Kaneda Legal Service {top}
著作権判例セレクション
【最高裁判例】商標権侵害の主張が権利の濫用に当たるとされた事例
▶平成2年7月20日最高裁判所第二小法廷[昭和60(オ)1576]
一 原審の適法に確定した事実関係は、次のとおりである。
1 原審脱退被控訴人(第一審原告)は、繊維製品の製造、卸販売を業とし、昭和33年6月26日商標登録出願、同34年6月12日設定登録、同54年11月29日存続期間の更新登録、指定商品を第36類「被服、手巾、釦鈕及び装身用ピンの類」とする登録番号第536992号の商標権(以下「本件商標権」といい、その商標を「本件商標」という。)を、同44年12月ころ、商標登録を受けたDから譲り受けていたが、被上告人は同59年4月17日、原審脱退被控訴人から本件商標権を譲り受け、同年7月30日その移転登録がされた。被上告人は、右移転登録に伴い、本件が原審に係属中の同59年9月4日、原審脱退被控訴人の上告人に対する一切の損害賠償債権を譲り受けた。
2 上告人は、第一審判決別紙目録(二)記載の乙標章及び同目録(三)記載の丙標章を付した、本件商標の指定商品に当たるマフラー(以下「被告商品」という。)を、昭和57年暮までの間販売していた。
3 本件商標は、「POPEYE」の文字を上部に、「ポパイ」の文字を下部にそれぞれ横書し、その中間に、水兵帽をかぶって水兵服を着用し顔をやや左向きにした人物がマドロスパイプをくわえ、錨を描いた左腕を胸に、手を上に掲げた右腕に力こぶを作り、両足を開き伸ばして立った状態に表された、文字と図形の結合から成る。
被告商品の乙標章は、マフラーの一方隅部分に「POPEYE」の文字を横書にして成り、丙標章は、マフラーにつけられた吊り札に、帽子をかぶって水兵服を着用し、顔をやや左向きにして口を閉じた人物が、口にマドロスパイプをくわえ、手を上げた右腕に力こぶを作って得意顔で描かれ、その下部に右上り斜めに「POPEYE」の文字が横書された、図形と文字とから成る。
4 漫画「ポパイ」は、1929年(昭和4年)1月17日、エルジー・クライスラー・シーガーが新聞「ニューヨーク・ジャーナル」に掲載した漫画「THE THIMBLE THEATER」に登場して連載され出すや、たちまち読者の支持を得て、連載のタイトルも「ポパイのシンブル・シアター」となり、作者もこの主人公に実在人物のような愛着を持つようになった。1932年(昭和7年)、マックス・フライシャーの手により映画化されることなどによって、常にマドロスパイプをくわえ、ほうれん草を食べると超人的な腕力を発揮して相手を打ち倒す片目の水夫「ポパイ」は、一個性を持った人物像として、日本国内を含む世界中の人々に親しまれ出した。そして、1938年(昭和13年)にシーガーが死亡した後も、「ポパイ」を主人公とする漫画作家がこれを承継した。1976年(昭和51年)当時の「ポパイ」の漫画作家バッド・サゲンドルフは三代目である。その間、映画、テレビなどを通じて、「ポパイ」の人物像は日本国内を含め、全世界に定着している。
5 アメリカ合衆国の法人であるHインコーポレーテッドは、漫画「THE THIMBLE THEATER」の著作権者であるが、1981年(昭和56年)4月6日、親会社のIコーポレーションに対して右著作権の独占的利用権を許諾し、同社の一部門であるJシンジケート・ディヴィジョンは、株式会社Kに対し、マフラーを含むスポーツ用品に「ポパイ漫画のキャラクター」を複製することを許諾した。上告人は昭和56年夏ころから同57年12月までの間、株式会社Kが右許諾に基づいて製造した被告商品を仕入れて小売店に販売した。
二 第一審において、原審脱退被控訴人が本件商標権に基づいて、上告人に対し被告商品の販売の差止と損害賠償を求めたところ、本件商標権等を譲り受けた被上告人が原審で当事者参加し、本件商標権に基づく被告商品の販売差止と損害賠償を上告人に求めた(原審脱退被控訴人は訴訟から脱退した。)のに対し、原審は右事実関係の下において次のとおり認定判断した上、被告商品の販売の差止と損害賠償の請求を一部認容した第一審判決を変更し、被上告人の請求のうち、108万5100円とその遅延損害金の支払を求める部分を認容し、その余を棄却した。
1 丙標章が吊り札に使用されていて、専ら商標として使用されていることは明らかであるし、乙標章も、いわゆるワンポイントマークとして用いられていて、商品出所表示機能、品質保証機能を有するので、商標としての機能を備えて使用されていることは明らかである。
2 乙標章及び丙標章は、「ポパイ」という称呼を生じさせる点で本件商標と一致し、また、「ポパイ」なる人物を想起させるから、観念でも本件商標と一致する。
したがって、乙標章及び丙標章は本件商標に類似する。
