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著作権判例セレクション

【表現形式が異なる著作物間の侵害性】ルポルタージュ風の読み物vs.テレビドラマ

▶平成5830日東京地方裁判所[昭和63()6004]▶平成80416日東京高等裁判所[平成5()3610]
五 翻案権侵害、放送権侵害について
1 右二に認定の事実によれば、原告著作物の基本的なストーリーは、「建設会社に勤務する主人公章子の夫がサウジアラビアへ二年間の単身赴任を命じられる。章子は、夫と同行したいと願い、夫と議論するが、会社の方針によって許されないまま、夫は赴任する。
章子は希望を実現しようと夫の会社と直談判するが、会社側は、治安の悪さを理由に章子を説得しようとする。章子はサウジアラビアに社員を派遣している石油会社や商事会社を訪ね歩き、会社が同行を許さない理由とする事情は真実でないことや、企業の海外単身赴任の実情を知るとともに、社員用アパートを提供できるかも知れないという企業まで見つけた。章子は、自力でサウジアラビアへ赴こうとするが、回教国である同国へは、女性の単身での入国ビザが得られないという障害にぶつかる。しかし、書類上の操作で入国が不可能ではないことを知る。章子が夫の後を追って行きそうだと知った会社は、単身赴任の慣行を維持しようとして、夫に帰国命令を下し、章子は別れてから六ケ月半後に夫を取り戻す。しかし、章子と夫との間には亀裂が生じ、章子が就職したことが破局の直接的なきっかけとなる。章子は、次第に仕事と家庭の両立が困難な状況になり、家事の分担を巡って夫婦間の溝は深まり、離婚するに至る。その後、章子は、章子の新しい生き方を尊重する男性と再婚する。」というものである。
2 右四認定の事実によれば、本件テレビドラマの基本的なストーリーは、「建設会社に勤務する主人公章子の夫がサウジアラビアへ二年間の単身赴任を命じられる。章子は、夫と同行したいと願い、夫と議論するが、会社の方針によって許されないままに夫は赴任する。章子は希望を実現しようと、サウジアラビアに社員を派遣している石油会社や商事会社を訪ね歩き、企業の海外単身赴任の実情を知るとともに、社員用アパートを提供してもよいという企業まで見つけた上、夫の会社と直談判するが、会社側は、赴任者のチームワークが乱れることを理由に章子の願いを拒絶する。章子は自力でサウジアラビアへ赴こうとするが、回教国である同国へは、女性の単身での入国ビザが得られないという障害にぶつかる。しかし、書類上の操作で入国が不可能ではないことを知る。章子が夫の後を追うおそれがあると知った会社は、夫に帰国命令を下す。現地の上司のとりなしで、章子を説得するため一時帰国した夫は、隣人の妻の不倫相手の刃傷沙汰に巻き込まれて負傷し、入院する。章子と夫との間に溝ができかけるが、章子は夫の真意を知り、よい妻になろうと決意し、夫の単身赴任先に同行しようと大騒ぎしたことを夫に謝り、章子と和解した夫は、再度単身赴任し、章子は日本で職業につく。」というものである。
3 右1及び2の事実によれば、原告著作物と本件テレビドラマは、主人公の夫が帰国するまでの前半の基本的ストーリーが極めて類似していることは明らかである。
また、前記二及び四に認定した事実によれば、原告著作物と本件テレビドラマとは、別紙対照目録中の「登場人物の類似点」の項に記載のとおり、主人公の名前、夫婦の間の子どもの有無、共働きかどうか、夫の勤務先、夫の転勤先、主人公のキャラクター、夫のキャラクターも極めて類似していること、別紙対照目録中の「具体的な内容の類似点」の項に記載のとおり、単身赴任についての問題提起、単身赴任命令に対する妻(主人公)の問題意識、海外転勤に妻を同行させない会社の事情、同行できないことを知った妻(主人公)の対応、妻(主人公)の行動、妻(主人公)のサウジアラビア行きの可能性を知った会社の対応等についての前半のストーリーの細部も類似しており、その表現の具体的な文言までが共通している部分もあることが認められる。
他方、右1及び2の事実によれば、原告著作物と本件テレビドラマは、主人公の夫が帰国して後の後半の基本的ストーリーは、原告著作物が、前記1のように、章子が就職したことが直接的なきっかけとなって、章子夫婦は離婚し、章子は、章子の新しい生き方を尊重する男性と再婚するのに対し、本件テレビドラマでは、前記2のように、章子と夫との間に溝ができかけるが、章子はよい妻になろうと決意し、夫の単身赴任先に同行しようと大騒ぎしたことを夫に謝って夫婦は和解し、夫は再度単身赴任するというもので、大きく異なっている。また、本件テレビドラマには、原告著作物には登場しない、主人公の社宅の隣人の美貴夫婦、主人公の学生時代の先輩玲子等が登場する点でもストーリーが異なっている。
