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著作権判例セレクション
【編集著作権】編集著作物の著作者の権利(文集からの引用が問題となった事例)/共同著作物の著作者性/その他
▶平成17年07月01日東京地方裁判所[平成16(ワ)12242]▶平成17年11月21日知的財産高等裁判所[平成17(ネ)10102]
(注) 本件は,原告Aが,主位的に,本件文集が編集著作物又は共同著作物であり,同原告がその著作者であるところ,被告書籍の引用部分が同原告の同一性保持権を侵害するなどと主張して,被告らに対し,著作権法112条1項に基づき別紙記述部分を削除しない被告書籍の複製販売の差止めなどを請求した事案である。
原告Aは,第2次世界大戦前に朝鮮半島にあった京城三坂小学校(以下「三坂小学校」)の卒業生であり,昭和58年11月5日に出版された「鉄石と千草 京城三坂小学校記念文集」(「本件文集」)の編集責任者である。
本件文集は,戦後に結成された三坂小学校の卒業生や教師などの集まりである三坂会の結成30周年を記念して出版されたものであり,6名の編集委員から成る編集委員会によって編集され,原告Aが編集責任者であった。本件文集においては,冒頭に,原告Aが執筆した三坂小学校の歴史及び当時の社会事情に関する記載や写真が掲載され,次いで三坂小学校の卒業生や職員等関係者が寄稿した文章が,座談会を交えて概ね年代順に並べて編集されており,巻末には原告Aが執筆した編集後記が掲載されている。
1 争点(1)(編集著作物の著作者の権利の有無)について
(1) 編集著作物は,編集物でその素材の選択又は配列によって創作性を有するものをいい(著作権法12条1項),編集著作物の著作者の権利は,当該編集物の部分を構成する著作物の著作者の権利に影響を及ぼさない(同条2項)。同条は,既存の著作物を編集して完成させたにすぎない場合でも,素材の選択方法や配列方法に創作性が見られる場合には,かかる編集を行った者に編集物を構成する個々の著作物の著作権者の権利とは独立して著作権法上の保護を与えようとする趣旨に出たものである。
そうすると,編集著作物の著作者の権利が及ぶのは,あくまで編集著作物として利用された場合に限るのであって,編集物の部分を構成する著作物が個別に利用されたにすぎない場合には,編集著作物の著作者の権利はこれに及ばないと解すべきである。
この点につき,原告らは,編集著作物を構成する個々の著作物が編集著作物の著作者の特定の思想,目的に反して第三者に利用された場合に,上記著作者が何らの手立てを取ることもできないのは不当であるなどと主張する。しかし,編集著作物はその素材の選択又は配列の創作性ゆえに著作物と認められるものであり,その著作権は著作物を一定のまとまりとして利用する場合に機能する権利にすぎず,個々の著作物の利用について問題が生じた場合には,個々の著作物の権利者が権利行使をすれば足りる。
(2) 被告書籍においては,別紙記載のとおり,本件文集中の各記載が引用されている。
そうすると,被告書籍中における本件文集の利用態様は,あくまで本件文集を構成する個々の著作物の一部のみを個別に取り出して引用するというものであって,本件文集を一定のまとまりのある編集物として利用していると見ることはできない。
したがって,原告Aが本件文集について編集著作物の著作者であるか否かにかかわらず,被告Dの引用行為が原告Aのかかる権利を侵害したと解する余地はない。
(3) 小括
よって,その余の点につき判断するまでもなく,原告Aが編集著作物の著作者であることを根拠とする原告Aの請求には理由がない。
2 争点(2)(共同著作物の著作者の権利の有無)について
(1) 共同著作物とは,2人以上の者が共同して創作した著作物であって,その各人の寄与を分離して個別的に利用することができないものをいう(著作権法2条1項12号)。したがって,共同著作物というためには,著作者と目される2人以上の者の各人につき創作的関与が認められることが必要である。
以下,原告Aが各被引用部分が属する文章に創作的に関与したか否かについて判断する。
(2) 被引用部分1,3ないし8について
ア 前記のとおり,本件被引用部分1,3ないし8は,本件文集中のE,G,H,I,J,Kの各文章の一部である。
イ 本件被引用部分1,3ないし8が属する各文章には,それぞれ上記の各執筆者名が掲げられており,それぞれが執筆したものと認められ,他方,原告Aのこれらの各文章に対する創作的関与を認めるに足りる証拠はない。
この点について,原告らは,原告Aにおいて,編集後記中に現れた方針に従うように,各執筆者に修正を求めたり,執筆者の承諾を得て自ら修正を行ったなどと主張するが,具体的にこれらの各文章における修正の過程や程度を明らかにする証拠はなく,上記各文章について原告Aの行為が執筆者に対する助言の範疇を超え,創作的関与と評価できるほどのものであったことを認めるに足りない。
ウ よって,上記各被引用部分のもととなった各文章につき,原告Aと各執筆者の共同著作物であるということはできない。
(3) 本件被引用部分2について
