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著作権判例セレクション

【著作権侵害総論】 歴史教科書の侵害性の判断基準(中学校用歴史教科書同士の侵害性が争点となった事例)

平成261219日東京地方裁判所[平成25()9673]▶平成27910日知的財産高等裁判所[平成27()10009]
() 本件は,原告が,被告らが制作して出版する別紙記載の各書籍が原告の著作権を有する書籍の記述を流用したものであり,原告の翻案権及び著作者人格権(同一性保持権,氏名表示権)を侵害すると主張して,著作権法112条1項及び2項に基づき,被告らに対し,被告書籍の出版等の差止めなどを求めた事案である。

1 争点(1)(被告各記述が原告各記述を翻案したものか否か)について
(1) 翻案について
言語の著作物の翻案(著作権法27条)とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正,増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる別の著作物を創作する行為をいう。そして,著作権法は,思想又は感情の創作的な表現を保護するものであるから(同法2条1項1号),既存の著作物に依拠して創作された著作物が思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案には当たらないというべきである(最高裁平成13年6月28日第一小法廷判決参照)。
したがって,歴史上の事実や歴史上の人物に関する事実は,単なる事実にすぎないから,著作権法の保護の対象とならず,また,歴史上の事実等についての見解や歴史観といったものも,それ自体は思想又はアイデアであるから,同様に著作権法の保護の対象とはならないというべきである。他方,歴史上の事実等に関する記述であっても,その事実の選択や配列,あるいは歴史上の位置付け等において創作性が発揮されているものや,歴史上の事実又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては,著作権法の保護が及ぶことがあるといえる。
そして,上記のように「創作性」又は「創作的」というためには,厳密な意味で独創性が発揮されたものであることは必要ではなく,筆者の何らかの個性が表現されたもので足りるというべきであるが,他方,文章自体がごく短く又は表現上制約があるため他の表現が想定できない場合や,表現が平凡かつありふれたものである場合には,筆者の個性が表現されたものとはいえないから,創作的な表現であるということはできない。
(2) 教科書及びその検定について
前記前提事実並びに証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
ア 原告書籍及び被告書籍2は,いずれも中学校用歴史教科書であり,被告書籍1は,中学校用歴史教科書である被告書籍2を市販本としたものである。
[注:以下根拠法規を省略]中学校においては,文部科学大臣の検定を経た教科用図書(教科書)を用いなければならず,その教科書検定の基準は,文部科学大臣が公示する教科用図書検定基準の定めるところによるとされている。そして,同規則に基づいて定められた「義務教育諸学校教科用図書検定基準」において,教科用図書(教科書)は,教育課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として教授の用に供せられる図書であるとされており,その内容の選択及び扱いについては,学習指導要領に示す目標に従って,学習指導要領に示す内容及びその内容の取扱いに示された事項を不足なく取り上げるものとし,基本的に,不必要なものは取り上げないこと,図書の内容が,使用される学年の生徒の心身の発達段階に適応していること,学習指導要領に示す内容及びその取扱いに示す事項が,定められた授業時数に照らして図書の内容に適切に配分されていること,その話題や題材の選択及び扱いについては,特定の事項,事象,分野などに偏ることなく,全体として調和がとれていることが必要であり,特定の事項を特別に強調しすぎたり,一面的な見解を十分な配慮なく取り上げたりしないこと,構成や排列については,全体として系統的,発展的に構成することとし,網羅的又は羅列的にならないようにすることなどと定められており,ここでは,教科書記述を公正・中立でバランスのとれたものとすることが求められているものと解される。