しかしながら、右のような相違点にもかかわらず、前記の類似点、共通点を考慮すれば、原告著作物を読んだことのある一般人が本件テレビドラマを視聴すれば、本件テレビドラマは、原告著作物をテレビドラマ化したもので、テレビドラマ化にあたり、夫の帰国以後のストーリーを変えたものと容易に認識できる程度に、前半の基本的ストーリー、主人公夫婦の設定、細かいストーリーとその具体的表現が共通でありあるいは類似しているものというべきである。
前記(証拠等)によれば、原告著作物と本件テレビドラマに右のような共通点、類似点があるのは、被告Aが、原告著作物を含む原告書籍中の作品を読んで、高く評価して、これを忠実にテレビドラマ化したいと考えたが、テレビ局に受け入れられず、視聴者の反発を受けない程度の内容に変更することとし、脚本家と被告Aの制作の意図の説明、原告著作物を素材の一部として使用すること等の打合せを経て完成された脚本に基づいて本件テレビドラマが制作されたためであることが認められる。
以上の事実によれば、本件テレビドラマは、原告著作物に依拠してされた原告著作物の翻案と認められ、本件テレビドラマの制作は原告著作物について原告の有する翻案権を侵害するものである。また、本件テレビドラマの放映は、原告が著作権法28条により有する本件テレビドラマについての放送権の侵害にあたる。
4(一) 被告らは、原告が、翻案権侵害の主張を根拠づける主要事実を十分に主張しないから、原告の請求は主張自体失当である旨主張するが、原告は必要な主張をしているものと認められ、被告らの主張は採用できない。
(二) 被告らは、原告著作物にはドラマ化権の保護範囲に該当する独創的物語性のある部分がないから、本件テレビドラマによるドラマ化権侵害の余地はない旨主張する。
しかし、原告著作物が、Dの投稿や同人から取材した事実をもとにしているからといって、そのことを理由に、原告著作物中、Dの投稿や同人の体験談に表現されているその他人の体験や考えと一致する筋、仕組み、構成部分には著作物として保護するに足りる創作性がないとはいえないことは、前記二に判断したとおりであり、また、著作物中の作者自身や実在の人物が表明した見解、意見の表現、登場人物に関する行動、でき事を一般的、抽象的に描いた部分、登場人物の感情をそのまま直接表明した部分に著作権法上の保護が及ばないとも、右のような表現部分にドラマ化権(翻案権)侵害の余地がないともいえないから、被告らの右主張は失当である。
(三) また、被告らは、種々の理由を挙げて、原告著作物と本件テレビドラマは内面形式(基本となる原作の筋、仕組み、主たる構成)が全く異なる旨主張する。
まず、被告らは、原告著作物はいわゆる傾向文学に属しており、主義主張の宣伝という美的以外の目的を追及する思想発表であり、その実質は読み物の形式を借りた論説であると主張する。確かに、前記二認定の事実によれば、原告著作物には、現在の結婚の内容、制度に疑問を持ち、社会的に目覚めて、自立しようとする妻の姿を描くという観点から、主人公の夫の海外単身赴任をめぐる事件の中にあらわれた、企業が社員のみならずその妻をも支配している状況の指摘、主人公の夫に代表される世の男性の、男は外で働き、女は家庭を守るという伝統的役割分業観の指摘、妻の働く女性としての自立の勧め等の原告の思想、主張が明確に表現されていることは明らかである。
しかし、前記二認定のとおり、原告著作物には、主人公章子の夫の海外単身赴任というできごとを中心に、章子夫婦の出会いから、結婚、夫の海外単身赴任と同行を望む章子の活動、夫の帰国と章子の就職、その後の夫婦生活の破局、章子の再婚までのストーリーが、章子や夫の心理状態、感情をも含めて具体的に描写されており、これを読み物の形式を借りた論説であるということはできず、また、そのことを翻案権の有無、範囲の検討にあたって考慮すべきであるということもできない。
次に、原告著作物が、主に主人公や夫などの登場人物の会話や行動、あるいはその心理や思考を三人称体で客観的に描写する形式でストーリーが展開されるが、一部に主人公が著者に話し掛け、あるいは報告する形式の部分、著者が一人称で自己の目から見た主人公や夫等の客観的状況を描写し、愛、結婚、家庭、単身赴任、会社の社員支配等についての意見を開陳する部分が加えられた、ルポルタージュ風の読物であることは前記二に認定のとおりであり、本件テレビドラマが、一部に章子自身の短いナレーションがいくつか入る他は、登場人物の会話や行動等でストーリーが展開していることは前記四に認定のとおりである。
しかし、このような構成の形式に違いがあっても翻案となりうることは当然であり、構成の形式の違いを理由に、本件テレビドラマが原告著作物の翻案であることを否定する被告らの主張は採用できない。
さらに、被告らは、原告著作物と本件テレビドラマとでは根本思想ないしテーマが全く相違する旨主張する。
