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著作権判例セレクション
【舞踊無言劇著作物性】「手あそび歌」の振付けの(舞踊の)著作物性を否定した事例
▶平成21年08月28日東京地方裁判所[平成20(ワ)4692]
3 個々の歌詞及び振付けの著作物性(争点3-1)について
(1)
原告は,別紙歌詞・振付け目録記載のとおり,原告書籍に掲載・収録された「いっぽんといっぽんで」,「ピクニック」,「グーチョキパーでなにつくろう」及び「さかながはねて」の各歌詞及び振付け,「キラキラぼし」の振付けは,原告の従業員が独自に創作したものであり,上記各歌詞及び振付けにおける表現は創作性を有するから,いずれも著作物に当たる旨主張するので,順次検討する。
ア 「いっぽんといっぽんで」の歌詞及び振付け
(ア) まず,原告主張の「いっぽんといっぽんで」の歌詞の著作物性について判断する。
a 証拠及び弁論の全趣旨によれば,「いっぽんといっぽんで」は,作詞不詳の外国曲であり,「1本と1本でおやまになって」,「2本と2本でかにさんになって」,「5本と5本でおばけになっておそらにとんでった」などのように,1本と1本,2本と2本,3本と3本,4本と4本,5本と5本と,左右の手の指の本数を組み合わせて動物等の動作を表現し,手あそびをする曲であることが認められる。
また,原告書籍本体には,「いっぽんといっぽんで」について,「指でいろいろなかたちを作って,いきものを表現する手あそびうたです。また,同じ曲で歌詞を変えた『ピクニック』(→P12)では,おいしそうなたべものを指で表現します。どちらも指の数を変えることでバリエーションが生まれるので,ほかにもいろいろ考えてみましょう。」(10頁)との記載がある。
原告が独自に創作したと主張する歌詞は,「いっぽんといっぽんでにんじゃになって」,「さんぼんとさんぼんでねこさんになって」,「よんほんとよんほんでたこさんになって」,「ごほんとごほんでとりさんになっておそらにとんでった」というものであり,既存の歌詞から1本と1本で「にんじゃ」,3本と3本で「ねこさん」,4本と4本で「たこさん」,5本と5本で「とりさん」と置き換えた部分に創作性があるというものである。
そこで検討するに,原告主張の上記歌詞は,左右の手の指の本数を組み合わせて動物等の動作を一節で表現する手あそび歌である「いっぽんといっぽんで」の趣旨に沿った歌詞の一部であり,1本と1本の指を組み合わせて「忍者」,3本と3本の指を組み合わせて「猫」,4本と4本の指を組み合わせて「たこ」,5本と5本の指を組み合わせて「鳥」というアイデアが決まれば,忍者を「にんじゃ」,「猫」を「ねこさん」,「たこ」を「たこさん」,「鳥」を「とりさん」とそれぞれ表現することは,ありふれたものであると認められる。
また,手あそびは,元の歌詞の一部の言葉等を替えるのもあそび方の一つであり,「いっぽんといっぽんで」においても,原告書籍本体の上記記載部分に「指の数を変えることでいろいろなバリエーションが生まれるので,ほかにもいろいろ考えてみましょう。」との記載があるように,原告が創作性があると主張する上記部分は,表現する対象を自由に替えて遊ぶことが想定されている箇所であるといえるから,このような歌詞の一部の表現を著作物として保護するのは相当ではないものと解される。
b したがって,原告主張の上記歌詞は,創作性を有する著作物であるものと認めることはできない。
(イ) 次に,原告主張の前記(ア)の歌詞に対応する振付けの著作物性について判断する。
a そこで検討するに,原告が独自に創作したと主張する振付けは,別紙記載のとおりであるが,以下のとおり,上記振付けは,いずれも誰もが思いつく,ありふれたものであると認められる。
① 原告主張の上記振付けのうち「いっぽんといっぽんでにんじゃになって」の部分は,「いっぽんといっぽんで」の歌詞に合わせて右手と左手の人差し指を一本ずつ立て,「にんじゃになって」の歌詞に合わせて人差し指を立てたまま,右手で左手の人差し指を握る動作をするというものであり,上記歌詞に合わせて左右の指1本ずつで,忍術を使う忍者を表現しようとする場合に,上記のような動作で表現することは,ありふれたものであると認められる。
