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著作権判例セレクション

【映画著作物】【その他の支分権】 法23項の立法趣旨/「映画の著作物」における固定性の要件の意義/ゲームソフトの映画著作物性を認定した事例/映画著作物の「頒布」の意義/頒布権の消尽
平成111007日大阪地方裁判所[平成10()6979]平成130329日大阪高等裁判所[平成11()3484]
(参照:{cs} 家庭用テレビゲーム機に用いられる映画の著作物の複製物を公衆に譲渡する権利は消尽するとされた事例▶平成14425日最高裁判所第一小法廷[平成13()952])

[控訴審]当裁判所は、争点1、2については、原審と同じく、本件各ゲームソフトは「頒布権のある映画の著作物」に該当すると判断するが、争点3については、原審と異なり、本件各ゲームソフトについて認められる頒布権は第一譲渡によって消尽すると判断するものである。
以下、その理由を述べる。
一 争点1(映画の著作物性)についての判断の理由は、次に付加訂正するほか、原判決記載のとおりであるから、これを引用する。
1 原判決の訂正等
()
2 控訴人らの当審主張一について
() 控訴人らは、争点1の「映画の著作物」該当性について、重ねて前記のとおり主張するが、採用することができない。
(1) 証拠及び弁論の全趣旨によれば、昭和46年(1971年)11日施行の現行著作権法(以下単に「法」ともいう。)23項の制定過程は以下のようであったと認められる。
ア 明治32715日施行の旧著作権法(一部改正後のものを含む。)は、映画を第一次的著作物としての映画と他人の著作物を映画化して作られた二次的著作物としての映画とに分けて規定し、前者に関しては独創性の有無によってその保護期間に区別を設け、独創性を欠くものについては一般の著作物よりも短い写真の著作物の保護期間(発行後10)によるものとしていた(22条ノ222条ノ323)が、これらはベルヌ条約ローマ規定(1928年)の内容をそのまま取り入れたものであった。
イ 1948年のベルヌ条約ブラッセル規定は、「映画的著作物及び映画に類似する方法で得た著作物」という表現で保護すべき著作物の一として映画の著作物を明示的に規定し、ベルヌ条約ローマ規定14(2)が「活動写真的製作物」につき独創的性質を有するものと独創的性質を有しないものとを区別して規定していたものを廃止し、創作性につき他の一般著作物と同様のものとした。
ウ さらに、1967年の同条約ストックホルム規定は、保護を受ける著作物(2)として、ブラッセル規定が著作物の例示中舞譜及び無言劇の著作物について固定されている(演出が文書又は他の方法で定められた)ことを保護の要件としていたのを廃止し、一般的に、同盟国は、全部又は一部の著作物についてそれが有形物に固定されていることを保護の要件とすることができる旨の規定を設けた(2(2))。また、ブラッセル規定の「映画に類似する方法で得た(映画に類似する過程により製作された)produced by a process analogous to cinematography著作物」という表現を「映画に類似する方法で表現されたexpressed by a process analogous to cinematography著作物」という表現に変更した(2(1))。
ストックホルム会議の公式提案は、いわゆるテレビジョン著作物の保護を目的として、映画に類似する視覚的効果を生ずる方法で表現された著作物で固定されているものを映画的著作物とみなすものとしていたが、同会議は、単なる影像の連続を感得せしめるものとしての映画との類似性よりも、より著作物性に重点を置いた影像のモンタージュやカット等の手法的な類似性によって映画類似の著作物を捉えようとしたものである。このことによって、著作物の例示の上ではテレビジョン著作物をも含めて固定のいかんにかかわらず映画に類似する方法で表現されているものは映画としての保護の対象となるが、国内法は保護の要件として固定を要求することができるものとなった。
エ 現行著作権法は、以上のベルヌ条約ブラッセル規定に即応し、同条約ストックホルム改正規定をも踏まえて立法されたものであり、保護すべき著作物の一として映画の著作物を明示的に規定し、独創性を有する映画と独創性を欠く映画とを区別しないこととし、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的方法で表現されたものであることを要するとともに、テレビの生放送番組のように放送と同時に消えて行く性格のものを映画の著作物として保護しないということで固定の要件を規定し、現行法23項を設けた。
(2) 右の立法経過に照らすと、ベルヌ条約が、映画の著作物に関し、創作性を他の一般著作物と同様のものとし、次に、著作物性に重点を置いた影像のモンタージュやカット等の手法的な類似性によって映画類似の著作物を捉えてテレビジョン著作物をも含めて固定のいかんにかかわらず映画に類似する方法で表現されているものが映画としての保護の対象となるが、国内法で固定を要求することができるものとし、現行著作権法がこれに基づきテレビの生放送番組のように放送と同時に消えて行く性格のものを映画の著作物としては保護しないということにして固定の要件を規定したのであるから、法23項は、第一に、創作性につき他の一般著作物と同様のものとし、第二に、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で「表現され」ることを求めているのであって、表現の内容たる「思想・感情」や表現物の「利用態様」における映画との類似性を求めていないというべきである(この点は、法24項[写真の著作物の定義]が「この法律にいう『写真の著作物』には、写真の製作方法に類似する方法を用いて表現される著作物を含む」として映画の著作物に関する法23項と異なり「製作方法」の類似性に着目した表現で規定して区分けされていることによっても裏付けられる。)。そして、第三に、表現が「物に固定」されることは、テレビの生放送番組のように放送と同時に消えて行く性格のものを映画の著作物として保護しないということで要件とされたのであるから、一定の内容の影像が常に一定の順序で再生される状態で固定されるというような特別の態様を要求するものでないことは明らかであり、法2114号にいう「録画」の定義としての「影像を連続して物に固定」するのとは異なるというべきである。
