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著作権判例セレクション
【法113条11項】法113条11項の意義と解釈(非認定事例/他人の著作物の「引用」の正確性が問題となった事例)
▶平成14年3月26日東京地方裁判所[平成13(ワ)16152]▶平成14年11月27日東京高等裁判所[平成14(ネ)2205]
(注) 本件控訴は,「20世紀 日本の経済人⑲挑戦編『伊庭貞剛』」との題号の新聞記事(控訴人新聞記事)の著作者であり,かつ,同記事を日本経済新聞に掲載して発行した控訴人が,被控訴人Aの執筆,同晶文社の発行に係る「運鈍根の男 古河市兵衛の生涯」との題号の書籍(被控訴人書籍)中には,控訴人の名誉又は声望を害する方法により控訴人新聞記事を利用し,又は控訴人の名誉を毀損する記述があると主張して,主位的に著作者人格権(著作権法113条5項[注:現11項])に基づき,予備的に名誉毀損の不法行為に基づき,被控訴人晶文社に対し,被控訴人書籍の頒布等の差止め等を求めるとともに,被控訴人らに対し,謝罪広告の掲載及び損害賠償の支払を求めた事案である。
1 主位的請求(著作者人格権侵害)について
(1) 著作権法113条5項[注:現11項。以下同じ]の規定が,著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為を著作者人格権の侵害とみなすと定めているのは,著作者の民法上の名誉権の保護とは別に,その著作物の利用行為という側面から,著作者の名誉又は声望を保つ権利を実質的に保護する趣旨に出たものであることに照らせば,同項所定の著作者人格権侵害の成否は,他人の著作物の利用態様に着目して,当該著作物利用行為が,社会的に見て,著作者の名誉又は声望を害するおそれがあると認められるような行為であるか否かによって決せられるべきである。したがって,他人の言語の著作物の一部を引用して利用した場合において,殊更に前後の文脈を無視して断片的な引用のつぎはぎを行うことにより,引用された著作物の趣旨をゆがめ,その内容を誤解させるような態様でこれを利用したときは,同一性保持権の侵害の成否の点はさておき,これに接した一般読者の普通の注意と読み方を基準として,そのような利用態様のゆえに,引用された著作物の著作者の名誉又は声望が害されるおそれがあると認められる限り,同項所定の著作者人格権の侵害となることはあり得るが,その引用自体,全体として正確性を欠くものでなく,前後の文脈等に照らして,当該著作物の趣旨を損なうとはいえないときは,他人の著作物の利用態様により著作者の名誉又は声望を害するおそれがあるとはいえないのであるから,当該引用された著作物の内容を批判,非難する内容を含むものであったとしても,同項所定の著作者人格権の侵害には当たらないと解すべきである。控訴人は,著作権制限規定によって著作者人格権が制限や影響を受けるものではないから(著作権法50条),著作権法113条5項の適用においては,「引用」は正確であることを要し,上記のように「全体として正確性を欠く」というあいまいな要件では足りないと主張するが,以上の説示に照らし,採用することができない。
その場合において,当該引用に係る著作物の内容を批判,非難する表現が,別途名誉毀損の不法行為を構成するかどうかは別論である。なぜならば,著作権法113条5項は,上記のとおり,著作物の利用行為に着目した規定であって,名誉毀損の不法行為の成否とは場面を異にするからである。
(2) そこで,以上の見地に立ち,被控訴人書籍の記述(1),(2)について,著作権法113条5項所定の著作者人格権の侵害の成否について判断するのに先立ち,被控訴人書籍の論述の全体の流れとその中での記述(1),(2)の位置付けを見ることとする。
被控訴人書籍の記載及び被控訴人Aの陳述書によれば,同書籍は,古河財閥の創設者である古河市兵衛の伝記であること,その著作者である被控訴人Aは,「まえがき」の中で,我が国で最初の公害問題とされる足尾鉱山の鉱毒問題に関し,被害者側の運動家としての田中正造は高く評価されているのに,加害者側というべき立場の古河市兵衛は「悪の権化」と見なされたままほとんど注目されていないが,実は偉大な経済人であったとして,その再評価を試みたものであると執筆動機を記載していること,被控訴人書籍は,古河市兵衛の生い立ちや「鉱山王」といわれるようになった半生の歩みと,足尾鉱毒問題の概要を記述した1~5章に続き,「6
