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著作権判例セレクション
【権利濫用】権利濫用を認めなかった事例
▶昭和52年03月30日東京地方裁判所[昭和49(ワ)2939]▶昭和57年4月22日東京高等裁判所[昭和52(ネ)827]
五 権利濫用の成否
そこで、被告の抗弁について、判断するのに、被告は、憲法第21条所定の出版の自由を制約できる範囲、程度は合理的でなければならず、また、著作権の行使は憲法第29条第2項により、公共の福祉の観点から一定の制約を受けるという見地からして、本件においては、原告の本件著作物についての著作権の行使は権利の濫用となる旨主張する。
ところで、財産権は、憲法第29条第1項により、保障されるが、その保障は絶対無制約のものではなく、同条第2項により、公共の福祉の要請による制約が許容されるところ、著作権法は、財産権たる著作権の性質に鑑み、著作物を広く利用させるという公益上の理由から著作権の内容を制約する規定を設けている(第30ないし第50条)が、なお、被告主張のような事由により、著作権の行使が権利の濫用となるかどうかは問題となるので、以下順次、被告の具体的主張について、検討する。
1 まず、被告は、本件著作物が史料的、学術的にみて、高度の価値を有し、史学の発展に寄与するものであることなどを理由として、本件新版の発行が許容されるべきである旨主張し、本件著作物が右のような価値を有することは、当事者間に争いがないところであるが、右事実をもつて、直ちに被告が原告に無断で本件新版を発行することが許容されるものと解することはできない。
2 次に、被告は、本件著作物は国民のために著作されたものであり、また、学問、文化の発展に不可欠のものであるうえ、国民は憲法の基本理念である国民主権主義、憲法第21条により、知る権利を保障されていることからみても、原告は本件著作物を一般国民に利用させる義務を負う旨主張するが、右三の1に判示したとおり、本件著作物は、必ずしも一般国民に対して周知徹底させることを目的としたものではなく、政府部内の執務資料とすることを意図したものであるうえ、国家機関が編さんした著作物であることを理由として、直ちに被告主張のように、原告が本件著作物を一般国民に利用させる義務を負うものと解することはできない。
また、その結果、本件著作物が一部の者のみに利用されるにすぎないとしても、本件著作物の右のような性格、利用目的からすれば、右事実をもつて、直ちに法の下の平等に反するものと解することはできない。なお、成立に争いのない(証拠)を総合すれば、一般国民としても、所定の手続を経れば、大学の図書館などにおいて、本件旧版を利用できることがあることが認められる。
3 次に、被告は、原告が本件新版の発行により、何ら財産的損害を受けることがない旨主張するが、財政法第9条第1項によれば、原告は、国有財産としての本件著作物の複製発行を特定の私人に許諾するときは、適正な使用料を徴収すべきものであるから、被告の本件新版の無断発行により、右使用料相当額の損害を受けるものであり(著作権法第114条参照)、何ら財産的損害を受けることがないということはできない。
4 次に、被告は、昭和48年5月当時、官公庁発行の著作物の複製発行については、官公庁の許諾を要しない旨の商慣習が存在した旨主張し、成立に争いのない(証拠等)を総合すれば、従前、出版業界においては、官公庁発行の著作物の複製発行について、一般的には官公庁の許諾を受けてしていたが、場合によつては、その許諾を受けないでしたこともあつたこと、しかし、官公庁としては、その許諾を受けないでした右複製発行を容認していたものではなかつたことが認められ、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、右当時、官公庁発行の著作物の複製発行について、被告主張のような商慣習が存在していたものとは認められない。
5 次に、被告は、原告が本件新版の発行の差止について、著作権法第105条以下に規定する紛争処理手続をとることなく、直ちに本件訴訟を提起したことは不当である旨主張し、原告が右紛争処理手続をとらなかつたことは、当時者間に争いがないところであるが、元来、原告が本件について、訴訟手続と右紛争処理手続のいずれを選択すべきかは、原告の任意に委ねられているところであつて、原告が右紛争処理手続をとることなく、本件訴訟を提起したことをもつて、不当な措置と解することもできない。
6 次に、被告は、本件新版の発行の準備を中止することになれば、甚大な損害を受ける旨主張するが、被告が右発行の中止により、損害を受けるとしても、これは、被告自身が原告に無断で、あえて右発行をしようとしたためにほかならないのであつて、これを不問に付して、右発行の中止による結果の重大性のみを強調し、その責を原告に帰することはできない。
