Kaneda Legal Service {top}

著作権判例セレクション

【公表権】試写会での映画の上映とその脚本の「公表」の有無/映画の公開中止による監督脚本家の期待権侵害の成否/映画に係る完成作品及びその映像素材のデータの廃棄による監督脚本家の人格権侵害の成否

▶令和4729日東京地方裁判所[令和2()22324]▶令和527日知的財産高等裁判所[令和4()10090]
() 原告X1は、別紙映画「ハレンチ君主いんびな休日」(「本件映画」)の監督、脚本等を務め、原告X2は、本件映画の脚本を務めた。本件は、原告らが、本件映画に関する記事を週刊誌に掲載した被告新潮社のほか、本件映画を制作、配給等する被告O映画及び被告P映画(「被告O映画ら」。)に対し、被告新潮社において週刊新潮2018年3月8日号(「本件週刊誌」)に掲載した「不敬描写で2月公開が突如延期!「昭和天皇」のピンク映画」と題する記事(「本件記事」)の記載内容が原告らの名誉を毀損したことを理由とする不法行為に基づく損害賠償金等の支払請求、被告新潮社が本件記事に本件映画の脚本(「本件脚本」)を無断で引用し、原告らの著作者人格権(公表権)を侵害したことを理由とする不法行為に基づく損害賠償金等の支払請求などを求めた事案である。

8 争点4(本件記事による本件脚本に係る原告らの公表権侵害の成否)
⑴ 映画の公表と脚本の公表について
ア 被告新潮社は、原告らが【本件脚本につき著作者人格権を有していたとしても】、本件映画が【本件試写会】で公開された際に、本件脚本も同時に公衆に提供されていたのであるから、その後、本件脚本が本件週刊誌に掲載されたとしても、本件脚本の公表権を侵害するものとはいえない旨主張する。
イ 著作権法2条7項は、上演、演奏又は口述には、著作物の上演、演奏又は口述で録音され又は録画されたものを再生することなども含む旨規定しているところ、脚本の翻案物である映画が上映された場合には、当該脚本に係る実演が映写されるとともにその音が再生されるのであるから、著作物の公表という観点からすると、脚本の上演で録音され又は録画されたものを再生するものと実質的には異なるところはないといえる。
【上記規定】の趣旨及び目的並びに脚本及び映画の関係に鑑みると、脚本の翻案物である映画が、脚本の著作者又はその許諾を得た者によって上映の方法で公衆に提示された場合には、上記脚本は、公表されたものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、前記認定事実によれば、本件映画は、原告らの同意の下、本件試写会で上映されたところ、本件試写会は、映倫による審査に加え、公開前に被告O映画の内部で内容を確認することを目的として行われた社内試写にすぎず、その参加者も、映倫審査委員のほかには、被告O映画の関係者が9名、外部の者は4名にとどまり、しかも、その外部の者も、原告X1の知り合い等であったことが認められる。そうすると、本件映画は、少数かつ特定の者に対し上映されたにとどまるものといえる。
したがって、本件試写会で本件映画を上映する行為は、公衆に提示されたものとはいえない。
ウ 以上によれば、本件脚本は、本件試写会において公表されたものとはいえず、本件脚本を原告らに無断で本件週刊誌に掲載する行為は、原告らの本件脚本に係る公表権を侵害するものと認めるのが相当である。
⑵ 被告新潮社の主張
ア 被告新潮社は、本件試写会には映画評論家等の関係者を含めた特定多数が参加しているため、制作陣以外の多数の者の要求を満たす程度にその内容が明らかとされた旨主張する。しかしながら、前記認定以上に、映画評論家等多数の関係者が本件試写会に参加していたことを認めるに足りる的確な証拠はなく、前記認定を前提とする限り、本件脚本は、公衆に提示されたものということはできない。
したがって、被告新潮社の主張は、採用することができない。
イ 被告新潮社は、【控訴人ら】は本件試写会において本件脚本を一般公開する意図の下、本件試写会を実施したものである以上、本件脚本がその後公表されることに同意していた旨主張する。
