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著作権判例セレクション
【法113条11項】名誉声望権侵害(法113条11項)を認めなかった事例
▶平成28年8月19日東京地方裁判所[平成28(ワ)3218]▶平成29年1月24日知的財産高等裁判所[平成28(ネ)10091]
(注) 本件は,原告(映画プロデューサー)が,被告(新聞社)の運営するウェブサイト上の記事により著作権(翻案権)及び著作者人格権(同一性保持権,名誉・声望権)を侵害され,また名誉を毀損されたと主張して,被告に対し,著作権侵害,著作者人格権侵害ないし名誉毀損の不法行為に基づき,損害金等の支払などを求めた事案である。
1 争点(1)ア(翻案権侵害の成否)について
(1)
著作物の翻案(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的な表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号),既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないと解するのが相当である(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決参照)。
(2)
原告は,被告各表現が原告各表現と同一性を有する部分として,概要,①映画産業の国際発展を妨げている利権構造批判,②東京国際映画祭の事業費,事業委託先及びその関係,③映画産業の既得権益たる社会的集団を「映画村」と表現し,その状態を「独占」と表現したこと,④平成26年の映画祭事業費と委託費の割合,⑤既得権益を構成する企業名,⑥東京国際映画祭とクールジャパン政策の連携等を挙げる。
しかし,このうち①,②,④,⑤及び⑥は,原告の思想,感情又はアイデア,事実又は事件など,表現それ自体でない部分についての同一性を主張するものにすぎない。
また,③のうち「独占」との表現は,明らかに一般用語であって,表現上の創作性はない。
さらに,③のうち「映画村」との表現についても,ある特定の限られた分野又は共通の利害関係を有する一定の社会的集団を「○○村」と表現することは経験則上一般にみられるありふれた表現であって,これに,わずか3字からなる単語にすぎないことも併せると,この表現自体が著作権法上保護すべき創作的な表現であると認めることはできない。この点に関して原告は,被告記事では「映画村」(movie village)という表現に引用符の「“”」が用いられ,「原発村から派生した造語」との注釈まで付されていることを指摘するが,引用符及び注釈の付記によって直ちに被告が著作権法上の創作性を自認したことにはならないというべきであるから,原告の指摘は上記判断を左右するに足りない。
したがって,被告各表現は,原告の主張によっても,表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において原告各表現と同一性を有するにすぎず,表現上の本質的な特徴の同一性を維持したものとは認められないから,被告各表現が原告各表現を翻案したものであるということはできない。
2 争点(1)イ(同一性保持権侵害の成否)について
上記1において説示したとおり,被告各表現が原告各表現の表現上の本質的な特徴の同一性を維持したものとは認められない以上,被告記事は,原告記事の表現上の本質的特徴を直接感得することができない別個の著作物であって,原告記事を改変したものということはできない。
したがって,被告記事によって,原告記事に係る原告の同一性保持権が侵害されたということはできない。
3 争点(1)ウ(名誉・声望権侵害の成否)について
この点に関し,原告は,被告記事の中に「それにもかかわらず,未だ東京国際映画祭は批判の格好の的になっており,映画祭に対する厳しい批判は毎年の恒例行事のようなものになっている。そして,今回それを行ったのが映画プロデューサーの甲であった」として原告記事を紹介していることが,日本の映画産業発展のための生産的議論にすることを目的とした原告の意図と著しく異なる意図を持つものとして受け取られる可能性があることを理由として,原告の名誉・声望権を侵害すると主張する。
しかし,著作権法113条6項[注:現11項]の「名誉又は声望を害する方法」とは,単なる主観的な名誉感情の低下ではなく,客観的な社会的,外部的評価の低下をもたらすような行為をいい,対象となる著作物に対する意見ないし論評などは,それが誹謗中傷にわたるものでない限り,「名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に該当するとはいえないというべきところ,原告が指摘する被告記事の上記表現部分は,被告記事の著者の原告記事に対する意見ないし論評又は原告記事から受けた印象を記載したものにすぎず,原告又は原告記事を誹謗中傷するものとは認められないから,たとえ,被告記事の表現によって,原告の意図と著しく異なる意図を持つものとして受け取られる可能性があるとしても,そのことをもって,原告の「名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」と認めることは相当でないというべきである。
