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著作権判例セレクション
【共同著作】 原典(「平家物語」)の翻訳作業に関与した者の共同著作者性が争点となった事例/共同著作者となり得るための共同関係の存在
▶昭和52年9月5日京都地方裁判所[昭和50(ワ)577]▶昭和55年06月26日大阪高等裁判所[昭和52(ネ)1837]
二 そこでまず原告が、本件「英訳平家物語」の共同著作権者であるか否かについて検討する。
翻訳とは「ある国語で表現された文書の内容を他の国語になおすこと(広辞苑)Websterにはrending into another language express the sense of in the words of another language interprete explain or recapitulate in other words.とある」をいうから翻訳者とは特定の国語で書かれた原典の意味を理解した上で、その原典を他の国語で表現できる者をいい、ある翻訳がなされた場合、その翻訳物の著作権は、特段の意思表示なき限り、そういうことをなし遂げた人に帰属することはいうまでもない。しかして原典の翻訳作業に複数の者が関与した場合、誰が翻訳者であるのか問題となるが、翻訳作業に関与した者の中から翻訳者を決定するには、関与者が基本となる翻訳、校訂、再校訂、完訳と続く一連の翻訳作業の中で如何なる役割を担なつたかという質的面と関与者が翻訳された書物の全体の如何なる分量の翻訳作業にたずさわつたかという量的面とを相関的に評価して決定すべきである。特に関与者の翻訳作業の中での役割を評価するにあたつては、翻訳には、原典に対する正確な理解と移し換える国語への精通が必要であるから、右関与者の原典の理解力、移し換える国語の精通性の程度が重要な要素となる。
而して原告が被告に与えた援助は前記認定のとおり被告の行つた英語訳につき文法上の間違いを正し、用語の訂正、変更、リズムの調整を行い、英語を母国語とする人から見ると感ぜられるぎごちなさを正し、更にそれらの訂正、変更部分につき被告から原典の説明を受けて二人で再検討し、最終稿は被告が決定したものであるから原告の寄与は、被告には難しいぎごちなさの除去、リズムの調整という質的に高い部分を含んでいるがこれを以て翻訳とみることは相当でない。このことは被告は原典を理解し、これを英語に訳し得る能力をもつているから作品のよしあしは別として単独でも翻訳をなし得るのに対し原告は原典を理解できないのであるからそもそもそうした翻訳ができないことを考えても明らかである。(原告代理人は被告は海外へ行つたことがないからこの種の翻訳はできないといつているが一概にそうとはいえない)この点につき証人Gは「日本人が行つた粗訳を英語としてリーダブルものに直す作業も翻訳者として名前を列ねるに値する」と原告に有利な証言をなしているが被告の翻訳したものが英語としてリーダブルでなく、原告の寄与なくして翻訳というものが全く成立たないというのでもない本件特に原文を理解できない原告の場合には適切でなく、原告の寄与行為は校訂というのが一番ふさわしく、東大出版会が最初に提案したin collaboration withというのが正しい表現というべきである。特に本件の場合原告の寄与は本件平家物語の約半分について行われたに過ぎないのであるからその全部について原告を翻訳者とみるのは過ぎたるものであり、たとえ原告の寄与が翻訳と評価されるとしても全体の四分の一に過ぎないから印税も四分の一だといつた被告の主張は合理的であつたといわねばならない。これらの点につき原告は寄与不分離性という言葉で寄与がその一部であつても文学作品の故を以て全体として評価を受けて差支えないと主張し又(証拠)により平家物語の最初の六巻の英語への翻訳の質の優秀さは原告によつてもたらされたもので、被告の特別多い英語を書く能力から生れたものでないといい、原告が訂正した例として第三巻八章の第一草案の一頁から三頁までの間で62ケ所を掲げている。
例えば(1)被告がrecalledとしたのはぎごちないからこれをcalled backとした(2)被告がreturnedとしたのは間違いではないがthus were able to returnとした方が俊寛が帰れなかった事実を劇的に表現するのに役立っている(3)正確な英語ならwas the only one whoであるがこれでは全体の文のリズムが間の抜けたもいのになるので冒頭にonlyだけを掲げるのがよいという工合に被告の行つた翻訳にはぎごちなさ、不正確さ、退屈さ、平板さ、弱さ、堅苦しさがあるのでこれを原告が訂正したとしている。但し被告は右の原告の指摘に同調できるのは十六、七ケ所で他は出版校正者に委してよいものか、原告の訂正が却つて正しくなく被告の方で又訂正したものもあつたとしていることは(証拠)によつて明らかであるとともに日本文学への造詣深く日本でも著名なコロンビア大学教授のSはアメリカでも本件原告が行つたよう寄与を以て翻訳とはいつていない、原告が(証拠)で指摘している個所の前記(1)のごときはどちらでも大差のないことでrecalledをcalled backとしたから特に優れたものになつたとはいえない、同証人が(証拠)の一部に目を通した限りでは原文に通じない原告が訂正したため却つて原文の意を損つている個所もあると証言し、又被告本人尋問の結果によると、「英訳平家物語」の和歌の部分は被告が先づ翻訳し原告が加筆訂正した部分が多いが本書が出版された後に出たThe Asian Studentの書評欄では「本書では詩の訳が唯一の深刻な欠点only serious flaw in this bookである」と指摘しているといった工合に種々な評価がなされているのであるから本書の前半に原告が与えた寄与を以て本書本部について原告の功績とみて又原告が行つた校訂が翻訳と同質、同程度だとみるのは相当でない。原告の主張は採用できない。
