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著作権判例セレクション

【編集著作権の侵害性】英和辞典からの文例選択行為を編集著作権の侵害と認定した事例

▶昭和590514日東京地方裁判所[昭和50()480]▶昭和601114日東京高等裁判所[昭和59()1446]
三 請求の原因5については、当事者間に争いがない。
成立に争いのない(証拠)によれば、被告辞典は、約6500のマスメデイアで頻繁に使われる英語の単語、熟語を見出し語として選び出した上、これらをアルフアベツト順に配列し、各見出し語に続けて、その日本語訳、各日本語訳に対応する英語による言換えを付し、また、その相当部分のものについて、見出し語を用いた慣用句、文例及びこれらの日本語訳を付し、更に、場合により、見出し語の原意、注等をも付した部分と、重要時事英単語約3000をアルフアベツト順に配列し、これらに日本語訳を付した重要時事単語集の部分、英語等の略語をアルフアベツト順に配列し、これらに日本語訳とその非省略形とを付した略語表の部分と、時事和単語を五十音順に配列し、これらに英語訳を付し、場合により若干の応用句、文例等をも付した和英時事要語集の部分等からなるものであることが認められる。
そして、このうち、最初に掲げた部分は、時事英語に関する英和辞典の一種であると認められる(以下、被告辞典とは、原則としてこの部分をいうものとする。)。
四 そこで、まず、被告らの請求の原因5の行為が、「要語集」について原告の有する権利を侵害するか否かについて検討する。
1 前記(証拠)によれば、被告辞典には、「要語集」と、見出し語、慣用句、これらの日本語訳、これらに付された英語による言換え等の各素材(文例については、後述するので、ここでは除く。)において、同一又は類似のものが多数収録されているが、他方、同一又は類似でないものも多数収録されていること、これらの素材の配列については、基本的配列方法は類似しているが、各見出し語ごとに具体的に見れば、相当異なつていることが認められる。
右の見出し語、慣用句、これらの日本語訳等の各素材自体については、原告が何ら著作権や著作者人格権を有するものでないことは、前判示のとおりである。
そして、右に認定したとおり、「要語集」と被告辞典は、いずれも、英和辞典の性格を有するが、前者が新聞、雑誌等を基礎資料として標準的なアメリカ語を選択の対象とし、後者がマスメデイアで頻繁に使われる英語を選択の対象としたものであり、後者が前者の約二倍の見出し語を収録したものであつて、素材の選択において相異する部分もかなり多く、また、各見出し語ごとの具体的配列においても相当異なつていると認められるのであつて、見出し語や慣用句等の選択、配列において両書間に一部共通するところがあるとしても、それのみをとらえて直ちに前者が後者の素材の選択、配列に依拠し、これを模倣したものであるとは認められず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
なお、「要語集」中の「註」及び「注意」の部分が仮りに編集物である「要語集」の部分を構成する独立した原告の著作物ということができるとしても、被告辞典中に、右「註」又は「注意」の部分を模倣して執筆され、その複製、翻案等に当たるというべき部分が存することは本件証拠上認めることができない。もつとも、被告辞典の中には「要語集」中の「註」又は「注意」の部分に似ていると思われないでもない表現も存し、そのうち比較的近似しているものを抜粋すれば、別紙のとおりであると認められる。しかしながら、別紙から明らかなとおり、これらはいずれも語源、語意等を簡単に説明したものであり、語源、語意等自体は、客観的事実であつて、原告の創作したものではないことは明らかであるから、これらの内容自体が前者と後者とで近似していることは、何ら異とするに足りないものというべきである。そして、これらの具体的表現は、これらが客観的事実を短文で説明したものであつて、誰が行つても大同小異のものとなると認められること、前記(証拠)によれば、これらは例外的に近似しているものであつて、他に近似していない註等が多数存在していると認められることからして、前者が後者に依拠し、これを模倣したものということはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