したがって,被告記事によって,原告記事に係る原告の名誉・声望権が侵害されたということはできない。
4 争点(2)ア(社会的評価の低下の有無)について
(1)
被告記事のうち,原告に関して記載された部分は,原告によれば以下のとおりである。なお,文中の「甲」ないし「乙」とは原告を指す。また,訳文につき争いある部分には下線を付した上,被告の主張する訳文を〔〕内に付記してある。
「…今年の東京国際映画祭は過去の失敗から学び,再び映画を中心に考え,大幅に改善されたイベントを開催する明確な努力がはっきりと表れていた。それにも関わらず,未だ東京国際映画祭は批判の格好の的になっており,映画祭に対する〔関する〕厳しい批判は毎年の恒例行事となっている。そして今回それを行ったのが映画プロデューサーの甲である。彼はプレジデントオンラインの記事において,東京国際映画祭と日本映画全般の残念な国際的な地位は“映画村”(“原子力村”から派生した造語)のせいだと批判し〔に責任があるとし〕,映画産業の既得権益に触れた。乙は2014年度の映画祭事業費の3分の2は大手映画会社とその子会社,巨大広告代理店の電通,大手不動産会社の森ビルらが独占する委託費になっていることを指摘した。これらの大企業が日本の“コンテンツ”輸出のためのプロモーションばかりに使われ,文化政策にそれほど使われない政府のクールジャパン政策の恩恵のほとんどを享受している。」
(2)
原告は,被告記事の記載が原告の社会的評価を低下させるものであると主張し,その理由として,概要,①被告記事には原告が「東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位」と述べた旨の記載があるが,原告記事にはそのような表現,論述は一切存在しないこと,②被告は大幅な要約を行ったこと,との2点を挙げる。
しかし,新聞,雑誌等への記事の掲載が人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは,当該記事についての一般読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきところである(最高裁昭和31年7月20日第二小法廷判決参照)。そうすると,被告記事の記載が原告の社会的評価を低下させるものであるかどうかは,被告記事それ自体についての一般読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきことになるのであって,原告記事に同様の表現,論述が存在しないとか,被告記事がこれを大幅に要約したなどという事情は,被告記事の記載が原告の社会的評価を低下させるものであることの理由とはなり得ない。原告の上記主張は,それ自体失当であるといわざるを得ない。
そして,念のために検討しても,被告記事は,原告が「東京国際映画祭と日本映画全般の残念な国際的な地位は“映画村”のせいだと批判し,映画産業の既得権益に触れた」ものであり(原告の訳文による。),「2014年度の映画祭事業費の3分の2は大手映画会社とその子会社,巨大広告代理店の電通,大手不動産会社の森ビルらが独占する委託費になっていることを指摘した」というものにすぎないのであって,原告がこのような批判や指摘をした旨の紹介自体が,一般読者の普通の注意と読み方とを基準とした場合に原告の社会的評価を低下させるものと認めることはできない。
したがって,被告記事が原告の社会的評価を低下させるものであるとの原告の主張は理由がなく,被告記事による名誉毀損は成立しない。
5 争点(2)イ(真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否)について
上記のとおり被告記事による名誉毀損は成立しないところであるが,事案に鑑み,争点(2)イ(真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否)についても検討する。
(1)