田中正造と古河市兵衛」の章で,「実は,田中正造によって足尾鉱毒問題があまりにもクローズ・アップされたため,その陰に隠れてしまったものがある。一つはこのことで悪役と見なされた古河市兵衛の実像であり,一つは同業他社が撒きちらしていた鉱毒の実態である」(171頁)との問題意識から,別子銅山や小坂銅山の公害の実情に触れていること,記述(1),(2)は,6章中の上記文脈において記載されたものであること,以上の事実が認められ,被控訴人書籍の一般読者の普通の注意と読み方を基準として見ても,このような流れを理解した上で,記述(1),(2)に接するものと認めるのが相当である。
(3) まず,記述(1)について検討する。
ア 記述(1)中で,控訴人新聞記事を利用しているといえるのは,「・・・まことに不思議な新聞記事を見て私はびっくりした。『日本経済新聞』は平成11(1999)年の1月から『20世紀・日本の経済人』という大型連載記事を始めたが,その19回目に『住友』の伊庭貞剛をとりあげた(平成11年5月10日)。読者の目を引きつけるために使われた写真は四阪島の製錬所であるが,その写真説明文は『煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した』となっているのである。この説明にはまったく嘘はない。しかし,読者は疑いなくこれで住友の煙害問題は解決したと信ずるはずである。本文も『彼(伊庭)が打った最大の(煙害)解決策は,巨費を投じて製錬所を・・・四阪島に移転したことである』となっている。」との部分である。そして,これに続く記述(1)の後半部分で,別子銅山の煙害問題は,控訴人新聞記事から理解されるほど容易には解決しなかったとの趣旨を指摘し,むしろ古河市兵衛による足尾銅山での対処が見事であったことが述べられている。
イ 上記の被控訴人書籍における控訴人新聞記事の利用態様について見るに,確かに,控訴人の主張するように,控訴人新聞記事中には,「ただ,伊庭の意に反して移転は煙害の完全な解決にはならず,その除去には操業から35年もかかった」との記載があり,控訴人新聞記事の記載を全体として読めば,別子銅山の煙害問題が決して簡単に解決されたものでないことが理解される内容である。そうすると,控訴人新聞記事の上記記載部分を引用していない被控訴人書籍の記述(1)には,その読者に,控訴人新聞記事の正確な内容について誤解を生じさせかねない面がないとはいえない。
しかし,著作権法113条5項所定の著作者人格権の侵害があったといえるためには,他人の著作物の利用行為が,社会的に見て,著作者の名誉又は声望を害するおそれがあると認められるような行為といえなければならないことは前示のとおりである。記述(1)では,上記のとおり,その引用する控訴人新聞記事の内容に「まったく嘘はない」ことをわざわざ明言しているのであるから,記述(1)の引用紹介において,別子銅山の煙害問題が決して簡単に解決されたものでないとする控訴人新聞記事の上記内容が正確に表れていないとしても,被控訴人書籍に接する一般読者の普通の注意と読み方を基準として考えた場合,当時の鉱毒問題は足尾銅山に固有の問題ではなく,他の大手の銅山においても深刻な公害問題が存在していたという事実を認識し,足尾鉱毒問題でいわば敵役となった古河市兵衛が真しにこれに対処したという著者の主張を理解するにとどまり,更に進んで,控訴人新聞記事の内容が虚偽であるとか,信用することができないといった印象を与えるものとはいえず,記述(1)を読む読者とすれば,日本経済新聞が間違った記事を書いた,すなわち誤報をしたと思い込むのは当然であるとする控訴人の主張は失当である。したがって,記述(1)における控訴人新聞記事の引用は,社会的に見て,著作者の名誉又は声望を害するおそれがある行為とは認められず,控訴人の名誉又は声望を害する方法による著作物利用行為には当たらないというべきである。
(4) 次に,記述(2)について検討する。
ア 記述(2)では,① まず,「前に少し触れた伊庭貞剛にかかわる『日本経済新聞』の記事は,田中正造が議会に提出した質問書(明治34年3月23日)からの,次の引用文ではじまっている。『(別子銅山は)足尾銅山とは天地の差があるので,実に何とも譬え較べ合いのならぬ程の事情がある。・・・別子銅山は,第一鉱業主は住友である(伊庭はその総理事だった)。それゆえ社会の事理人情を知っておる者で,己が金を儲けさえすれば宜しいものだというような,そういう間違いの考えを持たない』そして記事は『義人田中が手放しで称賛するほどに,この山を改革したのが伊庭貞剛である』とつづいている。」として控訴人新聞記事の内容を紹介した上,「しかし,右の正造の言葉には何一つ真実が見当たらない。」として,足尾銅山(その経営者である古河市兵衛)が別子銅山(その経営者である伊庭貞剛)より劣っていたとはいえないとの趣旨を述べているものである。