しかしながら、著作者は、その著作物でまだ公表されていないものを公表するか否かを決定する公表権(著作権法18条)を有するところ、その著作物には著作者の人格的価値を左右する側面があることに鑑みると、公表権には、公表の時期、方法及び態様を決定する権利も含まれると解するのが相当である。これを本件についてみると、【控訴人ら】が公表につき同意したのは、飽くまで、本件試写会におけるものにとどまると認めるのが相当であり、それを超えて、【控訴人らにおいて】本件脚本がその後本件週刊誌に掲載されることにまで同意していたことを認めるに足りる客観的な証拠はない。
したがって、被告新潮社の主張は、採用することができない。
【ウ その他、被控訴人新潮社の主張及び本件全証拠を検討しても、被控訴人新潮社の主張は、前記認定事実に照らし、本件脚本の本件週刊誌への掲載(引用)が本件脚本に係る控訴人らの著作者人格権(公表権)を侵害するとの前記結論を左右するものではない。】
9 争点5(本件映画の公開中止による原告X1の期待権侵害の成否)
原告X1は、本件映画の公開につき法的保護に値する期待権を有していたところ、被告O映画らが【控訴人X1】に対する十分な説明なく、一方的に本件映画の公開を中止したことにより、同期待権が侵害された旨主張する。
そこで検討するに、前記前提事実のとおり、【被控訴人P映画は、合計207万3000円を支払って、控訴人X1から、本件映画を買い取るとともに、本件映画に係る著作権を譲り受けたものである】。そのため、原告X1が本件映画の公開を期待していたとしても、自らの判断で本件映画の著作権を【被控訴人P映画に】譲渡している以上、本件映画を利用できるのは著作権者又はその許諾を得た者に限られることは明らかである。そうすると、原告X1の上記にいう期待は、事実上のものにすぎず、法律上保護される利益であるとまで認めることはできない。
したがって、原告X1の主張は、採用することができない。
10 争点6(本件データ等の廃棄による原告X1の人格権侵害の成否)
原告X1は、被告O映画らが本件データ等[注:本件映画に係る完成作品及びその他一切の映像素材のデータのこと]を廃棄した行為につき、本件映画が原告X1の人格、思想及び表現を具現化したものであり、原告X1にとって唯一無二の作品であるのに、本件映画の公開を永久に不可能にするものであることを踏まえると、原告X1の人格そのものを否定する人格権侵害に当たり、原告X1に対する不法行為を構成する旨主張する。
【しかしながら、本件データ等は、本件映画に係る完成作品及びその他一切の映像素材のデータであり、その内容に照らすと、本件データ等の中には、著作物たる本件映画の全部又は一部を構成するものも含まれると認められる。そして、本件映画の全部又は一部を構成する本件データ等についてみると、前記前提事実のとおり、控訴人X1は、本件映画と共にその著作権を被控訴人P映画に譲渡している以上、もはや本件映画を利用する権利を有しておらず、加えて、被控訴人O映画らが私企業であり、上映すべき映画、保存すべき映画等についての選択の自由を有しているものと解されることにも照らすと、被控訴人O映画らが本件映画の全部又は一部を構成する本件データ等を廃棄したとしても、控訴人X1が本件映画の著作権に優先する人格権その他の法律上保護される権利ないし利益を有しているとはいえず、当該廃棄によりこれが侵害されるということにはならない。また、前記前提事実によると、控訴人X1が被控訴人P映画に対して本件映画を譲渡した結果、本件データ等に係る所有権その他の権利は、被控訴人P映画に原始的に帰属することになるのであり、加えて、被控訴人O映画らが上記の選択の自由を有しているものと解されることも併せ考慮すると、この点からも、控訴人X1が本件データ等に係る所有権その他の権利に優先する人格権その他の法律上保護される権利ないし利益を有しているとはいえず、被控訴人O映画らが本件データ等を廃棄したことによりこれが侵害されるということにはならない。】
したがって、原告X1の主張は、採用することができない。
11 争点7(本件映画の著作権の帰属)
