の会員に頒布しているものであり、新聞の個性を形づくる重要な編集著作権を侵害する債務者のこのような行為が公正利用として許容されることは、到底ありえないものであって、債務者の主張は理由がない。
(略)
三 結論
以上のとおり、本件仮処分命令は、別紙(1)のとおり変更することとする。
[控訴審]
二 前記認定事実によれば、被控訴人新聞の紙面は、報道記事、社説・論評が主要な部分を占め、その他に各種相場表、広告等によって構成されているところ、被控訴人の従業員である編集担当者は、そのもとに集められた多数の記事等の中から、被控訴人新聞の一定の編集方針に従い、またニュース性を考慮して、情報として提供すべきものを取捨選択し、その上で各記事等の重要度や性格・内容等を分析し、分類して紙面に配列しているものであって、被控訴人新聞のこのような紙面構成は、編集担当者の精神的活動の成果の所産であり、また被控訴人新聞の個性を形成するものであるから、特定の日付けの紙面全体は、素材の選択及び配列に創作性のある編集著作物と認めるのが相当であり、その編集著作権は、被控訴人新聞を発行する被控訴人に帰属するものというべきである。
三 そこでまず、既に発行された被控訴人新聞の編集著作権に基づく控訴人文書の作成等に対する差止めの可否について検討する。
新聞は、社会において日々生起するさまざまな出来事を迅速に、かつ幅広く伝達するための刊行物であるから、素材の選択によって編集著作物としての創作性を有するものと評価し得ることの最も重要な要素は、まず、収集された素材である多数の記事に具現された情報の中から、一定の編集方針なり、ニュース性等に基づき、伝達すべき価値のあるものとして、どのような出来事に関する情報を選択して表現しているかという点に存するものと解される。また、配列についていえば、選択された情報(記事)がその重要度や性格・内容等に応じてどのように配列されているかという点にあるものと解される。
被控訴人新聞が編集著作物性を有するものと認められるのも右の趣旨によるものであるから、控訴人文書の作成・頒布が被控訴人新聞の編集著作権を侵害するものであるか否か、すなわち、控訴人文書が被控訴人新聞の翻案であるか否かは、控訴人文書が被控訴人新聞に依拠して作成されたものであるか否か、その内容において、当該記事の核心的事項である被控訴人新聞が伝達すべき価値のあるものとして選択し、当該記事に具現化された客観的な出来事に関する表現と共通しているか否か、また、配列において、被控訴人新聞における記事等の配列と同一又は類似しているか否かなどを考慮して決すべきものと解するのが相当である。
ところで、控訴人文書は、特定の日付けの被控訴人新聞に関するものであることが明らかにされていること、被控訴人新聞に掲載されている記事等のうち控訴人文書において対象とされていないものは僅かであり、被控訴人新聞に掲載されていない記事等が控訴人文書の対象となっていることはないこと、控訴人文書の各記述はほとんど、それぞれ対応する被控訴人新聞の記事等に具現されている情報の前記核心的事項をおおよそ把握し得る内容のものとなっており、控訴人文書によれば、特定の日付けの被控訴人新聞がどのような出来事を取り上げているかの概要を知ることができること、控訴人文書においては、被控訴人新聞の掲載順序にそれぞれ対応する分が、被控訴人新聞において用いられている表題と同様の表題のもとにそれぞれ区分されて、被控訴人新聞における割付順序とほぼ同様の順序で配列されていることなど前記に認定の事実によれば、控訴人文書は被控訴人新聞に依拠して作成されたものであり、内容において、当該記事の核心的事項である被控訴人新聞が伝達すべき価値のあるものとして選択し、記事に具現化された客観的な出来事に関する表現と共通している上、被控訴人新聞における記事等の配列と類似していることが認められるから、控訴人文書は対応する特定の日付けの被控訴人新聞の翻案に当たり、控訴人文書の作成・頒布は被控訴人新聞の編集著作権を侵害するものと認めるのが相当である。
四 次に、将来の控訴人文書の作成・頒布行為に対する差止めの可否について検討する。