② 原告主張の上記振付けのうち「さんぼんとさんぼんでねこさんになって」の部分は,「さんぼんとさんぼんで」の歌詞に合わせて猫のひげのように左右の人差し指,中指及び薬指を立て,「ねこさんになって」の歌詞に合わせて猫のひげのように左手の3本の指を左頬に,右手の3本の指を右頬に付ける動作をするというものであり,上記歌詞に合わせて左右の指3本ずつで,ひげのある猫を表現しようとする場合に,上記のような動作で表現することは,ありふれたものであると認められる。
③ 原告主張の上記振付けのうち「よんほんとよんほんでたこさんになって」の部分は,「よんほんとよんほんで」の歌詞に合わせて両手の親指を折り,親指以外の4本の指を立て,「たこさんになって」の歌詞に合わせて両手を下に向け,親指以外の4本の指を動かす動作をするというものであり,上記歌詞に合わせて左右の指4本ずつで,8本の足のあるたこを表現しようとする場合に,上記のような動作で表現することは,ありふれたものであると認められる。
④ 原告主張の上記振付けのうち「ごほんとごほんでとりさんになっておそらにとんでった」の部分は,「ごほんとごほんで」の歌詞に合わせて両手を広げ,「とりさんになって」の歌詞に合わせて両手を身体の両側でひらひらと上下に動かし,「おそらにとんでった」の歌詞に合わせて両手をはばたくように大きく動かす動作をするというものであり,上記歌詞に合わせて左右の5本ずつで,空に飛び立つ鳥を表現しようとする場合に,上記のような動作で表現することは,ありふれたものであると認められる。
b したがって,原告主張の上記振付けは,創作性を有する著作物であるものと認めることはできない。
(ウ) 以上によれば,原告主張の「いっぽんといっぽんで」の歌詞及び振付けは,著作物には当たらない。
イ 「ピクニック」の歌詞及び振付け
(ア) まず,原告主張の「ピクニック」の歌詞の著作物性について判断する。
a 証拠及び弁論の全趣旨によれば,「ピクニック」は,「いっぽんといっぽんで」と同じメロディーで歌詞を異にするバージョンの曲であり,「1と5でたこやきたべて」,「2と5でやきそばたべて」,「4と5でケーキをたべて」,「5と5でおにぎりをつくって」などのように,1本と5本,2本と5本,3本と5本,4本と5本,5本と5本と,左右の手の指の本数を組み合わせてピクニックで食べる食物を作ったり,食べたりする動作を表現し,手あそびをする曲であることが認められる。
原告が独自に創作したと主張する歌詞は,「2と5でおすしをにぎって」,「4と5でアイスをたべて」というものであり,既存の歌詞から2と5で「おすしをにぎって」,4と5で「アイスをたべて」と置き換えた部分に創作性があるというものである。
そこで検討するに,原告主張の上記歌詞は,左右の手の指の本数を組み合わせてピクニックで食べる食物を作ったり,食べたりする動作を一節で表現する手あそび歌である「ピクニック」の趣旨に沿った歌詞の一部であり,2本と5本の指を組み合わせて「寿司を握る」,4本と5本の指を組み合わせて「アイスクリームを食べる」というアイデアが決まれば,上記の歌詞のようにそれぞれ表現することは,ありふれたものであると認められる。
また,手あそびは,元の歌詞の一部の言葉等を替えるのもあそび方の一つであり,「ピクニック」においても,原告書籍本体の前記ア(ア)aの記載部分に「また,同じ曲で歌詞を変えた『ピクニック』(→P12)では,おいしそうなたべものを指で表現します。どちらも指の数を変えることでバリエーションが生まれるので,ほかにもいろいろ考えてみましょう。」との記載があるように,原告が創作性があると主張する上記部分は,表現する対象を自由に替えて遊ぶことが想定されている箇所であるといえるから,このような歌詞の一部の表現を著作物として保護するのは相当ではないものと解される。
b したがって,原告主張の上記歌詞は,創作性を有する著作物であるものと認めることはできない。
(イ) 次に,原告主張の前記(ア)の歌詞に対応する振付けの著作物性について判断する。
a そこで検討するに,原告が独自に創作したと主張する振付けは,別紙記載のとおりであるが,以下のとおり,上記振付けは,いずれも誰もが思いつく,ありふれたものであると認められる。