(3) 証拠によれば、アニメーション映画では、あらかじめ演出意図を絵コンテ等によって表現し、ショットの構成やタイミング、カメラワーク等作品成立にかかわるすべての表現要素を示した絵コンテを作品の設計図として具体的な影像が作成されること、ゲームソフトにおいても、その著作者は、ゲーム画面において何を描き、どのような視覚的又は視聴覚的な効果を持たせるのか、また、どのような場面状況になったときにどのような影像を表示させ、それをどのように展開させていくのか等をあらかじめ絵コンテ等により詳細にわたって設計・演出し、そこに作品の創作意図を表現し、その際、プレイヤーの操作・選択による変化をも織り込まれること、本件各ゲームソフトにおいては、プレイヤーの操作を前提としないで連続影像が展開される部分と、プレイヤーの操作を前提として連続影像が展開される部分とが有機的に連結して、全体として一つの著作物を形成しており、いずれも、アニメーション映画の技法を使用して製作されていること、以上の事実が認められる。
右の事実によれば、本件各ゲームソフトは、アニメーション映画におけるのと同様、ショットの構成やタイミング、カメラワークを含む作品成立にかかわるすべての表現要素をまとめた編集行為が絵コンテ段階で行われ、プレイヤーの操作・選択による変化をも織り込んで、著作者の意図を創作的に表現する編集行為が存在しているのであり、プレイヤーによる操作を前提としつつ、これを想定した上で著作者がいかに見せるかという観点から視聴覚的効果を創作的に表現しているというべきであって、前記引用にかかる原判決記載のとおり、本件各ゲームソフトは、映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的方法で表現され、かつ、創作性があって著作物性を有し、右表現がプログラム化されてCDーROMに収録されて固定されているから、映画の著作物に該当するというべきである。
() 控訴人らは、前記のとおり、劇場用映画を典型とする映画の著作物と本件各ゲームソフトとの相違を指摘し、本件各ゲームソフトは映画の著作物に該当しないと主張する。
控訴人らが指摘強調する右の相違点それ自体は、当裁判所もこれを肯認するに吝かではないが、これらはもっぱら表現の内容たる思想・感情ないしは表現物の利用態様における相違をいうものであるから、前記()で説示したところに照らすと、これらの相違点があることをもって、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当するとの前記判断を左右することはできないというべきである。
控訴人らの主張は、劇場用映画から抽出した特質をもって映画の著作物の要件とした上で、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当しないとするものであって、独自の限定解釈を前提とするものというほかない。
二 争点2(頒布権の有無)について
1 著作権法は、映画の著作物について、著作権者が頒布権を専有する旨を定めており(法261項)、映画の著作物の中で頒布権を認めるものとそうでないものとの区別をしていない。したがって、争点1で判断したとおり、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当する以上、著作権者である被控訴人らは本件各ゲームソフトについて頒布権を有することになる。
2 控訴人らは、本件各ゲームソフトについては頒布権を認める前提を欠き、頒布権付の映画の著作物に該当しないと主張する。
() 現行著作権法23項の制定過程でベルヌ条約の規定が反映され、その趣旨を内容とする立法がされたことは前記認定のとおりであるところ、証拠及び弁論の全趣旨によれば、さらに、次の事実が認められる。
(1) 旧著作権法は映画著作権の内容として頒布権の規定を置いていなかったが、現行著作権法への改正に際し、ベルヌ条約ブラッセル規定(1948年)が映画の著作物について頒布権を認めていたから、これに即応して、映画の著作物の頒布権を定める必要があった。一方、右改正の当時、劇場用映画について、映画製作会社や映画配給会社は、オリジナル・ネガフィルムから少数のプリント・フィルムを複製し、映画館経営者に対してプリント・フィルムを貸し渡すにとどめ、上映期間が終了した際に返却させ、あるいは指定する映画館へ引き継がせるといった形態の配給制度を慣行として維持・運営しており、映画フィルムの配給権という社会的取引の実態があった。ここに、映画の配給とは、製作された映画著作物すなわち著作権を有するネガフィルムをプリントに複製し、これを上映するために映画館(興業者)に一定期間貸し出すことをいうと観念されていた。そして、映画フィルムは、経済的な効用度が高く、一本のフィルムによって多額の収益を上げることができ、右のような配給制度の下で取り引きされている実態に照らすと、流通に大きな影響力を与える頒布権を認めても、取引上の混乱が少ないと考えられた。その結果、行先を指定する権利として、頒布先(譲受人又は借受人)、頒布場所、頒布期間を限定したり指定するものとしての頒布権が認められた(法26条)。
(2) また、新たに、法2119号は、映画の著作物を含む著作物一般に関する「頒布」概念として前段(「複製物を公衆に譲渡し、又は貸与する」こと)を規定し(以下「前段頒布」という。)、映画の著作物のみに適用される「頒布」概念として後段(これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与すること」)を規定(以下「後段頒布」という。)した。
(3) 一方、現行著作権が制定された昭和45年当時、放送事業者によって製作されたフィルム、ビデオテープは存在したが、本件のようなゲームソフトは存在せず、訴外任天堂が「ファミリーコンピューター」を発売した昭和58年頃から、ゲームソフト(の複製物)は、大量に生産され、直接、大衆に対し大量に販売され、平成9年のゲームソフト新品は、売上本数が約1億本、販売額約5377億円(国内約3899億円、海外約1478億円)で、中古品は、売上本数が約4000万本、販売額約1395億円であり、前記映画の配給とは全く異なる流通、取引形態を取っている。
