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著作権判例セレクション
【権利濫用】権利濫用を否認した事例(編者が出版社からの序文・あとがきの修正申入れを拒絶したという事情があった事例)
▶昭和55年09月17日東京地方裁判所[昭和44(ワ)6455]
七 権利濫用の主張の成否
1 (証拠等)によれば、次の事実が認められる。
(略)
2 以上の認定事実に基づいて、権利濫用の主張の当否について判断する。被告両名は、「原告が、その執筆にかかる序文ないしはあとがきの原稿内容を修正されたい旨の被告両名の申入れに対し表現の自由を楯にとつて耳を藉さず、当初は原告の承諾もあつて着々と進められてきた「新版地のさざめごと」の出版発売の日程がさし迫つているにもかかわらず、これを無視して、自己の意見に固執して止まなかつたため、被告両名は、切迫した事態に追い込まれ、やむをえず、「新版地のさざめごと」の出版にふみ切つたのであつて、このような事情のもとでの本訴各請求は権利の濫用として許されない」旨主張する。
なるほど、書籍に掲載される序文あるいはあとがきは、その内容如何によつてはその書籍の解説となり、また、当該書籍の性格を決定づける重要な役割を果たすことにもなるから、序文あるいはあとがきの内容については出版社(者)としても無関心ではありえないであろう。しかしながら、元来著作物ないし編集著作物は、当該著作者ないし編集者の思想又は感情の表現であり主張であることに徴すれば、著作者が自己の著作物ないし編集著作物に掲載すべく執筆した序文あるいはあとがきは、著作物ないし編集著作物と一体をなすものとして、右表現あるいは主張と不可分の関係にあるものといえるから、対出版社の関係でも、その序文あるいはあとがきの内容如何にかかわらず、最大限尊重されるべきものであつて、著作者ないし編集者が、自己の執筆にかかる序文あるいはあとがきについての出版社からの修正の申入れを拒絶することは何ら非難されるべきことではなく、却つて著作者ないし編集者としては、この申入れに対しては後記特段の事情のない限り、これを拒絶しうるものというべく、しかして、出版社としても、出版事業に対する考え方等に基因して一定の立場ないし方針を有しているものであることは推察するに難くなく、著作者ないし編集者との間の出版権設定ないし出版許諾の合意の後に執筆された序文あるいはあとがきの内容(この重要性は前述のとおり)が当該出版社の立場ないし方針と合わないにもかかわらず、これを掲載して当該著作物ないし編集著作物を出版することを右合意の効果として強制されるいわれはないというべきであつて、してみれば、著作者ないし編集者の執筆した序文あるいはあとがきについて、出版社がこれを修正しない限り出版できない旨確定的に申入れ、著作者ないし編集者が右修正を拒絶した時点において、著作者ないし編集者と出版社との間で予めなされた当該著作物ないし編集著作物に関する出版権設定ないし出版許諾の合意の効力は当然に失われる(したがつて、出版社は当該著作物ないし編集著作物を出版することができなくなることもちろんである。)と解するを相当とする。
そして、著作者ないし編集者が出版社からの序文あるいはあとがきの修正の申入れを拒絶することができない右特段の事情とは、例えば著作者ないし編集者が出版社の出版を妨害するため害意をもつてことさら右修正の申入れを拒絶したとき、あるいは出版社において当該書籍を出版すべき緊急の必要性があるときなどをいうのであつて、これら特段の事情が認められない限り、自己の執筆にかかる序文あるいはあとがきについての修正申入れを拒絶した著作者ないし編集者が、右序文あるいはあとがきを掲載しないまま当該著作物ないし編集著作物を複製出版する出版社に対して、著作権ないし編集著作権の侵害あるいは著作者人格権ないし編集著作者人格権の侵害を理由にその出版の差止等を請求することは何ら権利の濫用には当たらないといわなければならない。
これを本件につきみると、「新版地のさざめごと」を出版することについての予めの取決が、本件編集物の編集者でもなく、編集著作権を有する者でもない被告連合会と被告会社との間でなされた点はともかくとしても、原告がその執筆にかかる序文ないしあとがきの原稿の内容についての修正の申入れを拒絶したことにつき、被告会社による「新版地のさざめごと」の出版を妨害するためことさら拒絶したという害意があつたことを認めるに足る証拠はなく、却つて前記認定事実によつて認められる「新版地のさざめごと」出版の経緯に照らせば、原告には被告会社による「新版地のさざめごと」の出版をことさら妨害する害意はなかつたことが認められる。また、被告会社において「新版地のさざめごと」を出版すべき緊急の必要性があることについては、これを肯認するに足る証拠はない。もつとも、証人Iの証言によれば、被告会社は、「新版地のさざめごと」の出版に関連して宣伝広告費を投じたことが認められるけれども、その額は必ずしも明らかでないばかりでなく、仮にいくばくかの宣伝広告費を支出したとしても、そのような財産的出捐の事実のみをもつて直ちに右緊急の必要性があるとは解し難い。他に前記特段の事情の存在を認めるに足る証拠はない。
(なお、前記原告執筆にかかる序文ないしはあとがきの内容について付言すると、本件のような戦没者の遺稿などを収録してある遺稿集については、その序文あるいはあとがきの内容が戦没者あるいは遺稿などの提供者の心情とかけ離れるような内容のものであつてはならないことは、その遺稿集の性質上これを肯認しうるとしても、それは序文あるいはあとがきの執筆者自身が個々の戦没者あるいは遺稿などの提供者に対して配慮すべき事柄であるというべく、遺稿などの提供者でない被告会社が序文あるいはあとがきの内容について被告会社の意向に沿わないとか戦没者あるいは遺稿などの提供者の心情とかけ離れ又は心情にそぐわないとして、(遺稿集の出版を断る―これが許されることは前記のとおり。―というのであれば格別)原告に対しその修正を強いるに由ない筋合であり、この理は、被告連合会についても同様である。)
してみると、本件編集物の共同編集者の一人である原告が、前記認定のとおり、本件編集物を「新版地のさざめごと」として複製出版することを当初容認し、引続いてこれに関与していたとしても、自己の執筆にかかる序文ないしはあとがきの内容の修正を執拗に求められるに及んで、これを拒絶して「新版地のさざめごと」出版についての予めの取決(これが原告を拘束するものであつたとして)を失効せしめ、被告両名に対し、右序文ないしはあとがきを掲載しないままの形で「新版地のさざめごと」を出版することを許諾せず、編集著作権及び編集著作者人格権の侵害を理由にその出版の差止等を請求することは適法な権利の行使であつて、これを目して権利の濫用とは到底いいえない。
よつて、権利濫用の主張は採用することができない。