他人の言動,創作等について意見ないし論評を表明する行為がその者の客観的な社会的評価を低下させることがあっても,その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり,かつ,意見ないし論評の前提となっている事実の主要な点につき真実であることの証明があるときは,人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものでない限り,名誉毀損としての違法性を欠く(最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決,最高裁平成9年9月9日第三小法廷判決参照)。そして,意見ないし論評が他人の著作物に関するものである場合には,上記著作物の内容自体が意見ないし論評の前提となっている事実に当たるから,当該意見ないし論評における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ,前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないものと解すべきである(最高裁平成10年7月17日第二小法廷判決参照)。
(2)
上記4(2)のとおり,原告は,被告記事の記載が原告の社会的評価を低下させた点として,①原告が「東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位」と述べた旨の記載と,②大幅な要約が行われたとする点とを主張する。
ア そこで検討するに,被告記事のうち原告に関する部分(上記4(1))は,東京国際映画祭と日本の映画産業についての原告の意見を紹介するものであって,その内容自体からしても,公共の利害に関する事項について専ら公益を図る目的で掲載したことは明らかというべきである。
イ その上で,まず上記①についてみると,そもそも原告は,原告記事において「日本映画は大変不幸である。なぜなら日本の多様な声を世界に届ける『国際映画祭』が日本にないからだ。今年も10月22日から10日間にわたって『東京国際映画祭』が開催されるが,その任務は映画芸術の祝福にはない。予算の半分以上が税金で賄われる公益性の高いイベントでありながら,映画会社と広告代理店という『既得権益』を強化するばかりで,日本の映画産業や映画文化を育む機能を果たせていない。」,「問題はこうしたクリエイティブ産業への支援が,現場に届かず,映画会社や広告代理店といった『映画村』の中で計画,実施されている点にある。」,「日本映画のために本当に必要なことは,製作現場に投資を呼び込む枠組みづくりである。…しかし日本は国際競争から取り残されている。」,「世界の映画産業はパラダイムシフトに入っている。世界市場の変化だけでなく,消費者行動の変化により,100年の歴史をもつ映画の概念が根本から変わろうとしている。その中においても,日本では国際的な実務能力をもたない『映画村』の人間たちが,政府から税金を引き出し,利権を貪っている。人を育むことを無視した政策こそ,日本映画産業の国際的な発展を大きく妨げている。」,「日本映画を次世代につなぐには,この利権構造との決別が急務である。」などとして,東京国際映画祭が日本映画産業や映画文化を育む機能を果たせておらず,人を育むことを無視した政策が日本映画産業の国際的な発展を妨げていると述べ,もって,東京国際映画祭と日本映画全般が国際的に不本意な地位にあるとの趣旨の評価,評論を行っていたところである。
そうすると,原告記事には「東京国際映画祭と日本映画全般のがっかりするような国際的な地位」といった表現は直接見当たらないものの,全体としてみると,被告記事における原告記事の引用紹介が正確性を欠くとまではいうことができない。
ウ また,上記②についてみても,そもそも原告は被告記事が原告記事の「要約」であること自体は自認しているものである上,念のために検討しても,原告は原告記事において「主催する公益財団法人ユニジャパンの決算報告書(2014年度)によれば,東京国際映画祭の事業費は約10億9656万円である。このうち66.6%を占める7億3052万円は『委託費』となっている。」,「注目すべきはその非常に偏った委託先だ。2010年から14年の5年間では,KADOKAWAが広報宣伝事業,クオラスと北の丸工房が運営事業を,いずれも5年連続で委託されている。また12年より映画祭のオンラインチケット販売を担当している会社は電通の関係会社で,電通も13年を除くすべての年で委託を受けている。ユニジャパンの理事も広報事業と上映会場委託の東宝,歌舞伎座上映とイベント委託の松竹,メイン会場委託の森ビルなど,映画祭に近い特定の大企業の幹部という構成になっている。つまり健全な競争を排除した一定のグループが公益事業の運営,事業費を独占している。」などとして,平成26年度(2014年度)の東京国際映画祭の事業費の3分の2が企業に対する「委託費」となっていることを指摘していたところである。
そうすると,被告記事は原告記事を大幅に要約したものであるとはいえ,全体としてみると,やはり被告記事における原告記事の「乙は2014年度の映画祭事業費の3分の2は大手映画会社とその子会社,巨大広告代理店の電通,大手不動産会社の森ビルらが独占する委託費になっていることを指摘した。」などといった引用紹介が正確性を欠くとまではいうことができない。