ウ 文部科学省が作成した中学校学習指導要領(平成20年3月)及びその解説(「中学校学習指導要領解説 社会編 平成20年9月」)では,歴史的分野についての内容及び取扱いに関して,例えば,古代までの日本については,「世界の古代文明や宗教のおこり」,「日本列島における農耕の広まりと生活の変化や当時の人々の信仰」,「大和朝廷による統一と東アジアとのかかわり」などの内容を記載することとされており,さらに,このうち「日本列島における農耕の広まりと生活の変化や当時の人々の信仰」については,【狩猟・採集】を行っていた人々の生活,日本の豊かな自然環境の中における生活が,農耕の広まりととともに変化していったことや,自然崇拝や農耕儀礼などに基づく信仰が人々の中に生きていたことを気づかせ,その際,新たな遺跡や遺物の発見による考古学などの成果の活用を図るようにするなどというように,その取扱いが具体的に示されている。
(3) 原告各記述及び被告各記述について
ア 原告は,別紙対比表の「原告主張」欄記載のとおり,47項目において,表現の視点,事項の選択,表現の順序(論理構成)及び具体的表現内容をそれぞれ挙げて,原告各記述に創作性があるとし,それらの創作的部分が被告各記述と共通しているから,被告各記述が原告各記述の翻案に当たると主張する。
イ この点,「表現の視点」として主張される内容が,単に記述内容についての著者のアイデアや制作意図ないし編集方針,あるいは歴史観又は歴史認識にすぎない場合は,それ自体は表現ということができないものであるから,それによって,著作権法で保護されるべき著作物の創作性を基礎付けることはできないというべきである。そのような場合は,その表現の視点自体ではなく,その視点に基づいて記された具体的な記述について,表現上の創作性の有無が検討されることが必要となる。
ウ 「事項の選択」に関しては,歴史教科書である原告書籍及び被告書籍に記載されている事項は,いずれも歴史上の事実そのもの又はその事実についての見解ないし認識であって,それ自体を表現ということはできないから,それらの個々の事項について著作権法の保護が及ぶものとはいえない。
他方,書籍においてどのような事項を取り上げ,それらの事項をどのように組み合わせるかについては,著者による独自の創意や工夫の余地があるから,一般論としては,その具体的な選択の結果に,何らかの表現上の創作性が表れることはあり得るということができる。
もっとも,前記(2)のとおり,歴史教科書については,教科書の検定基準並びに学習指導要領及びその解説において,その記述内容及びその具体的な記述の方法が相当詳細に示されており,そこに記載できる事項は限定的であるというべきであるから,その中で著者の創意工夫が発揮される余地は大きいとはいえない。そこでは,仮に著者が主観的には創意工夫を凝らしたというものであっても,これを具体的な記述として表現するについては,検定基準及び学習指導要領に基づく歴史教科書としての上記制限に従った表現にならざるを得ないのであるから,表現の選択の幅は極めて狭いというべきであり,客観的には,そこに著者の独自性や個性が表われないということもあり得るのであって,その場合には,表現上の創作性があるということはできない。
したがって,例えば,ある歴史教科書の一単元において選択された複数の事項の組合せが,他の歴史教科書の同じ単元において選択された事項の組合せと異なる場合であっても,当該歴史教科書で取り上げられた個々の事項が,いずれも他の歴史教科書にも記載されているような一般的な歴史上の事実又は歴史認識にすぎないときは,通常,それらの事項の組合せは,歴史教科書に記載され得る一般的な事項の中から,著者が適宜選択をした結果であるといえ,そこに著者独自の創意工夫が表れているということはできないから,その組合せの相違をもって歴史教科書の個性であるということはできないと解される。
また,ある歴史教科書に,他の歴史教科書には記載のない事項が取り上げられて記載されている場合でも,その事項が歴史文献等に記載されている一般的な歴史上の事実又は歴史認識にすぎないときは,それを当該歴史教科書の中の関連する単元で取り上げ,一般的に歴史教科書に記載される歴史的事項に関連して,その説明のために,又はそれを敷衍するものとして,付加して記述することは,歴史学習のための教科書としては通常のことであるから,当該歴史教科書にそのような他の歴史教科書に記載のない事項があるというだけでは,そこに歴史教科書としての個性が表れていると解することはできないというべきである。
エ 原告は「表現の順序(論理構成)」の創作性を主張するところ,事項の選択において取り上げられた複数の事柄をどのような順序で配列して記載するかという点には,著者の創意や工夫が発揮されることがあるから,一般論としては,そこに何らかの表現上の創作性を認める余地はあるということができる。
