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著作権判例セレクション

【言語著作物】 (他人の体験談をもとにした)「ルポルタージュ風の読み物」の著作物性

▶平成5830日東京地方裁判所[昭和63()6004]▶平成80416日東京高等裁判所[平成5()3610]
二 原告著作物の著作物性、創作性について
1 (証拠等)を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 原告は、投稿誌「わいふ」の編集長として同誌を主宰していたが、Dが、昭和53112月頃、同誌編集部を訪れ、原告に対し、夫が海外単身赴任を命じられたが、会社が妻の同行を許さないことや、同人が会社の右措置に対し強い不満を抱いていることなどを訴えた。原告はその訴えに興味を抱き、Dに実情を「わいふ」に投稿することを勧めたところ、Dは「わいふ」に投稿し、右投稿は、1979年(昭和54年)325日発行の「わいふ」157号に、「海外強制単身赴任」の表題で掲載された。
(二) 右投稿は、全文1300字足らずで、事実の経過とDの考えが端的に述べられていた。その要旨は次のとおりである。
「建設会社に勤める私のパートナーが火力発電所建設のためサウジアラビアに出発した。二年間の単身赴任である。昨年話が出たとき私も一緒に行けるならという条件を出したのだが、結局、夫は一人で出発してしまった。『会社が許可しないなら、勝手に行ってしまおう』と決心して動き出したところ、サウジは観光ビザによる入国を認めず、会社が直接現地政府へビザの申請をした場合にだけ許可がおりるらしいことがわかった。私は夫の会社に、費用は自分で負担する、ビザの手続だけして欲しいと相談と懇願を続けた。その答えは、サウジは危険であり、女性が暮らせるような国ではないということであった。それならサウジが安全な国で日本女性も暮らせるという資料があればいい訳だろうと、石油会社、商社などを訪問し、実情を尋ね歩いた。その結果は、サウジアラビアはイスラム教の関係で、珍しいほど犯罪が少なく、欧米諸国よりもむしろ安全な国である。現に長期滞在者は家族を同伴し、現地には日本人学校もあるという。女性が住めない国ではないようである。調べているうちに、企業からロンドンなどに留学、転任する場合、期間が一、二年と比較的短期だと単身赴任を原則とする会社がかなりあり、家族が自費で行こうとすると人事関係者から『行くな』という指示が入るという話を聞いた。私は、夫婦は必ず一緒に住むべきであるとは思わない。夫婦がそれぞれに仕事を持って別々の場所で活躍するのは結構である。それでも原則として、転任は家族同伴が本筋で、理由がある場合に単身赴任も認めるとすべきであろう。まして、会社の方針や、事故の時に責任を負いたくないなどの消極的な理由で、自費で会いに行くことまで妨げないで欲しい。」
(三) 原告は、現在の結婚の在り方、内容や制度のもとで本当に男女が幸福に生きられるものかという疑問をかねがね抱いていたが、現在の結婚の内容や制度に疑問を持ち、社会的に目覚めて、自分の道を模索している妻達の姿を世に伝えたいと考えるようになり、右Dの同意を得て、同人の投稿のほか、投稿の前後に同人から聴取した内容をもとにして、昭和567年頃、ルポルタージュ風の読み物として、原告著作物を著述した。
(四) 原告著作物[注:「目覚め」と題するルポルタージュ風の読み物]は、原告書籍で42字詰440行足らず約18000字の作品で、九章からなり、各章において、主に主人公や夫などの登場人物の会話や行動、あるいはその心理や思考を三人称体で客観的に描写する形式でストーリーが展開されるが、一部に主人公が著者に話し掛け、あるいは報告する形式の部分、著者が一人称で自己の目から見た主人公や夫等の客観的状況を描写し、愛、結婚、家庭、単身赴任、会社の社員支配等についての意見を開陳する部分が加えられた、ルポタージュ風の読物である。
その梗概をみると、第一章では、幸せだった結婚当時を回顧しながら、離婚したことに感慨に耽る現在の主人公が読者に紹介され、第二章では、主人公と元の夫との出会いから幸せな五年間の結婚生活の様子、第三章では、夫がサウジアラビアへ単身赴任を命じられ、赴任するまでの間の、同行を望む主人公と夫のやりとり、第四章では、主人公が事態の解決を女性グループ等の第三者に求めようとしたが、はかばかしい反応が戻ってこなかったこと、第五章では、主人公が、夫の会社に掛け合うが受け入れられず、積極的に他社の実情を調べ、不可能と思われた同国への女性の入国にも方法があると知ったこと、第六章では、主人公が夫の赴任先へ単身で赴こうとし、夫も主人公の後追い入国を受け入れる気持ちになるが、会社は夫を帰国させること、第七章では、夫の帰国後、主人公が就職したこと、第八章では、主人公が、次第に仕事に没頭し、家事の分担を巡り、夫と紛争を生じ、離婚に至ったこと、第九章では、離婚後、再婚した主人公の働く女、自立した生活者としての生活が、それぞれ描かれている。
(五) 原告著作物の内容の要旨を章を追ってみると、以下のとおりである。
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2 右に認定の事実によれば、原告著作物は、原告がDの投稿やそれとは別に同人から取材した事実を素材に、会社の命ずる海外単身赴任が一組の夫婦に与えた波乱、夫の任地への同行を望む妻の積極的な行動とその過程で明かになる海外単身赴任の実情、企業が社員のみでなくその妻をも支配している状況、支配されている自分に屈辱を感じ、働く女として自立しようとする妻と、夫は仕事妻は家庭という伝統的役割分業観の夫との葛藤と離婚、妻を対等のパートナーと理解し家事も分担する夫との再婚を描き、現在の結婚の在り方に疑問を持ち、社会的に目覚めて自分の道を模索する妻の姿を示すもので、原告の意想、感情を創作的に表現した読み物であり、文芸に関する著作物として著作物性を有することは明らかである。
3 被告らは、原告著作物の全体については創作性を争うものではないものの、原告著作物が、Dの投稿や同人から取材した事実をもとにしていることを理由に、原告著作物中、Dの投稿や同人の体験談に表現されている話の展開と同一の、建設会社に勤務する夫がサウジアラビアに単身赴任を命ぜられ、妻が同行を願うが、会社から同国が危険で女性が暮らせるところではないとして拒絶され、妻が他の石油会社や商社を訪ね歩いて同国の実情を調査し、会社の掲げる理由が事実に反するものであることを知り、会社は家族同伴で赴任する自由を認めるべきであると考えるという部分については、原告著作物に特有の個別性ある内容ではなく、したがって、右の部分については創作性がない旨主張する。
しかし、他人の体験談をもとにしたものであっても全体として独立した一個の著作物として創作性が認められるものにおいては、右著作物中の他人の体験や考えと一致する筋、仕組み、構成の部分に著作物として保護するに足りる創作性がないとはいえないところ、原告著作物が全体として独立した一個の著作物として創作性が認められるものであることは前記1、2に認定した事実から明らかであるから、被告らの右主張は採用できない。
[控訴審同旨]