① 原告主張の上記振付けのうち「2と5でおすしをにぎって」の部分は,「2と5で」の歌詞に合わせて右手は人差し指と中指,左手は5本の指を出し,「おすしをにぎって」の歌詞に合わせて右手の人差し指及び中指をそろえて軽く丸めた左手に当てて,寿司を握るまねをするというものであり,上記歌詞に合わせて2本と5本の指で,寿司を握る様子を表現しようとする場合に,上記のような動作で表現することは,ありふれたものであると認められる。
② 原告主張の上記振付けのうち「4と5でアイスをたべて」の部分は,「4と5で」の歌詞に合わせて右手は親指以外の4本,左手は5本の指を出し,「アイスをたべて」の歌詞に合わせて右手の親指以外の4本の指で左手の手のひらからアイスクリームをすくうまねをするというものであり,上記歌詞に合わせて4本と5本の指で,アイスクリームを食べる様子を表現しようとする場合に,上記のような動作で表現することは,ありふれたものであると認められる。
b したがって,原告主張の上記振付けは,創作性を有する著作物であるものと認めることはできない。
(ウ) 以上によれば,原告主張の「ピクニック」の歌詞及び振付けは,著作物には当たらない。
ウ 「グーチョキパーでなにつくろう」の歌詞及び振付け
(ア) まず,原告主張の「グーチョキパーでなにつくろう」の歌詞の著作物性について判断する。
a 証拠及び弁論の全趣旨によれば,「グーチョキパーでなにつくろう」は,作詞不詳の外国曲であり,「グーチョキパーでグーチョキパーでなにつくろうなにつくろう」との歌詞に続いて,「みぎてがチョキでひだりてもチョキでかにさんかにさん」,「みぎてがチョキでひだりてがグーでかたつむりかたつむり」などのように,左右の手でそれぞれじゃんけんのグー・チョキ・パーの形を作り,これを組み合わせて動物等の動作を表現し,手あそびをする曲であることが認められる。
また,原告書籍本体には,「グーチョキパーでなにつくろう」について,「じゃんけんの“グーチョキパー”を使って,さまざまなものをあらわすことができます。あそびながらどうぶつのすがたや動きなども学べる楽しい手あそびです。子どもたちの好きなどうぶつやたべものでうたったり,ずかんや写真を見せて自由に考えさせたりしてもよいでしょう。」(13頁)との記載がある。
原告が独自に創作したと主張する歌詞は,「みぎてがグーでひだりてがパーでめだまやきめだまやき」,「みぎてがパーでひだりてもパーでおすもうさんおすもうさん」,「みぎてがグーでひだりてもグーでゴリラゴリラ」というものであり,右手のグーと左手のパーを組み合わせて「めだまやきめだまやき」とした部分,既存の歌詞から左右のパーを組み合わせて表現するものを「おすもうさんおすもうさん」に置き換えた部分,左右のグーを組み合わせて「ゴリラゴリラ」とした部分に創作性があるというものである。
そこで検討するに,原告主張の上記歌詞は,左右の手でグー・チョキ・パーの形を作り,これを組み合わせて動物等の動作を一節で表現する手あそび歌である「グーチョキパーでなにつくろう」の趣旨に沿った歌詞の一部であり,グーとパーを組み合わせて「目玉焼き」,左右のパーを組み合わせて「相撲取り」,左右のグーを組み合わせて「ゴリラ」というアイデアが決まれば,上記の歌詞のようにそれぞれ表現することは,ありふれたものであると認められる。
また,手あそびは,元の歌詞の一部の言葉等を替えるのもあそび方の一つであり,「グーチョキパーでなにつくろう」においても,原告書籍本体の上記記載部分に「子どもたちの好きなどうぶつやたべものでうたったり,ずかんや写真を見せて自由に考えさせたりしてもよいでしょう。」との記載があるように,原告が創作性があると主張する上記部分は,表現する対象を自由に替えて遊ぶことが想定されている箇所であるといえるから,このような歌詞の一部の表現を著作物として保護するのは相当ではないものと解される。
b したがって,原告主張の上記歌詞は,創作性を有する著作物であるものと認めることはできない。
(イ) 次に,原告主張の前記(ア)の歌詞に対応する振付けの著作物性について判断する。
a そこで検討するに,原告が独自に創作したと主張する振付けは,別紙記載のとおりであるが,以下のとおり,上記振付けは,いずれも誰もが思いつく,ありふれたものであると認められる。
