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著作権判例セレクション

【引用】適法引用を認めた事例(宗教上の教義が関係した事例)

▶令和41219日東京地方裁判所[令和4()5740]▶令和5525日知的財産高等裁判所[令和5()10006]
() 原告事業団は、別紙記載の著作物(「本件著作物」)に係る著作権を有し、原告K思想社は、本件著作物に係る出版権を有している。他方、被告は、別紙記載の出版物(「本件出版物」)を出版した。
本件は、原告らが、被告が本件出版物に本件著作物を掲載して発行した行為は、原告事業団の複製権及び原告K思想社の出版権を侵害すると主張して、被告に対し、本件出版物の発行等の差止めなどを求めた事案である。

1 争点1-1(本件出版物に関する原告らの著作権・出版権の有無)について
⑴ 被告は、本件訴えにつき、原告らが著作権又は出版権を有していない著作物を対象にしたものであって、訴訟要件を欠く旨主張する。しかしながら、【前記のとおり、控訴人事業団設立の際、A氏は、その著作に係る「生命の實相」等の著作権を寄附行為により控訴人事業団に譲渡し、本件著作物は「生命の實相」に収録されているのであるから、本件著作物の著作権は控訴人事業団に帰属し、また、控訴人K思想社は、著作権者である控訴人事業団との間で、本件著作物を収録する「生命の實相」ないし「神示集」について出版権設定契約を締結したのであるから、本件著作物について出版権を有しているといえることからすれば】、被告の主張は、前提を欠く。そもそも、本件著作物に関する権利義務関係は、本案判決の対象となり、かつ、本案判決によって終局的に解決され得るものであるから、訴えの利益を認めるのが相当であり、訴訟要件を欠くものとはいえない。したがって、被告の主張は、採用することができない。
⑵ なお、本件訴訟の経過に鑑み、念のため、依拠性の有無について付言すると、証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件出版物において掲載された「声字即実相の神示」は、本件著作物(別紙著作物目録「声字即実相の神示(しょうじそくじっそうのしんじ)」と振り仮名の有無や漢字表記の有無(例えば「吾が」と「わが」など)について異なる箇所があるものの、それ以外は、本件著作物と全て同一であることからすれば、仮に被告が「到彼岸の神示」に掲載されている「声字即実相の神示」の創作的表現部分に依拠していたとしても、これと同一である本件著作物の創作的表現部分に依拠したともいえるから、被告の主張は、無体財産権である著作権侵害の要件としての依拠性の認定を左右するものとはいえず、これを採用することはできない。
2 争点1-2(司法審査の対象性)について
被告は、本件では、神示という宗教上の教義の位置付けが問題となっており、同一宗教団体内の教義に関わる紛争であるから、宗教団体という部分社会内部の争いとして、司法審査になじまないと主張する。
そこで検討するに、被告の主張は、本件訴訟が裁判所法3条にいう「法律上の争訟」に該当しない趣旨をいうものと解されるところ、本件訴訟は、後記4のとおり、著作権に基づく請求の当否を決定するために判断することが必要な前提問題が、宗教上の教義、信仰の内容に深く関わるものとはいえず、その内容に立ち入ることなくその問題の結論を導き得るものと認められる(最高裁昭和56年4月7日第三小法廷判決、最高裁平成元年9月8日第二小法廷判決各参照)。
そうすると、本件訴訟は、法令の適用による終局的解決に適するものとして、裁判所法3条にいう「法律上の争訟」に当たると解するのが相当である。
したがって、被告の主張は、採用することができない。
3 争点2-1(本件著作物に対する著作権法の適用の可否)について
被告は、本件著作物は、「生長の家」の教義の根幹である「神示」に関するものであり、当該「神示」を宗教活動のために利用しても、著作権侵害に当たらないと主張する。
しかしながら、被告主張に係る事情が、後記4において説示する引用の成否の考慮事情とされるのは格別、本件著作物が宗教活動の根幹である「神示」に関する著作物であったとしても、そのことを理由として直ちに著作権法の適用を除外する規定はなく、被告の主張は、独自見解をいうものである。したがって、被告の主張は、採用することができない。
4 争点2-2(引用の成否)について
(1) 認定事実
ア 本件出版物の内容