原告著作物には、現在の結婚の内容、制度に疑問を持ち、社会的に目覚めて、自立しようとする妻の姿を描くという観点から、主人公の夫の海外単身赴任をめぐる事件の中にあらわれた、企業が社員のみならずその妻をも支配している状況の指摘、主人公の夫に代表される世の男性の、男は外で働き、女は家庭を守るという伝統的役割分業観の指摘、妻の働く女性としての自立の勧め等の原告の思想、主張が明確に表現されていることは前記のとおりであり、他方、前記四認定の事実によれば、本件テレビドラマには、制作者の思想、主張が直接的に明確に述べられる部分はないが、その全体から見ても、海外単身赴任が夫婦、家族の生活に与える影響も描きつつ、やりがいのある仕事をするために必要な場合もあると肯定的にとらえ、社会的視野が狭く、夫婦の愛情のみを大切に考えて同伴を強く望んでいた妻が、夫の海外単身赴任先での仕事にかける情熱を理解し、よい妻であろうと決心して単身赴任を受け入れると、厳しく対応していた夫の上司も、意外とものわかりよく夫に再赴任の機会を与えるいう形で問題が解決するなど、企業批判の思想は汲み取れず、また、仕事を持つ玲子のてきぱきとした態度やいきいきと働く妻の描写等から、女性が社会へ出て働くことの肯定的態度はうかがわれるが、男性の伝統的分業観への批判や、離婚をもいとわない女性の自立の主張は読み取ることはできず、海外単身赴任をめぐるサラリーマン夫婦の家庭と仕事の葛藤、苦しみと喜びを、調和的、常識的に描くという以上に明確な思想、主張の表明は認められない。
しかしながら、このような各著作物の基本思想の違いを考慮しても、右1ないし3認定の原告著作物と本件テレビドラマの前半の基本的ストーリー、主人公夫婦の設定、細かいストーリーとその具体的表現が共通でありあるいは類似している点を考慮すれば、本件テレビドラマは原告著作物の翻案であると認めることができる。
被告らは、原告著作物と本件テレビドラマとは、主人公の人物像、主人公が対立、葛藤する対象が違うと主張するが、原告著作物と本件テレビドラマの前半の基本的ストーリー、主人公夫婦の設定、細かいストーリーとその具体的表現が共通でありあるいは類似していることは右1ないし3に判断したとおりである。
被告らの、原告著作物と本件テレビドラマは内面形式が全く異なる旨の主張は採用できない。
(四) 被告らは、本件テレビドラマの制作に当たり、原告著作物に表れている体験的事実を題材あるいは素材として参考にしたが、本件テレビドラマが、終始、原作著作物から独立して独自に企画、構想、取材、脚本執筆等の作業を経て製作されたものである旨主張する。
テレビドラマの制作あるいはテレビドラマの脚本を執筆するに当たり、他人の文芸に関する著作物を素材として利用することは許されないことではないが、その著作物の著作権者の許諾なくして利用することが許されるのは、その他人の著作物における表現形式上の本質的な特徴をそれ自体として直接感得しえないような態様において利用する場合に限られるものであり、テレビドラマあるいはその脚本の著作者が主観的には素材として他人の著作物を利用する意図であったとしても、制作されたテレビドラマあるいは脚本から、当該他人の著作物における表現形式上の本質的な特徴をそれ自体として直接感得しうることができ、右特徴が失われるに至っていないときは、右他人の著作物の翻案にあたるものである。
これを本件についてみるに、本件テレビドラマと原告著作物は、原告著作物を読んだことのある一般人が本件テレビドラマを視聴すれば、本件テレビドラマは、原告著作物をテレビドラマ化したもので、テレビドラマ化にあたり、夫の帰国以後のストーリーを変えたものと容易に認識できる程度に、前半の基本的ストーリー、主人公夫婦の設定、細かいストーリーとその具体的表現が共通でありあるいは類似しているものであり、本件テレビドラマから、原告著作物における表現形式上の本質的な特徴をそれ自体として直接感得しうることができ、右特徴が失われるに至っていないものということができる。そして、原告著作物と本件テレビドラマに前記のような共通点、類似点があるのは、被告Aが、原告著作物を含む原告書籍中の作品を読んで、高く評価して、これを忠実にテレビドラマ化したいと考えたが、テレビ局に受け入れられず、視聴者の反発を受けない程度の内容に変更することとし、脚本家と被告Aの制作の意図の説明、原告著作物を素材の一部として使用すること等の打合せを経て完成された脚本に基づいて本件テレビドラマが制作されたためであることは前記のとおりであり、本件テレビドラマは原告著作物の翻案にあたる。被告らの前記主張は失当である。
六 著作者人格権の侵害について
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七 包括的承諾について