① 原告主張の上記振付けのうち「みぎてがグーでひだりてがパーでめだまやきめだまやき」の部分は,「みぎてがグーで」の歌詞に合わせて右手でグーを出し,「ひだりてがパーで」の歌詞に合わせて左手でパーを出し,「めだまやきめだまやき」の歌詞に合わせて左手の甲(パー)の上に右手の拳(グー)を載せるというものであり,上記歌詞に合わせて右手のグーと左手のパーを組み合わせて「目玉焼き」を表現しようとする場合に,上記のような動作で表現することは,ありふれたものであると認められる。
② 原告主張の上記振付けのうち「みぎてがパーでひだりてもパーでおすもうさんおすもうさん」の部分は,「みぎてがパーで」の歌詞に合わせて右手でパーを出し,「ひだりてもパーで」の歌詞に合わせて左手でパーを出し,「おすもうさんおすもうさん」の歌詞に合わせて左右の手のひら(パー)を交互に突き出すというものであり,上記歌詞に合わせて左右のパーを組み合わせて「相撲取り」を表現しようとする場合に,上記のように相撲取りが突っ張りをする動作で表現することは,ありふれたものであると認められる。
③ 原告主張の上記振付けのうち「みぎてがグーでひだりてもグーでゴリラゴリラ」の部分は,「みぎてがグーで」の歌詞に合わせて右手でグーを出し,「ひだりてもグーで」の歌詞に合わせて左手でグーを出し,「ゴリラゴリラ」の歌詞に合わせて左右の拳(グー)で交互に胸をたたくというものであり,上記歌詞に合わせて左右のグーを組み合わせて「ゴリラ」を表現しようとする場合に,上記のようにゴリラが胸をたたく動作で表現することは,ありふれたものであると認められる。
b したがって,原告主張の上記振付けは,創作性を有する著作物であるものと認めることはできない。
(ウ) 以上によれば,原告主張の「グーチョキパーでなにつくろう」の歌詞及び振付けは,著作物には当たらない。
エ 「キラキラぼし」の振付け
(ア) 原告主張の「キラキラぼし」の振付けの著作物性について判断する。
証拠及び弁論の全趣旨によれば,
「キラキラぼし」は,作詞不詳のフランス民謡であり,手の平を星に見立て,夜空に浮かんだ星がきらきら光る様子を,手をひらひら動かすことで表現する手あそび歌であることが認められる。
また,原告書籍本体には,「キラキラぼし」について,「夜空にうかんだおほしさまがきらきらひかるようすを,ひらひら手を動かすことで表現します。“おおきなほし”ではうでを大きくふり,“ちいさなほし”では手をかわいらしくふって,それぞれのイメージに合った動きでうたってみましょう。」(108頁)との記載がある。
原告が独自に創作したと主張する振付けは,別紙目録記載のとおり,堀野真一が作詞した「キラキラひかる
おおきなほしは たのしいうたを うたっているよ ピカピカひかる ちいさなほしと」の歌詞(堀野の歌詞)に合わせた振付けであり,「キラキラひかる」との歌詞に合わせて両手を頭上に挙げて両手首を回す,「おおきなほしは」の歌詞に合わせて両手を挙げたまま左右に振る,「たのしいうたを」の歌詞に合わせて手を順番に胸の前で交差させ首を左右に揺らす,「うたっているよ」の歌詞に合わせて手を順番に口の横に当て,首を左右に揺らす,「ピカピカひかる」の歌詞に合わせて両手を胸の高さに挙げて両手首を回す,「ちいさなほしと」の歌詞に合わせて両手を挙げたまま左右に振るというものである。
そこで検討するに,堀野の歌詞は,キラキラ光る大きな星が,ピカピカ光る小さな星と一緒に,楽しい歌を歌っているという内容のものであり,この歌詞に合わせた振付けを考えた場合,星がキラキラあるいはピカピカと光る様子,キラキラ光る大きい星とピカピカ光る小さい星との対比,楽しい歌を歌う様子を表現する振付けになるものと解される。そして,「キラキラひかる」や「ピカピカひかる」の上記歌詞に合わせて両手首を回すことは,星が瞬く様子を表すものとして,誰もが思いつくようなありふれた表現であり,また,「キラキラひかるおおきなほし」と「ピカピカひかるちいさなほし」の対比として,前者では両手を高く上げて腕を大きく振り,後者では,胸の高さに挙げた両手を小さく振ることも,大小の対比として自然に思いつく,ありふれた表現であると認められる。さらに,「うたっているよ」の上記歌詞に合わせて手を順番に口の横に当て,首を左右に揺らすことも,歌っていることを示す動作として,ありふれた表現であると認められる。