証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件出版物は、1頁目のほぼ中央に、周囲を枠で囲んだ上で「発刊90周年を迎えた『生命の實相』を讃える!」との太字の記載(表題)があること、同頁の記事の冒頭は「令和四年一月一日、不朽の聖典『生命の實相』が発刊90周年を迎えました。」とされていること、その後、C氏が「生命の實相」の発刊に至った経緯が記載され、同頁の最後には、「かくして昭和七年一月一日…『生命の實相』が発刊されたのでした。」と記載されていること、2頁目の上欄に、本件著作物が、同頁全体の約半分の大きさで、周囲を枠で囲んだ上で掲載され、末尾に「(昭和七年一月十一日神示)<『到彼岸の神示』より>」として出典が明記されていること、同頁の記事の冒頭には発刊に至ったC氏の苦労等に敬意と感謝が記載され、続けて「『生命の實相』は『生長の家』の根本教典」との表題の後、「『生命の實相』が発刊されて十日後の昭和七年一月十一日に、C先生に啓示された『声字即実相の神示』には、冒頭においてつぎのように示されています。」と記載され、本件著作物の冒頭から数文が括弧付きで掲載されていること、当該引用に続けて、「『生命の實相』が、昭和完成(ななつ)の年一月一日に発刊されたことは、決して偶然ではな」いと記載されていること、同頁のその余には、別の神示が引用された上で、「生命の實相」が「生長の家」の根本聖典であると記載されていること、同頁に続き3頁目の冒頭から最下段の中央に至る大部分には、「生命の實相」の重要性が記載されていること、3頁目の最下段には、「ところで『生命の實相』発刊80周年を記念して平成24年1月1日に発行されたK思想社の新編『生命の實相』全65巻の第一巻が、これまでの戦前・戦後を通じて出版された全ての『生命の實相』全集の第一巻が、〈総説編・實相編〉であったにもかかわらず、〈實相編〉を〈光明編〉に変えて発刊するという情報を聞き、大変驚きました。」と記載されていること、4頁目には、中央に、周囲を枠で囲んだ上で「絶対“してはならない”こと 新編『生命の實相』 第一巻の構成を変える」と太字の記載(表題)があること、同頁には被告が原告らの理事長や代表者らに対し、「生命の實相」第一巻の構成を変えないよう要請したにもかかわらず、構成を変えた「生命の實相」が出版されたが、それはC氏の文章等に照らして間違いである旨の記載があること、以上の事実が認められる。
イ 本件著作物の内容
前提事実及び証拠によれば、本件出版物に掲載された本件著作物は、「わが第一の神殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』という。」から始まり、「わが道(ことば)を載せた『生命の實相』こそわが神殿である。」、「『生命の實相』の本が出た以上は、言葉が実相を語り、善き円満な調和した言葉の『本』が調うたのであるから今後何事も急転直下する。」など、「生命の實相」の発刊の意義や由来等が述べられた後、「今は過渡時代であるから、仮相(かりのすがた)の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦いはその序章である。」、「まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは迷いのケミカラィゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委(まか)せているものは何も恐るる所はない。(昭和七年一月十一日神示)」と結ばれていることが認められる。
また、証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件著作物(声字即実相の神示)は、合計数千頁ある「生命の實相」全20巻のうち、第2巻の冒頭に、僅か2頁程度掲載されているにすぎないものであることが認められる。
ウ 「到彼岸の神示」の内容
前提事実、証拠及び弁論の全趣旨によれば、被告は、本件著作物の出典を「到彼岸の神示」と明記していることが認められるところ、「到彼岸の神示」は、【昭和37年11月15日、日本教文社から刊行されたものであり、本件著作物と同一内容の「声字即実相の神示」が収録され、著作者はA氏である。】
エ 「到彼岸の神示」の「声字即実相の神示」と本件著作物との関係
前提事実、証拠及び弁論の全趣旨によれば、「到彼岸の神示」に掲載されている「声字即実相の神示」は、振り仮名の有無や漢字表記の有無について本件著作物と異なる箇所があるものの、C氏による昭和7年1月11日の神示として、その内容は同一のものであることが認められる。
⑵ 要件該当性について
ア 「公正な慣行」該当性
前記認定事実によれば、被告は、「到彼岸の神示」に掲載されていたものと同じ本件著作物につき、引用部分が分かるように当該部分を黒枠で囲った上で、「到彼岸の神示」(昭和7年1月11日神示)と出典を明記して、これを引用していることが認められる。これらの引用の態様を踏まえると、本件著作物の引用は、公正な慣行に合致するものと認めるのが相当である。