もっとも,前記(2)のような歴史教科書の性質上,一つの単元で取り上げることが可能な事項の数は限られており,しかも,それらの事項は,系統的に配列されて,生徒が理解しやすいように記述されることが求められているといえるから,特に歴史教科書においては,ある単元において取り上げられた複数の歴史的事実をどのような順序で配列するかについての選択の幅は限られており,そこに著者の個性が表れていると認められる場合は少ないものといわざるを得ない。
この点,例えば,歴史的事実を単に時系列に沿って配列するような場合は,そこに著者の創意や工夫があるということはできない。また,複数の関連する事項を,通常の歴史教科書において考慮されるような,歴史的な因果関係,相互の関連性,歴史学習における重要性などの観点に従って,生徒の読みやすさや理解のしやすさに配慮しつつ,論理的な文章として,適宜,配列して表現したにすぎないような場合も,それは歴史教科書としてありふれた配列というべきであるから,仮にその配列がたまたま他の歴史教科書の配列と異なっているとしても,そこに著者の個性が表れているということはできない。それゆえ,そのような場合は,その配列の差異をもって,著作権法によって保護される著作物としての創作性を基礎付けることはできないというべきである。
オ 表現の視点に当たるアイデア,制作意図・編集方針又は歴史観などは,前記イのとおり,それ自体は表現ではなく,著作権法によって保護されるものではないのであるから,仮にその表現の視点が独自のものといい得るとしても,その表現の視点に基づいて記述された具体的な表現内容が,単に著者のアイデア,制作意図・編集方針又は歴史観などをそのまま文章にして記述したにすぎない場合や,その表現の視点に基づけば,誰が書いてもそのような文章としてしか表現できず,あるいは,その文章表現が平凡なものにとどまるときは,その文章は,表現の視点という著作権法で保護されない点において独自性があるというにすぎず,その具体的な表現内容において,著作権で保護されるべき表現上の創作性を有するものということはできない。
また,歴史教科書において取り上げられ,その表現の素材とされている歴史上の事実又は歴史認識も,前記ウのとおり,それ自体は著作権法で保護されるべき表現には当たらないのであるから,上記と同様に,仮に取り上げられた歴史上の事実あるいは歴史認識がそれ自体として独自性を有するものであるとしても,そのような事実あるいは認識を,ありふれた構文や一般的な言い回しで,生徒が理解しやすいような文章として記述したというだけでは,その具体的な表現内容において創作性があるというということはできない。
したがって,二つの歴史教科書が,その具体的な記述の内容において共通する部分があるとしても,その共通部分が上記のように表現上の創作性が認められないものである場合には,それを翻案の根拠とすることはできないというべきである。
カ 原告が翻案を主張する47項目での被告各記述及び原告各記述は,それぞれ別紙対比表の「被告書籍」欄及び「原告書籍」欄に記載のとおりであるところ,証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば,被告各記述は,少なくとも同対比表の「裁判所の判断」欄の「事項の選択」に挙げた各事項が記載されているという点で,原告各記述と共通しているものと認めることができる。
もっとも,被告各記述における翻案の成否については,前記イないしオの各点を考慮して検討すべきであるところ,同対比表の「裁判所の判断」欄に記載のとおり,原告が表現の視点と主張する内容は,いずれも原告のアイデア,制作意図・編集方針又は歴史観ないし歴史認識など,それ自体表現ではなく,著作権法による保護の対象とならないものであると認められ,また,原告各記述と被告各記述は,上記認定に係る事項が選択されている点で共通しており,それらの事項の配列や,それらの事項を用いた記述内容において共通する部分があるということができるものの,それらの共通部分はいずれも,歴史的事実や歴史認識それ自体であって表現ということができないものであるか,あるいは,事項の選択・配列及びその具体的表現内容のいずれにおいても創作性を認めることができないものであると認められ,他方で,それ以外の点では,原告各記述及び被告各記述の文章表現は異なるものとなっており,その具体的な表現内容が共通していないものと認められる。
したがって,原告が主張する47項目における被告各記述は,いずれも原告各記述の翻案に当たるものとは認めることができない。
(4) 原告の主張について
ア 表現の視点の違いに基づく創作性につき
