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著作権判例セレクション

 【引用】ドキュメンタリー映画への報道機関作成の映像の利用(資料映像としての使用)を適用引用と認めなかった事例

▶平成30221日東京地方裁判所[平成28()37339]▶平成30823日知的財産高等裁判所[平成30()10023]
5 争点4(著作権の行使に対する引用〔著作権法32条1項〕の抗弁は成立するか)について
⑴ 被告は,本件映画における本件各映像の利用が,適法な引用として,著作権法32条1項により許容されると主張する。
⑵ 著作権法32条1項は,「公表された著作物は,引用して利用することができる。この場合において,その引用は,公正な慣行に合致するものであり,かつ,報道,批評,研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。」と規定する。
ここで,単に「利用することができる。」ではなく,「引用して利用することができる。」と規定していることからすれば,著作物の利用行為が「引用」との語義から著しく外れるような態様でされている場合,例えば,利用する側の表現と利用される側の著作物とが渾然一体となって全く区別されず,それぞれ別の者により表現されたことを認識し得ないような場合などには,著作権法32条1項の適用を受け得ないと解される。
また,当該利用行為が「公正な慣行」に合致し,また「引用の目的上正当な範囲内」で行われたことについては,著作権法32条1項の適用を主張する者が立証責任を負担すると解されるが,その判断に際しては,他人の著作物を利用する側の利用の目的のほか,その方法や態様,利用される著作物の種類や性質,当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度などを総合考慮すべきである。
⑶ 本件映画と本件各映像(本件使用部分)との関係についてこれをみると,本件映画は,資料映像・資料写真とインタビューとから構成されるドキュメンタリー映画であり,その中で資料映像として使用されている本件各映像は,テレビ局である原告の従業員が職務上撮影した報道映像である。
そして,本件映画のプロローグ部分のうち,被告制作部分は,画面比が16:9の高画質なデジタルビデオ映像であり,他方,本件使用部分は,画面比が4:3であり,被告制作部分に比して画質の点で劣っているから,被告制作部分と本件使用部分とは,一応区別されているとみる余地もある。
しかし,本件映画には,本件使用部分においても,エンドクレジットにおいても,本件各映像の著作権者である原告の名称は表示されていない。
被告は,上記のとおり本件映画において原告の名称を表示しない理由について,映像の出所は劇場用映画などからの引用の場合以外は表記しないとか,資料写真の出所は写真家の名前を伝える必要がある場合に限って表記するなど,制作上の方針を主張するにとどまり,本件映画のようなドキュメンタリー映画の資料映像として報道用映像を使用するに際し,当該使用部分においても,映画のエンドクレジットにおいても著作権者の名称を表示しないことが,「公正な慣行」に合致することを認めるに足りる社会的事実関係を何ら具体的に主張,立証しない。被告が提出する(証拠)は,「公正な使用(フェア・ユース)の最善の運用(ベスト・プラクティス)についてのドキュメンタリー映画作家の声明」であり,フェアユースに関する規定を有する米国著作権法を念頭に置いたものであるが,同声明においても,「歴史的シークエンスにおける著作物の利用」に関し,「この種の利用が公正であるという主張を支持するためには,ドキュメンタリー作家は以下の点を示すことができねばならない。」として,「素材の著作権者が適切に明確化されている。」とされており,何らかの方法により素材の著作権者を明確化することを求めているのである。
実質的にみても,資料映像・資料写真を用いたドキュメンタリー映画において,使用される資料映像・資料写真自体の質は,資料の選択や映画全体の構成等と相俟って,当該ドキュメンタリー映画自体の価値を左右する重要な要素というべきであるし,テレビ局その他の報道事業者にとって,事件映像等の報道映像は,その編集や報道手法とともに,報道の質を左右する重要な要素であり,著作権法上も相応に価値が認められてしかるべきものであるから(著作権法10条2項が,報道映像につき著作物性を否定する趣旨でないことは,その規定上明らかである。),ドキュメンタリー映画において資料映像を使用する場合に,そのエンドクレジットにすら映像の著作権者を表示しないことが,公正な慣行として承認されているとは認め難いというべきである。
そうすると,総再生時間が2時間を超える本件映画において,本件各映像を使用する部分(本件使用部分)が合計34秒にとどまることを考慮してもなお,本件映画における本件各映像の利用は,「公正な慣行」に合致して行われたものとは認められない。
したがって,著作権の行使に対する引用(著作権法32条1項)の抗弁は成立しない。
6 争点5(原告による著作権及び著作者人格権の行使は,権利の濫用に当たり許されないか)について
被告は,本件映画と本件各映像との関係及び本件訴訟における原告の訴訟追行態度等に照らし,原告が本件各映像の著作権及び著作者人格権を行使することは,権利の濫用として許されないと主張する。
しかし,原告による著作権の行使が著作権法32条1項により妨げられるものでないことは上記5のとおりであるし(なお,同条項は,著作者人格権の行使を妨げる理由とはならない〔同法50条〕。),前記認定事実によれば,被告は,本件映画に本件各映像が使用されていることを原告が覚知した後の交渉において,同使用はフェアユースに当たり,映像を提供しない合理的な理由を原告が説明すべきであるとの立場を取っていたところ,これと見解を異にする原告が訴訟を提起することは,正当な権利の行使であって,本訴を那覇地方裁判所(【民訴法5条1号及び9号】により管轄が認められることが明らかである。)に提起したとしても,これが権利の濫用となる理由はないというべきである。その他,本件訴訟における原告の訴訟追行態度を総合しても,原告による著作権及び著作者人格権の行使が権利の濫用に当たると評価することはできない。
したがって,被告の上記主張は採用することができない。