エ 加えて,被告記事のうち原告に関する部分(上記4(1))をみても,これが原告への人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものであるようにはおよそうかがわれない。
(3)
以上からすれば,被告記事に名誉毀損としての違法性があるということはできず,原告の名誉毀損に基づく請求は理由がない。
6 結論
よって,その余の点について判断するまでもなく,本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
[控訴審]
当裁判所も,控訴人の請求はいずれも棄却すべきものと判断する。その理由は,下記のとおり当審における控訴人の補充主張に対する判断を示すほかは,原判決に記載のとおりである。
(当審における控訴人の補充主張に対する判断)
1 名誉毀損の成否について
(1)
社会的評価の低下の有無について
ア 控訴人は,控訴人記事のうち,多額の税金が使われている公益性の高い東京国際映画祭について,これを運営する公益財団法人の理事と関係が深い複数の企業が,独占的かつ5年連続して事業委託を受けている実態など,公共の利害に係る事項の記載が,一般読者の普通の注意と読み方を基準として判断される控訴人の社会的評価を左右する部分であり,そのような重要な事実の記載を欠く紹介をした場合,一般読者は控訴人記事との同一性を体感することはできず,控訴人記事への信頼を毀損するから,被控訴人記事が上記重要な事実の記載を欠く紹介をしたことは,控訴人の社会的評価を低下させるものであると主張する。
しかしながら,前記引用の原判決が説示するとおり,被控訴人記事の記載が控訴人の社会的評価を低下させるものであるかどうかは,被控訴人記事についての一般読者の普通の注意と読み方を基準として,被控訴人記事の記載自体に基づいて判断されるべきものであるから,被控訴人記事の記載自体ではなく,被控訴人記事において控訴人記事の記載の一部を紹介しなかったという点については,たとえ紹介していない部分が控訴人記事における重要な事実の記載であったとしても,原則として,控訴人の社会的評価を低下させるものとは認められない。もっとも,控訴人記事の記載の一部を紹介しなかった場合に,被控訴人記事に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準として,控訴人記事の趣旨や内容が誤解されるようなときには,当該誤解に基づいてその著作者である控訴人の社会的評価が低下するということはあり得ると解される。しかしながら,被控訴人記事に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば,被控訴人記事は,控訴人が「東京国際映画祭と日本映画全般の残念な国際的な地位は“映画村”のせいだと批判し,映画産業の既得権益に触れ」るとともに,「2014年度の映画祭事業費の3分の2は大手映画会社とその子会社,巨大広告代理店の電通,大手不動産会社の森ビルらが独占する委託費になっていることを指摘し」て,「東京国際映画祭・・・に対する厳しい批判」を行った旨を記載したもの(控訴人の訳文による。)と理解されるのであって,控訴人がこのような批判や指摘をした旨の一般読者の理解は,控訴人記事の趣旨や内容を誤解したものとはいえず,したがって,被控訴人記事が,控訴人記事の趣旨や内容を誤解させ,当該誤解に基づいて控訴人の社会的評価を低下させるものということもできない。
この点に関連して,控訴人は,被控訴人記事には,東京国際映画祭への税金投入や公益財団法人による運営等の事実が記載されていないことから,民間事業である映画祭における民間企業への委託費の配分の紹介となっている旨も主張するが,被控訴人記事は,控訴人記事において,東京国際映画祭等の残念な国際的な地位の責任が“原子力村”から派生した造語である“映画村”にあると批判していること,「映画産業の既得権益」に触れていること,2014年度東京国際映画祭事業費の3分の2を委託費として独占する大企業が「政府のクールジャパン政策の恩恵のほとんどを享受」していることが記載されている旨を紹介しており,被控訴人記事に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば,純粋な民間企業の委託費の配分が問題とされているのではなく,公的資金の使途が問題の背景にあることを十分推知することができるといえ,控訴人主張のように控訴人記事の趣旨や内容が誤解されるものではない。
また,控訴人は,一般読者が控訴人記事との同一性を体感することができず,控訴人記事への信頼を毀損する旨も主張するが,被控訴人記事に接した一般読者が控訴人記事の趣旨や内容を誤解するものではないことは前示のとおりであるから,その意味での同一性を損なうものとは認められない。また,控訴人の主張が,被控訴人記事に接した一般読者において,控訴人記事自体に直接接した場合と同一の印象を受けることを要するという趣旨であれば,そのような意味での同一性を求めることは失当であると認められる(換言すれば,そのような意味での同一性を満たさなければ,控訴人記事の著作者である控訴人の社会的評価を低下させるというものではない。)。
