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著作権判例セレクション
【過失責任】大学研究室で改訂された教科書的書籍の改訂版の著作者人格権の侵害性が争点となった事例(主任教授らの過失(重過失)を認定した事例)
▶平成14年07月16日東京高等裁判所[平成14(ネ)1254]
(注) 本件は,小児歯科学の教科書的書籍のうち被控訴人が執筆した部分が,控訴人らによって,被控訴人に無断で,その内容が一部変更された上,執筆者名も控訴人らと表示されて出版されたとして,被控訴人が,その執筆部分についての著作者人格権(氏名表示権,同一性保持権,名誉又は声望)を侵害されたことを理由として,控訴人らに対し,民法710条に基づき,上記著作者人格権の侵害による慰謝料等の支払をすることなど請求をした事案である。原審が上記各著作者人格権の侵害を認め,慰謝料150万円とその遅延損害金の範囲でその請求を認容したのに対し,控訴人らが,原判決の取消し等を求めて控訴しているものである。
当裁判所は,控訴人らの主張はいずれも理由がなく,被控訴人の請求は,氏名表示権及び同一性保持権侵害の限度で理由があり,その損害としての慰謝料の額は,原判決が認容した額である150万円と認めるのが相当である,と判断する。
その理由は,以下のとおり付加,訂正するほか,原判決のうち,…までの部分を除いて,これを引用する。
1 甲1記述の執筆者,甲1写真等の撮影者及び甲1部分への控訴人らの関与の有無について
(1)
甲1記述の執筆者及び控訴人らの関与の有無について
本書店は,平成4年6月ころ,教授であり本教室の代表者であるDに対し,写真を中心にした学生向けの小児歯科の教科書を刊行するとして,甲1書籍の3章「小児の齲蝕」の執筆を依頼した。Dは,被控訴人と執筆項目の分担について相談し,次のとおり執筆分担を決定し,各分担者が実際に各担当部分を執筆した。
題目・細目………………………………(実際に執筆を行った者)
1.小児齲蝕の診断……………………………(被控訴人)
2.乳歯齲蝕に対する歯冠修復処置
1)コンポジットレジン修復……………(E)
2)グラスアイオノマーセメント修復…(被控訴人とF)
3)コンポジットレジン冠………………(被控訴人とF)
4)アマルガム修復………………………(E)
5)インレー修復…………………………(被控訴人)
6)既製金属冠修復………………………(被控訴人)
3.幼若永久歯齲蝕に対する歯冠修復処置…(G)
控訴人Bは,平成4年6月末日で本歯大を退職し,福岡歯科大学小児歯科に講師として勤務する予定であったため,甲1書籍の執筆には関与しなかった。また,控訴人Aは,当時助教授ではあったものの,Dとの関係が疎遠であり,学生に対する授業の担当からも外されている状況であったため,甲1書籍の執筆分担の決定の段階から関与させてもらえず,甲1部分の執筆には全く関与していない。
(2)
甲1写真等の撮影者について
被控訴人とDは,相談の上,甲1書籍に掲載する症例写真については,新規に撮影したものを使用することにした。
被控訴人は,F及びHが当時担当していた患者の症例写真を撮影することとし,平成4年6月から8月にかけて,F,H,患者及び患者の保護者の承諾を得て,FやHが治療しているところを撮影した。Hは,Fの患者の撮影の際に立ち会い,ライトをつける,患者の位置を動かすなどの補助もした。したがって,甲1写真は,被控訴人の撮影に係るものである。
控訴人らは,本歯大の教室内で,同大学所有のカメラ及びフィルム等を使用して撮影される写真については,原著論文や症例報告等に利用される,学術的価値が高い写真の場合は別として,当該教室でネガが共同保管され,当該教室の教室員が自由にこれを利用することができる,これは,撮影者が,当該教室の教室員に対し,包括的に黙示にその写真の利用を許諾しているか,あるいは,写真については,当該教室の教室員が共同利用することができるとの事実たる慣習があるか,のいずれかのためである,と主張する。