() 右事実によれば、控訴人らの主張するように、法26条は、劇場用映画の配給制度という取引実態を踏まえて、映画の著作物について頒布権という特別の支分権を認めて作られた規定であるところ、本件各ゲームソフトの流通、取引形態は、右劇場用映画の配給制度とは全く異なるものであるということができるが、しかし、そのことから、直ちに、本件各ゲームソフトが頒布権を有しない映画の著作物に該当するとすることはできない。けだし、本件各ゲームソフトが映画の著作物に該当する以上、法26条が適用されることになるのは当然であって、明文によって認められる権利を否定するにはそれだけの十分な理由付けが必要であるところ、右事由は、未だ本件各ゲームソフトについて頒布権を否定するに足りるだけの理由に至っていないというべきだからである。
なお、平成11年法律第77号による改正により、映画の著作物以外の著作物について譲渡権の規定が新設された(法26条の2)ことに照らしても、控訴人らのような解釈を採ると、本件各ゲームソフトは、法26条、26条の2のいずれにも該当しないことになり、著作物のうち唯一譲渡権の認められないものを肯定するという不相当な結果を招くことになる。
三 争点3(頒布権の消尽等)について
1 前記のとおり、当裁判所は、本争点については、消尽を積極に解する控訴人らの主張に左たんするものである。
すなわち、被控訴人らは、本件各ゲームソフト(各パッケージに中古販売を禁止する旨が記載されている。右取扱いは一般的に平成10年頃から始められた。)を一次卸店を通じて、卸店、小売店を経由して最終ユーザーに譲渡されるまでの各販売につき許諾(黙示的)をしたものであるところ、控訴人Rは、フランチャイザーである控訴人Aの指導の下に、ゲームソフト販売店を開設して営業し、本件各ゲームソフトを最終ユーザーから購入した上、一般公衆に対して販売したことが認められるから、本件各ゲームソフトは、小売店を経由して最終ユーザーに譲渡され、いったん市場に適法に拡布されたものということができ、そうすると、権利消尽の原則という一般的原則により、被控訴人らは、少なくとも最終ユーザーに譲渡された後の譲渡につき頒布禁止の効力を及ぼすことができないというべきである。
以下にその理由を述べる。
2 著作権法の領域において消尽の原則が適用されるのは同法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づく。
() 特許権に権利消尽の原則が認められることは一般に承認されている。
特許権の消尽理論は、特許権の効力を特許製品の流通過程に及ぼすことが自由競争ないしは取引の安全を害することとなることから、特許権者と一般公衆の利益との調整を特許製品が流通に置かれる時点で考慮するものということができる。特許制度の目的は、権利者に独占的な実施を認めることによりその利益を保証して発明へのインセンティヴを増すことにあるが、その効力は常に公共の利益とのバランスにより決定されなければならず、商品が転々流通することは産業発展にとって必須であるので、特許権がそれを阻害するような制度であってはならないという優れて政策的な判断から権利消尽の原則という理論が肯定される(最高裁判所平成971日判決[BBS事件]参照)。
すなわち、特許権は、発明の保護及び利用を図ることにより発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的として認められたものであり、特許発明の保護範囲を明確にした上で公開するという方法で、一方では特許発明者に公開の代償として一定期間の独占的利用権を与えてこれを保護することにより研究開発のインセンティブを図り、他方、万人がこれを共通の知識資源として研究開発する道を開いて自由競争を行わせることにより、産業上の技術の発達を図る点が眼目であって、特許法による発明の保護は社会公共の利益との調和の下において実現されなければならないものである。そして、資本主義経済の繁栄と拡大の前提をなす所有権の絶対と自由契約を内容とする自由な商品生産・販売市場の維持、保護は、産業の発達と経済の繁栄を達成するという社会公共の利益の重要な前提をなしている。
しかるところ、特許制度自体、研究開発上の自由競争を促すことにより産業の発達と経済の繁栄との達成を目的とするものであって、特許権それ自体の保護が自己目的化することは避けなければならない。したがって、第一に、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となる限りにおいて権利消尽の原則が認められ特許権の効力が否定されるのは、市場経済の本質に根ざし、特許法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づくもので、特許法の明文の法律の規定の有無にかかわらない論理的帰結であり、第二に、特許権の効力を権利者以外の行為に及ぼすことが自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となる限りにおいて権利消尽の原則が働くのであるから、特許権の権利者及び特許権の権利者以外の者の行う生産、使用、譲渡等の具体的行為態様の如何により権利消尽の原則の適用の有無が定まり、特許権の内容である生産、使用、譲渡等をする権利の効力を及ぼすことの有無が定まることとなる。
() 著作権においても、ことは同様であって、有形的な商品取引の行われる場合、すなわち著作物自体又は著作物の有形的再製物(複製物。以下単に「複製物」という。)につき商品取引の行われる場合、自由な商品取引という公共の利益と著作者の利益との調整として、消尽の原則が適用されると解するのが相当である。