[控訴審同旨]
(3) 引用の抗弁について(争点4関係)
ア 控訴人は,本件映画において,本件使用部分においても,エンドクレジットにおいても何ら出所表示をすることなく本件各映像を利用したことが「公正な慣行」に合致しないとして引用の抗弁(著作権法32条1項)を認めなかった原判決の認定判断に誤りがあると主張する。
よって検討するに,本件映画において,被控訴人が報道用として編集管理する本件各映像がその著作権者である被控訴人の名称を全く表示することなく,無許諾で複製して使用されている事実は当事者間に争いがないところ,もともと出所の明示は引用者に課された著作権法上の義務(著作権法48条1項1号)である上に,本件の場合,本件映画中の控訴人製作部分と本件使用部分とは,原判決が指摘するとおり,画面比や画質の点において一応区別がされているとみる余地もあり得るとはいえ,映画の中で,これらの部分が明瞭に区別されているわけではなく,その区別性は弱いものであるといわざるを得ないから,本件使用部分が引用であることを明らかにするという意味でも,その出所を明示する必要性は高いものというべきである。また,本件のようなドキュメンタリー映画の場合,その素材として何が用いられているのか(その正確性や客観性の程度はどのようなものであるか)は,映画の質を左右する重要な要素であるといえるから,この観点からしても,素材が引用である場合には,その出所を明示する必要性が高いものと考えられる。他方,本件においては,引用する側(本件映画)も引用される側(本件各映像)も共に視覚によって認識可能な映像であって,字幕表示等によって出所を明示することは十分可能であり,かつ,そのことによって引用する側(本件映画)の表現としての価値を特に損なうものとは認められない。これらのことに,原判決が指摘する「公正な使用(フェア・ユース)の最善の運用(ベスト・プラクティス)についてのドキュメンタリー映画作家の声明」の内容等を併せ考えると,適法引用として認められるための要件という観点からも,本件映画において本件各映像を引用して利用する場合には,その出所を明示すべきであったといえ,出所を明示することが公正な慣行に合致し,あるいは,条理に適うものといえる。そして,このことは,本件映画の総再生時間が2時間を超えるのに対し,本件各映像を使用する部分(本件使用部分)が合計34秒にとどまるといった事情や,本件各映像が番組として編集される前の映像であるといった事情によっては左右されない。
したがって,控訴人が何ら出所を明示することなく被控訴人が著作権を有する本件各映像を本件映画に引用して利用したことについては,(単に著作権法48条1項1号違反になるというにとどまらず)その方法や態様において「公正な慣行」に合致しないとみるのが相当であり,かかる引用は著作権法32条1項が規定する適法な引用には当たらない。よって,これと同旨をいう原判決の認定判断に誤りがあるとは認められない。
イ これに対し,控訴人は,「公正な慣行」の立証責任を利用者の側に負わせるべきではない,②本件における引用の抗弁の成否に関しては,被控訴人が本件各映像の利用を許諾しなかった理由(不許諾理由)こそが考慮されてしかるべきである,③エンドクレジットへの掲載は賛辞を意味するという「公正な慣行」が存在するため,控訴人としては,許諾申請が拒否された以上,被控訴人の許諾があったかのような記載を避ける必要があった,④そもそも出所を明示していないことを理由に引用の抗弁を退けること自体が誤りである,などと主張する。
しかしながら,次のとおり,上記各主張はいずれも採用できない。
上記①について,著作権法32条1項は,飽くまで著作権行使の制限規定である以上,その適用については,基本的に適用を主張する側が要件充足の主張立証責任を負うものと解するのが相当である。
上記②について,著作権法32条1項は著作権の制限規定であって,これによって認められる引用はそもそも著作権者の許諾がなくとも適法とされるのであるから,適法引用に当たるかどうかを判断するのに当たって,権利者が著作物の利用を許諾したかどうかや,許諾しなかった場合のその理由が考慮の対象になる余地はないというべきである。
上記③について,原判決が指摘しているのは,エンドクレジットにすら映像の著作権者を表示しないことが公正な慣行として承認されているとは認められない,ということであって,原判決は,エンドクレジットに被控訴人の名称を表示すれば直ちに適法引用として認められる,とするものではない。そこで問われているのは,飽くまで出所明示の要否であって,エンドクレジットに被控訴人の名称を記載しなかった理由それ自体が問題にされているわけではない(仮に控訴人が主張する「公正な慣行」が存在したとしても,本件使用部分において被控訴人の名称を表示することができなくなるわけではない。)から,控訴人の主張は失当である。
上記④について,著作権法32条1項が規定する適法引用の要件として常に出所明示が必要かどうかという点はともかくとしても,少なくとも本件においては(適法引用の要件として)出所明示がなされるべきであったと認められることは,前記アのとおりである。
ウ 以上のとおりであるから,引用の抗弁に関する控訴人の主張は採用できない。