しかし,本教室内で共同利用されている写真の場合は,そのネガは,症例ごとあるいは患者ごとに分類されて,本教室内で保管されていたものであるのに対し,甲1写真等のネガについては,被控訴人が甲1部分に使用する目的で新規に撮影したものであるため,現像の費用も個人で負担し,甲1書籍出版のために,本書店に送付したネガ以外のネガは,被控訴人個人でこれを保管していたものである。
したがって,本歯大において,教室の費用で現像等をして,当該教室でそのネガが共同保管されている写真については,写真の撮影をした者が,当該教室に所属する者の利用について,包括的に許諾していたということ,あるいは,当該教室に所属する者が共同利用することができるという事実たる慣習が存在することがあり得るとしても,甲1写真等の場合は,これらとは取り扱いを異にし,被控訴人が個人で費用も負担し,そのネガの保管もしていたのであるから,その写真の利用を教室員に対し包括的に許諾していたものとも,これが上記事実たる慣習の対象となるとも認めることはできない。控訴人らの上記主張は,少なくとも甲1写真等については,理由がないことが明らかである。
2 甲2部分執筆と甲2書籍出版の経緯について
(1)
本書店は,甲1書籍が出版されてから6年近く経って内容的に古くなったところも出てきたことなどから,平成10年春ころ,新しい教科書的書籍を発行することとし,そのころ,D教授の後継教授であった控訴人Aに対し,甲2部分の執筆ないし甲1部分の改訂作業を依頼し,甲2書籍の執筆要綱及び執筆留意点を送付した。控訴人Aは,被控訴人の承諾を得ないまま,助教授であった控訴人Bに依頼して,甲1部分の改訂作業を行わせた。控訴人Bは,甲1部分に加筆訂正,一部削除等した改訂作業案を控訴人Aに提出し,控訴人Aがこれを最終的に加筆訂正した上で,秘書にワープロで浄書させ,その原稿をフロッピーディスクの形式で本書店に送付した。控訴人らは,その上で,甲2部分の執筆者を控訴人A及び控訴人Bとすべきことを本書店に対し指示した。
(2)
被控訴人は,平成10年当時,本歯大の講師ではあったが,湘南短期大学に出向していた。ただし,同大学は,本歯大と同じ敷地内にある大学であり,本歯大とは内線電話で結ばれていたため,控訴人Aが,甲1部分の改訂作業を被控訴人に依頼したり,その改訂について,了解を得るために,被控訴人に連絡したりすることは,何ら困難なことではなかった。それにもかかわらず,控訴人Aは,被控訴人に甲1部分の改訂について何の連絡もしなかった。
(3)
本書店が,控訴人Aに対し送付した執筆要綱には,①新設項目については,フロッピーディスクと打ち出し原稿とを提出する,②改訂項目については,既刊本に記入する,との入稿方法の指示があり,また,執筆留意点においては,他人の著作物からの引用,転載についての注意事項が記載されていた。本書店は,甲2部分の執筆ないし甲1部分の改訂作業については,本教室の代表者である控訴人Aに依頼していたことから,甲1部分の執筆者の承諾が必要な改訂作業においては,当然に甲1部分の執筆者の承諾を得ているものと理解していたため,甲1部分の執筆者の一人である被控訴人の承諾を得ないまま,甲2書籍を出版した。また,甲2部分の執筆者については,控訴人らの指示により,控訴人2名の氏名を表示した。
(4)
甲2書籍は,その題号が「小児歯科疾患の治療 診査・診断・処置」であって,甲1書籍の題号「エッセンシャルカラーアトラス 小児歯科疾患の診断と治療」とは異なり,その装丁も異なるのみならず,甲1書籍の改訂版であるとの表示も記載もなされていない。
(5)