記述(2)では,次いで,②「この記事はまた,伊庭が『まったく精神の腐敗にもとづく』住友の内紛を解決した,と説明している。」として控訴人新聞記事の内容を紹介した上で,住友の内紛を示す資料がないとして,「正造の主張は全く根拠がない」との主張が述べられている。
続いて,記述(2)では,上記①,②を踏まえた主張として,③ 田中正造が,別子銅山の住友(伊庭貞剛)を賞賛し,足尾銅山の古河を非難する主張は,「公害の被害者の立場から言えば,加害企業の親玉を敵にし,戦闘意欲を沸かそうとする」ための「つくり話」であるとの認識に基づき,「彼が戦略的につくったデタラメの話まで,何十万という新聞の読者に真実らしく報道するのは罪つくりではないか。古河系の会社関係者はこの記事を読んで何と思うだろうか。」との問題提起がされている。
イ 上記の記述(2)における控訴人新聞記事の引用態様の正確性の有無について見るに,控訴人新聞記事の記載によれば,同記事は,田中正造の演説を引用した上,これに依拠する形で,「義人田中が手放しで称賛するほどに,この山(注,別子銅山)を改革したのが伊庭貞剛である」との論旨につなげているものであるから,記述(2)における控訴人新聞記事の引用は,控訴人新聞記事の趣旨をゆがめたり,その内容を誤解させるような態様で行われているものではなく,むしろ,控訴人新聞記事が,田中正造の演説に依拠する形で伊庭貞剛の評価を行っていることを正確に示しつつ,そのような評価の在り方を批判しているにすぎない。なお,控訴人自身,記述(2)における控訴人新聞記事の引用はほぼ正確にされていて問題がない旨を自認しているところである。
上記①,②の記述部分に関していえば,いずれも「正造の言葉」ないし「正造の主張」に真実ないし根拠がないと主張しているものであって,この記述に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準として考えた場合,控訴人の名誉又は声望を害するおそれがある引用方法とはいえない。
また,上記③の記述部分は,上記①,②の主張を踏まえて,そのような内容の田中正造の主張に依拠して伊庭貞剛を賞賛する控訴人新聞記事への批判へと論旨を進めているものであり,ここでは,批判,非難の対象は控訴人に向けられているが,著作者人格権の侵害を生じさせるものでないことは前示のとおりである
そうすると,後記2で検討する名誉毀損の不法行為の成否は別論として,記述(2)における被控訴人新聞記事の引用も,控訴人の名誉又は声望を害する方法による著作物利用行為には当たらないというべきである。
(5) 以上のとおり,被控訴人書籍の記述(1),(2)に関し,著作権法113条5項所定の著作者人格権侵害をいう控訴人の主張は理由がない。著作者人格権侵害に基づく請求を棄却した原判決の判断は,結論において是認することができる。
2 予備的請求(名誉毀損の不法行為)について
(1) 被控訴人書籍の記述(1)及び記述(2)中の前記①,②の記載部分が,控訴人の社会的評価を低下させるものといえないことは,上記1(3),(4)の認定判断に照らして明らかである。そこで,以下,記述(2)中の前記③の記載部分(以下「本件記述部分」という。)について,名誉毀損の不法行為の成否を検討する。なお,控訴人の主張も,記述(2)に係る名誉毀損に関しては,専ら本件記述部分を問題にしているものと解される。
(2) 一般に,ある事実を基礎としての意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては,その行為が公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあった場合には,その意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り,その行為は違法性を欠くというべきである(最高裁昭和62年4月24日第二小法廷判決,同平成元年12月21日第一小法廷判決,同平成9年9月9日第三小法廷判決)。そして,意見ないし論評が他人の著作物に関するものである場合には,その著作物の内容自体が意見ないし論評の前提となっている事実に当たるから,当該意見ないし論評における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ,前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないものと解すべきである(最高裁平成10年7月17日第二小法廷判決)。