() 原告は,表現の視点(歴史観ないし歴史認識など)の違いは自ずと記載事項の選択や表現の順序,具体的表現内容に反映されるものであって,原告各記述は,原告独自の表現の視点から創作的になされた事項の選択・配列であり,それが具体的な表現内容と相まって創作的な表現となっており,被告各記述は,その事項の選択・配列及び具体的表現内容までそっくりであると主張する。そして,原告は,これを裏付けるものとして,報告書による比較を挙げて,被告各記述が,事項の選択及び配列,歴史観ないし歴史認識並びにその具体的な表現内容において,原告各記述と酷似しており,他方で,原告各記述が他社の教科書の記述とは大きく相違していると主張する。
この点,上記報告書は,原告訴訟代理人が,原告書籍,被告書籍及び他社(東京書籍と帝国書院)の各歴史教科書について,別紙対比表の47項目に対応する箇所で記述された歴史的事項の選択・配列を対照したものであるが,その内容は,47項目のうちの大半で,原告書籍は,その記述された事項が被告書籍と類似しており,その類似の程度は,東京書籍及び帝国書院の各教科書との類似の程度を圧倒的に上回っており,また,歴史観ないし歴史認識が表れているとされる26項目では,そのほとんどの項目で,原告書籍と被告書籍の歴史観ないし歴史認識が共通しており,これと東京書籍及び帝国書院の各教科書が対立しているというものである。
() しかし,歴史教科書に記述された歴史上の事実又は歴史認識そのものは,著作権法の保護の対象となる表現ではないのであって,また,原告の上記主張は,原告書籍と被告書籍が共通の歴史認識に立っており,その意味で歴史認識の異なる他の歴史教科書と相違するといっているにすぎず,上記共通の歴史認識に立脚して歴史教科書を表現しようとすれば,その表現の選択の幅は極めて狭いため,同じような表現にならざるを得ないのであるから,原告各記述で選択された事項と被告各記述で選択された事項がいかに共通するものであるとしても,それだけでは,両者が創作的な表現部分において共通しているということはできない。それゆえ,原告書籍と被告書籍における選択された事項の類似性の程度が,他の歴史教科書と比較して高いものであったとしても,そのことを翻案の根拠とすることはできない。
また,表現の視点(歴史観ないし歴史認識など)の違いが事項の選択に反映され,そこに創作性があるとの原告の主張については,別紙対比表の「裁判所の判断」欄に記載のとおり,原告各記述においては,その事項の選択について著者の個性が発揮されているということができないから,いずれも創作的な事項の選択と認めることはできない。この点,上記報告書では,表現の視点に当たる「歴史観・歴史認識」として種々の内容が挙げられているが,そのほとんどは,例えば,項目1において,原告書籍及び被告書籍は縄文土器を1万数千年前から作られた世界最古の土器の一つと見るのに対して,他の二つの教科書は1万年前から作られたと見るとし,また,項目15において,鎌倉幕府の成立時期について原告書籍及び被告書籍は1192年説に立ち,他の二つの教科書は1185年説に立つというように,単に歴史的事実に関する学問上の見解ないし歴史認識の違いを表現の視点の違いと主張しているにすぎない。
その余の項目についても,例えば,項目12において,原告書籍及び被告書籍は「日本が世界一の鉄砲生産国になったこと」を記すが,他の二つの教科書はこれを記さないとし,また,項目25において,原告書籍及び被告書籍は「万世一系」を記すのに対して,他の教科書はこれを記さないとするように,単にある事項を取り上げたか否かという違いを表現の視点の違いと主張するものにすぎない。その結果,原告が独自の表現の視点に基づいて事項を選択したと主張する点は,単に,歴史的事実に関する学問上の見解ないし歴史認識をそのまま記載事項として取り上げたものか,ある事項を記載するという制作意図ないし編集方針に従って当該事項を取り上げたというにすぎないものであって,その事項の選択において創意や工夫を伴うようなものであるとはいえない。
したがって,仮に原告書籍で選択された事項が他の歴史教科書と異なるものであるとしても,それは著作権法で保護されない歴史観ないし歴史認識又は制作意図若しくは編集方針といった表現それ自体ではない部分において違いがあるというにすぎず,事項の選択に著者の個性が表れているということはできないから,そこに表現上の創作性を認めることはできないと認めるのが相当である。
() 表現の視点(歴史観ないし歴史認識など)の違いが表現の順序(事項の配列)に反映されているとの原告の主張については,そもそも原告は,別紙対比表の「原告主張」欄のとおり,47項目のほとんどで,被告各記述の表現の順序が原告各記述のそれと同一,ほぼ同一,又は基本的に同一などと主張するのみであって,原告各記述における表現の順序のどの部分にどのような工夫がなされており,そこに著者の個性が表れているといえるのかを具体的に主張していない。