上記事実から明らかなように,甲2書籍においては,甲1部分の一部につき加筆訂正,削除のなされたものである甲2部分が掲載され,その執筆者として控訴人2名が表示されている。甲1部分の一部を執筆した被控訴人の著作者人格権である氏名表示権及び同一性保持権が,これにより侵害されたことは明らかである(甲1部分の著作物性と,甲1部分と甲2部分との同一性についての詳細は,原判決のとおりである。)。また,控訴人らは,甲1部分の一部が被控訴人によって記述されたものであることを知りながら,その部分につき,被控訴人に無断で,加筆訂正,削除等し,その原稿を本書店に送付した上で,甲2部分の執筆者を控訴人名とするように本書店に対して指示したものであるから,故意又は過失(重過失)により,被控訴人の著作者人格権である氏名表示権及び同一性保持権を侵害したことは,明らかなことというべきである。
3 控訴人らの反論について
(1)
教科書的書籍の改訂作業についての原著作者の包括的許諾ないし事実たる慣習について
控訴人らは,大学の研究室である本教室においては,主任教授は,甲1書籍のような教科書的書籍について,出版社から改訂作業を依頼された場合,改訂前の原著作の執筆者が教室に在籍していないときには,その異動先まで連絡して改訂作業を依頼したり,改訂についての承諾を求めたりすることはせずに,他の者に改訂作業を割り振るのが通例である。それは,他へ異動した者は,一般に,教科書的書籍中のその者が著作した部分の改訂については,主任教授に対し,あらかじめ黙示の承諾を与えているか,あるいは,主任教授に対し改訂をすることを許諾する,との事実たる慣習があるか,いずれかであるからである,と主張する。しかし,控訴人らが主張するような黙示の許諾あるいは事実たる慣習があることを認めるに足りる証拠はない。そもそも,本件においては,甲1部分の一部の著作者である被控訴人は,平成10年当時,湘南短期大学に出向していたとはいえ,同短期大学は,本歯大と同じ敷地内にあり,本歯大とは内線電話で結ばれていたことは,上記認定のとおりであるから,控訴人Aが被控訴人に対し甲1部分の改訂作業を依頼したり,その改訂につき承諾を得たりすることについては,何の困難も不都合もなかったのである。
(2)
主任教授による執筆者表示の指定の慣習について
控訴人らは,大学の研究室においては,教科書的書籍については,実際の執筆者を逐一執筆者として表示することはなく,だれを執筆者として表示するかについては,主任教授がこれを決定する,との事実たる慣習がある,と主張する。しかし,本件全証拠によっても,このような事実たる慣習を認めるに足りる証拠はない。控訴人らの主張は失当である。
(3)
執筆者表示行為と本書店の責任について
控訴人らは,甲2書籍に,執筆者として控訴人らを表示したのは本書店である,と主張する。しかし,甲2書籍において,甲2部分の執筆者として,控訴人2名を表示するように指示したのは,上記認定のとおり,控訴人らである。実際に甲2書籍を印刷製本して発行したのが本書店であるとしても,控訴人らが,甲1部分を被控訴人に無断で改変し,その原稿を本書店に送付し,その執筆者の氏名を控訴人2名とするように指示したのであるから,控訴人2名は,本書店と共同して,被控訴人の著作者人格権(氏名表示権,同一性保持権)の侵害行為をなしたものというべきである。
控訴人らは,被控訴人の承諾を得るべき義務は,本書店にあったと主張する。しかし,控訴人らにおいて被控訴人の著作物を無断で改変し,本書店がこれを出版した以上,被控訴人に対し著作者人格権侵害の責任を負うべきは,控訴人両名と本書店の双方であるというべきである。控訴人らと本書店のいずれが被控訴人の承認を得るべきであったかは,控訴人らと本書店の内部関係の問題にすぎず,この点を,被控訴人との関係において,その責任に何らかの消長をきたすべき問題とすることはできない(この内部関係の問題についても,本書店は,上記認定のとおり,控訴人Aに対し,甲2書籍の執筆要綱及び執筆留意点と題する文書を送付しており,その執筆留意点においては,他人の著作物からの引用,転載についての注意事項を記載しており,甲2部分の執筆ないし甲1部分の改訂作業については,本教室の代表者である控訴人Aに依頼していたことから,甲1部分の執筆者の承諾が必要な改訂作業においては,当然にその執筆者は控訴人Aの研究室の内部の人間であるから,その承諾を得ているものと理解していたとしてもおかしくはない。したがって,控訴人Aと本書店の関係においては,改訂作業をする場合に必要な原著作者の承認を控訴人Aの責任において得ることが,了解されていた,とみるのが自然である。)。