(3) 本件において,被控訴人書籍の本件記述部分,すなわち,「彼(注,田中正造)が戦略的につくったデタラメの話まで,何十万という新聞の読者に真実らしく報道するのは罪つくりではないか」との部分が,田中正造の主張には根拠がないと考える被控訴人Aの認識に基づいて,そのような内容の田中正造の主張に依拠して伊庭貞剛を賞賛する控訴人新聞記事を批判,非難する意見ないし論評を表明するものであることは,前示のとおりである。そして,当該意見ないし論評の基礎として前提にしている事実は,控訴人新聞記事の内容自体,すなわち,同記事が田中正造の主張に依拠して伊庭貞剛を賞賛しているという記載内容にほかならない。したがって,控訴人新聞記事がそのような内容であるとの引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ,前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないというべきである。
なお,本件記述部分は,田中正造の主張が「デタラメな話」であるとの内容を含んでいるところ,控訴人は,田中正造の主張が「デタラメな話」であることの真実性の証明が必要である旨主張する。しかし,ここでいう田中正造の主張とは,控訴人新聞記事が引用し,被控訴人書籍が再引用している明治34年3月23日の質問書にある「(注,別子銅山は)足尾銅山とは天地の差があるので,実に何とも譬え較べ合いのならぬ程の事情がある。(中略)別子銅山は,第一鉱業主は住友である。それゆえ社会の事理人情を知っておる者で,己が金を儲けさえすれば宜しいものだというような,そういう間違いの考えを持たない」というものである。
すなわち,別子銅山と足尾銅山とは「天地の差」があり,住友は義理人情を知っており,金儲けしか考えない者(古河市兵衛を暗示している。)とは違うという主張であり,これが証拠等によって証明可能な特定の事実とは到底いえないものである。換言すれば,上記趣旨をいう田中正造の主張が「デタラメな話」であるとする被控訴人書籍の記述は,意見ないし論評の前提となる特定の事実を成すものではなく,それ自体が被控訴人書籍における意見ないし論評と見るべきものである。
したがって,本件記述部分については,これが公共の利害に関する事実に係り,その目的が専ら公益を図ることにあり,控訴人新聞記事の引用が全体として正確性を欠くものでなく,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでないといえる場合には,名誉毀損の不法行為としての違法性を欠くというべきである。以下,これらの点について順次検討する。
(4) まず,本件記述部分が,古河市兵衛の再評価を行うとともに,これに関連して,足尾銅山以外の鉱山の公害の実態を再検討しようという学術的な意図に基づくものであることは,前記1(2)の認定から明らかであり,他方,控訴人新聞記事の掲載された媒体である日本経済新聞は,発行部数300万部を超える,我が国を代表する日刊新聞の一つとしてその信頼性について各方面から高い評価を得ているものであるから,このような新聞に掲載された控訴人新聞記事について,上記の問題意識に基づいて行う意見ないし論評の表明は,公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにあったと認められる。なお,甲11(控訴人編集委員小嶋英熙の陳述書)中には,被控訴人Aが控訴人に持ち込んだ原稿の掲載を断られたことが本件と関係しているとの趣旨の記載があるが,(証拠)に照らすと,想像の域を出ないものといわざるを得ず,上記認定判断を左右するものではない。
次に,被控訴人書籍の記述(2)において,控訴人新聞記事の引用が全体として正確に行われていることは,控訴人も自認するところであり,かつ,前記1(4)の認定からも明らかである。
そして,「彼(注,田中正造)が戦略的につくったデタラメの話まで,何十万という新聞の読者に真実らしく報道するのは罪つくりではないか」との本件記述部分の表現が,意見ないし論評としての域を逸脱したものかどうかを見るに,被控訴人Aの「実は,田中正造によって足尾鉱毒問題があまりにもクローズ・アップされたため,その陰に隠れてしまったものがある。一つはこのことで悪役と見なされた古河市兵衛の実像であり,一つは同業他社が撒きちらしていた鉱毒の実態である」との問題意識(前記1(2)参照)からすれば,田中正造の主張に専ら依拠する形で足尾銅山の同業他社(伊庭貞剛)を賞賛する控訴人新聞記事の論旨に疑問を感じ,これを批判的に取り上げざるを得ないことは,公共の利害に関する事実に係り,かつ,その目的が専ら公益を図ることにある健全な言論活動の範囲内として当然のことと理解されるものであり,その具体的な表現態様を含め,人身攻撃に及ぶようなものではないことはもとより,意見ないし論評としての域を逸脱したものとは到底いえない。