以上のとおり,控訴人の主張は理由がない。
イ 控訴人は,被控訴人記事の「日本映画全般のがっかりするような国際的な地位」という記載は,控訴人記事において控訴人が日本の映画作品やその創作性,創作に関わる映画制作者を含む国際的地位を「がっかりするほど低い」と評価,評論したという事実を摘示したことになるが,そのような事実はないから虚偽であり,映画プロデューサーである控訴人が説得力のある理由や根拠を示すこともなく,他のアーティスト作品や創作性の国際的地位が低いと評価,評論したという虚偽の事実は,控訴人の社会的評価を低下させると主張する。
しかしながら,被控訴人記事の「東京国際映画祭と日本映画全般の残念な国際的地位」という記載における「日本映画全般」(原文では,「Japanese cinema in general」)という用語は,多義的であるといえ,文脈次第では,控訴人が主張する「日本の映画作品やその創作性,創作に関わる映画制作者」を指す意味に解される場合もあり得るものの,被控訴人記事においては,「日本映画全般の残念な国際的地位は“映画村”(“原子力村”から派生した造語)のせいだと批判し」という文脈で用いられ(控訴人の訳文による。),これに続いて,映画産業の既得権益,東京国際映画祭の事業費の使途,政府のクールジャパン政策の恩恵の享受について記載されているのであるから,被控訴人記事に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば,ここでの「日本映画全般」という用語は,日本の「映画産業」全体を指すものと理解され,個別の映画作品や映画制作者を指すと理解されるものではない。そして,そのような映画産業という趣旨において,控訴人記事が日本の映画産業が国際的に不本意な地位にあるとの趣旨の評価,評論を行っていたことは,原判決記載のとおりであり,被控訴人記事における控訴人記事の引用紹介が正確性を欠くとまでは認められない。控訴人の主張は理由がない。
ウ 控訴人は,被控訴人記事は,2015年東京国際映画祭を受けて書かれたものであるかのように紹介しているが,控訴人記事は,同年の東京国際映画祭の前に発売されたものであり,映画プロデューサーである控訴人が,被控訴人が大幅に改善されたと批評した同年の東京国際映画祭を受けてもなお残る毎年恒例の東京国際映画祭の酷評を行ったという虚偽の事実は,控訴人の社会的地位を低下させると主張する。
確かに,控訴人記事が2015年10月10日発行・発売の雑誌に掲載されたものであり,同年の東京国際映画祭が同月22日から10日間にわたって開催されたものである(甲2)のに対し,同年11月13日に掲載された被控訴人記事は,「今年の東京国際映画祭は過去の失敗から学び,再び映画を中心に考え,大幅に改善されたイベントを開催する明確な努力がはっきりと表れていた。/それにも関わらず,未だ東京国際映画祭は批判の格好の的になっており,映画祭に対する厳しい批判は毎年の恒例行事となっている。そして今回それを行ったのが映画プロデューサーのXである。彼はプレジデントオンラインの記事において・・・」と記載しており(控訴人の訳文による。),控訴人主張のとおり,この記載は,控訴人記事が2015年東京国際映画祭を踏まえて書かれたものであるかのような印象を与える不適切な措辞であるというべきである。
もっとも,被控訴人記事は,それ自体が2015年東京国際映画祭の終了から2週間足らずのうちに掲載されたものであり,「Xは2014年度の映画祭事業費の3分の2は大手映画会社とその子会社,巨大広告代理店の電通,大手不動産会社の森ビルらが独占する委託費になっていることを指摘した。」と記載して,控訴人記事において指摘されているのが「2014年度の映画祭事業費」であることをも示していることからすると,被控訴人記事に接した一般読者の普通の注意と読み方を基準とすれば,控訴人が2014年度の事業費を根拠として東京国際映画祭に対する批判をしているものであると理解され,上記の不適切な措辞を考慮しても,控訴人が2015年度の事業費を根拠として東京国際映画祭に対する批判をしていると誤解されるものではないと認められる。以上に加え,被控訴人記事には,2015年東京国際映画祭の事業費に関し改善が見られた旨は記載されていないこと,他方,控訴人記事自体が,「日本映画は大変不幸である。なぜなら日本の多様な声を世界に届ける『国際映画祭』が日本にないからだ。今年も10月22日から10日間にわたって『東京国際映画祭』が開催されるが,その任務は映画芸術の祝福にはない。予算の半分以上が税金で賄われる公益性の高いイベントでありながら,映画会社と広告代理店という『既得権益』を強化するばかりで,日本の映画産業や映画文化を育む機能を果たせていない。/東京国際映画祭の事業費の内訳をみれば,この映画祭が誰のために行われているのかがよくわかる。