1 著作権法112条は、著作権を侵害するおそれがある者に対し、その侵害の予防を請求することができる旨規定しているから、既に著作権が発生している場合には、たとえ侵害行為自体はいまだなされていない段階においても、予測される侵害に対する予防を請求することができることはいうまでもない。
問題は、請求の根拠となる著作物が口頭弁論終結時に存在しておらず、将来発生することとなる場合にも将来の給付の訴えとして差止請求を求めることができるかという点にある。
民事訴訟法226条[注:現135条。以下同じ]は、将来の給付の訴えについて、予めその請求をする必要がある場合にはこれを認めているが、この訴えが認められるためには、その前提として、権利発生の基礎をなす事実上及び法律上の関係(請求の基礎たる関係)が存在していることが必要であり、したがって、将来発生する著作権に基づく差止請求を無条件に認めることはできない。
しかし、新聞の場合について考えてみると、当該新聞が将来も継続して、これまでと同様の一定の編集方針に基づく素材の選択・配列を行い、これにより創作性を有する編集著作物として発行される蓋然性が高く、他方、これまで当該新聞の発行毎に編集著作権侵害行為が継続的に行われてきており、将来発行される新聞についてもこれまでと同様の編集著作権侵害行為が行われることが予測されるといった事情が存する場合には、著作権法112条、民事訴訟法226条の各規定の趣旨、並びに新聞は短い間隔で定期的に継続反復して発行されるものであり、発行による著作権の発生をまってその侵害責任を問うのでは、実質的に権利者の救済が図れないこと、新聞においては、取り上げられる具体的な素材自体が異なっても、一定の編集方針が将来的に変更されないことが確実であれば、編集著作物性を有するものと扱うことによって法律関係の錯雑を招いたり、当事者間の衡平が害されたりするおそれがあるとは認め難いことに鑑み、将来の給付請求として、当該新聞が発行されることを条件として、予測される侵害行為に対する予防を請求することができるものと解するのが相当である。
2 本件についてみるに、①被控訴人は、年間の売上高が13億ドルで、「フォーチュン」誌の選ぶ500社ランキングにおいて264位にランクされるなどの有力メディア企業であること、及び被控訴人新聞は、1889年に創刊され、以来継続して発行されている米国最大の日刊新聞であって、従前から一定の編集方針を有し、これを堅持していることからすれば、被控訴人新聞は、今後も従前からの一定の編集方針を堅持し、素材の選択・配列について創作性のある新聞として、継続して発行される蓋然性が極めて高いものと認められ、したがって、被控訴人が将来発行する被控訴人新聞も、これまでと同様の編集著作権を取得するものと認めるのが相当であること、②控訴人は、昭和61年9月から、被控訴人新聞が発行される毎に継続して控訴人文書を作成・頒布してきたものであって、これが被控訴人新聞の編集著作権の侵害に当たることは前記認定、説示したところであるが、更に、控訴人は被控訴人からの中止要請に対し、記事原文コピーサービス等は中止したものの、控訴人文書の作成・頒布は中止せず、かえって顧客である会員に対し、今後もこれを継続する旨を記載した文書を送付していることを併せ考えれば、控訴人は、将来被控訴人新聞が発行される毎に、これに依拠してこれまでと同様の控訴人文書を作成・頒布して編集著作権侵害行為を行うであろうことも確実であると認められること、③控訴人文書は、被控訴人新聞の発行後直ちに作成・頒布されるものであるから、被控訴人において、被控訴人新聞を発行する都度、対応する控訴人文書の作成・頒布の予防ないし停止を請求すること、そしてその目的を達成することは、事実上極めて困難であるといわざるを得ないことを総合すると、被控訴人は、将来の給付請求として、被控訴人新聞が発行されることを条件に、これに対応する控訴人文書の作成・頒布行為の予防を求めることができるものというべきである。
3 控訴人は、著作権は著作物の創作という事実によって発生するものであって、著作物の存在しない、その内容さえ分からない段階で著作物としての保護が与えられるなどということは、著作権法上考えられないことであり、また、具体的著作物が作成されていない段階で将来著作物が作成されたら、その著作権侵害の排除を求めるということは具体的法律関係に関する争訟とはいえず、将来発行される被控訴人新聞についての編集著作権に基づく差止請求は理由がない旨主張する。