けだし、(1) 著作権法による著作物の保護は、社会公共の利益との調和の下において実現されなければならないものであるところ、(2) 一般に譲渡においては、譲渡人は目的物について有するすべての権利を譲受人に移転し、譲受人は譲渡人が有していたすべての権利を取得するものであり、著作物又はその複製物が市場での流通に置かれる場合にも、譲受人が目的物につき著作権者の権利行使を離れて自由にこれを利用し再譲渡などをすることができる権利を取得することを前提として、取引行為が行われるものであって、仮に、著作物又はその複製物について譲渡等を行う都度著作権者の許諾を要するということになれば、市場における商品の自由な流通が阻害され、著作物又はその複製物の円滑な流通が妨げられて、かえって著作権者の利益を害する結果を来し、ひいては「著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与する」(法1条参照)という著作権法の目的に反することになり、(3) 他方、著作権者は、著作物又はその複製物を自ら譲渡するに当たっては、著作物の利用の対価を含めた譲渡代金を取得することができ、また、著作物の利用を許諾するに当たっては、著作権料を取得することができるのであるから、著作権者が著作物を公開することによる代償を確保する機会は保障されているものということができ、したがって、著作権者から譲渡された著作物又はその複製物について、著作権者がその後の流通過程において二重に利得を得ることを認める必要性は存在しないということができる(前記最高裁判所判決参照)からである。
すなわち、著作権法は、著作物の公正な利用に留意しつつ、著作者の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することを目的とするものであり、そもそも、「思想及び感情を創作的に表現したものであって、文学、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」である著作物自体、公衆に広く公開・利用・鑑賞されることを本来的目的として包含しており、その内実に沿った利用を認める一方、著作者の権利を保護することにより、創作のインセンティブを図り、もって社会と公衆の文化の発展を図る点が眼目であって、著作権法による著作物の保護は社会公共の利益との調和の下において実現されなければならないものである。そして、資本主義経済の繁栄と拡大の前提をなす所有権の絶対と自由契約を内容とする自由な商品生産・販売市場の維持、保護は、右社会公共の利益の大きな部分を占めるものであり、現代資本主義市場経済の下における著作権の保護は、自由な商品生産・販売市場の発展のうちにその実現が保障される関係となっている。
したがって、第一に、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となる限りにおいて権利消尽の原則が認められ著作権の効力が否定されるのは、市場経済の本質に根ざし、著作権法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づくもので、著作権法の明文の法律の規定の有無にかかわらない論理的帰結であり、第二に、著作権の効力を権利者以外の行為に及ぼすことが自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となる限りにおいて権利消尽の原則が働くのであるから、著作物の権利者及び著作物の権利者以外の者の行う頒布等の具体的行為態様の如何により権利消尽の原則の適用の有無が定まり、著作権の各種支分権のうち、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得る頒布等の権利の効力を及ぼすことの有無が定まることとなる。
() 被控訴人らは、著作物については物に化体された表現物に着目した取引が行われるとして、特許権との違いを強調し、権利消尽の原則に関するBBS事件最高裁判決の法理が著作物一般に適用されるべきでないと主張するが、著作物の性質上、物に化体された表現物に着目した取引が行われることは当然としても、そのことを根拠として権利消尽の原則の適用を排除することはできないというべきである。このことは、後記3のとおり、平成11年改正後の法26条の2、WIPO著作権条約、各国の立法例において、著作物一般について権利消尽の原則が採用されていることに照らしても明らかである。
3 被控訴人らは、現行著作権法の条文の構造、法26条の立法趣旨、法26条の23の制定経過等に照らして、本件各ゲームソフトに消尽論を適用する余地はないと主張するので、検討する。
() 前記のとおり、第一に、権利消尽の原則が認められるのは、著作権法も当然の前提とする商品取引の自由という原則に基づくもので、著作権法の明文の法律の規定の有無にかかわらない論理的帰結であり、第二に、著作物の権利者及び著作物の権利者以外の者の行う頒布等の具体的行為態様の如何により権利消尽の原則の適用の有無が定まり、著作権の各種支分権のうち、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得る頒布等の権利の効力を及ぼすことの有無が決せられるものと解される。
したがって、法26条所定の頒布権は、その権利内容からして自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得るから、当然に権利消尽の原則という一般的原則に服するものであり、ただ、具体的行為態様において、自由な商品生産・販売市場を阻害するものでない場合には、例外的に権利消尽の原則の適用を免れることになると解するのが相当である。
被控訴人らの主張が、法26条所定の頒布権は権利として例外なく当然に権利消尽の原則が適用されないという趣旨であれば、頒布権が譲渡の権利をも内容とすることを無視するものであって、相当でない。このことは、特許法において、特許権が特許発明にかかる物等の生産、使用、譲渡等をする権利を内容としている旨の明文の規定(特許法68条、23項)があるにもかかわらず、権利消尽の原則の適用が排除されないということによって裏付けられる。すなわち、特許権も、譲渡等の権利を内容としているからこそ、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得て権利消尽の原則の適用が肯定されるのであり、同様に、法26条所定の頒布権も、譲渡の権利をも内容とするからこそ、自由な商品生産・販売市場を阻害する態様となり得て権利消尽の原則の適用が肯定されることになるのである。
() そこで、次に、本件各ゲームソフトについて、例外的に権利消尽の原則の適用が排除される余地はないかどうかを検討する。