3 商標法29条は、商標権がその商標登録出願日前に成立した著作権と抵触する場合、商標権者はその限りで商標としての使用ができないのみならず、当該著作物の複製物を商標に使用する行為が自己の商標権と抵触してもその差止等を求めることができない旨を規定していると解すべきである。丙標章は、「ポパイ」の人物像を視覚的に表出した図形と、これに付随し一体となって説明的に結合した名称から成るので、原著作物である「THE THIMBLE THEATER」の漫画における想像上の人物である「ポパイ」の複製に当たる。したがって、丙標章は全体として、本件商標権に対する侵害とはならない。
他方、乙標章は「POPEYE」の文字だけから成るが、このような著作物の題名や登場人物の名前は、たとえそれが直ちにキャラクターの姿態を思い浮かべるようなものであっても、著作物から独立した著作物性を持ち得ず、乙標章は著作物の複製とはいえない。したがって、乙標章に関しては、商標法29条によって本件商標権に基づく損害賠償請求を排除することはできない。
4 本件商標登録を無効とする審決が確定していない以上、本件商標登録が公序良俗に反し無効ということはできない。被上告人が「ポパイ漫画のキャラクター」の顧客吸引力にただ乗りする目的で本件商標権を譲り受けたとする上告人主張の事実は認められないのみならず、上告人主張の「ただ乗り」なる概念を「対価を払わずに他人の業績を巧みに利用する」との趣旨だとすれば、それは常に必ずしも違法行為となるとは限らないし、ポパイ漫画のライセンサーであるIコーポレーションが日本で「ポパイ漫画のキャラクター」の商品化事業に乗り出したのは昭和35年ころ以降であって、本件商標の連合商標で「ポパイ」の人物図形と文字とから成る登録商標(登録番号第326206号)の出願がされた昭和14年4月21日当時には、「ポパイ漫画のキャラクター」を登録商標とすることから保護すべき法的利益の対象となるものは存しなかったことなどからすると、被上告人の本件商標権に基づく権利行使が権利の濫用に当たるとすることはできず、ほかに、本件において権利の濫用に該当する事実関係はない。
5 したがって、被上告人の上告人に対する本件商標権侵害に基づく損害賠償請求は、丙標章に関する部分については商標法29条により理由がなく、乙標章に関する部分は、上告人が昭和56年夏ころから同57年暮までに上告人が乙標章を付した被告商品を販売したことにより原審脱退被控訴人の被った108万5100円の限度で理由がある。なお、乙標章に関しても、上告人が将来にわたって被告商品を販売する蓋然性の立証はないので、その差止請求は理由がない。
三 しかしながら、右判断中、被上告人の本件商標権に基づく乙標章に対する権利行使が権利の濫用に当たらないものとした部分は首肯することができない。その理由は次のとおりである。
被上告人は、乙標章は、商標としての機能を備えて使用されていて、かつ本件商標に類似しており、しかも、単に「ポパイ」の漫画の主人公の名称を英文で表したものであるから、「ポパイ」の漫画から独立した著作物性がなく、著作物の複製とはいえないことを理由に、乙標章につき本件商標権に基づいてその侵害を理由に損害賠償を求めることが、本件商標権の行使に当たるとして、本訴請求をしている。しかしながら、前記事実関係からすると、本件商標登録出願当時既に、連載漫画の主人公「ポパイ」は、一貫した性格を持つ架空の人物像として、広く大衆の人気を得て世界に知られており、「ポパイ」の人物像は、日本国内を含む全世界に定着していたものということができる。そして、漫画の主人公「ポパイ」が想像上の人物であって、「POPEYE」ないし「ポパイ」なる語は、右主人公以外の何ものをも意味しない点を併せ考えると、「ポパイ」の名称は、漫画に描かれた主人公として想起される人物像と不可分一体のものとして世人に親しまれてきたものというべきである。したがって、乙標章がそれのみで成り立っている「POPEYE」の文字からは、「ポパイ」の人物像を直ちに連想するというのが、現在においてはもちろん、本件商標登録出願当時においても一般の理解であったのであり、本件商標も、「ポパイ」の漫画の主人公の人物像の観念、称呼を生じさせる以外の何ものでもないといわなければならない。以上によれば、本件商標は右人物像の著名性を無償で利用しているものに外ならないというべきであり、客観的に公正な競業秩序を維持することが商標法の法目的の一つとなっていることに照らすと、被上告人が、「ポパイ」の漫画の著作権者の許諾を得て乙標章を付した商品を販売している者に対して本件商標権の侵害を主張するのは、客観的に公正な競業秩序を乱すものとして、正に権利の濫用というほかない。
これと異なり上告人の権利の濫用の主張を排斥した原判決には、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、その余の上告理由について判断するまでもなく、原判決中上告人敗訴部分は破棄を免れない。そして、以上によれば、乙標章に関する被上告人の本訴請求は理由がないことが明らかであるから、被上告人の本訴請求のうち原判決認容部分は棄却されるべきである。