2 前記(証拠)によれば、被告辞典には、「要語集」に収録されている文例と同一又は類似の文例が多数収録されていることが認められるが、そのうち、明らかに慣用的文章と認められるもの、当該単語、熟語等に主語、述語等を付しただけの単純な文章等を除外したものを、A及びBの項について例示的に列挙すれば、別紙の(五)とおりである。
別紙(五)により、そこに掲げられた「要語集」の文例と被告辞典のこれに対応する文例とを対比すれば、これらは、当該見出し語たる単語又は熟語を用いた文章としては、他に多くの異なつた例があると思われるにもかかわらず、同一又は類似のものとなつていることが、明らかである。とりわけ、別紙(五)の2は、見出し語を用いた文章として特にその文章を採らなければならない必然性を有しないものであることが明らかであり、他の多くの文例も同様であると認められる。したがつて、これらは、偶然に似たものであるとか、必然的に似たものであるとはいいえず、共通の素材を元にして、場合によりいずれか一方が一部加筆された上、収録されたものと推認するのが相当である。
ところで、「要語集」の文例の多くは、前記認定のとおり、アメリカの新聞、雑誌から選択されたものであり、前記(証拠)によれば、」要語集」収録の文例に付された「N.T.」はニユーヨーク・タイムズを、「N.W.」はニユーズ・ウイークを、「R.D.」はリーダーズ・ダイジエストを示す略字であり、当該文例の出典を示したものであることが認められるから、別紙(五)記載の文例も、多くが昭和21年ないし昭和27年に発行されたタイム誌又は右の三つの新聞、雑誌に掲載された文章をそのまま転載したものであると認められる。これに対し、前記(証拠)によれば、被告辞典は、昭和32年ないし昭和45年ころに発行されたニユーヨーク・タイムズ等の新聞、ニユーズ・ウイーク、タイム、リーダーズ・ダイジエスト等の雑誌に現われたイデイオムを精選して編集されたものであり、基準を置いた書籍は、「ウエブスター第三版」及びBとC共著の「デイクシヨナリ・アメリカン・スラング」であり、その他参考として書籍は、「ランダムハウス・デイクシヨナリ」、DとE共編の「ハンドブツク・オブ・アメリカン・イデイオムズ・アンド・イデイオマテイツク・ユースイツジ」、F編「ハンドブツク・オブ・エブリデイ・イデイオムズ」、高部義信編「米語ハンドブツク」などであると被告A自身が被告辞典の「はしがき」に記していることが認められる。そうすると、被告辞典中の別紙(五)の各文例が「要語集」の文例の出典である昭和21年ないし昭和27年に発行されたタイム誌、ニユーズ・ウイーク誌、リーダーズ・ダイジエスト誌及びニユーヨーク・タイムズ紙中の同一の文章から選択された可能性を肯定することはできない。そして、被告辞典編集の参考とされた書籍として、「要語集」の名は掲げられていないが、具体的に掲げられたもの以外にも参考とした書籍があつたことは、右認定により明らかであり、その中に「アメリカ英語要語辞典」(成立に争いのない(証拠)によれば、「要語集」の第三版以降の改題したものであると認められる。)が含まれていたことは、被告の否定しないところである。
以上の事実によれば、別紙(五)記載の被告辞典の文例は、「要語集」(「アメリカ英語要語辞典」)を参照し、そこに掲げられた同表記載の文例をそのまま又は一部修正の上、採用収録したものであると推認せざるをえず、これを覆すに足りる証拠はない。
そして、前記(証拠)によれば、被告辞典のCないしZの項に収録されている文例中にも、A及びBの項と同様、「要語集」に収録されている文例から採用されたものと推認せざるをえないものが、相当数存在すると認められる。
3 右認定の事実と成立に争いのない(証拠)によれば、被告Aが被告辞典に収録した文例の選択は、前記の新聞、雑誌を資料としたほか、各種の辞典、英語に関する文献を基準、参考として行われたものと認められるところ、これらの多くの資料の一つとして「要語集」が使用され、そこからも一部の相当数の文例が選択されたものと認めざるをえない。
右の「要語集」から一部の文例を選択した行為は、新聞、雑誌から文例を選択した行為と同視すべきものではない。なぜなら、新聞、雑誌は、英語の語法について一定の方針の下に文章が選択され、編集されたものではないことが明らかであるから、その膨大な文章中から特定の語法の文例を選択することは、独自の創作性を有する選択行為であつて、何ら新聞、雑誌の編集者の編集行為に依拠したものではないが、先行する同種の辞典中に掲げられている特定の語法の文例を同じ語法の文例として自己の編集する辞典に取り込む行為は、当該辞典の編集者が行つた選択行為に依拠したものというべきだからである。
