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著作権判例セレクション

【著作物の定義】「『創作』とは『模倣』でないことを意味する」とした事例/「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」(法10条2項)の意義/無名著作物・変名著作物の意義/その他

昭和471011日東京地方裁判所[昭和44()9353]
二 原告民青同盟が、その主張の新聞、雑誌に、別表掲記の各手配、論文を掲載したことは、当事者間に争いがない。
被告らは、この手記、論文は、文芸、学術若くは美術の範囲に属する独創性を有する精神的作品にはあたらないから、著作権法によつて保護される著作物とはいえない旨主張する。
著作権法によつて保護される著作物とは、文芸、学術、美術もしくは音楽の範囲に属する思想、感情の創作すなわち精神的知的創作と解され、これを言い換えれば、法律によつて保護の対象から除外されたもの(著作権法第10条第2項、第13条、旧著作権法第11条)以外の、真善美その他、人間社会における価値に関して表現されたすべての思想、感情の創作をいうのであつて、このような思想、感情の創作である限り、それは、文芸、学術、美術もしくは音楽のいずれかの範囲に属せしめて解することができ、この範囲は、その分類形態を示すものということができる。そして、「創作」とは「模倣」でないことを意味するものと解すべきである。ところで、成立に争いのない(証拠)によれば、本件27篇の手記、論文はいずれも単なる事実の列記ではなく、原告民青同盟に属する同盟員の労働者としての立場からする経験またはその利害関係あるいは生活要求に根ざした意識に基づく真・善・幸福追及に関して表現された思想、感情を内容とするものであることが認められ、これらが、模倣であるとする資料のない本件では、いずれも文芸、学術の範囲に属する思想、感情の創作といわなければならない。被告らの、著作物ではないとする主張は、採用できない。
被告らは、また、本件手記、論文は、いずれも、新聞紙または雑誌に掲載した雑報または時事を報道する記事にあたるから、著作権の目的にはならない旨主張する。
本件に適用のある著作権法第10条第2項にいわゆる「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道」(著作権法附則第2条第1項、第17条。なお、旧著作権法第11条第2号においては「新聞紙又ハ雑誌ニ掲載シタル雑報及時事ヲ報道スル記事」)とは、単なる日々の社会事象そのままの報道記事をいうものと解すべきであるところ、前記のとおり、本件手記、論文は、作者が労働者としての立場から自己の経験またはその利害関係あるいは生活要求に根ざした意識に立脚して人間社会における価値に関して表現された思想、感情を内容とするものであるから、単なる日々の社会事象そのままの報道記事にあたらないことが明らかである。被告らの主張は採用できない。
そこで、(証言等)の結果を総合すると、原告民青同盟から依頼され、あるいは投稿された本件各手記、論文は、いずれも同盟員である原作者が、中央委員会新聞編集委員会、同雑誌編集委員会において定めた規約により、各著作物に関する著作財産権を中央委員会ひいて原告民青同盟に帰属させることを承知のうえで、これらを著作して、その原稿を原告民青同盟に交付しているものであることが認められ、この認定を左右する証拠はない。そうだとすると、本件各手記、論文についてはいずれも著作者から原告民青同盟に原稿が引き渡された時に、該各著作物に関する著作財産権は、原告民青同盟に移転し帰属したものといわなければならない。
なお、ここで、別表…の15篇の手記が、無名または変名の著作物にあたるかどうかについて検討する。
無名著作物とは、著作物のいずれの場所にも著作者の実名、変名を問わず、社会通念上一切の著作者名を表示していない著作物をいい、変名著作物とは、著作者の実名またはこれと同視すべき名称以外のものが、実名に代えて用いられた著作物をいうものと解するのが相当であるところ、(証拠等)によれば、別表のA―3の著作物には、「東京K代議員」と表示され、「東京」の文字は「K代議員」の文字より小さく表示されていることが認められるから、東京選出の代議員であるKなる者の著作物であるというべく、実名の著作物とするのが相当であり、(証拠等)によれば、別表のA―4の著作物は「東京横河電機」、同B―1の著作物は、「兵庫中央市場班」、同B―2は「大阪L」、同C―6は「I居住班」とそれぞれ民主青年新聞中の見出し部分に表示されているが、これらは、いずれも民主青年新聞の記者が取材したものであつて、前記各表示は、記者の取材対象を特定する意味を有するに過ぎず、取材記者の実名、変名の表示がないから、これらは、いずれも無名の著作物というべく、(証拠等)によると、別表のA―5は「福岡・M班」、同A―8は「東京・目黒・M班」、同D―2は「(N)」、同D―3は「岩見沢・青年学習会」、同D―4は「東京「社会学入門」学習会」とそれぞれ民主青年新聞の「見出し」欄に表示されているが、これらは、いずれも原告民青同盟の通信員または同盟員の投稿であつて、当該通信員または同盟員の表示がなく、それぞれの属する同盟組織についての取材報告であることが認められるから、前記各表示は、いずれも著作者の表示を欠く無名著作物とするのが相当であり、(証拠)によれば、別表のB―3、D―1、D―7の各著作物は、いずれも全くの無名であることが明らかであり、(証拠等)によれば、別表のA―10には、見出し欄に別表記載の題名を掲記しているほかに「全金プリンス田口くんの日記から」と表示され、本文の中に、その日記を紹介する前に、日記の作者は「田口行男くん(仮名)二〇才」と表示され、これを全体として記者が作つているものであることが認められるから、日記そのものは田口行男なる者の変名著作物であるが、この記事自体は無名著作物といわなければならない。そして、(証拠等)によれば、別表のC―2には、民主青年新聞中の見出し部分に「東京F居住班」と表示されているが、これは通信員または同盟員の投稿で、その著作物の内容は、東京F居住班の「班長Sさんに話してもらいました」と記述して、同人の話の内容を主体として構成されていることが認められるから、この作品の著作者は、東京F居住班の班長のSなる者と見るのが相当であつて、変名著作物といつてよい。
ほかに以上の認定を左右するに足りる証拠はない。
三 次に、被告Gが発行者となり、被告会社を発行所とし、被告らは共同して、昭和42121日、単行本「民青の告白(副題「職場の中から30人の手記」)」第一刷を発行し、同書中に別表掲記の題名の文章27篇を掲載したことは、当事者間に争いがない。
被告らは、「民青の告白」は、「編者解説」が主体であつて、前記別表掲記の題名の文章を収録したのは、正当な範囲内の節録引用であるから著作権侵害にはならない旨主張する。成立に争いのない(証拠等)によれば、「民青の告白」には、本件27篇の手記、論文が、別表掲記のとおり、そつくりそのまま、または一部削除あるいは一部削除とともに一部加入されて、他の8篇とともに、「第一、大経営のなかの民青」と題して12篇、「第二、中小企業のなかの民青」と題して4篇、「第三、経営侵入の拠点・居住班」と題して7篇収録され、各篇の直後に「編者解説」と題して説明文が施され、次いで「第四、内部ではどんな教育が行なわれているか」と題し、この題の次に「編者解説」として説明文が施され、続いて7篇の手記、論文を掲記し、「第五、日共や民青幹部は民青をどうみているか」と題し、5篇が収録されて各篇の後に「編者解説」として説明文が掲げられ、次いで「第六、新らしい行動指針について(文献と指令)」として9種の資料が登載されていることが明らかであつて、この本の構成態様からすると、本件27篇の手記、論文をも含めて手記、論文、文献、指令を編集したものであることは明らかである。ところで、著作権法附則第17条により本件に適用のある旧著作権法第30条第1項第2号にいわゆる「自己ノ著作物中ニ正当ノ範囲内ニ於テ節録引用スルコト」とは、自己の著作物中において従たる構成資料として、社会通念ないし公正な慣行上これを引用することが必要であると認められ、かつ、その必要とする範囲内で、公表された他人の著作物を自己の著作物の一部として利用することをいうものと解すべきであるから、前記「民青の告白」の構成態様からすれば、本件「民青の告白」に登録した27篇の手記、論文は、「民青の告白」の従たる資料とはいい難く、むしろ、その主要な構成資料であることは、その副題である「職場の中から30人の手記」が示すとおりであつて、とうてい正当な範囲の節録引用とはいいえない。ほかに、これを別異に解すべき資料はない。
被告は、被告の主張3の中段において、「民青の告白」では、引用した著作物の出所を明示しているとして、あたかも正当な引用にあたるかのように主張するが、出所の明示は、正当な引用の場合でも当然要請される事柄であつて出所を明示したからといつて、不正当な引用が正当化されるものではないから、とうてい採用できない。
そうだとすると、被告らは、「民青の告白」の発行により、原告民青同盟の各著作財産権を侵害したものといわなければならず、この侵害行為につき、少くとも過失があつたものというべきことは、出版界の当時の状況に照らし容易に推認できるところである。したがつて、被告らは、この侵害行為によつて原告民青同盟の被つた損害を共同して賠償すべき義務がある。
(以下略)