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著作権判例セレクション
【言語著作物の侵害性】「姓名学」に関する書籍の侵害性を否定した事例
▶平成14年11月26日東京地方裁判所[平成14(ワ)5467]
1 争点(1)について
(1) 原告は,被告書籍の本件対比表の部分につき,被告書籍は原告書籍を翻案したもので,原告書籍を掲載した被告書籍の発行販売は,原告書籍の著作権を侵害するものであると主張しているところ,翻案が認められるためには,被告書籍が原告書籍の表現上の本質的な特徴を直接感得することができなければならず,表現上の創作性がない部分において同一性を有するに過ぎない場合は,翻案には当たらないと解される。
そこで,以下,対比表に従って,原告書籍及び被告書籍について上記の点を判断する。
(2) 対比表1について
ア 原告書籍では「一という數は天地の始め萬有の基であつて」と記載されているのに対し,被告書籍では「●単数1はすべての始まり」,「1は万物の始まりです。宇宙に存在するすべてのものの根源です。」と記載されているところ,両者はいずれも1という数字に関して,始まりを意味するものであるという点で共通しているが,原告書籍では,始まりの対象は「天地」であるのに対して,被告書籍では「すべて」,「万物」と異なっており,また,原告書籍の「萬有の基」と被告書籍の「宇宙に存在するすべてのものの根源」は,似た意味を有するものの,具体的な表現は異なっており,必ずしも同じではない。そして,これらを姓名判断に用いることは,アイデアである(以下,(3)ないし(11)につき,個々の数に関する説明を姓名判断に用いることは,同様にアイデアである。)。
イ また,原告書籍では「自ら獨立,單行,健全,發達,富貴,名誉,幸福等の暗示が生れて來る。」と記載されているのに対し,被告書籍では「自立心,勇気,進展といった意味を持ちます。」と記載されているところ,その表現は明らかに異なっている。
ウ 上記部分以外の記載部分に関しては,両者の表現に共通する部分は認められない。
エ したがって,対比表1の部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(3) 対比表2について
ア 原告書籍では「二は一を二つ合せたもので,合せものは離れるというように」と記載されているのに対し,被告書籍では「2は1を二つ合わせたものです。合わせたものは,いずれまた離れます。」と記載されているが,「2は1を二つ合わせたもので,合わせたものは離れる」ということは,当然の事理を普通に表現したものに過ぎない。
イ また,原告書籍では「分離の兆,不具不完,不徹底等の誘導力が生じ」と記載されているのに対し,被告書籍では「分離・分裂の意味を表し,不安定,挫折といった運の浮き沈みを表す凶数となります。」と記載されているところ,両者に共通する点は「分離」というところのみであって,その他の表現は異なる。
ウ したがって,対比表2の部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(4) 対比表3について
当該部分は,原告書籍及び被告書籍いずれも「3」という数字が陽の数字である「1」と陰の数字である「2」からなっているということが記載されているが,「3」という数字が「1」と「2」からなっていること自体は,当然の事理であり,「1」が陽で「2」が陰であるというのも,それ自体としてはアイデアであり,以上の部分の具体的な表現も特に特徴があるわけではなく,その余の表現は全く異なっているから,対比表3の部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(5) 対比表4について
当該部分は,原告書籍及び被告書籍いずれも「4」という数字が,「2」を重ねたもの又は合わせたものであるということが記載されているが,そのこと自体は,当然の事理であり,その余の表現は全く異なっているから,対比表4の部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(6) 対比表5の1及び2について
ア 対比表5の1
当該部分は,原告書籍及び被告書籍いずれも「5」という数字が1から9までの中心に位置すること及び陰の数字である「2」と陽の数字である「3」からなっていることが記載されているが,「5」という数字が1から9までの中心に位置すること及び「2」と「3」からなっていること自体は当然の事理であり,「2」が陰で「3」が陽であるというのも,それ自体としてはアイデアであり,以上の部分の具体的な表現も特に特徴があるわけではなく,その余の表現は全く異なっているから,対比表5の1の部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
イ 対比表5の2
「5」という数字について,原告書籍には,「良田に於ける土壤の如く,よく五穀を滋育して自ら樂しみ,人をも喜ばしめるといつた風格」と記載されており,被告書籍には,「陽光の恵みをふんだんに受けた肥沃な大地にたとえられます。豊かさ,温かさ,大らかさを持つ陽性の大地です。」と記載されている。これらの記載は,意味としては共通するところがあるが,その具体的な表現は全く異なっており,意味としても全く同じではない。原告書籍のその余の部分については,これに対応する記載が被告書籍にはない。したがって,対比表5の2の部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(7) 対比表6について
当該部分は,原告書籍及び被告書籍いずれも「6」という数字が「2」と「4」又は「3」と「3」からなっていることが記載されているが,これらのこと自体は,当然の事理であり,また,以上のような「6」という数字の成り立ちから,原告書籍では「6」という数字が良い面を有しているばかりではなく,良くない面をも有しているということが記載されているが,被告書籍には,このような二面性に関する記載はない。そして,両者は,具体的な表現においても,全く異なっている。したがって,対比表6の部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(8) 対比表7について