イ 「目的上正当な範囲内」該当性
前記認定事実によれば、被告は、本件出版物において、「生長の家」の根本聖典である「生命の實相」の発刊90周年をたたえることを目的として、本件著作物を引用しているところ、本件著作物の量は、数千頁にも及ぶ「生命の實相」のうち僅か2頁のものにすぎず、その内容も、「生命の實相」の発刊の由来、意義等を的確に表現したものであることが認められる。
そして、前記認定事実によれば、本件著作物は、本件出版物全4頁のうち、2頁目の上欄半分に掲載されているにすぎず、本件著作物が掲載された本件出版物には、「生命の實相」の発刊の経緯や根本聖典としての重要性が記載されているほか、これに続き、C氏の意思ひいては「生命の實相」の趣旨に鑑みると新編「生命の實相」の構成を変えることは許容されないことなどが記載されており、これらの記載は、上記目的に沿うものであることが認められる。
これらの事情の下においては、本件著作物の引用は、「生命の實相」の発刊をたたえる目的上正当な範囲内で行われたものと認めるのが相当である。
したがって、被告が本件著作物を本件出版物に掲載する行為は、引用に該当するものとして適法であるといえる。
⑶ 原告らの主張に対する判断
ア 原告らは、本件出版物では、本件著作物とは別の三つの神示が、多くの分量を使って論じられていることなどから、「生命の實相」発刊90周年をたたえるために本件著作物を引用したという被告の主張は、不当であると主張する。
しかしながら、前記認定事実及び証拠によれば、本件著作物は、「生命の實相」の発刊の由来、意義等を的確に表現したものであり、本件出版物に掲載された他の神示についても、「生命の實相」の重要性を説くために掲載されていることが認められる。そうすると、本件著作物と同様に「生命の實相」の重要性を説く別の三つの神示が掲載されているとしても、本件著作物の引用の必要性が直ちに左右されるものとはいえない。
したがって、原告らの主張は、採用することができない。
イ 原告らは、本件著作物には「戦争」についてなど、「生命の實相」の発刊の意義や由来に関係のない部分もあるから、全文を掲載する必要性はないにもかかわらず、被告は本件出版物の2頁目上欄に半分ものスペースを使って本件著作物の全文を掲載していることからすると、引用の目的上正当な範囲内ではないと主張する。
しかしながら、本件著作物は、「生命の實相」の発刊の由来、意義等を的確に表現したものであることは、上記において説示したとおりであり、しかも、本件著作物では、「『生命の實相』が展開(ひら)けば形の理想世界が成就する」と述べた後、「今は過渡時代である」、「日支の戦いはその序幕である」と説いていることからすると、原告ら指摘に係る「戦争」などの記載は、「生命の實相」が展開した理想世界が成就する前の過渡期の時代を指摘したにすぎないものであり、「生命の實相」の発刊の意義等と必ずしも無関係なものとはいえない。
したがって、原告らの主張は、採用することができない。
ウ 原告らは、本件著作物の引用が主従関係を満たしていないことからすれば、公正な慣行に合致していないし、正当な範囲内にも該当しない旨主張する。しかしながら、本件著作物は、合計4頁の本件出版物のうち半頁を占めるにとどまることからすると、「生命の實相」をたたえる上での本件著作物の重要性に鑑みても、主従関係を満たさない旨の原告らの主張は、その前提を欠く。しかも、原告ら主張にいう主従関係は、旧著作権法(明治32年法律第39号)30条1項2号にいう引用の意義を示した最高裁昭和51年(オ)第923号同55年3月28日第三小法廷判決の判例法理をいうものである。そのため、原告ら主張に係る事情は、現行の著作権法32条の要件該当性の判断において、正当な範囲内か否かを判断するための一事情としては考慮され得るものの、当該一事をもって判断することは、必ずしも適切ではない。
したがって、原告らの主張は、採用することができない。
エ 原告らは、被告が、本件出版物とは別の号の本件広報誌において、原告事業団には「生命の實相」の著作権がないと主張していることや、本件出版物の4頁目において、「生命の實相」の新編の編纂について激しく攻撃していることからすれば、本件著作物の引用は、正当な引用ではないと主張する。
しかしながら、本件出版物の表現内容が原告らを批判するものであったとしても、これが名誉権侵害等で考慮されるのは格別、表現の自由が等しく及ぶ被告の文章についてその内容自体の当不当を問題とするのは必ずしも相当ではない。仮に、原告らの主張を前提としても、上記のとおり、被告は「生命の實相」の趣旨等に鑑み、新編「生命の實相」の編纂につき批判しているのであるから、本件著作物の引用は、「生命の實相」をたたえる目的上正当な範囲内で行われたものといえ、前記判断を左右するに至らない。