(1) 現行著作権法の制定経過は、前記で認定のとおりであって、法26条所定の頒布権は、映画著作権の内容として頒布権の規定を置いていなかった旧著作権法の改正に際し、映画の著作物について頒布権を認めていたベルヌ条約ブラッセル規定(1948年)に即応する必要があったところから、昭和45年に成立した現行著作権法において導入されたものであるが、その当時、我が国の社会的事実として、劇場用映画に関する配給制度(映画製作会社や映画配給会社がオリジナル・ネガフィルムから少数のプリント・フィルムを複製し、これを映画館経営者に貸し渡すにとどめて、上映期間が終了した際に返却させ、あるいは、指定する別の映画館へ引き継がせるという取引慣行実態)が存在したのであって、このような取引実態を前提として、映画の著作物に頒布権を認めても取引上の混乱が少ないと考えられた結果、右の立法がなされたものと認められる。
また、法26条と同時に制定された法2119号は、「頒布」の定義として、「有償であるか又は無償であるかを問わず、複製物を公衆に譲渡し、又は貸与することをいい、映画の著作物又は映画の著作物において複製されている著作物にあっては、これらの著作物を公衆に提示することを目的として当該映画の著作物の複製物を譲渡し、又は貸与することを含むものとする。」と規定し、映画の著作物を含む著作物一般に関する「頒布」概念としての前段頒布と映画の著作物だけに関する「頒布」概念としての後段頒布とを定めている。
しかし、後記()の平成11年の改正に至るまでは、現行著作権法には、権利の消尽に関する規定は存在しなかった。
なお、現行著作権が制定された昭和45年当時、放送事業者によって製作されたフィルム、ビデオテープは存在したが、本件のようなゲームソフトは存在していなかった。
(2) 昭和59年の著作権法の改正により、映画の著作物を除く著作物の著作権者に貸与権を認める旨の規定(26条の2)が設けられ、さらに、平成11年法律第77号による改正により、右の貸与権の規定が26条の3に繰り下げられ、新たに譲渡権に関する現行の法26条の2が設けられた。この規定は、映画の著作物を除く著作物一般について、著作権者に「その著作物をその原作品又は複製物の譲渡により公衆に提供する権利を占有する。」として、譲渡権を認めるとともに(1項)、この譲渡権は、譲渡権を有する者により譲渡された複製物等には及ばないことを明記し、譲渡権が第一譲渡によって消尽することを明らかにしている(2項)。
前者の昭和59年の改正は、貸レコード業が昭和56年に登場して急速に全国に広がり、その利用者の多くが借りたレコードからテープに録音するため、レコードの売上げが減少し、著作者、実演者、レコード製作者の経済的利益に影響を与えるという事態が生じたことを契機として、貸レコード以外の著作物の複製物の貸与も対象とする一般的な内容の権利として貸与権の規定が設けられたものである。また、後者の平成11年の改正は、1996年(平成8年)12月に採択されたWIPO著作権条約が著作物一般に頒布権を認めたことから、我が国の著作権法においても、著作物一般に頒布権を認める必要があるとの判断により、前記の規定が新設されたものである。
(3) ベルヌ条約に定められた頒布権が第一頒布後の消尽を否定するものであることを示唆する資料はなく、むしろ、ベルヌ条約上頒布権は第一頒布に限定されることを示唆する資料が存在する。すなわち、WIPOにおけるベルヌ条約議定書の検討のための事務局文書では、「この規定の頒布権とは著作物の最初の公衆への頒布行為に適用されるのみであり、一旦頒布された後の再頒布には及ばない(BCP/CE/I/3 パラ 123,124)」と説明されており(平成72月著作権審議会マルチメディア小委員会ワーキング・グループ検討経過報告―マルチメディアに係る制度上の問題について。)、少なくともベルヌ条約上の頒布権が第一頒布後の消尽を否定するものであるとはいい難い。
また、各国の立法例をみると、控訴人らが主張するように、多くの国では、映画の著作権を含む著作権一般について頒布権を認める場合には、第一譲渡ないし公衆への最初の提供によって消尽するとの法制が採られていることが認められる。
(4) 以上の諸点を総合すると、法26条所定の頒布権には本来権利消尽の原則が働くが、前記のような配給制度に該当する商品取引形態(後段頒布)は、流通に置かれる取引の態様からして自由な商品生産・販売市場を阻害する態様とならないといえるから、権利消尽の原則の適用されない例外的取引形態というべきであり、このような取引については右の原則は適用されず、著作者の権利が及ぶと解するのが相当であり、昭和45年に法26条により映画の著作物について頒布権が導入されながら、その消尽について何らの規定もされなかったのは、劇場映画に関する配給制度という我が国特有の取引形態を前提とすれば、そのような映画の著作物に頒布権を認め、その消尽について特段の定めをしなくても、取引上の混乱を生じることはないと考えられた結果であるということができる。
すなわち、映画の著作物についても、第一譲渡により適法に公衆に拡布された後にされた譲渡のように、およそ前記の配給制度が予想していないような場合(前段頒布)には、前記で説示した原則どおり頒布権は消尽し著作権の効力が及ばないものと解し、配給制度に相応した後段頒布についてのみ権利消尽の原則の適用されない頒布権を認め、公に上映する目的で映画の著作物の複製物が譲渡又は貸与された場合には、著作者の権利が及ぶと解するのが相当である。平成1112月の著作権審議会第一小委員会のまとめその他立法担当者等の見解において、映画の著作物の頒布権が消尽しないという趣旨をいう部分は、右のことを前提としたものとして了解することが可能である。
また、法26条の頒布権に含まれる貸与権も、権利消尽の原則によって否定される対象とならないというべきである。けだし、前記昭和59年の貸与権規定の制定経過に明らかなとおり、貸与権は、複製権と密接な関係を有し、複製利用を内容とする著作権の特質を反映した権利というべきところ、このような貸与権が第一譲渡により消尽するとすれば、一回の許諾に対応した対価のみで複数の複製を許諾したのと同様の結果を招くことになり、不当だからである。
この点につき、被控訴人らは、法26条所定の頒布権に、消尽するものと消尽しないものの二種類を認めることは許されないと主張するが、右に説示したところに照らすと、被控訴人らの主張は理由がない。