そして,原告各記述の事項の配列を個別に検討しても,それらは,いずれも時系列に沿ったものであるか,一般的でありふれた配列というべきものであって,そこに格別の工夫があるとか,著者の個性が表れているということができないことは,別紙対比表の「裁判所の判断」欄に記載のとおりである。
() 具体的表現内容に関して,原告各記述と被告各記述とは,事項の選択及び配列においては共通する部分があり,その共通する選択事項をその共通する配列に従って記述したという限りでは,記述内容においても共通ないし類似する部分があると認めることができるものの,その点を除くと,原告各記述と被告各記述は,その文章表現の多くが異なっており,具体的な表現内容においては,むしろ相違しているというべきである。
そして,前記()及び()のとおり,原告各記述については,その事項の選択及び配列に表現上の創作性を認めることはできないのであるから,そのように創作性のない選択事項が創作性のない配列に従って記述されているという点が共通するとしても,それをもって,創作的な表現部分における共通性ということはできない。
() よって,原告各記述が,独自の表現の視点を反映して,その事項の選択・配列及び具体的表現内容に創作的な表現がなされており,その創作的部分において被告各記述と共通しているとの原告の主張は,採用することができない。
イ 別件事件の判決につき
原告は,別件事件の判決が,原告書籍について「表現の視点,表現すべき事項の選択,表現の順序(論理構成),具体的表現内容などの点において,創作性が認められる」として,その著作物性を肯定していると主張する。
しかし,別件事件の判決は,上記判示部分において,抽象的に原告書籍の創作性を肯定しているにすぎず,原告書籍の個々の記述について,その記述のいかなる点に創作性があるかについては何ら触れていない。原告書籍が,その書籍の本文部分又は各単元の記述において何らかの創作性を有し,それが著作物と認められるとしても(なお,本件では,被告らも,原告書籍が著作物であることは争っていない。),そのことと,本件で,原告各記述における被告各記述との共通部分に表現上の創作性が認められるか否かは別の問題であるから,別件事件判決の上記判示は,本件における翻案の根拠となるべきものとはいえない。
よって,原告の上記主張は採用することができない。
(5) 小括
以上のとおり,被告各記述は,表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,原告各記述と同一性を有するにすぎないから,被告各記述が原告各記述を翻案したものであるということはできない。
また,そうである以上,被告書籍によって,原告書籍に係る原告の著作者人格権(氏名表示権及び同一性保持権)が侵害されたということもできない。
2 結論
以上によれば,その余の点を判断するまでもなく,原告の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。

[控訴審]
当裁判所も,控訴人の請求は,当審における控訴人の主張を踏まえても,いずれも棄却すべきものと判断する。
その理由は,次のとおりである。
1 争点(1)(被控訴人各記述が控訴人各記述を「翻案」したものか否か)
(1) 翻案について
原判決に記載のとおりである。
(2) 教科書及びその検定について
原判決(教科書及びその検定について)に記載のとおりである。
()
(3) 歴史教科書の個々の記述について
特定の著作物と他の著作物との間で著作権又は著作者人格権(著作権等)の侵害の有無を判断しようとする場合,表現それ自体ではない部分又は表現上の創作性がない部分において同一性を有するにすぎないときには,複製又は翻案には該当しないのであるから,著作権等を侵害されたと主張する者は,自らの著作権等が侵害されたとする表現部分を特定した上で,まず,その表現部分が創作性を有していることを明らかにしなければならない。この点,原判決別紙対比表項目1,2,9,10,15,17,19,20,24,26,27~29,33~36,43~45及び47の各「原告主張」欄の小項目「■【原告書籍の表現の視点】」に記載された控訴人の主張が,記述内容に関する著者のアイディアや制作意図ないし編集方針,あるいは,歴史観又は歴史認識に創作性があるという趣旨であれば,それ自体は表現ということができないから,いずれも失当である。当裁判所の検討に当たっては,当該視点に基づいて記されたとする具体的な記述について,表現上の創作性の有無を検討する。