しかし、前記2に述べた理由により、被控訴人が将来発行する被控訴人新聞も、これまでと同様の編集著作権を取得するものと認めるのが相当であることを前提とし、かつ、将来の給付の必要性がある場合に当たるとして、被控訴人新聞が発行されることを条件に、発行により生じる編集著作権に基づく予防請求を認めたものであり、もとより具体的法律関係に関する争訟性も充足しているものであって、控訴人の右主張は理由がない。
五 保全の必要性の存否について検討する。
前記に認定の事実によれば、控訴人は、今後も引き続き控訴人文書を作成・頒布するものと認められるところ、右行為により、被控訴人新聞の購読者が控訴人文書の講読に切り替えたり、あるいは、被控訴人新聞の潜在的講読予定者が控訴人文書を講読したりすることも十分考えられるところであり、これによって、被控訴人が著しい損害を被るおそれがあると認められるから、保全の必要性があるものというべきである。
控訴人は、保全の必要性がない旨反論するが、採用できない。
六 控訴人の各主張について検討する。
1 控訴人は、憲法21条が定める表現の自由は情報の受け手の知る権利をも保障するものであり、特に時事に関する情報の流通は民主制にとって不可欠であるところ、著作権法は著作者に対し創作への報償として一定の権利を付与するものの、情報の過度の独占は文化の発展を阻害することから、同法は、創作への報償と情報の自由流通の間に適切なバランスをとることを目的とするものであり、また同法10条2項は、表現の自由に由来する重大な要請のために著作権は一定程度道を譲るべきことを宣言した規定と解すべきであるとして、控訴人文書のように、ニュース又は時事の事実を提供するものであって、被控訴人新聞の記事に代替するものではなく、むしろアクセスを容易にするだけの情報を提供するにすぎないものが著作権法の名の下に禁止されることは時事情報の流通を過度に制限するものであって許されない旨主張する。
憲法21条が定める表現の自由が、情報の受け手の知る権利をも保障するものであり、特に時事に関する情報の流通が民主制にとって不可欠であることは、控訴人主張のとおりであり、また、著作権法は、著作物等の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とするものである(同法1条)。
ところで、事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は言語の著作物に該当しない旨を定めた著作権法10条2項は、事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は同法2条1項1号にいう「思想又は感情を創作的に表現したもの」に該当しないことから、保護の対象にならない旨を確認的に規定したものであると解され、時事に関する情報が民主性にとって重要であるという観点から権利制限をしたものとは解し難く、したがって、控訴人主張のように、同法10条2項が、表現の自由に由来する重大な要請のために著作権は一定程度道を譲るべきことを宣言した規定であると解することはできない。
そして、そもそも控訴人文書は、前記認定のとおり、被控訴人新聞の翻案に当たるものであって、単に被控訴人新聞へのアクセスを容易にするだけの情報を提供するにすぎないというものではなく、控訴人文書の作成・頒布を差止めることが時事情報の流通を過度に制限するものとは認め難いから、控訴人の右主張は理由がない。
2 控訴人は、編集著作物は与えられた素材を選択・配列するという、それ自体では創作性の発揮しにくい行為を根拠とするから、その保護も弱くならざるを得ないし、新聞においては、素材の特性から、事実自体の独占につながらないように格別の配慮が必要である旨主張する。