当該部分は,原告書籍及び被告書籍いずれも「7」という数字が「5」と「2」又は「3」と「4」からなっていること,このような組合せから,「7」は,吉凶両極端のものであることが記載されているが,「7」という数字が「5」と「2」又は「3」と「4」からなっていること自体は,当然の事理であり,そのことから,「7」に吉凶両極端という意味づけを与えること自体は,アイデアである。そして,両者の表現を見ると,「吉凶旺衰兩極端の靈動力」(原告書籍)と「吉凶両極端の運勢です。」(被告書籍),「互に相剋制し,相化成して自ら獨立,權威,單行の誘導力を發し,天賦の精力,萬難突破の氣力を?釀し來るも當然であると共に一面物事調理の才能を有し」(原告書籍)と「困難に立ち向かう秘められた強さ,自分の信じた道を行く正義感,旺盛な行動力といった性質が見られます。開拓,克服,硬直というイメージです。」(被告書籍),「他面に頑剛不和の性能を誘發するのも免れがたい數理の歸結である。」(原告書籍)と「その反面,一徹さは,度を越すと融通性に欠けるというマイナス面に変わります。」(被告書籍)というように,いずれもその表現は異なっていると認められるのであり,他の部分の表現も異なっているから,対比表7の部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(9) 対比表8について
当該部分は,原告書籍と被告書籍とでは,内容に一部共通する点があるが,その表現は全体として全く異なっているということができるから,対比表8の部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(10) 対比表9について
当該部分は,9という数字が最後の数であるという点で共通するが,原告書籍では,基本数中の究極数で,しかも奇数の最後と記載されているのに対し,被告書籍では,単数の最後の数とだけ記載されている。また,ひとつ進めば,10という空虚な数となるという記載も共通しているが,ひとつ進めば10であるということ自体は当然の事柄であること,10が「空虚」な数であること自体はアイデアであること,原告書籍では,上記部分に続いて「一歩退かんとせば八の頑剛運に容れられず」と記載されており,これらの記載から9の意味を説明しているのに対し,被告書籍では,ひとつ進めば10であるということのみから,9の意味を説明していること,以上のとおりいうことができる。そして,他の部分の表現は全く異なっている。これらのことからすると,対比表9の部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(11) 対比表10について
当該部分は,原告書籍と被告書籍とでは,その表現は全く異なっているので,対比表10の部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(12) 対比表11について
ア 同表中の①の部分について
当該部分に関しては,一字姓,一字名の場合を記載していること,一字姓,一字名の場合には,上下に各一を加えるという点において共通している。しかし,姓名判断に際して,一字姓,一字名の場合に,上下に各一を加えるということ自体はアイデアに過ぎないし,全体の表現は全く異なっている。したがって,当該部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
イ 同表中の②の部分について
同表中の原告書籍の②部分は,図形が記載されているところ,同図形は,①「原敬」という姓名を縦書きにして,各文字の画数を記載し,②姓を構成する文字の上部に「假成」1と記載し,姓を構成する文字と「假成」1の右側を括弧で結び,「天格11」と記載し,③姓を構成する文字と名を構成する文字の右側を括弧で結び「人格23」と記載し,④名を構成する文字の下部に「假成」1と記載し,名を構成する文字と「假成」1の右側を括弧で結び,「地格14」と記載し,⑤上下の「假成」1の左側を括弧で結び,「外格2」と記載し,⑥姓名をそれぞれ構成する文字の左側を括弧で結び,「總格23」と記載しているものであることが認められる。
これに対し,被告書籍の当該部分は,「假成」ではなく,「仮数」と記載されていること,上記⑥の「總格23」の記載がないことを除いては,原告書籍の②部分とほぼ同じである。
しかし,「天・人・地・総・外」の五格を構成する字画数によって姓名判断を行うことや姓名判断に際して,一字姓,一字名の場合に,上下に各一を加えるということ自体は,アイデアである。上記図形は,そのような姓名判断法に基づく極めて単純な図形であって,このような図形は,上記姓名判断法に基づく限り,誰が作成しても同様の表現とならざるを得ないから,表現上の創作性を有するものとして著作権法によって保護される著作物には該当しない。したがって,当該図形部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(13) 対比表12について
当該部分は,1から81の数字に関する記述部分である。
しかし,これらの原告書籍に関する部分は,単語又は極めて短い文章であって,その表現に特に特徴的な言葉が用いられているとも認められないから,それらの点に被告書籍と共通する部分があるからといって,表現上の創作性を有するものとして著作権法によって保護される著作物に該当する部分について共通するものと認めることはできない。したがって,当該部分について,被告書籍が原告書籍を翻案したということはできない。
(14) 以上検討したように,対比表の部分すべてにつき,被告書籍は原告書籍を翻案したものであると認めることはできない。
2 結論
以上の次第で,原告の請求は,その余の点について判断するまでもなく,理由がないから,主文のとおり判決する。