まず,控訴人は,被控訴人書籍の特定の単元の記述の一部が控訴人書籍の特定の単元の一部の記述の著作権等を侵害すると主張しているのであるから,上記の手法(いわゆる「ろ過テスト」)に従うならば,控訴人各記述のうち被控訴人各記述に対応する部分(後述のとおり,その多くは,切れ切れとなった文章表現を全体的に観察した場合にうかがうことのできる観念的な共通性にすぎない。)が,それぞれ単独で創作性を有していることを,更に明らかにしなければならない。
前記(1)のとおり,歴史上の事実又は歴史上の人物に関する事実(歴史的事項)の記述であっても,その事実の選択や配列,あるいは歴史上の位置付け等において創作性が発揮されているものや,歴史上の事実等又はそれについての見解や歴史観をその具体的記述において創作的に表現したものについては,著作権法の保護が及ぶことがある。
ところで,前記(2)のとおり,中学校用歴史教科書については,文部科学大臣が公示する教科用図書検定基準並びに文部科学省が作成した中学校学習指導要領及びその解説により,法令上及び事実上,その記述内容及び方法が相当程度に制約されているほか,想定される読者が中学生であることによる教育的配慮から,その記述事項は,通常,一般的に知られている歴史的事項の範囲内から選択される。その一方で,歴史教科書として制作された書籍だからといって,教科書としてだけ用いられるわけではなく(被控訴人書籍1は,一般に市販されている。),歴史教科書に係る著作権の侵害の有無が問題となる書籍が歴史教科書に限られるわけでもない(被控訴人書籍1は,歴史教科書ではない。)。そうすると,歴史教科書は,簡潔に歴史全般を説明する歴史書に属するものであって,一般の歴史書と同様に,その記述に前記した観点からみて創作性があるか否かを問題とすべきである。すなわち,他社の歴史教科書とのみ対比して創作性を判断すべきものではなく,一般の簡潔な歴史書と対比しても創作性があることを要するものと解される。
そして,簡潔な歴史書における歴史事項の選択の創作性は,主として,いかに記述すべき歴史的事項を限定するかにあるのであり,選択される歴史的事項は一定範囲の歴史的事実としての広がりをもって画されている。したがって,同等の分量の他書に一見すると同一の記述がなかったとしても,それが,他書が選択した歴史的事項の範囲内に含まれる事実として知られている場合や,当該歴史的事項に一般的な歴史的説明を補充,付加するにすぎないものである場合には,歴史書の著述として創意を要するようなものとはいえない。控訴人の創作性基準に関する主張は,上記説示に反する限り,採用することができない。
以下,他社の歴史教科書に同様の表現があるか否かの点を中心に,控訴人各記述の創作性を検討するが,これは,他社の歴史教科書が同等の分量を有する歴史書として,もっとも適切な対比資料であり,他社の歴史教科書に同様の表現があることは,当該表現がありふれたものであることの客観的かつ明白な根拠だからである。
(4) 項目1(縄文時代)について
ア 控訴人記述1
「①日本列島は食料にめぐまれていたので,人々は大規模な農耕や牧畜を始めるにはいたらなかった。
②今から 1 万数千年前も前から,日本列島の人々はすでに土器をつくりはじめていた。③これは,世界で最古の土器の一つである。④この時代の土器は,表面に縄目の文様がつけられたものが多いことから,縄文土器とよばれている。⑩それらの多くは深い鉢で,煮炊きなどに用いられた。⑪男たちは小動物の狩りと漁労に出かけ,女たちは植物の採集と栽培にいそしみ,年寄りは火のそばで煮炊きの番をするといった生活の場面が想像される。
⑤縄文土器が用いられていた,1万数千年前から紀元前4世紀ごろまでを縄文時代とよび,⑤´このころの文化を縄文文化とよぶ。
⑥当時の人々は,数十人程度の集団で,小高い丘を選んで生活していた。⑦住まいは,地面を掘って床をつくり,柱を立てて草ぶきの屋根をかけた,竪穴住居とよばれるものだった。⑧人々が貝殻などの食べ物の残りかすをすてた跡である貝塚からは,土器の破片や石器が発見され,当時の生活のようすをうかがうことができる。⑨青森県の三内丸山遺跡からは,約5千年前の大きな集落の跡が見つかっている。」
イ 被控訴人記述1
「①このように日本列島は,豊かな自然環境にめぐまれ,食料となる動植物が豊富だったため,植物は栽培されていましたが,大規模な農耕や牧畜は始められていませんでした。
②今から 1 万数千年前,人々は,食物を煮炊きしたり保存したりするための土器をつくり始めました。④これらの土器は,その表面に縄目の模様(文様)がつけられることが多かったため,のちに縄文土器とよばれることになります。③これは世界で最古の土器の一つで,⑤縄文土器が使用されていた 1 万数千年前から紀元前 4 世紀ごろまでを縄文時代とよび,このころの文化を縄文文化といいます。