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2 右認定の事実によれば、原告は、昭和61422日頃、被告Aから原告著作物のドラマ化の打診を受け、これを基本的には承諾したことは認められるが、右承諾は、被告Aが、それまで見ず知らずの関係にあった原告に電話で申し込んでその場でされたものであるという経過や、その時の交渉内容に照らせば、原告著作物を忠実にテレビドラマ化することを前提として、被告Aがテレビドラマ化のためテレビ局との交渉、企画、脚本化等の具体的作業を行うことについて基本的に承諾したもので、最終的には、脚本等が確定した段階で確定的な翻案、放送についての合意がされることを前提とするものと認められる。更に、右承諾は、被告Aにストーリーの自由な改変を許すものではなく、テレビドラマ化に伴いあら筋の順序や展開等に多少の変更を加えることは有るとしても、原告著作物全体の基本的ストーリーを変更しないことを前提とするものであると認められる。
本件テレビドラマは、原告著作物と比べて、基本的ストーリーの後半部分が変更され、原告著作物に表現された著作者の意図から全く離れるような結末とされているのであるから、右昭和61422日頃の承諾が、このような本件テレビドラマの制作、放映、原告著作物の改変まで承諾したものと認めることはできない。
3 また、前記1認定の事実によれば、昭和6227日、8日の交渉では、原告は、被告Aから交付された本件テレビドラマの脚本(実際は脚本の準備稿)を読んで検討した上、本件テレビドラマへの翻案、改変、本件テレビドラマの放映を明確に拒絶したものであり、右両日の交渉中に本件テレビドラマへの翻案、改変、本件テレビドラマの放映について原告が承諾したものとは認められない。
もっとも、原告は、昭和6228日の交渉の最終段階で、原告としては本件テレビドラマの制作や放映を容認するつもりはない旨告げるとともに、原告の許諾の有無にかかわらず、本件テレビドラマが放映されるであろうと推察し、被告Aに対し、本件テレビドラマを放映せざるを得ないのであれば、原告としては、原作者として氏名を表示されることは一切断る旨述べたのであるから、本件テレビドラマを放映するならば、原作の著作者として原告の氏名を表示しないことを求めたものと認められ、本件テレビドラマの放映の際に原作者として原告名が表示されなかったことは原告の意思に基づくものと認められ、氏名表示権の侵害は認められない。
八 被告らの故意、過失及び不法行為の成否について
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九 損害額及び名誉回復措置について
1 翻案権侵害、放送権侵害による損害
(証拠等)によれば、本件テレビドラマより前に原告の作品がテレビドラマ化されたことはなく、原作料の支払いを受けた例はないこと、本件テレビドラマの放映後の昭和62211日に被告Aが原告方を訪れ、本件テレビドラマに原告著作物を利用したことに対する謝礼として金50万円を持参したが、原告に受領を拒絶されたことが認められ、これらの事実に、前記認定の本件テレビドラマによる原告著作物についての原告の著作権の侵害の態様を考慮すれば、原告著作物の本件テレビドラマ同様のテレビドラマの原作としての通常支払われるべき使用料は金50万円が相当であると認める。これを超える金額が相当であることを認めるに足りる証拠はない。
(以下略)

[控訴審同旨]
五 翻案権及び放送権侵害の成否について
1(一) ある作品について著作権侵害が成立するためには、当該作品が原著作物に依拠して作成されたものであることが必要であるところ、前記三1に認定のとおり、本件テレビドラマは原告著作物を素材の一部として使用すること等の打合せを経て完成された脚本に基づいて制作されたものであって、控訴人IVS及び控訴人Aが原告著作物の存在及び内容を知っていたことは明らかである。
(二) ところで、ある作品の制作者において原著作物に接する機会がなく、その存在及び内容を知らなかった場合には、これを知らなかったことについて過失があると否とにかかわらず、原著作物に依拠して当該作品を制作したものということはできず、その者に著作権侵害の責任を問うことはできないものと解される(最高裁昭和5397日判決参照)。
右のように、対象となる作品が原著作物に依拠して作成されたものであるか否かは、当該作品の制作者につき判断されるべき事項であるから、対象となる作品が共同制作にかかるものである場合には、共同制作者のそれぞれにつき依拠の要件を充足しているか否かを判断する必要があるが、共同制作者の全員が原著作物に接していなければならないというものでは必ずしもなく、自らは原著作物に接する機会がない場合であっても、当該作品を制作するについて他の共同制作者が原著作物に接していて、これに依拠していることを知っているような場合には、原著作物に接する機会のない者についても、同様に依拠の要件を充足しているものと認めるのが相当である。
そこで、控訴人テレビ東京について依拠の要件を充足しているといえるか否かについて検討する。
