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著作権判例セレクション
【言語著作物】「日照権」に関する書籍の著作物性及び侵害性が問題となった事例
▶昭和53年06月21日東京地方裁判所[昭和52(ワ)598]
第一 本訴について
一 原告が原告書籍[注:「日照権―あすの都市と太陽―」と題する書籍](初版発行日 昭和48年3月27日)の著者であること、被告らが共同して昭和49年1月25日、被告Aを著者とする被告書籍[注:「日照紛争と環境権―その理論と実務―」と題する書籍]の初版第一刷を発行し、その後第二、第三刷を発行して現にこれを販売、頒布していること及び原、被告書籍中にそれぞれ一覧表B欄並びにA欄記載の各記述があることは、当事者間に争いがない。
二 (証拠等)を総合すれば、原告は、昭和35年裁判官に任官し、昭和46年これを退官した後は弁護士の職にある者であるが、裁判官在任中の昭和40年末頃からいわゆる日照問題に関心を懐き、ことに右退官後は本格的にこの問題の研究と取り組むようになり、多数の論文及び判例批評等を発表してきたこと、原告はこの間に修得した知見等に基づき、昭和47年8月頃から原告書籍の原稿の作成に取りかかり、翌48年1月初め頃これを脱稿、完成したこと、原告の右書籍における見解はいわゆる日照権説として学問的議論の対象とされるに至つていることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
右認定事実に(証拠)を合わせ考えれば、原告は原告書籍の著者兼著作権者であつて、同書中の一覧表B欄記載の各記述はいずれも日照問題に関する原告の思想を創作的に表現したものであることを認めるに十分である。
被告らは、右の各記述には著作物性がないとし、その根拠として、これらの記述は公知の事実又は一般常識に属する事柄を内容とするものであるから創作性がなく、思想又はその体系というべきものも見出し難いと主張する。しかしながら右各記述のすべてが公知の事実又は一般常識に属する事柄を内容とするものというのは当たらない。のみならず、著作物性を肯定するための要件たる創作性は、表現の内容である思想について要求されるのではなく、表現の具体的形式について要求されるものであり、公知の事実又は一般常識に属する事柄についても、これをいかに感得し、いかなる言語を用いて表現するかは各人の個性に応じて異なりうること論を俟たないから、右記述中に公知の事実等を内容とする部分が存在するとしても、これをもつて直ちに創作性を欠くものということはできず、その具体的表現に創作性が認められる限り、著作物性を肯定すべきものと解するのが相当である。また、前記各記述が思想の表現に該当することは前に説示したとおりである。
次に、被告らは、前記各記述が原告独自のものではないと主張し、(証拠)を援用する。そして、成立に争いのない右乙号各証には、前記各記述のうち一覧表B欄2及び3の記述とほぼ同一のテーマを扱つた記述部分が見受けられるけれども、その具体的表現において彼此類似するものとは到底いい難いから、右の各書証をもつて一覧表B欄2及び3の記述もしくはB欄全部の記述の独自性を否定すべき資料とはなしえない。また、被告会社代表者Eの供述中には、前記各記述は官公庁の文書等を引用したものではないかと思うとの部分があるが、これは同人の憶測にすぎないことは同供述から明らかであるので、右供述部分から、前記各記述が官公庁の文書等を引用したものとは認め難く、ほかにこれらの記述の独自性を疑わせる証拠もない。
三 そこで、被告書籍中の一覧表A欄記載の各記述が、原告書籍中の同表B欄記載の各記述を複製、利用したものであるか否かにつき判断する。