7 以上のとおりであるから、被告の右各主張は、いずれも理由がなく、原告において、被告の本件新版の発行の差止及び本件ネガフイルムの廃棄を求めることは、正当な権利行使であつて、憲法第21条所定の出版の自由を侵害するものでもないといわなければならず、これを目して、権利の濫用ということはできない。したがつて、被告の抗弁は、理由がないものである。
[控訴審]
一 当裁判所も、被控訴人の本訴請求は理由があるものと判断するが、その理由は、次に訂正付加するほか、原判決の理由と同一であるから、これをここに引用する。
(略)
五 本件著作物の著作権に基づく出版差止請求権の行使が、国民の知る権利を侵害し、かつ、平等性を欠く不公正なものである点からも、権利の濫用として許されない旨の主張について
(一) 控訴人は、本件の出版差止請求が権利の濫用に当るとする理由として、「知る権利の侵害」について種々主張するが、その主旨とするところは、「本件著作物が国民から国政を付託された国家機関の活動による成果であり、社会的、文化的、学術的価値の高いものであることから、国民一般、とりわけ、歴史研究者らによつてその自由な利用が求められているものであり、国民の知る権利の対象となる知識情報を内容とするから、控訴人の本件著作物の出版活動によつて被控訴人に多少の損害の生ずることがあつても、被控訴人が出版行為の差止行為に出ずることは、著作権の公共性に鑑みても、権利の濫用として許されない。」とするにある。
たしかに、著作権の行使と著作物利用との調査[注:「調和」又は「調整」の誤記だと思われる。]の問題は、著作権法の直面する課題の一つであり、著作権法の立法作業において種々検討されてきた事柄ではあるが、本件の如く、著作権の目的である著作物を無断で出版販売し、もしくは、そのおそれのある者に対して、その差止を請求しうることは、著作権の中核的権能であるから、著作権法上著作権が認められているのに、このような場合の差止請求権の行使を許さないとするには、十分慎重でなければならない。
けだし、権利の濫用として無断出版の差止請求が許されないとすることは、実質的には著作権自体を否定するに等しく、ひいては、法解釈の限界いかんにも関わるからである。
ところで、本件著作物が、社会的、文化的、学術的価値の高いものであることは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない(証拠)によれば、文化的学術的資料として本件著作物を出版するについての要望があることが窺われるが、成立に争いのない(証拠等)によれば、本件著作物は、国会図書館支部大蔵省文庫及び東京大学図書館(総合図書館に35冊、経済学部図書室に6冊)に全冊が揃つており、早稲田大学図書館にも26冊が備えられていて、本件著作物を学術的資料として利用しようとする者には、これを閲覧利用することができるうえ、利用に若干の不便があるとしても、本件著作物は、すでに公表されたものであること、本件著作物については、昭和46年1月頃、他の出版社においても、本件著作物の復刻刊行を企画し、大蔵省資料統計管理官に復刻出版についての許可申請をしており、これに対し検討中であつたし、被控訴人として、控訴人の無断出版を黙認することは、出版許可申請中の他の出版社との関係において公平を欠き、公正を疑われる事情にあつたことが認められ、原審における控訴人代表者尋問の結果のうち右認定に反する部分は措信できない。
前叙の如き本件著作物の性質及びその内容並びに右認定の事実のほか、原判決認定の各事実に基づいて判断すると、控訴人が主張する「国民の知る権利」や著作物の公共性などを勘案しても、本件差止請求権の行使が、国民の知る権利を侵害することによつて、権利の濫用に当たるものと認めることはできない。
(二) また、控訴人は、被控訴人において、他の出版社の無断復刻刊行などを放置しておきながら、控訴人に対し、事を急いで差止請求をするのは明らかに控訴人を差別すものである旨主張するが、(証拠)によれば、被控訴人は、訴外湖北社ことBが「朝鮮における日本人の活動に関する調査」という題名によつて、本件著作物の一部(朝鮮篇の一部)を無断で復刻出版したことを知つて後、直ちに調査に入り、Bに対し、右書物の出版、販売の中止を申し入れ、前記書物の販売を停止し、将来ともその刊行を行なわないこと、在庫分の速かな引渡しなどを確約させたことが認められるから、本件著作物の一部をなす「台湾統治概要昭和二十年」が昭和48年6月に復刻されていた事実をもつてしても、被控訴人において、本件著作物の無断復刻刊行の事実を知りながら、これを放置していたものとは認め難く、他に、本件著作物の復刻刊行に関し、控訴人のみに対し、不当な差別をしたものと認めるべき証拠はないから、この点からする控訴人の権利の濫用についての主張も採用することができない。
そもそも、著作権者たる被控訴人としては、本件著作物の性質、内容に鑑み、本件著作物を刊行することによる社会的影響を慎重に検討したうえで、刊行すべき時期、発行所などを決定しうるものであり、本件差止請求は、正当な権利の行使といわざるをえない。
控訴人の権利の濫用の抗弁について、これを理由なしとした原判決の判断は正当である。