前記三1に認定のとおり、控訴人Aから海外単身赴任ものについての企画提案があった当初から本件テレビドラマの制作、納入に至る段階まで、控訴人Aや控訴人IVSから控訴人テレビ東京に対し、原告書籍や原告著作物のことについての説明はなかったこと、控訴人IVSから控訴人テレビ東京に提出された本件テレビドラマの番組製作見積書の「脚本費」欄の「原作使用」の項目は空白であったこと、控訴人テレビ東京側でも、控訴人Aや控訴人IVSに対し、本件テレビドラマには原作なり、使用している素材があるのかどうかについて確認しなかったことが認められ、これらの事実によれば、控訴人テレビ東京は、本件テレビドラマの制作の段階においては、自ら原告著作物に接したことはなく、原告書籍や原告著作物の存在及び内容を知らなかったものと認められる。
しかしながら、前記三1に認定のとおり、控訴人テレビ東京は、昭和622月初旬頃、本件テレビドラマと基本的ストーリーが類似したドラマの企画書が他社から提出されていることに気付き、右企画書の表紙に「D著『妻たちがガラスの靴を脱ぐ』(汐文社刊)より」と表示されていることを知ったこと、同月6日、前記Eが控訴人Aに対し、本件テレビドラマの原作はどうなっているか確認したところ、控訴人Aは、原作ではないが、被控訴人の著作のアイデアを借りていることがあると説明したこと、Eは、被控訴人との間で問題が生じないように被控訴人の了解を得るように指示したことが認められ、これらの事実によれば、控訴人テレビ東京は、昭和6227日の時点では、本件テレビドラマを制作するについて控訴人IVS及び控訴人Aが被控訴人の著作物に接していて、これに依拠したものであることを知っていたものと認められるから、控訴人テレビ東京についても原告著作物への依拠の要件を充足しているものと認めるのが相当である。
2(一) 前記二に認定の事実によれば、原告著作物の基本的なストーリーは、「建設会社に勤務する主人公章子の夫がサウジアラビアへ二年間の単身赴任を命じられる。章子は、夫と同行したいと願い、夫と議論するが、会社の方針によって許されないまま、夫は赴任する。章子は希望を実現しようと夫の会社と直談判するが、会社側は、治安の悪さを理由に章子を説得しようとする。章子はサウジアラビアに社員を派遣している石油会社や商事会社を訪ね歩き、会社が同行を許さない理由とする事情は真実でないことや、企業の海外単身赴任の実情を知るとともに、社員用アパートを提供できるかも知れないという企業まで見つけた。章子は自力でサウジアラビアへ赴こうとするが、回教国である同国へは、女性の単身での入国ビザが得られないという障害にぶつかる。しかし、書類上の操作で入国が不可能ではないことを知る。章子が夫の後を追って行きそうだと知った会社は、単身赴任の慣行を維持しようとして、夫に帰国命令を下し、章子は別れてから六か月半後に夫を取り戻す。しかし、章子と夫との間には亀裂が生じ、章子が就職したことが破局の直接的なきっかけとなる。章子は、次第に仕事と家庭の両立が困難な状況になり、実事の分担を巡って夫婦間の溝は深まり、離婚するに至る。その後、章子は、章子の新しい生き方を尊重する男性と再婚する。」というものである。
(二) 前記四に認定の事実によれば、本件テレビドラマの基本的なストーリーは、「建設会社に勤務する主人公章子の夫がサウジアラビアへ二年間の単身赴任を命じられる。章子は、夫と同行したいと願い、夫と議論するが、会社の方針によって許されないまま、夫は赴任する。章子は希望を実現しようと、サウジアラビアに社員を派遣している石油会社や商事会社を訪ね歩き、企業の海外単身赴任の実情を知るとともに、社員用アパートを提供してもよいという企業まで見つけたうえ、夫の会社と直談判するが、会社側は、赴任者のチームワークが乱れることを理由に章子の願いを拒絶する。章子は自力でサウジアラビアへ赴こうとするが、回教国である同国へは、女性の単身での入国ビザが得られないという障害にぶつかる。しかし、書類上の操作で入国が不可能ではないことを知る。章子が夫の後を追う恐れがあると知った会社は、夫に帰国命令を下す。現地の上司のとりなしで、章子を説得するため一時帰国した夫は、隣人の妻の不倫相手の刃傷沙汰に巻き込まれて負傷し、入院する。章子と夫との間に溝ができかけるが、章子は夫の真意を知り、よい妻になろうと決意し、夫の単身赴任先に同行しようと大騒ぎしたことを夫に謝り、章子と和解した夫は、再度単身赴任し、章子は日本で職業に就く。」というものである。
(三) 右(一)及び(二)の事実によれば、原告著作物と本件テレビドラマは、主人公の夫が帰国するまでの前半の基本的ストーリーが極めて類似していることは明らかである。