まず、一覧表の記載に基づき、原、被告書籍中の各対応部分を比較対照してみると、これらの各対応する記述は、いずれも叙述の順序、用語の選択、いいまわし等文章表現上の各要素において殆んど一致するか又は極めて類似しており、就中、用語の選択における類似性の顕著であることが看取されるのであり、両者が極めて限られた範囲のテーマに関する記述であることを参酌し、かつその著述に当たり、大同小異の素材ないし資料を用いたと仮定しても、これほど似かよつた文章表現が別個独立に作出されるとは到底考えられないこと吾人の経験則上明らかといわざるをえない。そして、被告書籍であることにつき争いのない検甲第二号証及び被告会社代表者Eの供述によれば、被告書籍120頁には神戸地方裁判所尼崎支部昭和48年5年11日付仮処分決定が掲載され、その出典として判例時報第702号(同年6月21日発行号)19頁が引用されていること、もつとも、出版界の慣行として、出版物には現実の発行日より概ね10日位先の日付がその発行日として記載される例であることが認められ、右認定事実に被告本人Aの供述を総合すれば、被告Aが被告書籍の原稿を完成したのは早くとも昭和48年6月10日過ぎであつたことが認められ、一方、原告書籍の初版発行日が同年3月27日であることは前述のとおりであるから、被告Aは被告書籍の原稿の作成に当たり、原告書籍を参照したことが明らかである。
以上の点を合わせ考えれば、被告Aは被告書籍中の一覧表A欄記載の各記述を作成するに当たり、原告書籍を参照し、このうち一覧表B欄記載の各記述を原告に無断で複製、利用したものと推認するを相当とする。被告本人Aの供述中、同被告は被告書籍の原稿を作成した当時、原告書籍の存在を知らなかつたとの部分は、同部分以外の同被告の供述、検甲第二号証の前示記載及び本項冒頭の説示に照らして、にわかに信用できない。もっとも、(証拠等)を総合すれば、弁護士である被告Aも従前から日照問題の研究に取り組み、著述活動に従事する傍ら、昭和47年頃から株式会社企業開発研究所等の主催するセミナーの講師としてしばしば右の問題に関する講演を行つたり、日本弁護士連合会公害対策委員会の委員を勤めるなどして研鑽を積んでいたことが認められるけれども、これらの事情も到底前記認定を覆えすに足りず、ほかにこの認定を左右する証拠もない。
ところで、被告らは、著作権侵害の成否は、総合的、全体的考察に基づき、一方の独創性ある思想が他方に盗用されているか否かにより決すべきであり、原告主張のように、部分的かつ枝葉末節の記述の類似性をもつて侵害と決めつけるのは不当であるなどと主張する、右主張はその趣旨必ずしも分明とはいい難いけれども、著作権侵害の成否とは、要するに、思想そのものではなく、思想(それ自体独創性のあるものであると否とを必ずしも問わない。)についての創作性ある具体的表現が無断で利用されているかどうかということであり、本件において、原告書籍中の一覧表B欄記載の各記述を思想の創作的表現とみるべきこと及び被告書籍においてこれが無断で利用されていると推認すべきを相当とすることは前に説示したとおりであるから、いずれにせよ右主張は採用できない。
以上によれば、被告らによる被告書籍の発行、販売及び頒布は、被告書籍中に少なくとも一覧表A欄記載部分が存する限り、原告が原告書籍について有する著作権(複製権)を侵害するものというべきである。
また、(証拠)によれば、被告らは被告書籍を発行して公衆に提示するに当たり、一覧表A欄記載の各侵害部分に著作著である原告の氏名表示をしていないことが認められるところ、これは原告の原告書籍についての著作者人格権(氏名表示権)を侵害するものといわなければならない。
よつて、原告の被告らに対する被告書籍の発行、販売及び頒布の差止請求は理由がある。
四 次に、前項で認定した事実に本件口頭弁論の全趣旨を総合すれば、被告Aは被告書籍の発行等が原告の著作権及び著作者人格権を侵害するものであることを知つていたと認めるのが相当である。また、被告会社代表者Eの供述によれば、被告会社は、昭和48年7月頃被告Aから被告書籍の出版を依頼され、同被告の出版歴等を調査し、編集会議を開いて右書籍の市場性等を検討したうえ、これを承諾し、右書籍の発行等に踏み切つたことが認められるところ、被告会社は、その際必要な注意を用いれば、被告書籍の発行等が原告の著作権及び著作者人格権を侵害するものであることを知りえたはずであるのに、これを怠つた点において過失を免れないものというべきである。したがつて、被告らは原告が被告書籍の発行等によつて蒙つた損害を連帯して賠償する義務がある。