控訴人は,この表現は控訴人がでっち上げの報道をしたというに等しく,新聞記者にとって致命的なものであって,言論機関の存立基盤を脅かす最大級の誹謗中傷であり,害意をもってする悪質な誹謗中傷である旨主張するが,公共的事項に関する自由な言論を基盤とする民主主義社会が備えるべき寛容さに加え,我が国を代表する新聞媒体機能を担う控訴人の地位,性格等にかんがみると,独自の見解の憾みを免れず,採用することができない。
(5) したがって,名誉毀損の不法行為をいう控訴人の主張は理由がない。
3 以上のとおり,控訴人の被控訴人らに対する請求はいずれも理由がないから,これを棄却した原判決は相当であって,本件控訴は理由がない。
[参考(原審)]
1 他人の言動,創作等について意見ないし論評を表明する行為がその者の客観的な社会的評価を低下させることがあっても,その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり,かつ,意見ないし論評の前提となっている事実の主要な点につき真実であることの証明があるときは,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものでない限り,名誉毀損としての違法性を欠くと解される(最高裁判所平成元年12月21日第一小法廷判決,平成9年9月9日第三小法廷判決参照)。そして,意見ないし論評が他人の著作物に関するものである場合には,上記著作物の内容自体が意見ないし論評の前提となっている事実に当たるから,当該意見ないし論評における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ,前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないものと解すべきである(最高裁判所平成10年7月17日第二小法廷判決参照)。そして,以上の法理により意見ないし論評が名誉毀損とならない場合は著作権法113条5項[注:現11項。以下同じ]が規定する名誉声望毀損行為も成立しないものというべきである。
2 争点(1)について
(1) 記述(1)は,まず,①「住友別子鉱山史」と引用するなどして,別子銅山において製錬所が四阪島に移転された後,煙害の被害地域が広がったことを記載した後,②原告新聞記事について,「読者の目を引きつけるために使われた写真は四阪島の製錬所であるが,その写真説明文は『煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した』となっているのである。」,「読者は疑いもなくこれで住友の煙害問題は解決したと信ずるはずである」,「本文も『彼(伊庭)が打った最大の(煙害)解決策は,巨費を投じて製錬所を・・・四阪島に移転したことである』となっている。」と記載し,さらに,③「『住友別子鉱山史』に書かれた事実は以下のとおりなのである。」として,製錬所が四阪島に移転された後の農民の住友に対する抗議の様子を記載し,「『住友』の場合,被害農民への損害賠償の支払いまでに,被害の発生から17年もの年月がかかったことになる。」と記載していることが認められる。
以上の認定事実によると,記述(1)は,原告新聞記事を引用紹介した(上記②)うえ,事実を示し(上記①,③),原告新聞記事が事実に反する旨の意見を述べているものと認められる。
(2) 証拠と弁論の全趣旨によると,記述(1)は,被告Aが古河市兵衛の生涯について記載した書籍の中で,古河の同業他社が行った公害対策について述べた部分に含まれており,上記のとおり,原告新聞記事を批判する内容となっている。
証拠によると,日本経済新聞は,発行部数300万部を超える我が国を代表する日刊新聞の一つであって,その信頼性について各方面から高い評価を得ているものと認められるから,そのような新聞の内容の当否について述べる記述(1)は,公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものと認められる。この点について,甲11(原告編集委員Bの陳述書)には,被告Aは,原稿を原告に持ち込んだが断られたことあり,そのことが,本件に関係している旨の記載があるが,証拠に照らすと,被告Aが原告に原稿を持ち込んだが断られたことの報復として,記述(1)(2)の批判を行ったとは認められないから,上記認定を覆すに足りるものではない。