主催する公益財団法人ユニジャパンの決算報告書(2014年度)によれば,東京国際映画祭の事業費は約10億9656万円である。このうち66.6%を占める7億3052万円は『委託費』となっている。」などと記載して,2015年東京国際映画祭開催のわずか2週間前に発行される雑誌において,2014年度の事業費を根拠として,「『東京国際映画祭』・・・の任務は映画芸術の祝福にはない」,「事業費の内訳をみれば,この映画祭が誰のために行われているのかがよくわかる」などと,東京国際映画祭全般について批判的な評価を加えており,2015年東京国際映画祭についても特に除外していないばかりか,かえって,「今年も10月22日から10日間にわたって・・・開催されるが,その任務は映画芸術の祝福にはない。」と記載していることをも考慮すると,被控訴人記事が,控訴人記事が2014年度の事業費を指摘していることをも示した上で,控訴人記事について,2015年東京国際映画祭以降もなお残る毎年の恒例行事となっている「厳しい批判」として紹介したことは,不適切な措辞を含むものではあるものの,なお控訴人の社会的評価を低下させるとまではいえないものと認められる。
以上によれば,控訴人の主張は理由がない。
(2)
真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否について
被控訴人記事が控訴人の社会的評価を低下させるものではなく,被控訴人記事による名誉毀損が成立しないことは,前記引用の原判決が認定説示するとおりである。
したがって,真実性の抗弁ないし公正な論評の抗弁の成否について判断する必要はないから,この点に関する当審における控訴人の補充主張に対する判断はしない。
2 名誉・声望権侵害の成否について
(1)
控訴人は,被控訴人記事は,控訴人記事への意見表明ないし論評ではなく,恣意的に歪曲した虚偽の事実の摘示に該当すると主張する。
しかしながら,被控訴人記事は,控訴人が控訴人記事において「映画祭に対する厳しい批判」を行った旨記載するものであるが,控訴人記事が「映画祭に対する厳しい批判」であることは,証拠等をもってその存否を決することができる事項ではないから,事実の摘示ではなく,控訴人記事への意見ないし論評の表明に当たるというべきである。控訴人は,「厳しい批判」は,「改善が見られた2015年イベント以降でも毎年酷評がつきまとう東京国際映画祭」という東京国際映画祭の状態を説明しているものであると主張するが,被控訴人記事は,「映画祭に対する厳しい批判は毎年の恒例行事となっている。そして今回それを行ったのが映画プロデューサーであるXである。」と記載しているのであるから(控訴人の訳文による。),控訴人が「それを行った」,すなわち,「厳しい批判」を行ったとの意見ないし論評を表明していることは明らかである。控訴人の主張は理由がない。
(2)
控訴人は,①「大幅な改善努力を見せた2015年東京国際映画祭を受けてもなお毎年恒例の酷評を控訴人が行った」,②「控訴人が日本映画作品やその創作性及び日本映画制作者の国際的地位が不本意であるという評価,評論を行った」,③「不本意な国際的地位を理由として既得権益を批判した」という記述は恣意的に歪曲された虚偽であり,名誉・声望権を侵害すると主張する。
しかしながら,著作物に対する意見ないし論評などは,それが誹謗中傷にわたるものでない限り,著作権法113条6項[注:現11項]の「名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為」に該当するとはいえないところ,被控訴人記事が控訴人又は控訴人記事を誹謗中傷するものとは認められないことは,前記引用の原判決が認定説示するとおりである。
念のため,個別に検討しても,控訴人主張の①については,前記1(1)ウのとおり,控訴人の社会的評価を低下させるとまではいえないし,控訴人主張の②については,同イのとおり,被控訴人記事における「日本映画全般」(原文では,「Japanese cinema in general」)の意味を正解しないものであり,やはり控訴人の社会的評価を低下させるものではない。また,控訴人主張の③については,被控訴人記事の対応する記載は,「彼はプレジデントオンラインの記事において,東京国際映画祭と日本映画全般の残念な国際的な地位は“映画村”(“原子力村”から派生した造語)のせいだと批判し,映画産業の既得権益に触れた。」というものであって(控訴人の訳文による。),控訴人主張の記述自体が認められない。結局,控訴人主張の①~③の記述により,控訴人記事に係る控訴人の名誉・声望権が侵害されたものと認めることはできない。
以上のとおり,控訴人の主張は理由がない。
第4 結論
そうすると,控訴人の請求をいずれも棄却した原判決は相当であって,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。