(5) また、被控訴人らは、法26条の23の譲渡権及び貸与権の規定の新設に際し、映画の著作物が明文で除外されたことの反対解釈として、映画の著作物の頒布権は例外なく消尽しないと解すべきであると主張する。
右の立論は、形式論理としては一理あり、これをむげに否定することはできないけれども、立法者としては、消尽しない頒布権が認められる映画の著作物の範囲を明確にすることを避け、これを解釈に委ねて立法的に解決することを留保したものと考えることが可能であって、前記のような解釈が十分成り立つというべきである(この点については、本件のような紛争を防止するためにも、前記の映画の著作物の概念をも含めて、早期に立法的解決が図られるべきである。)。
(6) 以上によれば、本件各ゲームソフトについて、権利消尽の原則の適用が排除される余地はないということになり、被控訴人らの前記主張は採用することができない。
4 被控訴人らは、実質面等からしても本件各ゲームソフトに消尽しない頒布権を認めるのが妥当と主張する。
() 証拠によれば、ゲームソフトは、プロデューサー、ディレクター、キャラクター・デザイン担当者、映像担当者、サウンド担当者、プログラマー、シナリオライター等多数の者が組織的に製作に関与し、多額の費用と時間をかけて製作される場合も多く、右のような傾向は、ゲーム機の高性能化とも相まって最近では一層顕著になってきており、ゲームの内容も影像・音楽の技術的な進歩による視聴覚的表現方法の向上が著しく、映画との差が小さくなり、本件各ゲームソフトについてみても、その製作に多大な費用(本件各ゲームソフトの宣伝広告費を除いた平均製作費は約95000万円程度に達する。)、時間及び労力を要したものであることが認められる。
右事実によれば、本件のようなゲームソフトは、多数の者により多額の費用と時間をかけて製作される場合も多く、本件各ゲームソフトについても、その製作に多大の費用、時間及び労力を要したものであることが認められ、この点では劇場用映画に類似するということはできる。
しかしながら、一方、証拠によれば、ゲームソフトの複製物は、大量に生産され、直接、大衆に対し大量に販売され、平成9年のゲームソフト新品は、売上本数が約1億本、販売額約5377億円(国内約3899億円、海外1478億円)であり、劇場映画の配給制度とは全く異なる方法で流通していることが認められ(なお、中古品は、売上本数が約4000万本、販売額約1395億円である。)、この方法による投下資本の回収ができる流通実態を取っているといい得るから、当然に流通実態の全く異なる劇場用映画と同一方法による投下資本の回収の機会を与えることに合理性があるということはできない。
そうすると、被控訴人らゲームソフトの著作権者は、第一段階の販売(譲渡)の機会に、適正な価格を設定することにより、投下資本の回収を図ることが可能というべきであるから、前記の事実があるからといって、権利消尽の原則を排除する根拠とすることはできないというべきである。
() また、本件各ゲームソフトの各パッケージに中古販売を禁止する旨が記載されているが、このような記載により中古業者がユーザーから新品又は中古品のゲームソフトを購入した後にした販売の効力(所有権移転等の効力)を法律上否定できないことは明らかであり、また、権利消尽の原則は、取引の客観的態様・性質により適否が定まるものであって、取引当事者の個別的意思表示よりその適否が左右されるものでないから、右記載により権利消尽の原則の適用を排除し得ない。
() 新品又は中古品のゲームソフトを購入したユーザーが、これを中古業者に売却して出捐した資金の一部を回収した上、新たに新品又は中古品のゲームソフトを業者から購入する(業者が販売する)ことは、後者の購入が経済的に貸与の機能を果たすといえる面がないではないが、前者の売却と後者の購入とは別の物品について行われている上、いずれも所有権移転行為であることはいうまでもないから(自由な商品生産・販売市場を阻害しないということは法律上の問題として考えられるべきである。)、権利消尽の原則が適用されることに変わりはない。
5 ゲームソフトの複製物は、大量に生産され、直接、大衆に対し大量に販売され、本件各ゲームソフトは、一次卸店を通じて、卸店、小売店を経由して最終ユーザーに譲渡されたのであるから、劇場用映画におけるような例外的商品取引形態でなく、いったん市場に適法に拡布されたものということができ、そうすると、権利消尽の原則という一般的原則により、被控訴人らは、少なくとも最終ユーザーに譲渡された後の譲渡につき頒布禁止の効力を及ぼすことができないというべきである。

※参考:ゲームソフトの著作物性(「バイオハザード2」などの著作物性を認定した事例)
▶(原審)平成111007日大阪地方裁判所[平成10()6979]

一 争点1について
1 著作権法は、著作物を「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。」(211号)と定義するとともに、「映画の著作物」を著作物の例示として挙げている(1017号)。「映画の著作物」について、著作権法には、著作者の範囲(16条)、著作権の帰属(29条)及び著作権の保護期間(54条)に関する特則が置かれているほか、その利用に関する権利として、他の著作物一般には認められていない上映権及び頒布権(26条)を著作権者が専有する旨の規定が置かれている。また、著作権法は、「映画」の概念の定義については、明示的な規定は置いていないが、「映画の著作物」には、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され、かつ、物に固定されている著作物を含むものとする。」としている(23項)。右のとおり、著作権法上の「映画の著作物」には、劇場用映画のような本来的な意味の映画以外のものも含まれるが、著作権法の規定に照らすと、映画の著作物として著作権法上の保護を受けるためには、次の要件を満たす必要があると解される。
() 映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること(表現方法の要件)
() 物に固定されていること(存在形式の要件)
() 著作物であること(内容の要件)
被告らは、本件各ゲームソフトが映画の著作物であることを争うが、主として右要件のうちの()()を争うものである。