また、前記二及び四に認定した事実によれば、原告著作物と本件テレビドラマとは、主人公の名前(章子)、夫婦の間の子供の有無(なし)、共働きかどうか(専業主婦)、夫の勤務先(海外に支社をもつ建設会社)、夫の転勤先(サウジアラビア)が同じであり、主人公やその夫の性格、人物像も類似していること、原判決別紙対照目録中の「具体的な内容の類似点」の項に記載のとおり、単身赴任についての問題提起、単身赴任命令に対する妻(主人公)の問題意識、海外転勤に妻を同行させない会社の事情、同行できないことを知った妻の対応・行動、妻のサウジアラビア行きの可能性を知った会社の対応等についての前半のストーリーの細部も類似しており、その表現の具体的な文言までが共通している部分もあることが認められる。
他方、原告著作物と本件テレビドラマは、主人公の夫が帰国して後の後半の基本的ストーリーにおいて、原告著作物が、前記(一)のとおり、章子が就職したことが直接的なきっかけとなって、章子夫婦は離婚し、章子は、章子の新しい生き方を尊重する男性と再婚するのに対し、本件テレビドラマでは、前記(二)のとおり、章子と夫との間に溝ができかけるが、章子はよい妻になろうと決意し、夫の単身赴任先に同行しようと大騒ぎしたことを夫に謝って夫婦は和解し、夫は再度単身赴任するというもので、大きく異なっている。また、本件テレビドラマには、原告著作物には登場しない、主人公の社宅の隣人の美貴夫婦、主人公の学生時代の先輩玲子等が登場する点でもストーリーが異なっている。
(四) ところで、原告著作物における、前半の基本的ストーリー及び単身赴任についての問題提起、単身赴任命令に対する妻(主人公)の問題意識、海外転勤に妻を同行させない会社の事情、同行できないことを知った妻の対応・行動、妻のサウジアラビア行きの可能性を知った会社の対応等の細かいストーリーとその具体的表現は、原告著作物を特徴づける個性的な内容表現を形成する要素と認められるところ、前記認定のとおり、本件テレビドラマは、前半の基本的ストーリーやその細かいストーリーが原告著作物と類似し、また具体的表現も共通する部分が存するものであり、後半の基本的ストーリー等において前記のような相違点があるにもかかわらず、原告著作物を読んだことのある一般人が本件テレビドラマを視聴すれば、本件テレビドラマは、原告著作物をテレビドラマ化したもので、テレビドラマ化にあたり、夫の帰国以後のストーリーを変えたものと容易に認識できる程度に、本件テレビドラマにおいては、原告著作物における前記の特徴的・個性的な内容表現が失われることなく再現されているものと認められるから、本件テレビドラマは原告著作物の翻案であると認めるのが相当である。
右認定の趣旨に反する(証拠)の記載内容は採用できない。
3 右1及び2によれば、控訴人らの本件テレビドラマの制作は原告著作物について被控訴人の有する翻案権を侵害するものであり、また、本件テレビドラマの放映は、被控訴人が著作権法28条により有する本件テレビドラマについての放送権を侵害するものというべきである。
4 控訴人A及び控訴人IVSは、本件テレビドラマの制作は翻案権の侵害に当たらないとして種々主張するので、この点について検討する。
(一) 控訴人A及び控訴人IVSは、被控訴人は、原告著作物の内面形式(原告著作物の個性的特徴であると識別される筋、仕組み、主たる構成)を明らかにしたうえ、それが本件テレビドラマに再現されていることを対比して客観的に主張していないから、翻案権侵害を根拠づける主要事実を十分に主張していないものであり、被控訴人の請求は主張自体失当である旨、原告著作物中、Hの執筆になる体験記や同人の体験談に表現されている話の展開と同一の筋、仕組み、構成部分は、被控訴人の創作であるということはできず、この部分に被控訴人の著作権は及ばない旨、物語性(ストーリー、筋)中の創作的部分がドラマ化権上保護に値する部分であるが、原告著作物をドラマ化という観点からみた特徴として、①妻の目覚めに関し、作者自身の見解、意見を表明した部分や、登場人物(主人公の章子)が作者に報告するという形で、実在のHの考え、見解を述べた部分が多い、②章子等の登場人物に関する行動、でき事を一般的、抽象的に描いた部分や、章子等の感情をそのまま直接表明した部分が多い、③夫の海外単身赴任をめぐって、実在のHらが実際に体験、行動した事実をそのまま述べた部分が多い、という点を挙げることができるが、これらはいずれも著作権法上の保護範囲に該当しないものであり、原告著作物の中からこれらを除外すると、被控訴人が創作した部分はほとんど残らず、本件テレビドラマによるドラマ化権侵害の余地はない旨主張する。