[控訴審]
(注) 共同著作者性の認定に関して、以下のように、控訴審では原審と異なる認定がされた。
3(一) 右認定に基づけば、本件「英訳平家物語」は、著作権法上の翻訳著作物に該当するというべきところ、翻訳の定義はさて置き、右「英訳平家物語」作成の過程において控訴人が果した役割およびその成果に着目するならば、右「英訳平家物語」の創作には、控訴人独自の、被控訴人と対等の立場よりする、創意工夫や精神的操作が存在する、というべく、しからば、この点において、同法上、控訴人は、右「英訳平家物語」につき、共同著作者としての地位を有する、と認めるのが相当である。
なお、被控訴人は、控訴人が本件英訳に関与中被控訴人は控訴人を食事に招待し旅行に同行しあるいは習字を教示し金銭的対価に代わる形の対価を与えていた旨主張し、原審証人Qの証言、控訴人の原審における、被控訴人の原審および当審における、各供述、によれば、右主張事実を肯認することができる。
そこで、右認定事実と控訴人の本件共同著作者たる地位の承認との関係について付言するに、著作権法上共同著作者となり得るためには、その要件の一つとして、創作の際の共同関係の存在を必要とするところ、右共同関係の存在は、客観的にみて、当事者間にお互に相手方の意思に反しないという程度の関係の存在、をもつて、必要かつ十分とし、右共同関係の存在は、当事者間の経済的対価の支払いの有無とは関係がない、と解するのが相当であるから、右見地からするならば、前叙認定からして、本件においても、控訴人と被控訴人の本件英訳への関与につき、右共同関係の存在を認めるに十分というべきである。
したがつて、控訴人と被控訴人間に、右認定にかかる経済的対価の支払い関係があつても、右関係は、控訴人に本件共同著作者としての地位を認める前叙認定説示を何等妨げるものでない。
もつとも、被控訴人は、控訴人と被控訴人間には、当初から控訴人を本件英訳の補助者とする旨の合意があり、それだからこそ、被控訴人は控訴人に対し右認定の如き経済的対価を支払つた旨主張するが、右主張中の合意の内容については、被控訴人の原審および当審における各供述以外これを認めるに足りる証拠がなく、右各供述は、にわかに信用することができない。
(二) ただ、控訴人が本件英訳に関与した分量については前叙認定のとおりであつて、右認定からすると、形式的には、控訴人が右英訳の全部にわたつて関与していないこと、明らかである。
しかしながら、前叙認定にかかる、本件「英訳平家物語」の原典たる平家物語そのものが前叙各巻から成り、その各巻が独立の内容を持ちながら相互に密接に結びつき合つて一貫した一つの物語を構成しているとの点、右「英訳平家物語」も又、原典たる平家物語の右構成に相応する構成をとつている点、したがつて、右「英訳平家物語」の内控訴人の関与した部分を分離しては、右「英訳平家物語」が一貫した一つの物語として成立たない点、のみならず、控訴人が関与した部分自体についても、その性質上、控訴人と被控訴人の寄与度が明確に分離計量できない点、現に、本件「英訳平家物語」は、控訴人の関与した部分を含め一体として、一つの英文学作品としての評価を受けている点、特に、東大出版会が本件英訳原稿を審査した際の、同出版会担当者の、右原稿の内平家物語巻の一ないし巻の六に相当する分とそれ以後の巻に相当する分の間に内容的差異はない、と評定している点、控訴人以後本件英訳に協力した人々が、当時の職業、専攻科目等からみて控訴人と同等の英文学的素養および詩才を持つていたとは認め得ない点、を総合勘案すると、控訴人の本件英訳に関する創意工夫は、被控訴人の本件英訳における創造的精神的活動に作用し、それが、控訴人の関与なしに行われたその後の本件英訳にも引継がれ、あるいはこれに強い影響をおよぼした、と推認することができ、この点からすると、本件においては、控訴人が本件英訳に関与した部分を単に機械的形式的に分離し、その計量から、控訴人の右英訳に対する寄与度を評価することはできない、というのが相当である。
しからば、控訴人の本件英訳の関与量が形式的には全体の約50パーセント相当であつても、同人の本件英訳における創意とその精神的労力は、右関与部分を超え、残余の約50パーセントの部分にもおよんでいる、と評価し、控訴人の本件英訳の関与量は、著作権法上、控訴人に本件「英訳平家物語」の共同著作者としての地位を認めるにつき、何等妨げとならない、というべきである。
もつとも、本件英訳の内 BOOK/chapter I ないし chapter Ⅶ は、被控訴人とCによるものであつて、控訴人の関与する以前のものであること、前叙認定のとおりである。
しかしながら、右BOOK/chapter I ないし chapter Ⅶ の本件英訳全体に占める割合が、約4・12パーセントであること、控訴人が、被控訴人から、右BOOK/chapter I ないし chapter Ⅶ に関する原稿を手渡され、これを閲読し、これに批評を加えたこと、は前叙認定のとおりであつて、右認定事実から勘案すれば、控訴人の関与しなかつた、BOOK/chapter I ないし chapter Ⅶ 部分を含め、控訴人に本件共同著作者たる地位を認めても、不当ではない。
(三) 叙上の認定説示から、控訴人に本件「英訳平家物語」の共同著作者としての地位を肯認する以上、同人は、右「英訳平家物語」につき、被控訴人と、その著作権を共有する(著作権法65条1項)、換言すれば、共同著作権を有する、というべきである。
右認定説示に反する、被控訴人の、この点に関する主張は、当裁判所の採るところでない。