(3) そして,証拠と弁論の全趣旨によると,記述(1)の「住友別子鉱山史」の記載等に関する事実(上記(1)①,③の各事実)は,真実であると認められる。
(4) そこで,次に,記述(1)における原告新聞記事の引用紹介が全体として正確性を欠くものであったかどうかについて判断する。
証拠によると,原告新聞記事は,伊庭貞剛の生涯を紹介したものであること,原告新聞記事の見出しに大きく「別子銅山の紛争を解決」とあり,続けて「公害対策進め,植林始める」との見出しが書かれていること,冒頭の編集委員による説明書きには「彼の最大の事績は,住友の命運がかかった別子銅山の紛争を見事に収めたことだ。田中正造も称賛した公害への真摯(しんし)な対応は,植林という自然回復のテーマを含み,来世紀に確かなメッセージを発信している。」とあること,原告新聞記事の本文は,足尾銅山の鉱毒問題を糾弾し,別子銅山を称賛した田中正造の演説の紹介から始まっていること,上記見出し「別子銅山の紛争を解決」の左横に原告新聞記事の約6分の1にわたって別子銅山の製錬所の写真を掲載し,その下には「煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した。」と説明されていること,原告新聞記事本文中に「5年後,別子の支配人を鈴木馬左也に譲って本店に帰任するまでに彼が打った最大の解決策は,巨費を投じて製錬所を新居浜の沖合20キロにある無人島の四阪島に移転したことである。・・・ただ,伊庭の意に反して移転は煙害の完全な解決にはならず,その除去には操業から35年もかかった。環境アセスメントや技術の未発達が原因だが,地域住民の立場で誠心誠意,事に当たった姿勢が田中の評価につながったのだ。」との記載があること,以上の事実が認められる。
ところで,原告は,①原告新聞記事の約4分の1を別子銅山の内紛に割いており,それは見出しの「別子銅山の紛争」と対応していること,②「別子銅山の紛争」が煙害問題を指すとすると,続けて「公害対策進め,植林始める」との見出しと重複すること,③原告新聞記事は内紛について「紛争」,「内紛」,「騒動」を「見事に収めた」,「解決」との表現を用いているのに対し,煙害問題については「公害」,「煙害」,「煙害問題」に「対策」,「対応」,「解決策」,「改善策」との表現を用い,両者を明確に区別していることから,上記「別子銅山の紛争」は煙害問題とは関係がなく,別子銅山における内紛のみを指すと主張し,原告新聞記事の執筆者の陳述書にも同旨の記載がある。
確かに,証拠と弁論の全趣旨によると,原告新聞記事を注意深く読むと,上記③のとおり,表現が使い分けられていることが認められる。しかし,証拠によると,原告新聞記事本文には,「実は,これより7年前,住友は根幹の事業である別子銅山存続の危機に見舞われていた。」との記載に続けて「新居浜の製錬所から発生した深刻な煙害問題で,地元には怨嗟(えんさ)の声が満ちあふれた。これに拍車をかけたのが住友の内紛だった。鉱業所副支配人で住友分家になった大島供清が,総理代人(のちの総理事)広瀬宰平の独裁に反対して排斥運動を起こした。」との記載があり,別子銅山存続の危機の原因として煙害問題を最初に挙げ,次に内紛について述べていることが認められる。そして,上記認定のとおり,原告新聞記事においては,見出しの「別子銅山の紛争」に続けて「公害対策進め,植林始める」との見出しが書かれているのであるが,これらの見出しの位置関係からすると,読者はこれらを別のものではなく,一体のものとして理解すると考えられる。これらを別のものとして理解すると,原告が上記②で主張するとおり,「別子銅山の紛争」が煙害問題と重複することもあり得るが,一体のものとして理解すると,重複することはなく,むしろ,「別子銅山の紛争」は煙害問題と同じ意味であるということになる。また,上記認定のとおり,原告新聞記事の見出し「別子銅山の紛争を解決」の左横には,原告新聞記事の約6分の1にわたって別子銅山の製錬所の写真が掲載されており,その下には「煙害問題に対応するため別子銅山の製錬所を無人島の四阪島に移した。」との説明が付されているが,この写真及びその説明も,上記見出し「別子銅山の紛争を解決」と一体となって,「別子銅山の紛争」が煙害問題であるとの印象を与えるものということができる。さらに,仮に原告が主張するとおり「別子銅山の紛争」が住友の内紛のみを指すとすると,端的に「住友の内紛を解決」あるいは「別子銅山の内紛を解決」という見出しをつければ足りると考えられるところ,そのような見出しにはなっていない。これらのことからすると,読者は,ここでいう「別子銅山の紛争」に煙害問題を含めて理解するということができる。