前記二に認定のとおり、原告著作物は、「わいふ」に掲載されたHの投稿や同人から聴取した内容をもとにして、ルポルタージュ風の読み物として著述されたものであり、右Hの投稿において述べられている「建設会社に勤務する夫がサウジアラビアに二年間の単身赴任を命じられ、自分(妻)も同行を希望するが、会社の事情で許されなかったため、同行を実現しようと、夫の勤務先にかけあうが、サウジアラビアは危険であり、女性が暮らせるような国ではないという答えであった。それならサウジアラビアが安全な国であるという資料があればいい訳だろうと、石油会社や商社などを訪問し、実情を尋ね歩いた結果、サウジアラビアは珍しいほど犯罪が少なく、現に長期滞在者は家族を同伴していることがわかった。」という事実経過と、転任は家族同伴が本筋であるというHの考えは、原告著作物においても取り入れられているところである。また、前記二の認定事実及び(証拠)によれば、原告著作物には、作者である被控訴人自身の見解、意見を表明した部分や、登場人物(主人公の章子)が被控訴人に報告するという形で、Hの体験したことや考えを述べたと推測される部分もあることが認められる。
ところで、著作物中に他人の体験記や体験談に表現されている話の展開がそのまま表現されているような場合には、その表現部分に創作性を認めることはできないが、他人の体験記や体験談に表現されている話の展開を素材としながら、これに創作的な脚色が加えられ、あるいは具体性をもって表現されているような場合に、右素材とされた表現部分を取り出して著作権の保護範囲から除外してしまうことは、右脚色や具体性をもった表現を実質的に無意味なものとしてしまうことになり、著作権法が著作物に創作性を必要としている趣旨にも反するものと解される。
しかして、原告著作物には、Hが投稿に記載し、被控訴人に対して述べた前記事実経過やHの考えが取り入れられているものであるが、前記二の認定事実や前記(証拠)から明らかなとおり、原告著作物においては、右事実経過等について、種々の創作的な脚色が加えられ、あるいは具体性をもった表現が施され、これらが一体となって、原告著作物の表現形式上の特徴部分を形成しているものと認められるから、原告著作物に取り入れられている前記事実経過等の表現部分について、被控訴人の創作ではないとして著作権の保護範囲から除外することは相当ではないものというべきである。
次に、前記二の認定事実及び(証拠)によっても、原告著作物には、章子等の登場人物に関する行動、でき事を一般的、抽象的に描いた部分や、章子等の感情をそのまま直接表明した部分が多く存するものとは認め難いが、原告著作物にあって、登場人物の行動、でき事が一般的、抽象的に描かれている部分があるからといって、また、登場人物の感情がそのまま表明されている部分があるからといって、その各部分が物語性を認められる要素を備えていないものとは認められず、著作権法上の保護の範囲に該当しないものとすることはできない。
更に、ドラマ化とは、控訴人A及び控訴人IVSの主張するとおり、通常はドラマの核ともいうべき物語性の部分を原作から借用して映像化等することであって、原則的には物語性中の創作的な部分がドラマ化権上保護に値する部分であるということができ、また、原告著作物中の被控訴人の見解や意見を表明した部分自体には物語性がないとしても、原告著作物に創作的な物語性を有する部分が存することは叙上判示したところから明らかである。
なお、被控訴人は、翻案権侵害を根拠づける主要事実は主張しているものと認められる。
右のとおりであって、控訴人A及び控訴人IVSの前記主張はいずれも採用できない。
(二) 控訴人A及び控訴人IVSは、原告著作物と本件テレビドラマとは、内面形式(基本となる筋、仕組み、主たる構成)において全く異なるとして、まず、原告著作物は、女の自立のための戦いという見地から、会社側の命ずる単身赴任は、妻や女性に対する蔑視であるとして、企業や世間の常識を告発するという基本思想を普及宣布することを目的とするものであって、その実質は読み物の形式を借りた論説であり、被控訴人が聴取した第三者の体験談を素材とし、章子という主人公が、その体験経過を筆者に報告するという形態にまとめ、読み物としたという表現形式を採用しているから、その構成形式は、被控訴人が体験者である章子から聞かされたことを、でき事の順序に従って記述しつつも、所要の箇所に被控訴人の問題意識を開陳するものであり、登場人物のみの行為の連鎖ではないのに対して、本件テレビドラマは、第三者の被控訴人に対する体験報告という筋立てではなく、主人公等の行動自体を表現したものであって、その内面形式において全く異なる旨主張する。
前記二の認定事実によれば、原告著作物には、現在の結婚の内容、制度に疑問を持ち、社会的に目覚めて、自立しようとする妻の姿を描くという観点から、主人公の夫の海外単身赴任をめぐって現れた、企業が社員のみならずその妻をも支配している状況の指摘、主人公の夫に代表される世の男性の、男は外で働き、女は家庭を守るという伝統的役割分業観の指摘、妻の働く女性としての自立の勧め等の被控訴人の思想、主張が明確に表現されていることは明らかである。