2 「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されていること」について
() 前記のとおり、著作権法は「映画」を所与の概念とし、その定義規定を置いていないところ、映画の一般的な意味(例えば、岩波書店「広辞苑」第五版では「長いフィルム上に連続して撮影した多数の静止画を、映写機で急速に(一秒間一五こま以上、普通は二四こま)順次投影し、眼の残像現象を利用して動きのある画像として見せるもの」としている。)や、本来的な意味の映画であることが明らかな劇場用映画の表現方法のほか、著作権法が映画の著作物の「上映」について、「著作物を映写幕その他の物に映写することをいい、これに伴って映画の著作物において固定されている音を再生することを含むものとする。」と定義していること(2118[注:17])を考え併せると、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているとは、右に述べた「映画」と同様の視覚的又は視聴覚的効果を生じさせるもの、すなわち、多数の静止画像を映写幕、ブラウン管、液晶画面その他の物に急速に連続して順次投影して、眼の残像現象を利用して、「映画」と類似した、動きのある影像として見せるという視覚的効果、又は右に加えて影像に音声をシンクロナイズさせるという視聴覚的効果をもって表現されている表現物をいうものと解するのが相当である。
() 被告らは、映画の著作物に該当するためには、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法」により「思想又は感情」が表現されていなければならないところ、「映画の著作物」により表現される「思想又は感情」とは、「一本の映画全体を貫く思想又は感情」をいい、当該著作物全体を貫く思想又は感情を視聴者に伝達しない連続影像は映画の著作物とはいえないのであり、ゲームソフトはプレイごとに出現する連続影像が異なるから、右のような意味での連続影像を有さず、映画の著作物には当たらない旨主張する。
なるほど、「映画の著作物」に該当するためには、「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法」により「思想又は感情」が表現されていなければならないが、「映画の著作物」といえるための表現方法の要件としての「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ていることというのは、その規定の文言から見て、「映画の効果」としてその視覚的又は視聴覚的側面を捉えたものと解するのが自然であり、「映画の著作物」たり得るための表現方法の要件としては、被告らの主張のような意味での連続影像を有しなければならないと解すべき根拠はない。「思想又は感情」が一本の映画全体を貫く思想又は感情をいうとの被告らの所論は、表現方法の要件というよりは、むしろ、著作物性の要件に関わる問題というべきであるから、後記4で検討する。
確かに、劇場用映画においては、カメラワークの工夫、モンタージュやカット等の手法、フィルム編集等の知的な活動を通じて、その構図等において創作的工夫に係る影像を作成し、これを選択して一定の順序で組み合わせ、音声をシンクロナイズすることによって映画フィルムが作成され、これを上映することによって一定の思想又は感情の表現としての連続影像がもたらされるものであり、それ故、映画フィルムの複製物たる複数のプリント・フィルムを多数の映画館において上映することによって、多数の観客に対して、時間的・空間的な隔たりを超えて同一の思想・感情の表現としての同一の視聴覚的効果を与えることが可能である。これに対して、ゲームソフトは、プレイごとにディスプレイ上に具体的に出現する連続影像が異なってくるという違いがある。しかし、後記二の2でも示すとおり、著作権法にいう「映画の著作物」は、本来的な意味での映画である劇場用映画ないし劇場用映画の特質を備えるものに限られるわけではないのであって、劇場用映画に特有な右のような特徴に限定して「映画の著作物」の表現形式上の要件を解釈する必要はない。
() 現在我が国で製造、販売されているゲームソフトにも、影像や音声の面での表現内容には種々のものがあるから、当該ゲームソフトが右にいう「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」た著作物に該当するか否かは、個別具体的に判断すべきものと考えられる。
そこで、これを本件各ゲームソフトについて検討するに、証拠によれば、本件各ゲームソフトは、それぞれ、全体が連続的な動画画像からなり、CG(コンピュータ・グラフィックス)を駆使するなどして、動画の影像もリアルな連続的な動きをもったものであり、影像にシンクロナイズされた効果音や背景音楽とも相まって臨場感を高めるなどの工夫がされており、一般の劇場用あるいはテレビ放映用のアニメーション映画に準じるような視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現されているといって差し支えない程度のものであることが認められる。したがって、本件各ゲームソフトは、いずれも、著作権法23項にいう「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され」ているものというのに十分である。
3 固定性について
() 著作権法は、映画の著作物についてのみ、「物に固定されていること」を要件としている。これは、ベルヌ条約2(2)の「もっとも、文学的及び美術的著作物の全体又はその一若しくは二以上の種類について、それらの著作物が物に固定されていない限り保護されないことを定める権能は、同盟国の立法に留保される。」との規定に対応するものと考えられる。