⑥縄文時代の人々は,数十人程度の集団で暮らしていました。⑦住まいは,地面に掘った穴に柱を立て,草ぶきの屋根をかけた竪穴住居でした。⑧人々が,骨や貝殻など,食べ物の残りを捨てたごみ捨て場は貝塚とよばれ,そこから出土する土器や石器などからは,当時の人々の生活のようすがうかがえます。
⑨青森県の三内丸山遺跡からは,約5000年前の巨大な集落跡が発見され,…(以下2行にわたり三内丸山遺跡の説明)」
ウ 事項選択
控訴人記述1と被控訴人記述1との共通事項は,①日本列島は食料に恵まれていたため,大規模な農耕や牧畜が始められていなかったこと,②日本列島で1万数千年前から土器が作られ始めていたこと,③この土器は,世界で最古の土器の一つであること,④この土器を縄文土器と呼ぶこと,⑤縄文土器が作られていた1万数千年前から紀元前4世紀ごろまでを縄文時代と呼び,⑤´縄文時代の文化を縄文文化と呼ぶこと,⑥縄文時代には,人々は数十人程度の集団で生活していたこと,⑦縄文時代の人々の住まいは,竪穴住居だったこと,⑧貝塚から出土する土器や石器などから当時の生活の様子がうかがえること,⑨三内丸山遺跡から約5千年前の大きな集落跡が見つかったこと,であると認められる。これらは,いずれも,縄文時代について取り上げるべき事項としてごく普通のものであると認められる。実際,少なくとも,上記①と同旨の事項が,東京書籍の平成8年検定の歴史教科書(以下,他社教科書は年号の略号と発行社名で略記する。),平13・平17東京書籍に,同②と同旨の事項が,平13・平17大阪書籍,平13・平17日本書籍に,同③と同旨の事項が,平8・平13帝国書院に,同⑤と同旨の事項が,平13・平17大阪書籍に,同⑥と同旨の事項が,平8帝国書院に,同⑨と同旨の事項については,平13帝国書院,平13清水書院,平17日本書籍にそれぞれ記載されている(なお,同④⑤´⑦⑧が縄文時代の説明として取り上げるべき事項であることは,明白であるから,個々に掲載教科書を摘記することはしない。以下の記述でも,明白な場合には,個々の教科書を掲記することはしない。)。
したがって,控訴人記述1の事項の選択は,ありふれたものと認められる。
なお,他社の歴史教科書に掲載されてある事項であれば,それらが,控訴人書籍とは異なる単元や小単元をまたがるものであっても,その選択は,ありふれた選択にすぎない。なぜなら,他社の歴史教科書に記述された事項は,いずれもありふれたものであって,ありふれたものの中からは,どれを選択してもありふれた事項の選択だからである。以下も同様であるから,この説示を繰り返すことはしない。
エ 事項の配列
控訴人記述1①~⑨は,歴史的事項を単純に説明する文が羅列されているだけであるから,その配列は,ありふれたものである。
オ 具体的表現形式
控訴人記述1①~⑨は,いずれも,歴史的事項を単純に説明するにすぎないものであるから,その具体的表現は,ありふれたものである。
なお,ありふれた表現は,一般に,複数存在するのであるから,歴史的事項を説明する表現に他の表現を選択する余地があるとしても,そのことを理由として,直ちに個性の発揮が根拠付けられるものではない。以下も同様であるから,この説示を繰り返すことはしない。
カ 控訴人の主張について
控訴人は,控訴人記述1は,控訴人記述1①の指摘から書き始めることにより,暗い遅れた時代であるとの縄文時代のイメージから解放されるという独自の創作性がある旨を主張する。しかしながら,控訴人記述1①は,単元2「縄文文化」の小見出し「豊かな自然のめぐみ」の項の末尾に記載されているものであり,控訴人記述1②~⑨は,「縄文土器の文化」の項に記載されているのであるから,上記主張は,控訴人記述1①~⑨全体についての創作性の主張としては,前提を誤るものであって失当である。
また,控訴人は,控訴人1①の具体的表現に創作性がある旨を主張するが,ありふれた言い回しにすぎず,そこに創作性を見出すことはできない。
さらに,控訴人は,控訴人記述1②は,三層世界観に囚われていない歴史教科書としての創作性の顕れである旨を主張するが,上記ウのとおり,他社の教科書に同旨の事項の記載があるから,そこに創作性を見出すことはできない。
控訴人の上記主張は,いずれも,採用することができない。
キ 小括
以上から,控訴人記述1は,被控訴人記述1と共通する部分に創作性が認められない。
(以下略)
(25) まとめ
その外,控訴人がるる主張するところも採用することはできない。
以上のとおりであるから,被控訴人記述1,2,9,10,15,17,19,20,24,26,27~29,33~36,43~45及び47は,創作性がないから,「著作物」(著作権法2条1項1号)には該当せず,その翻案も認められない。
したがって,その余の点について判断するまでもなく,控訴人の翻案権侵害に基づく請求は,理由がない。