しかしながら、素材を選択・配列することが創作性を発揮しにくい行為であり、その保護も弱くならざるを得ない旨の一般論自体採用することができない。そして、新聞の場合、素材である多数の記事の中から、伝達すべき情報として何を取り上げ、これをどのような形で取り扱うかは、当該新聞の個性を形成するものであり、新聞としての創作性を発揮し得るものであるところ、被控訴人新聞は、一定の編集方針に基づいた伝達すべき情報の選択、及びその配列に創作性を認め得るものであるから、これに対して所定の保護が与えられるのは当然であり、このことが事実自体の独占につながるということにはならないのであって、この点に関する控訴人の主張も理由がない。
3 控訴人は、素材の表現が異なれば、素材に依存する編集著作物の表現も異ならざるを得ず、また、新聞は時事に関する編集著作物であって、その編集著作物性が保護されるのは、対象とされる文書の素材=要素が、編集の対象である記事等と同一又は少なくとも翻案物に当たる場合に限られるところ、本件においては、言語表現としての素材のレベルが全く異なっており、控訴人文書の文章は、被控訴人新聞の記事の抄訳でも要約でもなく、極めて簡略な要旨あるいは目次ないし索引程度のものであって、原文との間の代替性は完全に失われていること、控訴人文書には被控訴人新聞の記事のすべてが要旨化されて記載されているわけでもないこと、控訴人文書は、総合的な意味での配列において被控訴人新聞とは全く異なっていることを理由として、控訴人文書は被控訴人新聞と翻案関係にたたない旨主張する。
新聞記事は、客観的な出来事を素材とするものであっても、一定の観点ないし価値基準の下に、収集した客観的事実のみならず、その背景事実や第三者の発言等の情報を評価、確認して当該記事に盛り込む事項を選択し、これを構成して表現するものであるところ、新聞が、素材の選択によって創作性を有するものと評価し得ることの最も重要な要素は、収集された素材である多数の記事に具現された情報の中から、一定の編集方針なり、ニュース性等に基づき、伝達すべき価値のあるものとして、どのような客観的な出来事に関する情報を選択して表現しているかという点に存するものというべく、したがって、新聞の編集著作権に対する翻案権の侵害が成立するためには、対象となる文書が、当該新聞に依拠して、そこで取り上げられ、記事に具現化されている情報の核心的事項である客観的な出来事の表現と共通するものを同様に要素としていれば足り、両者の個々の素材(要素)自体の具体的な表現や詳細な内容が相当程度において一致していることまでは必要ないものと解するのが相当である。また、選択された情報(記事)がその重要度や性格・内容等に応じてどのように配列されているかという点に当該新聞の配列上の特徴が存するのであるから、対象となる文書が、当該新聞における特徴的な配列と一致又は類似していれば翻案関係にあるものというべきである。
しかして、前記に認定のとおり、控訴人文書は被控訴人新聞に依拠して作成され、同新聞で取り上げている情報のほとんどをその要素として取り込んでいること、控訴人文書の文章は1項目につき1行ないし3行程度の短文であるが、被控訴人新聞の個々の記事の前記核心的事項をおおよそ把握し得る内容のものであって、極めて簡略な要旨あるいは目次ないし索引程度のものとはいえず、また原文との間の代替性が完全に失われているとまではいえないこと、控訴人文書の体裁は、被控訴人新聞の紙面全体のレイアウトとは異なっているが、被控訴人新聞の掲載記事にそれぞれ対応する文章が、同新聞において使用されている表題と同様の表題のもとにそれぞれ区分され、ほぼ同様の割付順序で配列されていることに照らして、控訴人の右主張は理由がないものというべきである。
4 控訴人は、データベースのために作成される抄録や要旨のような原著作物自体を代替しないものは、許諾なしで、データベースに編入できるものとされているところ、この考え方は、電子的手段によらない編集物についても当然適用できるものであるなどとして、被控訴人新聞の各記事に対応する控訴人文書の各記述は、利用者に原情報の検索手段を提供する書誌的情報であって、最小限の要旨以外の何ものでもなく、これにより被控訴人新聞の個々の記事についても、全体についても代替し得るものではないから、これらを非電子的編集物である控訴人文書に編入することは当然許容されるものである旨主張する。