【ところで、言語辞典のような編集物の編集活動は、主として、それ自体特定人の著作権の客体となりえない、社会の文化資産としての言語、発音、語意、文例、語法などの言語的素材を当該辞典の利用目的に即して収集、選択し、これを一定の形に配列し、所要の説明を付加することなどから成り立つものであるが、例えば見出し語に対する文例が多数ありうるものであつて、選択の幅が広いというように、当該素材の性質上、編集者の編集基準に基づく独自の選択を受け容れうるものであり、その選択によつて編集物に創作性を認めることができる場合と例えば見出し語に対する文例選択の幅が狭く、当該編集者と同一の立場にある他の編集者を置き換えてみても、おおむね同様の選択に到達するであろうと考えられ、したがつてその選択によつて編集物に創作性を認めることができない場合がある。そして、後者の場合、先行する辞典の選択を参照して後行の辞典を編集しても、それは共通の素材を、それを処理する慣用的方法によつて取り扱つたにすぎないから、特に問題とするに足りないが、前者の場合において、後行の辞典が先行する辞典の選択した素材をそのまま又は一部修正して採用し、その数量、範囲ないし頻度が社会観念上許容することができない程度に達するときは、その素材の選択に払われた先行する辞典の創造的な精神活動を単純に模倣することによつてその編集著作権を侵害するものというべきである。
以上の観点に立てば、前記の被告Aが「要語集」に収録された文例のうちから相当数の文例をそのまま又は一部修正して被告辞典に収録した行為は、原告の文例の選択に依拠し、これを模倣したもので【あつて、いわゆる盗作に当たるものというべく】、その限度で、原告の有する「要語集」についての編集著作権を侵害するものといわなければならない。
したがつて、前記の被告会社が被告辞典を発行した行為も、原告の有する「要語集」についての編集著作権を右と同じ限度において侵害するものであると認められる。
4 以上のとおり、被告辞典中の別紙(五)記載の文例をはじめとする相当数の文例の選択が「要語集」の文例の選択に依拠し、これを模倣したものである以上、被告辞典中に、適当な方法により「要語集」の編集著作者である原告の氏名が表示されるべきであると認められるところ、前記(証拠)によれば、原告の氏名は被告辞典中に表示されていないものと認められる。したがつて、被告Aが被告辞典を執筆し、被告会社がこれを発行した行為は、原告の「要語集」について有する氏名表示権を侵害したものといわなければならない。
原告は、氏名表示権の侵害のほかに、同一性保持権の侵害をも主張しているが、前記(証拠)によれば、被告辞典は、前記の文例の選択における一部の模倣部分を除けば、「要語集」とは別個独立の編集著作物として成立していると認められるから、全体としてみれば、編集著作物としての「要語集」を改変したものと認めることはできず、右の一部の模倣部分のみをとらえて、同一性保持権の侵害ということはできず、他にこれを認めるに足る証拠はない。
五 次に、被告らの請求の原因5の行為が、「アメリカ語入門」について原告の有する権利を侵害するか否かについて検討するに、「アメリカ語入門」に記載のあるアメリカ語の単語、熟語、慣用句、文例及びこれらの日本語訳それ自体につき原告が著作権及び著作者人格権を有しないことは、前示のとおりであるから、被告辞典中にこれらと同一又は類似のものが収録されていても、このこと自体は原告の権利を侵害する理由となるものではなく、本件全証拠によつても被告辞典中に、「アメリカ語入門」に依拠し、これを模倣して執筆されたものと認むべき部分があるとは認められない。
したがつて、被告らの前記行為は、「アメリカ語入門」についての原告の著作権及び著作者人格権を侵害するものということはできない。
六 以上の事実によれば、被告Aは、たとえ法律上許容される行為であるとの考えの下に前記の行為を行つたのであるとしても、「要語集」に依拠し、これを模倣して執筆したことについては認識があつたものというほかはないから、前記侵害行為につき故意があつたものと認められ、また、被告会社は、書籍の発行に当たり出版社として当然尽くすべき注意義務を怠つたものというべく、前記侵害行為につき過失があつたものと認められる。