五 進んで、原告の損害につき判断する。
1 財産的損害について
被告書籍の発行部数が2020部であり、その一部当たりの販売価格(定価)が金2400円であることは、当事者間に争いがなく、被告代表者Eの供述によれば、右のうち、昭和52年12月2日(被告代表者に対する尋問の日)現在における現実の売上部数は1000部を下らないことが認められる。
ところで、原告は、被告らが被告書籍の発行、販売によつて純利益を得たとし、その額を自己の損害の額として主張する。しかしながら、原告が自ら原告書籍の発行、販売を行つていないことは本件口頭弁論の全趣旨により明らかであるから、原告が著作権法第114条第1項[注:現2項]の規定を援用して、被告らが被告書籍の発行、販売によつて得た純利益の額を自己の損害の額として主張する余地はないものというべきである。
したがつて、原告はその著作権の行使につき通常受けるべき使用料に相当する額の金員を自己の損害として請求しうるにとどまることになる。そして、被告会社代表者Eの供述によれば、被告会社は、被告Aに対し、被告書籍の出版による印税として、一部当たりその定価の10パーセントに当たる金員を支払う約定であることが認められるところ、ほかに特段の事情の認められない本件においては、被告書籍全体が原告書籍の複製であると仮定すれば、被告書籍一部の発行、販売につき、その定価の10パーセントに当たる額をもつて、原告書籍の著作権の行使につき通常の受けるべき使用料の額と認めるのが相当である。ところで、一覧表A欄記載の各記述と前掲検甲第二号証とを総合すれば、被告書籍のうち、はしがき、目次、奥付け等を除く実質的記述部分は217頁であり、このうち原告書籍の複製とみるべき部分は合わせて2頁分であることが認められる。そうすると、原告の請求しうべき著作権使用料相当額は、被告書籍の定価金2400円に、前記使用料率1000分の10及び被告書籍における侵害部分の全体に対する割合217分の2並びに前記売上部数1000部をそれぞれ乗じて得られる金2211円(円未満切捨)となる。
2 慰藉料について
原告が昭和49年3月手紙をもつて被告会社に対し、被告書籍中に原告書籍からの盗用部分があるとして、被告Aの陳謝、被告書籍の絶版及び相当額の慰藉料の支払等を要求したことは、当事者間に争いがない。そして、(証拠)を総合すれば、被告会社は原告の右要求に対し、被告書籍の著者である被告Aに連絡をした旨及び被告Aにおいてしかるべく対応するであろう旨回答したこと、そこで、原告は被告らが右要求を容れて善処するものと期待していたが、被告らは何らの措置も講ずることなく、被告書籍の発行を継続したため、原告はその後電話で数回にわたつて被告会社に前同様の催告をしたものの(右催告の点は当事者間に争いがない。)奏効しなかつたこと、しかし、原告は弁護士である自己のために訴訟を提起することは避けたいと考え、ことに、同じく弁護士である被告Aの良識に期待して隠忍自重していたのであるが、そのまま放置しては損害賠償請求権が時効により消滅するおそれがあると判断し、昭和51年11月12日付内容証明郵便をもつて被告Aに前同様の催告をし、次いで、翌52年1月電話で被告会社にも催告したが(これら催告の点は当事者間に争いがない。)、被告らは依然誠意を示さなかつたため、本訴提起のやむなきに至つたものであることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
前記著作権及び著作者人格権に対する侵害行為の態様及び程度、右に認定した本訴提起に至るまでの経緯等諸般の事情を考慮すれば、前記侵害行為によつて原告が蒙つた精神的損害に対する慰藉料としては、金30万円が相当である。
よつて、被告らは、連帯して原告に対し、前記財産的損害金2211円及び慰藉料金30万円の合計金30万2211円及びこれに対する最終の侵害行為の日である昭和52年12月2日(原告は、被告書籍の売上部数は同日現在1000部を下らないと主張するので。)から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務を負うことになる。