しかし、前記3において説示したとおり、新聞においては、素材である多数の記事に具現された情報の中から、伝達すべきものとして、どのような客観的な出来事に関する情報を選択しているかという点に素材の選択による創作性の最も重要な要素が認められるのであるから、新聞の編集著作権に対する翻案権の侵害が成立するためには、前記のとおり、当該新聞及び対象となる文書における個々の素材(要素)自体の具体的な表現や詳細な内容が相当程度において一致するものであることまでは必要でなく、当該記事の核心的事項である客観的な出来事の表現をおおよそ把握し得るものであれば足りるものと解するのが相当であって、編入につき完全な代替性を基準とするデータベースの場合と同一に論ずることはできない。のみならず、被控訴人新聞の各記事に対応する控訴人文書の各記述が、利用者に原情報の検索手段を提供する書誌的情報にすぎないものとは認め難い。
したがって、控訴人の右主張は理由がない。
5 控訴人は、控訴人の主張記載の理由により、原判決が控訴人文書の発行事前差止仮処分を認めたことは憲法違反である旨主張する。
出版物の頒布等の事前差止め、すなわち表現行為に対する事前抑制は、当該出版物がその自由市場に出る前に抑止して、その内容を読者の側に到達させる途を閉ざし、又はその到達を遅らせてその意義を失わせ、公の批判の機会を減少させるものであり、また、事前抑制たることの性質上、予測に基づくものとならざるを得ないことなどから、事後制裁の場合よりも広汎にわたり易く、濫用の虞があるうえ、実際上の抑止的効果が事後制裁の場合より大きいと考えられ、したがって、表現行為に対する事前抑制は、表現の自由を保障し、検閲を禁止する憲法21条の趣旨に照らし、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容され得るものと解される(最高裁昭和61年6月11日判決参照)。
ところで、著作権侵害行為については、著作権法112条により事前差止めが認められているし、表現行為に対する事前抑制が許容されるために右のような要件が必要であるとされる前記理由に鑑みれば、事前差止めであっても、前記のような弊害が生じる危険性がほとんど存しない場合には、当該事前差止めは、実質的には、事前抑制に当たらないものと解するのが相当である。
本件において、控訴人は、昭和61年9月から、被控訴人新聞が発行される毎に継続的に控訴人文書を作成・頒布してきたものであり、すでに作成・頒布された控訴人文書は被控訴人新聞の編集著作権を侵害するものであること、原判決が発行事前差止めの対象とした原判決別紙文書目録(一)、(二)の文書は、すでに発行・頒布された控訴人文書の構成と同一であって、具体的な要素(素材)の点は別として、その他の内容はすでに公のものとされているとみてよいこと、右文書目録(一)、(二)の記載は、侵害文書を構成するものとしての特定として明確であること、及び、原判決は口頭弁論を経てなされたものであることを総合すると、原判決が、控訴人文書に対する発行事前差止めの仮処分を認めたことによって、前記のような弊害が生じる危険性があるとは認め難く、実質的には事前抑制に当たらないものと認めるのが相当である。
また、憲法21条2項前段にいう検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査したうえ、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるものを指すと解すべきであるところ、仮処分による事前差止めは、表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合と異なり、個別的な私人間の紛争について、司法裁判所により、当事者の申請に基づき差止請求権等の私法上の被保全権利の存否、保全の必要性の有無を審理判断して発せられるものであって検閲には当たらないものというべきであるから(前記最高裁判決、及び最高裁昭和59年12月12日判決頁参照)、原判決が控訴人文書に対する発行事前差止めの仮処分を認めたことが、憲法21条2項前段が規定する検閲の禁止に違反するものということはできない。