しかし、前記二に認定のとおり、原告著作物には、主人公章子の夫の海外単身赴任というでき事を中心に、章子夫婦の出会いから、結婚、夫の海外単身赴任と同行を望む章子の活動、夫の帰国と章子の就職、その後の夫婦生活の破局、章子の再婚までのストーリーが、章子や夫の心理状態、感情をも含めて具体的に描写されており、これを読み物の形式を借りた論説であるということはできない。
本件テレビドラマは、前記四に認定のとおり、一部に章子自身の短いナレーションがいくつか入るほかは、登場人物の会話や行動等でストーリーが展開しているものである。これに対し、原告著作物は、前記二に認定のとおり、一部に主人公が著者に話し掛け、あるいは報告する形式の部分、著者が一人称で自己の目から見た主人公や夫等の客観的状況を描写し、愛、結婚、家庭、単身赴任、会社の社員支配等についての意見を開陳する部分が加えられているが、主に主人公や夫等の登場人物の会話や行動、あるいはその心理や思考を三人称体で客観的に描写する形式でストーリーが展開されているものである。
右のとおりであって、原告著作物と本件テレビドラマとは、構成の形式に若干の違いはあるものの、内面形式において全く異なるものとまでは到底認められず、控訴人A及び控訴人IVSの右主張は採用できない。
次に、控訴人A及び控訴人IVSは、原告著作物と本件テレビドラマとは、①その根本思想ないしテーマの点、②両者の作品における主人公の人物像、主人公が対立、葛藤する対象の違いなどの差異等、構成、展開の点のいずれの側面から検討しても全く相違しているから、本件テレビドラマは控訴人Aらの独自の創作活動の成果であって、原告著作物とその内面形式に共通性はなく、原告著作物の二次的著作物という範囲を超えたものであり、いわゆる純創作の域にあることは明らかである旨主張する。
原告著作物には、現在の結婚の内容、制度に疑問を持ち、社会的に目覚めて、自立しようとする妻の姿を描くという観点から、主人公の夫の海外単身赴任をめぐって現れた、企業が社員のみならずその妻をも支配している状況の指摘、主人公の夫に代表される世の男性の、男は外で働き、女は家庭を守るという伝統的役割分業観の指摘、妻の働く女性として自立の勧め等の被控訴人の思想、主張が明確に表現されていることは前記のとおりであり、他方、前記四に認定の事実によれば、本件テレビドラマには、制作者の思想、主張が直接的に明確に述べられる部分はないが、その全体からみても、海外単身赴任が夫婦、家族の生活に与える影響を描きつつも、やりがいのある仕事をするために必要な場合もあると肯定的にとらえ、社会的視野が狭く、夫婦の愛情のみを大切に考えて同行を強く望んでいた妻が、夫の海外単身赴任先での仕事にかける情熱を理解し、よい妻になろうと決心して単身赴任を受け入れると、厳しく対応していた夫の上司も、意外とものわかりよく夫の再赴任の機会を与えるという形で問題が解決するなど、企業批判の思想は汲み取れず、また、仕事を持つ玲子のてきぱきとした態度やいきいきと働く妻の描写等から、女性が社会に出て働くことの肯定的態度は窺われるが、男性の伝統的分業観への批判や、離婚をも厭わない女性の自立の主張は読み取ることができず、海外単身赴任をめぐるサラリーマン夫婦の家庭と仕事の葛藤、苦しみと喜びを、調和的、常識的に描くという以上に明確な思想、主張の表明は認められない。また、原告著作物と本件テレビドラマには、筋、構成及びその展開において、前記2(三)に認定のとおりの相違点がある。
しかし、前記2(四)に認定のとおり、原告著作物における、主人公の夫が帰国するまでの前半の基本的ストーリー及び単身赴任命令に対する主人公(妻)の問題意識、海外転勤に妻を同行させない会社の事情、同行できないことを知った妻の対応・行動、妻のサウジアラビア行きの可能性を知った会社の対応等の細かいストーリーとその具体的表現は、原告著作物を特徴づける個性的な内容表現であるところ、本件テレビドラマは、原告著作物と前半の基本的ストーリーやその細かいストーリーが類似し、また、具体的表現も共通する部分が存するものであって、原告著作物を読んだことのある一般人が本件テレビドラマを視聴すれば、本件テレビドラマは、原告著作物をテレビドラマ化したもので、テレビドラマ化にあたり、夫の帰国以後のストーリーを変えたものと容易に認識できる程度に、本件テレビドラマにおいては、原告著作物における右特徴的・個性的な内容表現が失われることなく再現されているから、前記のような相違点があることを考慮しても、本件テレビドラマが原告著作物の翻案であることを否定すべき程度にまで内面形式に共通性がないとはいえず、本件テレビドラマが控訴人Aらの独自の創作活動の成果であるとは認められない。
したがって、控訴人A及び控訴人IVSの右主張は採用できない。
(三) 控訴人A及び控訴人IVSは、本件テレビドラマは、原告著作物から独立して独自に企画、構想、取材、脚本執筆の作業を経て実施されたものである旨主張するが、右主張も採用できないことは、叙上判示したところから明らかである。