以上の事実からすると,原告新聞記事は,「ただ,伊庭の意に反して移転は煙害の完全な解決にはならず,その除去には操業から35年もかかった。」との記載があるものの,全体としては,伊庭が製錬所を新居浜から四阪島に移転して別子銅山の煙害の解決に努力したことが強調されており,この記事に接した読者は,伊庭が製錬所を新居浜から四阪島に移転したことは,別子銅山の煙害の解決につながったが,その完全な解決にはさらに時間を要したという趣旨に受け取るものと解される。
そうすると,記述(1)における「読者は疑いなくこれで住友の煙害問題は解決したと信ずるはずである」という記載を含む原告新聞記事の引用紹介(上記(1)②)は,完全な解決にはさらに時間を要したという趣旨を含んでいない点において適切でないが,原告新聞記事から,読者は,伊庭が製錬所を新居浜から四阪島に移転したことが,別子銅山の煙害の解決につながったと理解する点において,原告新聞記事と符合しているということができる。また,記述(1)は,別子銅山において製錬所が四阪島に移転された後,煙害の被害地域が広がり,住民の反対運動も収まらなかったとして,移転は煙害解決に効果がなかったことを述べているのであるから,原告新聞記事の引用紹介が完全な解決には時間を要したという趣旨を含んでいたとしても,記述(1)におけるものと同様の批判が可能であったものと考えられる。
その意味では,原告新聞記事の引用紹介に完全な解決には時間を要したという趣旨を含んでいないことは,上記批判の前提となっているということはできない。以上述べたところからすると,記述(1)における原告新聞記事の引用紹介(上記(1)②)が全体として正確性を欠くとまでは認められない。
なお,原告は,著作権法113条5項にいう原告の名誉又は声望を害する方法により著作物を利用したかどうかについては,著作物の客観的な意味内容を前提とすべきであって,読者の読み方を基準として判断すべきでないと主張するが,上記のとおり,記述(1)は,読者の読み方について述べ,それを前提として原告新聞記事を批判しているのであるから,記述(1)における原告新聞記事の引用紹介(上記(1)②)が正確性を欠くものかどうかは,上記のように読者の読み方を基準として判断することができるというべきである。
(5) 以上のとおり,記述(1)は,原告新聞記事について,それを批判する意見を表明したものであるが,その行為は,公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり,かつ,意見の前提となっている原告新聞記事の引用紹介が正確性を欠くものではなく,意見の前提となっている事実について真実であることの証明があるものと認められる。そして,この意見表明行為が人身攻撃に及ぶなど意見としての域を逸脱するものであるというべき事情も認められないから,名誉毀損としての違法性を欠くものと解され,著作権法113条5項が規定する名誉声望毀損行為も成立しないものというべきである。
3 争点(2)について
(1)
記述(2)は,まず,①原告新聞記事本文の冒頭部分の田中正造の演説からの引用文及びそれに続く「義人田中が手放しで称賛するほどに,この山を改革したのが伊庭貞剛である。」という記載を引用紹介し,②正造の言葉には何1つ真実が見当たらないとして,「足尾は,生産技術においても生産量においても別子の上を行っており,『天地の差』などあるはずがなかったし,」「足尾の鉱毒問題に熱中していた正造が,住友の重役の人格まで知っているはずもなかった。」「鉱山業は十中八九は失敗するほど困難で,『金儲けさえすれば宜しい』と考える人間にはとても手が出せない危険な事業なのである。」と田中正造の演説の内容を批判し,③原告新聞記事について,「伊庭が『まったく精神の腐敗にもとずく』住友の内紛を解決した,と説明している。」と引用紹介したうえ,「ということは,住友の重役たちこそ,精神的に腐敗し,『社会の事理人情』を知らなかった人たちということになる。」,「この当時までに古河で内紛があったという資料は何1つないことからいっても,正造の主張は全く根拠がないということができる。」と,田中正造の演説の内容を批判し,④「公害の被害者の立場から言えば,加害企業の親玉を敵にし,戦闘意欲を沸かそうとするのは当然である。正造としては古河市兵衛をつねに悪玉に仕立てておく必要があった。だから時にはつくり話も必要だったかもしれない。」と,更に田中正造の演説の内容を批判し,⑤最後に「田中正造がいくら尊敬に価する人物だからといって,彼が戦略的につくったデタラメの話まで,何十万という新聞の読者に真実らしく報道するのは罪つくりではないか。古河系の会社関係者はこの記事を読んで何と思うのだろうか。」と記載しているものと認められる。