そこで、右の固定性の要件の意義について検討すると、現行著作権法の制定に先立って、昭和37年から昭和41年にかけて著作権制度の改正について審議した著作権制度審議会において、映画の著作物について担当した第四小委員会は、主にテレビの生放送番組の取扱いを念頭に置いて映画の著作物の固定性の要件について検討し、昭和405月、映画的著作物をその効果、すなわち、影像の連続を感得せしめることによって著作物として機能するという効果のみで捉えることは、現段階では問題が多いと考えられるとした上で、「映画的著作物および映画に類似する方法で得た著作物とは、影像または影像および音の固定物であって、それを用いることによって影像の連続が平面的に再現され得るものと考えることとした。」旨の最終報告を発表し、右の報告の趣旨に沿って映画の著作物に固定性の要件を必要とする著作権法案が作成され、これが現行著作権法として成立していること、ベルヌ条約のストックホルム改正会議において、放送用映画の取扱いとともに、映画の著作物について固定性の要件を要求するか否かについての議論があり、結局、前記のとおり、著作物一般について、固定性を要求するか否かは各国の立法に委ねることにされたこと、我が国著作権法において、著作物一般については固定性を要件とせず、映画の著作物についてのみ固定性を要件としていることなどを併せ考えれば、著作権法上の映画の著作物の要件としての固定性は、これを映画の著作物としての性質に関わるものと見るのは相当でなく、むしろ、単に放送用映画の生放送番組の取扱いとの関係で、これを映画の著作物に含ましめないための要件として設けられたものであると考えるべきである。そうすると、右固定性の要件は、生成と同時に消滅していく連続影像を映画の著作物から排除するために機能するものにすぎず、その存在、帰属等が明らかとなる形で何らかの媒体に固定されているものであれば、右固定性の要件を充足すると解するのが相当である。 () 被告らは、「物に固定されている」とは、著作物が何らかの方法により物と結びつくことにより、同一性を保ちながら存続し、かつ、著作物すなわち特定の表現(映画の著作物でいえば連続影像群)を再現することが可能な状態をいうと主張する。しかし、ベルヌ条約上は、映画の著作物について固定性を保護の必要条件とはせず、物に固定されていない映画の著作物を保護することは立法的に採用可能であること、前記のとおり、立法過程における審議においては、固定性の要件はもっぱら生放送番組の取扱いとの関連で議論されたものであること、その他、現行著作権法が特に被告らの主張するような意味内容を映画の著作物の固定性の要件に担わせていると解すべき根拠も見当たらないことからすれば、被告らの主張は採用することはできない。
() そこで、右の固定性の点を本件各ゲームソフトについてみるに、前記第の事実によれば、本件各ゲームソフトは、CDーROM中に収録されたプログラムに基づいて抽出された影像についてのデータが、ディスプレイ上の指定された位置に順次表示されることによって、全体として連続した影像となって表現されるものであり、そのデータはいずれもCDーROM中に記憶されているものであるから、右に述べたところの固定性の要件に欠けるところはない。
() テレビゲームは、同一のゲームソフトを使用しても、プレイヤーによるコントローラの具体的操作に応じて、画面上に表示される影像の内容や順序は、各回のプレイごとに異なるものとなるから、画面上に表示される具体的な影像の内容及び表示される順序が一定のものとして固定されているわけではない。しかし、これらの影像及びそれに伴う音声の変化は、当該ゲームソフトのプログラムによってあらかじめ設定された範囲のものであるから、常に同一の影像及び音声が連続して現われないことをもって、物に固定されていないということはできない。劇場用映画のように、映画フィルムを再生すれば常に同一の連続影像が再現されるのでなければ、「物に固定されている」とはいえないと解すべきものではない。
4 著作物性について
本件各ゲームソフトは、それぞれ前記のような内容であるが、証拠によってその具体的内容を検討するに、いずれも著作者の知的精神的創作活動の所産が具体的に表現されたものと認めるに十分であるから、これらの著作物性を肯定することができる。本件各ゲームソフトは、前示のとおり、プレイヤーの各回のプレイごとに具体的に画面に表示される連続影像が異なるものであるが、そもそもテレビゲームは、各プレイごとのプレイヤーの操作によって、具体的に出現する連続影像が同一にならないことを前提として、それ故にこそゲームをプレイできるという性格のものであって、ゲームソフトの著作者は、右のようなプレイヤーの操作による影像の変化の範囲をあらかじめ織り込んだ上で、ゲームのテーマやストーリーを設定し、様々な視覚的ないし視聴覚的効果を駆使して、統一的な作品としてのゲームを製作するものである(本件各ゲームソフトについても同様である。)。したがって、本件各ゲームソフトを含むゲームソフトは、ゲームソフト自体が著作者の統一的な思想・感情が創作的に表現されたものというべきであり、プレイヤーの操作によって画面上に表示される具体的な影像の内容や順序が異なるといったことは、ゲームソフトに「映画の著作物」としての著作物性を肯定することの妨げにはならないものというべきである。本件各ゲームソフトは、各回のプレイによって現出する連続影像が、被告らが映画の著作物の要件として主張する「一本の映画全体を貫く思想又は感情を視聴者に伝達する連続影像」に相当すると認めるに足るものである。
また、ゲームソフトの右のような性質からすれば、ゲームソフトは、プレイヤーのプレイを待たずに完成した著作物というべきことが明らかであるから、未編集の映画フィルムと同視して論じることも相当ではない。
5 証拠によれば、最近、インタラクティブ(双方向的)映画と呼ばれる、あらかじめ決まった一連の動画影像ではなく、観客の反応に応じて画面上の動き、表情、筋書き等が変化するという形で、複数用意された影像が選択されてストーリー展開が変化するという形式の劇場用映画が試験的にではあるが現れていることが認められる。右のように、現行著作権法の制定時に観念されていた劇場における映画の上映、あるいは、放送媒体による一方的な送信形態による映画の公衆送信などとは異なる表現形式の著作物が既に出現しているのであり、これらを映画の著作物の概念から除外する合理的な根拠ないし必要性があるとも考えられない。
したがって、右のような映画の著作物の現状に照らせば、ゲームソフト等のインタラクティブな表現形式を取る著作物について、「映画の著作物」から排除すべき合理的な理由はないというべきである。
6 以上によれば、本件各ゲームソフトは、著作権法上の「映画の著作物該当するものというべきである。