したがつて、被告A及び被告会社は、原告の「要語集」についての編集著作権及び編集著作者としての氏名表示権を侵害したことにより原告が受けた損害を賠償すべき義務がある。
七 そこで、原告の損害額について検討する。
1 まず、前記編集著作権の侵害により原告が受けた損害の額は、被告らが前記編集著作権の侵害行為により受けた利益の額と同額と推定される。
原告は、被告Aが被告辞典の執筆により被告会社から原稿料として68万円受領した旨主張し、被告Aは受領した原稿料は50万円であつたと主張する。
ところで、【被告A】と被告会社との間において、被告会社が被告辞典を4000部印刷し、販売定価が11700円であつたこと、被告会社が被告Aに原稿料として68万円を支払つたことはいずれも争いがなく、このことは弁論の全趣旨として被告Aに対する関係で斟酌できるところ、この68万円との額は右印刷部数に定価を乗じた額の10パーセントに当たることは計算上明らかであり、一般に書籍出版に当たり初版発行の際出版社から著作権者に支払われる印税の率が発行部数に定価を乗じた額の10パーセントが通常であるとの当裁判所に顕著な事実に照らせば、被告会社が被告Aに支払つた原稿料の額は68万円であると認められ、これを覆えすに足る証拠はない。そして、辞典の執筆には相当程度の必要経費が生ずることは自明であり、その額は原稿料の額の少くとも40パーセントをもつて相当と認められるから、本件において、被告Aは被告辞典の執筆により右原稿料68万円の60パーセントに当たる408000円の利益を得たものと認めることができ、前記侵害行為の態様に照らせば、侵害行為と相当因果関係のある利益は右利益額のうちの2万円をもつて相当と認められる。この利益額は原告が受けた損害と推定されるから、被告Aは原告に対し右二万円を賠償すべき義務がある。
一方、被告会社が被告辞典の発行により利益を受けたことを認めるに足りる証拠はなく、原告の被告会社に対する財産的損害についての主張は理由がない。
2 次に、前記氏名表示権の侵害の事実によれば、原告は精神的損害を受けたものと推認される。
【そこで、慰藉料の額について検討するに、控訴人が『要語集』について有する編集著作権に対する被控訴人らの前記認定の侵害行為の態様及び程度、ならびに前記認定事実によれば、控訴人は、長年月にわたつてアメリカの雑誌、新聞等を購読し、素材の選択及び配列に創意をこらして『要語集』を執筆、完成せしめたものであつて、それに費やした労苦が多大のものであつたろうことは推測に難くなく、その創作活動は十分に尊重、保護されるべきものと考えられること、しかしながら、被告辞典の発行の約10年前である昭和36年初めころに『要語集』は絶版とされていること(このことは控訴人の自認するところである。)、被告辞典は、前記のとおり、4000部印刷されたが、被控訴人Aは控訴人に対し、昭和471117日付の書簡により一応の陳謝の意を表して、被告辞典の絶版を確約し、同辞典は同年末ころには絶版とされ、昭和49年夏ころにはその組版も廃棄されたこと(これらの事実は、前掲(証拠)及び弁論の全趣旨により認められる。)、その他本件に顕れた諸般の事情を総合して勘案すると、控訴人が被つた精神的苦痛に対し、被控訴人らが負担すべき慰藉料は、被控訴人Aにつき80万円、被控訴人会社につき40万円をもつて相当と認める。
なお、控訴人は、以上の財産的損害及び精神的損害とは別個に、被控訴人Aに対し、懲罰的損害の賠償を請求しているが、我が国の法制度においては、民事責任と刑事責任とが峻別されており、民事責任は現実に生じた損害の填補を目的とするものに限られていて、懲罰的損害賠償請求なるものは認められていないから、控訴人の右請求は理由がない。】
八 次に、謝罪広告の当否につき検討するに、前記認定の諸事実、【特に、被控訴人らの前記侵害行為の当時『要語集』はすでに絶版とされて約10年を経過していたこと、被控訴人Aは控訴人に対し、一応の陳謝の意を表していること、被告辞典は昭和47年末ころには絶版とされ、昭和49年夏ころにはその組版も廃棄されていることからすると、控訴人に対する名誉回復の措置としては、前記慰藉料の支払いをもつて足り、それに加えてなお被控訴人らに謝罪広告の掲載を命ずる必要はないものというべきである。】