(2) 証拠と弁論の全趣旨によると,記述(2)は,被告Aが古河市兵衛の生涯について記載した書籍の中で,古河の同業他社が行った公害対策について述べた部分に含まれており,上記のとおり,原告新聞記事を批判する内容となっている。
前記2(2)で述べたところからすると,原告新聞記事の内容の当否について述べる記述(2)は,公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものと認められる。
(3) 記述(2)のうち,田中正造の演説の内容を批判し,正造の主張は全く根拠がないとする部分(上記(1)②③④)は,被告Aが田中正造の演説について自らの意見を述べて,根拠がないと批判しているものであり,原告新聞記事を批判する部分(上記(1)⑤)は,上記田中正造の演説についての批判に基づき,被告Aが,原告新聞記事について,それを批判する意見を述べているものであると解される。したがって,その前提となる原告新聞記事からの引用紹介が正確である限り,前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見が違法となることはないものというべきである。
(4) そこで,記述(2)における原告新聞記事からの引用紹介が正確であるかどうかについて判断する。
証拠によって認められる原告新聞記事の内容と記述(2)の記載とを対比すると,記述(2)は,原告新聞記事の該当箇所をそのまま原文どおり正確に引用しているものと認められる。
原告は,田中正造が第15回帝国議会で演説したのは歴史的事実であり,原告はその歴史的事実を真実として紹介したに過ぎないと主張するが,証拠と弁論の全趣旨によると,原告新聞記事の本文は,まず,田中正造の演説内容をそのまま引用し,「義人田中が手放しで称賛するほどに,この山を改革したのが伊庭貞剛である。」と記載したうえ,伊庭が別子銅山の内紛の解決や煙害の防止に努めたことを記載し,煙害の防止について記載した最後に「環境アセスメントや技術の未発達が原因だが,地域住民の立場で誠心誠意,事に当たった姿勢が田中の評価につながったのだ。」と記載しており,全体として,伊庭貞剛の業績を高く評価する内容となっていることが認められるのであるから,原告は,田中正造の演説を単に歴史的事実として紹介したにとどまらず,田中正造が称賛,評価していることを,伊庭貞剛の業績を高く評価することの根拠としているものと認められる。そして,記述(2)は,田中正造の演説内容は「デタラメ」であるという立場から,その演説を自らの主張の根拠とした原告新聞記事を批判しているものと解されるから,原告新聞記事を引用紹介するに当たり,著作者の創作意図に沿った理解の下に,原告新聞記事を引用紹介したうえ,これを批判しているものということができる。
したがって,記述(2)における原告新聞記事の引用紹介が全体として正確性を欠くということはできない。
(5) そうすると,記述(2)は,原告新聞記事を批判する意見を表明したものであるが,その行為は,公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり,かつ,意見の前提となっている原告新聞記事の引用紹介が正確性を欠くものではないと認められる。そして,記述(2)には,「デタラメ」,「罪つくり」といった強い表現があるものの,この意見表明行為が人身攻撃に及ぶなど意見としての域を逸脱するものであるとまでいうことはできない。したがって,記述(2)は,名誉毀損としての違法性を欠くものと解され,著作権法113条5項が規定する名誉声望毀損行為も成立しないものというべきである。
(6) 原告は,田中正造の演説を「デタラメ」と理由付ける根拠はないと主張し,前記原告の主張のとおり,その理由を主張するが,既に認定したとおり,記述(2)において田中正造の演説が「デタラメ」であるとされている根拠に関する部分は,被告Aの意見であると認められ,前記原告の主張の主張も,被告Aの意見の内容が不当であることを述べるに過ぎないから,この点は,名誉毀損としての違法性の判断にはかかわりないものというべきである。
(7) よって,記述(2)は,名誉毀損としての違法性を欠くものと解され,著作権法113条5項が規定する名誉声望毀損行為も成立しないものというべきである。
4 以上の次第で,その余の争点について判断するまでもなく,原告の請求はいずれも理由がない。