控訴人は、著作権を侵害する表現は、侵害される著作権者の利益を保護するために一定の制約が認められるが、著作権を侵害する表現といえども憲法21条の保障する表現である以上、より制限的でない他のとり得る手段がないかどうか、事前抑制禁止の法理・検閲禁止に違反していないかどうかを、規制される表現の内容、表現によって侵害される著作権の侵害の程度・明白性、著作権の保護回復の可能性の有無などを総合的に衡量して、いかなる方法・程度の規制が適当であるかを判断しなければならない旨主張して、考慮されるべき事情を挙示する。
しかし、控訴人文書の作成・頒布による被控訴人新聞の編集著作権に対する侵害行為は明白であり、しかも昭和61年9月以降継続的に、侵害行為が行われてきたものであること、被控訴人新聞の編集著作権を保護するためには控訴人文書の発行差止めが有効かつ適切であること、その他本件に顕れた一切の事情を考慮すると、原判決が控訴人に対して、控訴人文書の発行事前差止仮処分を命じたことが、事前抑制又は検閲に当たるとは到底認められない。
したがって、控訴人の主張7は理由がない。
6 控訴人は、控訴人の主張記載の理由により、控訴人文書は公正利用に当たる旨主張する。
著作権法1条は、著作権法の目的につき、「これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作権者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とする。」と定め、同法30条以下には、それぞれの立法趣旨に基づく、著作権の制限に関する規定が設けられているところ、これらの規定から直ちに、わが国においても、一般的に公正利用(フェアユース)の法理が認められるとするのは相当でなく、著作権に対する公正利用の制限は、著作権者の利益と公共の必要性という、対立する利害の調整の上に成立するものであるから、これが適用されるためには、その要件が明確に規定されていることが必要であると解するのが相当であって、かかる規定の存しないわが国の法制下においては、一般的な公正利用の法理を認めることはできない。
なお、念のため付言するに、フェアユースに基づく著作権の制限を規定しているアメリカ合衆国著作権法107条は、著作物の使用がフェアユースとなるかどうかを判断するについて、(1)使用の目的及び性格(使用が商業性を有するか非営利の教育的な目的であるかという点を含む)、(2)著作権のある著作物の性質、(3)著作物全体の関係における使用された部分の量及び重要性、(4)著作物の潜在的市場又は価値に対する使用の及ぼす影響、という要素を考慮すべきであると規定しているところ、控訴人は、右のような判断指針の適用を前提として、本件につき公正利用の法理が認められるべきであるとするのであるが、右のような指針に基づいて判断したとしても、控訴人文書の被控訴人新聞の利用が営利を目的とするものであることは否定できないこと、控訴人文書は被控訴人新聞に比べると量的には非常に少ないものとなっているが、控訴人文書の各記述は被控訴人新聞の記事等により伝達しようとしている情報の核心的事項を表現しているものであって、単に被控訴人新聞の報道するニュースへのアクセスを可能にするといった程度のものではなく、控訴人文書によれば、特定の日付けの被控訴人新聞がどのような出来事を取り上げているかの概要を知ることができること、控訴人は、前記に認定のとおり、控訴人文書を講読すれば、わざわざ被控訴人新聞を講読しなくとも同新聞の掲載記事の内容が把握できるとも受け取れる宣伝広告をしていること、控訴人が、今後も引き続き控訴人文書を作成・頒布することにより、被控訴人新聞の購読者が控訴人文書の講読に切り替えたり、あるいは、被控訴人新聞の潜在的講読予定者が控訴人文書を講読したりすることが考えられることなどからすると、被控訴人新聞がニュース報道を主目的とした新聞であること、控訴人文書にもそれなりの有用性があることを考慮しても、控訴人文書が公正利用に当たるものということはできない。
したがって、控訴人の主張は理由がない。
七 以上のとおりであるから、控訴人に対し、原判決別紙文書目録(一)の文書の作成・頒布、及び、特定日付けの被控訴人新聞が発行されることを条件とする、同目録(二)の文書の作成・頒布の各差止めを命じた原判決は正当であり、本件控訴は理由がないから棄却することと(する)。