そして,「たのしいうたを」の上記歌詞に合わせて,両手を胸の前で交差させて首を左右に揺らすことについては,原告書籍より前に発行されたポプラ社書籍に掲載された「キラキラぼし」において,「おそらのほしよ」との歌詞に合わせて右手と左手を順に交差させて胸に当て,体を左右に揺らす動作が記載されていること(61頁)からすれば,両手を胸の前で交差させ,体を左右に揺らす動作は格別な表現ではなく,上記振付けは,ポプラ社書籍記載の上記動作と左右に揺らす部位が首であること及び対応する歌詞に違いがあるものの,特段創作性があるものとは認められない。
したがって,原告主張の上記振付けは,創作性を有する著作物であるものと認めることはできない。
(イ) 以上によれば,原告主張の「キラキラぼし」の振付けは,著作物には当たらない。
オ 「さかながはねて」の歌詞及び振付け
(ア) まず,原告主張の「さかながはねて」の歌詞の著作物性について判断する。
a 証拠及び弁論の全趣旨によれば,「さかながはねて」は,「作詞・作曲
中川ひろたか」の曲であり,「さかながはねてピョン」との歌詞に続いて,「あたまにくっついたぼうし」,「おへそにくっついたでべそ」などのように,魚が泳ぐような動きからジャンプして人の体の一部にくっつく様子を両手で表現し,手あそびをする曲であることが認められる。
また,原告書籍本体には,「さかながはねて」について,「手で魚の泳ぐようすを表現しながらうたいます。はねるところは,元気いっぱいにおもいきり手を動かしましょう。はねたあとは“おくちにくっついた,マスク”など,ほかにも好きなところに手をくっつけて,自由にあそぶことができます。」(42頁)との記載がある。
原告が独自に創作したと主張する歌詞は,「あたまにくっついたうさぎ」,「おしりにくっついたパンツ」というものであり,「さかながはねてピョン」との歌詞に続く,上記部分に創作性があるというものである。
そこで検討するに,原告主張の上記歌詞は,魚が泳ぐような動きからジャンプして人の体の一部にくっつく様子を両手で表現する手あそび歌である「さかながはねて」の趣旨に沿った歌詞の一部であり,両手を頭につけて「うさぎ」を,両手を尻につけて「パンツ」を表現するというアイデアが決まれば,上記の歌詞のようにそれぞれ表現することは,ありふれたものであると認められる。
また,手あそびは,元の歌詞の一部の言葉等を替えるのもあそび方の一つであり,「さかながはねて」においても,原告書籍本体の上記記載部分に「はねたあとは“おくちにくっついた,マスク”など,ほかにも好きなところに手をくっつけて,自由にあそぶことができます。」との記載があるように,原告が創作性があると主張する上記部分は,表現する対象を自由に替えて遊ぶことが想定されている箇所であるといえるから,このような歌詞の一部の表現を著作物として保護するのは相当ではないものと解される。
b したがって,原告主張の上記歌詞は,創作性を有する著作物であるものと認めることはできない。
(イ) 次に,原告主張の前記(ア)の歌詞に対応する振付けの著作物性について判断する。
a そこで検討するに,原告が独自に創作したと主張する振付けは,別紙記載のとおりであるが,以下のとおり,上記振付けは,いずれも誰もが思いつく,ありふれたものであると認められる。
① 原告主張の上記振付けのうち「あたまにくっついたうさぎ」の部分は,「あたまにくっついたうさぎ」の歌詞に合わせて両手をうさぎの耳のように頭の上に立てるというものであり,上記歌詞に合わせて両手を頭につけて「うさぎ」を表現しようとする場合に,上記のような動作で表現することは,ありふれたものであると認められる。
② 原告主張の上記振付けのうち「おしりにくっついたパンツ」の部分は,「おしりにくっついたパンツ」の歌詞に合わせて突き出した尻に両手を当てるというものであり,上記歌詞に合わせて両手を尻につけて「パンツ」を表現しようとする場合に,上記のような動作で表現することは,ありふれたものであると認められる。
b したがって,原告主張の上記振付けは,創作性を有する著作物であるものと認めることはできない。
(ウ) 以上によれば,原告主張の「さかながはねて」の歌詞及び振付けは,著作物には当たらない。
(2)
以上のとおり,原告主張の個々の歌詞及び振付けは,いずれも著作物に当たらないから,上記歌詞及び振付けについて著作権侵害が成立する余地はない。
したがって,その余の点について判断するまでもなく,原告の上記歌詞及び振付けの複製権侵害を理由とする差止請求及び損害賠償請求は理由がない。