2 争点(2)(被控訴人各記述が控訴人各記述を「複製」したものか否か)について
上記1のとおり,被控訴人記述1,2,9,10,15,17,19,20,24,26,27~29,33~36,43~45及び47は,創作性がないから,「著作物」(著作権法2条1項1号)には該当せず,その複製も認められない。
したがって,その余の点について判断するまでもなく,控訴人の複製権侵害に基づく請求は,理由がない。
3 争点(3)(被控訴人書籍の単元構成が控訴人書籍の単元構成を「翻案」又は「複製」したものか)について
(1) 単元62
控訴人は,控訴人書籍の単元62(項目28・29と同一部分)の構成が,他社とは異なる極めて個性的・創作的なものであり,創作性がある旨を主張する。
証拠によると,単元62付近の控訴人書籍の構成は,次のとおりと認められる。
「第5章 世界大戦の時代と日本
 第1節 第一次世界大戦の時代
 62 第一次世界大戦
 第一次世界大戦の始まり(記載内容は,項目28のとおり)
 日本の参戦と二十一か条要求(記載内容は,項目29のとおり)
 63 ロシア革命と大戦の集結
 ロシア革命(ロシア革命,ソビエト政府成立,革命反対勢力との内戦等の説明)
 シベリア出兵(シベリア出兵の説明)
 総力戦(総力戦の説明)
 大戦の終結(ヨーロッパ,日本,米国に与えた影響等の説明)
 64 ベルサイユ条約と大戦後の世界
 ベルサイユ条約と国際連盟(ベルサイユ条約と国際連盟の設立の説明)
 アジアの独立運動(インド,朝鮮,中国での独立運動の説明)
 日本の大戦景気(大戦景気,財閥の伸興等の説明)
 65 政党政治の展開
 
 ・・・」
上記構成は,第一世界大戦期間中の歴史的事実のうち,直接的に同大戦に関するものを時系列に従って2つに分割し,前半を単元62に,後半を単元63に割り振り,その余の第一世界大戦期間中の歴史的事実を,同大戦終結後の歴史的事実の説明をする単元64に振り替えたにすぎないものであり,ごくありふれた構成にすぎない。
控訴人は,この構成が他社の歴史教科書と異なる点に個性の発揮がある旨を主張するが,ありふれた表現は複数存在する場合もあるから,他社の歴史教科書と異なることをもって直ちに個性の発揮が根拠付けられるわけではなく,控訴人書籍の単元構成がありふれたものであることは,上記のとおりである。
控訴人の上記主張は,採用することができない。
したがって,単元62の構成には,創作性が認められない。
()
(3) まとめ
以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,控訴人の単元構成に係る翻案権又は複製権侵害に基づく請求は,理由がない。
4 争点(4)(控訴人が有する著作者人格権(同一性保持権・氏名表示権)の侵害の有無)について
上記1のとおり,被控訴人記述1,2,9,10,15,17,19,20,24,26,27~29,33~36,43~45及び47は,創作性がないから,「著作物」(著作権法2条1項1号)には該当せず,その著作者人格権の侵害は認められない。
したがって,その余の点について判断するまでもなく,控訴人の著作者人格権侵害に基づく請求は,理由がない。
5 争点(5)(一般不法行為の成否)について
控訴人は,仮に,被控訴人らに著作権侵害・著作者人格権侵害が成立しないとしても,被控訴人らは控訴人各記述に係る控訴人の執筆者利益を害したものであるから,不法行為が成立する旨を主張する。
しかしながら,控訴人の主張する控訴人各記述に係る控訴人の執筆者利益とは,どのような法的性質であるのか必ずしも明確とはいえないところ,控訴人各記述が表現として法的保護に値するか否かは,まさに著作権法が規定するところである。
そして,控訴人各記述が,上記1ないし3のとおり,具体的表現のみならず,その単元構成,事項の選択・配列等も含めて,著作権法によって保護される表現に当たらない以上,これら表現を控訴人が独占的,排他的に使用し得るわけではないから,被控訴人各記述に控訴人各記述に似たところ又は共通するところがあったとしても,被控訴人の権利又は利益が害されたことにはならない。したがって,ただ単に,被控訴人各記述に控訴人各記述に似たところ又は共通するところがあるというだけでは,被控訴人各記述を用いることが公正な競争として社会的に許容する限度を超えるということはできない。
控訴人の一般不法行為に基づく請求は,理由がない。
6 総括
以上から,その余の争点について判断するまでもなく,控訴人の請求は,いずれも理由がない。
第5 結論
よって,本件各請求をいずれも棄却した原判決は相当であり,本件各控訴はいずれも理由がないから棄却することとして,主文のとおり判決する。