(4)
故意・過失について
控訴人らは,控訴人Aは,自ら甲1部分のE及びG執筆部分の内容についてチェック(確認作業)をしたことなどから,甲1部分は,本教室の共有物であると考えていた,控訴人Aは,このような状況の下で,控訴人Bとともに,軽い気持ちで,甲1部分の改訂作業を行ったのであり,著作者人格権侵害について,故意も過失もない,と主張する。しかし,控訴人Aが甲1部分のE及びG執筆部分の内容についてチェックしたことを認めるに足りる証拠はない。逆に,控訴人Aは,平成4年当時,D教授と疎遠であったため,甲1書籍の執筆作業については,全く関与させてもらえず,甲1部分全体の内容をチェックしたのは被控訴人であったと認められることは,前記のとおりである。控訴人Aが甲1部分の一部についてでも,何らかの形でこれに参加したとの事実を認めることはできない。控訴人らの主張は,その前提において既に失当である。
控訴人Aは,甲1部分が控訴人ら以外の者により著作されたことを知りながら,これを被控訴人を含む各執筆者に無断で改変し,その結果,作成された原稿を本書店に送付し,本書店に指示して甲2部分の執筆者を控訴人2名の名義としたものであるから,故意又は過失(重過失)により,被控訴人の著作者人格権を侵害したものという以外にない。また,控訴人Bが甲1部分の改変行為(改訂作業)を行ったのは,控訴人Aに指示されるままにしたことではあるものの(被告B本人尋問),被控訴人に改訂版作成についての承諾の有無等を問い合わせることも可能であるのに,一切このようなことをせずに,甲2部分の作成に主体的に関与し,控訴人Aの意を受けて,本書店に対し,甲2部分の執筆者名義を控訴人2名とするように指示するなどしたものであるから,控訴人Aと同様に,故意又は過失(重過失)により,被控訴人の著作者人格権を侵害したものというべきである。
(5)
慰謝料の額について
控訴人らは,慰謝料150万円というのは異例に高額である,と主張する。しかし,控訴人らは,上記のとおり,故意又は重過失により,被控訴人の著作者人格権である氏名表示権及び同一性保持権を侵害したものであること,甲1書籍のような教科書的な書籍は,研究者が学会等に発表する研究論文が持つほどの重要性はないとしても,一般的な知識,情報を,最新のものも含めて,学生に伝えるためのものであり,理解しやすく体系立てて記述されるべきものであり,その読者が学生等多数に及ぶために,被控訴人のような講師の立場にあるものが,教授と連名でその著者として表示されることは,名誉なことでもあること,その他,原判決が損害額算定に当たり認定した諸事情を考慮すれば,被控訴人が控訴人らの行為によって被った精神的損害を慰謝するのに,150万円との金額は,決して高すぎるものではないというべきである。なお,次に述べるように,控訴人らの上記の行為は,原判決がいうように被控訴人の名誉又は声望を害する著作物の利用行為とまでいうことはできないものの,このことは,原審が認定した慰謝料の金額が相当であると判断することの妨げとなるものではない。
4 著作者の名誉又は声望を害する利用行為の有無について
(略)
5 上述のとおり,控訴人らの主張はいずれも理由がない。被控訴人の主張は,著作者人格権(氏名表示権,同一性保持権)を侵害されたとの限度で理由があり,被控訴人がその名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用されたとまでは認めることはできないものの,著作者人格権侵害の態様について原判決が認定したところには何ら誤りはなく,原判決の誤りは,認定された態様について,法令の当てはめの一部にあるにすぎない。慰謝料の額については,本件全資料に照らし,原判決と同様に,150万円とするのを相当と認める。