したがって、原告らの主張は、採用することができない。
オ その他に、原告らは、引用の成否について縷々主張するが、上記認定に係る本件著作物及び本件出版物の内容及び性質、引用の目的、その方法や態様等を総合考慮して、社会通念に照らし判断すれば、原告らの主張は、いずれも前記認定を左右するに至らない。したがって、原告らの主張は、いずれも採用することができない。
⑷ 以上によれば、被告が本件出版物に本件著作物を掲載した行為は、著作権法32条1項の規定する引用に該当するものと認めるのが相当である。
したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は、いずれも理由がない。

[控訴審同旨]
2 当審における控訴人らの補充主張に対する判断
⑴ 引用に該当しないとの主張について
控訴人らは、前記のとおり、著作権法32条にいう引用に該当するためには、両著作物の間に引用して利用する側の著作物が主、引用されて利用される側の著作物が従の関係があると認められる場合でなければならない旨主張するが、仮に、引用に該当するために控訴人らの主張する要件が必要であるとしても、本件出版物においてこれが満たされているというべきことは、引用に係る原判決第4の4⑶ウの説示のとおりであり、本件出版物の体裁、構成、内容等のいずれの点から見ても、本件著作物が従として位置付けられることは自明である。
控訴人らは、本件著作物と本件出版物とでは著作物として思想や感情の創造的表現物としてレベルが違いすぎ、分量を重視する原判決の判断は不当である旨の主張もするが、著作物の内容の価値や評価に立ち入り、その軽重を前提にして主従関係を判断することが相当とはいえないから、そもそも控訴人らの主張はその前提を欠くものというべきであるし、また、分量が一つの重要な客観的指標となることは明らかであるところ、本件著作物と本件出版物の間において、合計4頁の本件出版物のうち半頁を占めるにとどまる本件著作物が主となると評価するだけの事情は認められない。したがって、控訴人らの主張は、いずれにしても採用できない。
⑵ 引用の目的上正当な範囲内で行われたものではないとの主張について
ア 控訴人らは、前記のとおり、書籍「生命の實相」を「たたえる」上で、本件著作物の全部引用が必要であるというのは、不合理である旨主張する。
しかし、本件著作物は、無形の「生命の実相」を形に表したのが「生命の實相」の本であること、それまでの宇宙は、言葉が実相を語らないために不調和なことが起こったこと、「生命の實相」の本が出た以上は、言葉が実相を語り、よき円満な調和した言葉の本が整ったことから何事も急転直下すること等が述べられた上で、最後に「まだまだ烈しいことが今後起るであろうともそれは迷いのケミカラィゼーションであるから生命の実相をしっかり握って神に委(まか)せているものは何も恐るる所はない。」と結んでいるものであり、無形の「生命の実相」を形に表したものとされる「生命の實相」の発刊と無関係といえる部分はなく、一体性を有するものというべきであるから、「生命の實相」の発刊90周年をたたえることを目的としたと認められる本件出版物において、本件著作物全文を利用したことをもって、公正な慣行に合致しないとか、引用の目的上正当な範囲で行われたものでないということはできない。したがって、控訴人らの主張は採用できない。
イ 控訴人らは、前記のとおり、本件著作物は、元来「生命の實相」に収録されているものであり、出典を示すならば同書とすべきであるのに、「到彼岸の神示」を出典としているものであるから、本件出版物への本件著作物の掲載は、引用の目的上正当な範囲で行われたものとはいえない旨主張する。
しかしながら、引用に係る原判決第3の1(補正後のもの)のとおり、A氏が、「到彼岸の神示」の発行当時、本件著作物を同書に適法に収録していたことについては争いがないことに鑑みれば、A氏の著作であり、現に本件著作物が掲載されている「到彼岸の神示」を出典として記載したことが、少なくとも引用のあり方として、公正な慣行に合致せず、又は引用の目的上正当な範囲内で行われたものではないということはできず、控訴人らが主張するような内情を考慮したとしても、この認定は左右されない。したがって、この点についても控訴人らの主張は採用できない。
その他にも控訴人らはるる主張するが、これらは、いずれも本件争点と直結しない、あるいは結論を左右し得ないものであり、いずれも採用できない。
第4 結論
以上によれば、控訴人らの請求はいずれも理由がないから棄却すべきところ、これと結論を同じくする原判決は相当である。