ア 本件被引用部分2は,本件文集中の「多元座談会 三坂校の終焉Ⅰ 第一部」と題する項目におけるFの発言部分の一部である。そして,上記座談会は,原告Aが複数の三坂小学校関係者に対して,個々人の文章や手紙又は電話による質問をもとに,異なる時点,異なる場所でされた回答等をあたかも同一の場所で座談会を開いたかのような体裁の文章に仕上げたものである。
そうすると,上記座談会については原告Aの個性が表れており,同原告の創作的関与がされたもので,同文章につき原告Aは少なくとも共同著作物の著作者の権利を有するものということができる。
イ しかしながら,被引用部分2についてみると,Fが小学校1年生当時,1か月に5銭の献金をしたという事実を表明した部分にすぎず,表現それ自体とはいえない上,同部分に創作性を認めることは困難である。
そうすると,被告Dが被引用部分2を利用したとしても,表現それ自体ではない部分又は創作性のない部分を利用したに止まるから,原告Aの権利を侵害したということはできない。
(4) 小括
以上のとおり,その余の点について判断するまでもなく,原告Aが被引用部分について共同著作物の著作者の権利を有することを根拠とする原告Aの請求には理由がない。
3 争点(5)(被告らの不法行為の有無)について
(1) 証拠によれば,被告書籍の概要及び発刊の目的,被告書籍中の記載に関し,次の事実が認められる。
(略)
【(2) 名誉毀損について
控訴人らの挙げる被告書籍中の記述のうち,引用部分1ないし6は,被告書籍の7番目の章である「Ⅶ 『内鮮一体』の現実」中の「小学校と普通学校」と題する項において,戦前の朝鮮半島での日本人たちの行動の例として記載されたものであり,その内容は1931年以降,同地の小学校においても当時の軍国主義的な世情を反映した状況にあったことを描写したものであって,もっぱら小学校における生徒の観点から事実関係を記述したもので,特定の個人の人格を評価したり,行動を非難したりするものではなく,特定の個人の社会的評価に影響するものでもない。したがって,引用部分1ないし6は,なにびととの関係においても,名誉毀損を構成するような記述とは認められない。
一方,引用部分7及び8は,被告書籍の最後の章である「おわりに」中の「第二のタイプ」と題する項,すなわち戦前の朝鮮半島に在住していた日本人が戦後に自らの朝鮮時代の行動にどのように対応しているかについての被控訴人Yの分類による「無邪気に朝鮮時代を懐かしむもの」に該当する例として,記載されたものであるが,前記認定のとおり,被告書籍の冒頭には,「はじめに」として,「日本による朝鮮侵略は,軍人たちによってのみ行なわれたわけではなかった。むしろ,名もない人々の『草の根の侵略』『草の根の植民地支配』によって支えられていたのである。」との記載があり,また,引用部分7及び8に続けて,「朝鮮人がこれを読んだら,どう思うだろうか。これら,『植民地下で通学していた昔の子供たちであるいまの年老いた日本人たちは,時には事前の連絡もなしに10人ぐらいまとまって学校へやって来て,放っておくと懐かしがりながら授業中でも勝手に学校の中を歩きまわる』ことがあり,韓国で顰蹙をかっている(B,三八)。」との記載があるものであり,これらの記載と併せれば,引用部分7及び8は,被告書籍において,戦前の朝鮮において「草の根の侵略」に該当する行為を行っていた自らの立場を意識することなく,無邪気に朝鮮時代を懐かしむという無自覚・無神経で,非難されるべき言動の例として記載されているものであり,これを読む者からは引用された当該記載の執筆者の人格ないし言動を非難する趣旨の記載として認識され得るものというべきである。被告書籍においては,引用部分7及び8には,「(京城三坂小学校記念文集編集委員会,二四二,四一二)」と記載されるのみであり,被告書籍巻末の参考文献一覧に掲げられた「京城三坂小学校記念文集編集委員会編『鉄石と千草』三坂会事務局,一九八三年」と併せることで当該記載の出典を特定し得るものの,当該記載の執筆者の氏名は記載されていない。しかし,本件文集には被引用部分7及び8に執筆者(寄稿者)の氏名が明記されており,本件文集は1500部が発行され,東京都千代田区神田神保町の新刊書販売書店で入手可能であったというのであるから,被告書籍に記載された本件文集の出典頁から,被引用部分7及び8の執筆者(寄稿者)を知ることが困難とはいえない。このような点を考慮すれば,被告書籍における引用部分7及び8の記述は,被引用部分7及び8の各執筆者(寄稿者)との関係では名誉毀損に該当する余地があるといえないでもないが,控訴人らは,いずれも当該被引用部分の執筆者(寄稿者)ではないから,引用部分7及び8の記載が控訴人らとの関係で名誉毀損を構成するものとは認められない。