原告X1は、被告P映画において、本件著作権譲渡契約に付随する義務として、本件映画の公開延期や公開中止を決定するに当たっては、原告X1に対して十分な説明を行うとともに、原告X1との間で十分な協議を尽くす信義則上の義務を負っていたというべきところ、被告P映画は、そのような義務に違反したものであるから、原告X1による契約解除の意思表示により、本件映画の著作権は、原告X1に帰属する旨主張する。
しかしながら、原告X1は自らの判断で本件映画の著作権を【被控訴人P映画に】譲渡している以上、本件映画を利用できるのは著作権者又はその許諾を得た者に限られることは、上記において繰り返し説示したとおりである。そうすると、被告P映画が上記にいう信義則上の義務を直ちに負っていたものと解することはできず、その他に本件に現れた諸事情を考慮しても、上記義務を負うことを裏付けるに足りる事情を認めるに足りない。
したがって、原告X1の主張は、採用することができない。
争点8(損害額)
公表された本件脚本の内容、性質、分量等に加え、本件映画を不敬映画と評する記事の中で紹介された公表の態様、本件脚本が公表された週刊誌の内容、性質、社会に対する影響力、その他の前記事実関係に照らすと、原告らが本件脚本に係る公表権を侵害されたことによる精神的苦痛に対する慰謝料としては、原告らにつき各30万円を認めるのが相当である。また、本件事案の内容、難易度、審理経過及び認容額等に鑑みると、これと相当因果関係あると認められる弁護士費用相当損害額は、原告らにつき各30万円の1割である各3万円を認めるのが相当である。

[控訴審]
2 控訴人らの当審における補充主張について
()
(11) 控訴人X1は、控訴人X1と被控訴人P映画との間には映像作品の公開を前提とした本件基本契約が締結されており、本件映画も公開を前提として制作の委託や完成作品の買取りがされたことからすると、控訴人X1は自身が監督を務めて制作された本件映画が公開され、観客によって視聴されることにつき合理的な期待を有しているところ、上記の事情に加え、表現の自由が基本的人権として保障されていることに鑑みると、上記期待は法的保護に値する人格的権利ないし利益であると主張する。
確かに、本件基本契約の内容(補正して引用する原判決)や取引通念に照らすと、被控訴人P映画は、控訴人X1との間で、控訴人X1が制作した映画を公開することを予定して、その買取りに係る本件基本契約を締結し、本件映画も、そのような本件基本契約に基づき、公開を予定して、被控訴人P映画が控訴人X1から買い取ったものと認められるから、控訴人X1において、本件映画が公開されるとの期待を抱くのは、無理からぬところである。
しかしながら、映画を公開するか否かの決定権は、著作権に含まれる権利(上映権)として著作権者が専有するものであるし、取引通念に照らしても、映画を制作した映画監督等から当該映画やその著作権を買い取った映画会社等は、当該映画を公開するのが当然であるとまでいうことはできない。被控訴人P映画が本件映画の公開を予定して控訴人X1から本件映画を買い取ったなどの控訴人X1が主張する事情を考慮しても、本件映画と共にその著作権を被控訴人P映画に譲渡した控訴人X1が抱いたであろう上記の期待は、いまだ事実上のものであるといわざるを得ず、これが法的に保護された権利ないし利益であるということはできない。
以上のとおりであるから、控訴人X1の上記主張を採用することはできない。
(12) 控訴人X1は、控訴人X1と被控訴人P映画との間には映像作品の公開を前提とした本件基本契約が締結されており、本件映画も公開を前提として制作の委託や完成作品の買取りがされたことからすると、控訴人X1は自身が監督を務めて制作された本件映画が公開され、観客によって視聴されることにつき法的保護に値する合理的な期待を有しているといえるから、被控訴人P映画は本件映画の公開延期や公開中止を決定するに当たっては、少なくとも控訴人X1に対して十分な説明を行うとともに、控訴人X1との間で十分な協議を尽くすべき信義則上の義務を負っていたと主張する。
しかしながら、前記(11)において説示したとおり、映画を公開するか否かの決定権は、著作権に含まれる権利(上映権)として著作権者が専有するものであり、取引通念に照らしても、映画を制作した映画監督等から当該映画やその著作権を買い取った映画会社等は、当該映画を公開するのが当然であるとまではいえないし、また、本件基本契約の内容をみても、被控訴人P映画において控訴人X1が主張するような信義則上の義務を負っていたものと認めることはできず、その他、本件全証拠によっても、被控訴人P映画において控訴人X1が主張するような信義則上の義務を負っていたものと認めることはできない。なお、本件映画が公開されることにつき、控訴人X1が法的に保護された権利ないし利益を有していたといえないことは、前記(11)のとおりである。したがって、被控訴人P映画が本件映画の公開を予定して控訴人X1から本件映画を買い取ったなどの控訴人X1が主張する事情を考慮しても、被控訴人P映画において控訴人X1が主張するような信義則上の義務を負っていたということはできない。
以上のとおりであるから、控訴人X1の上記主張を採用することはできない。
3 被控訴人新潮社の当審における補充主張について
(1) 被控訴人新潮社は、①本件試写会には、被控訴人O映画の社員に限定されない15名程度の者が参加し、その中には、本件映画の宣伝等を行うであろう映画評論家らも含まれていたこと、②控訴人らが本件映画の公開を積極的に欲していたこと、③本件映画の一般公開に向け、チラシ、パンフレット、予告編等が制作され、配布・配信されていたことなどの事情に照らすと、本件試写会をもって、本件脚本は公衆(特定かつ多数の者)に提示されたものと評価できると主張する。
しかしながら、上記①の点についてみるに、補正して引用する原判決において認定したとおり、本件試写会は、映倫の審査のための試写と被控訴人O映画の社内試写(公開前に、社内の劇場関係者や営業関係者に向けて内容を確認してもらうための試写)を兼ねていたところ、本件試写会に出席した映倫の審査員及びその余の14名のうち9名は、B、A、G等の被控訴人O映画の社員であり、評論家、ライター、スチールマン等の外部の者は、僅か4名にすぎなかったのであるし、これら4名も、控訴人X1の知り合い等であったのであるから、仮に、当該評論家やライターにおいて、本件映画について評論を書くなどの予定があったとしても、上記の者らが参加したにすぎない本件試写会において本件映画が上映されたことをもって、本件脚本が特定かつ多数の者である公衆に提示されたものと評価することはできない。なお、上記のとおりの本件試写会の性質、参加者等に照らすと、被控訴人新潮社が主張する上記②及び③の事情は、本件試写会において本件脚本が公衆に提示されたものと評価することはできないとの上記結論を左右するものではない。
以上のとおりであるから、被控訴人新潮社の上記主張を採用することはできない。
(2) 被控訴人新潮社は、本件記事の掲載は時事の事件(本件映画の公開中止)の報道に該当するところ、本件脚本は、当該事件を構成し、又は当該事件の過程において見られる著作物であり、被控訴人新潮社は報道の目的上正当な範囲内において本件脚本を引用しているのであるから、本件記事の掲載による本件脚本の引用(公表)は著作権法41条に基づいて許されると主張する。
しかしながら、著作権法41条は、著作権の制限に関する規定(同法第2章第3節第5款)であり、現に、同法50条は、「この款の規定は、著作者人格権に影響を及ぼすものと解釈してはならない。」と定めるところであるから、本件脚本が報道の目的で利用される場合であっても、本件脚本に係る控訴人らの公表権が制限されると解することはできない。したがって、仮に、本件記事の掲載が時事の事件の報道に該当し、本件脚本が当該事件を構成し、又は当該事件の過程において見られる著作物であり、かつ、本件週刊誌において、本件脚本が報道の目的上正当な範囲内で利用されたものであったとしても、本件脚本を控訴人らに無断で本件週刊誌に掲載する行為は、本件脚本に係る控訴人らの公表権を侵害するものである。
以上のとおりであるから、被控訴人新潮社の上記主張を採用することはできない。