また,控訴人らは,被告書籍における引用部分1ないし8の記載は,三坂小学校の社会的評価を低下させるものであり,同時に,同小学校の卒業生である控訴人らの社会的評価をも低下させるものであると主張する。 しかし,引用部分1ないし6の記載は,1931年以降,朝鮮半島の小学校においても当時の軍国主義的な世情を反映した状況にあり,三坂小学校もその例外ではなかったことを記述するものではあるが,同小学校や同小学校の当時の在校生あるいは卒業生を非難し,その社会的評価を低下させるようなものとは認められない。引用部分7及び8は,戦前の朝鮮半島在住者が現在において過去の行動に対してどのような態度をとっているかを記述したものであるから,被引用部分7及び8の各執筆者(寄稿者)の当該執筆時における認識等を非難するものとは解し得ても,三坂小学校や同小学校の当時の在校生あるいは卒業生を非難し,その社会的評価を低下させるようなものとは解されない。
以上によれば,被告書籍の記載が控訴人らとの関係で名誉毀損に該当する旨をいう控訴人らの主張は,採用できない。
(3)
名誉感情の侵害について
上記(2)において判示したとおり,被告書籍における引用部分1ないし6は,特定の個人の人格を評価したり,行動を非難したりするものではなく,三坂小学校や同小学校の当時の在校生あるいは卒業生を非難等するようなものでもないから,これらの引用部分が控訴人らの名誉感情を害するものとは認められないし,また,被告書籍における引用部分7及び8は,被引用部分7及び8の各執筆者(寄稿者)の名誉感情を害するものではあり得るにしても,それ以外の特定の者や,三坂小学校や同小学校の当時の在校生あるいは卒業生を非難等するものではないから,控訴人らの名誉感情を害するものとは認められない。】
(4) 小括
以上のとおり,被告Dの行為が名誉毀損にも名誉感情の侵害にも当たらない以上,被告会社の行為も不法行為には当たらない。よって,名誉毀損及び名誉感情の侵害を理由とする請求は,いずれも理由がない。
4 結論
以上の次第で,その余の点について判断するまでもなく,原告らの請求はいずれも理由がないからこれらを棄却することとして,主文のとおり判決する。
[控訴審]
当裁判所も,控訴人らの請求はいずれも理由がなく,棄却すべきものと判断する。その理由は,次のとおり付加補正するほか,原判決記載のとおりであるから,これを引用する。
1 争点(1)(編集著作物の著作者の権利の有無)について
(略)
(2)
控訴人X1は,編集著作物においては,編集者の特定の思想・目的に基づく素材の選択・配列の独自性が保護されるのであり,当該編集物につき保護されるべき著作者人格権もまた,編集者の独特の思想・目的に起因するものであるから,編集著作物の部分を構成する著作物が個別に利用されたにすぎない場合でも,その利用の態様が個別の著作物のみならず,編集者の独特の思想・目的に反し又はこれを侵害するような態様ならば,編集者自身が著作者人格権に基づいて侵害を排除できる旨を主張する。
しかしながら,編集著作物は,素材の選択又は配列に創作性を有することを理由に,著作物として著作権法上の保護の対象とされるものであるから,編集者の思想・目的も素材の選択・配列に表れた限りにおいて保護されるものというべきである。したがって,編集著作物を構成する素材たる個別の著作物が利用されたにとどまる場合には,いまだ素材の選択・配列に表れた編集者の思想・目的が害されたとはいえないから,編集著作物の著作者が著作者人格権に基づいて当該利用行為を差し止めることはできない。
本件においては,被告書籍中における本件文集の利用態様は,あくまで本件文集を構成する個々の著作物の一部のみを個別に取り出して引用するというものであるから,素材の選択・配列に表れた編集者の思想・目的を侵害するものとはいえない。したがって,控訴人X1の主張するその余の点につき判断するまでもなく,同控訴人の編集著作物の著作者の権利に基づく請求は,理由がない。
2 争点(2)(共同著作物の著作者の権利の有無)について
控訴人X1は,被告書籍における被引用部分2の利用につき,他人の著作物からの引用であることを明示して引用するものである限り,当該部分それ自体が文章としての創作性を有するか否かを問わず,勝手な改変・要約や元の著作物全体の趣旨・目的に明らかに反する趣旨での引用を行うことは許されない旨を主張する。
しかしながら,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号参照),著作物中のアイデア,事実など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性のない部分を利用する行為に対しては,著作権法上の権利は及ばないものと解すべきである(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決参照)。
本件においては,被引用部分2は,本件文集中の「多元座談会 三坂校の終焉Ⅰ 第一部」におけるAの発言中の「献金も月に五銭。」との部分であるが,当該被引用部分は単に事実を述べたものにすぎず,同部分に創作性があるとも認められない(被告書籍が引用部分2において,文末の括弧内に本件文集を記載しているのは,当該事実を認定した根拠たる資料を特定する意味で掲記しているにすぎない。)。したがって,控訴人X1の主張するその余の点につき判断するまでもなく,同控訴人の共同著作物の著作者の権利に基づく請求は,理由がない。