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著作権判例セレクション
【著作権侵害総論】ゲームソフト同士の侵害性が問題となった事例
▶平成14年11月14日東京地方裁判所[平成13(ワ)15594]▶平成16年11月24日東京高等裁判所[平成14(ネ)6311]
(注) 本件控訴は,控訴人らが,被控訴人らに対し,①被控訴人らが製造,販売等するゲームソフトは,控訴人らが著作権を有するゲームソフトを翻案したものであるか,又は,②被控訴人らによる被控訴人らの上記ゲームソフトの製造,販売等の行為は,控訴人らの周知・著名なゲームシリーズの商品等表示を使用するなどして,他人の商品等と混同を生じさせる不正競争行為である,と主張し,①著作権法に基づき,又は,②不正競争防止法に基づき,損害賠償の支払いを求めるとともに,被控訴人エンターブレイン及び被控訴人ティルナノーグに対し,被控訴人らの上記ゲームソフトの製造,販売,頒布の差止めを求めた事案である。
原判決は,①被控訴人らの上記ゲームソフトは控訴人らが著作権を有するゲームソフトの翻案には該当せず,また,②被控訴人らの上記行為は不正競争行為に当たらないとして,控訴人らの請求をいずれも棄却した。そこで,控訴人らは,原判決を不服として,本件控訴を提起した。
※原告イズは,「ファイアーエムブレム」シリーズの各ゲームソフト(「暗黒竜と光の剣」「外伝」「紋章の謎」「聖戦の系譜」「トラキア」。これらを併せて「原告ゲーム」と総称)をファミコン又はスーパーファミコン用に製作し,原告任天堂は,原告ゲームを製造,販売した。
7 請求原因(9)の事実(原告ゲームと被告ゲームとの著作物としての類否)について
(1) ゲームソフトにおける表示画面の著作物性等
本件において,原告らは,原告ゲームのうち別紙対照表1~3の左欄記載の「トラキア」の戦闘マップ部分,「外伝」の全体マップ部分及び「トラキア」「紋章の謎」「聖戦の系譜」の登場人物等の影像(以下「原告ら著作権主張部分」という。)の著作権(複製権ないし翻案権)を,これと対応する被告ゲームの別紙対照表1~3の右欄記載の各部分が侵害したと主張する。そこで,別紙対照表1~3の左欄をみると,原告らは,それぞれの表示画面(静止画面又は一定の動画としての画面)について,著作権侵害を主張していると解される。
ア 一般に,電子計算機に対する指令(コマンド)により画面(ディスプレイ)上に表現される影像についても,それが「思想又は感情を創作的に表現したもの」(著作権法2条1項1号)である場合には,著作物として著作権法による保護の対象となるものというべきである。すなわち,美術的要素や学術的要素を備える場合には,美術の著作物(著作権法10条1項4号)や図形の著作物(同項6号)に該当することがあり得るものというべきところ,本件のようないわゆるコンピュータゲームないしテレビゲームにおいて画面上に表示される影像などには美術の著作物に該当するものが存在すると考えられる。
イ 著作物の複製とは,既存の著作物に依拠し,その内容及び形式を覚知させるに足りるものを再製することをいうから,ある物が既存の著作物の複製に当たるといえるためには,これに接する者が既存の著作物の創作的表現を直接感得することができる程度に再現されていることを要する。したがって,既存の美術の著作物に依拠して作成された物があるとしても,その物が,思想,アイデアなど表現それ自体でない部分又は表現上の創作性のない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,複製に当たらない。
また,著作物の翻案とは,既存の著作物に依拠し,かつ,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に修正を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の本質的な特徴を直接感得することができる別の著作物を創作する行為をいう。したがって,既存の著作物に依拠して創作された著作物が,思想,アイデアなど表現それ自体でない部分又は表現上の創作性のない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎない場合には,翻案に当たらない。
ウ 原告ゲームの表示画面に何らかの著作物性が肯定される場合には,被告ゲームの表示画面がその複製ないし翻案に当たるかどうかを判断するに当たっては,原告ゲームの表示画面における創作的特徴が被告ゲームの表示画面においても共通して存在し,被告ゲームの表示画面から原告ゲームの表示画面の創作的な特徴が直接感得できるかどうかを判断すべきものである。そして,この場合,原告ゲームの表示画面の特徴的構成の一部分が被告ゲームの表示画面においても共通して見られる場合であっても,①共通する当該一部分のみで表示画面における創作的特徴を基礎付けるには足りないときや,あるいは,②被告ゲームの表示画面に原告ゲームの表示画面にない構成部分が新たに付加されていることにより,表示画面の構成を異にすることとなり,これを見る者が表示画面から受ける印象を異にすることとなったときは,被告ゲームの表示画面から原告ゲームの表示画面の創作的特徴を直接感得することができないから,被告ゲームの表示画面をもって原告ゲームの表示画面の複製ないし翻案ということはできない。
(2) 著作権侵害の有無についての判断
ア 概説
前記(1)において述べたところを前提に,検討する。
(ア) 証拠及び弁論の全趣旨によれば,原告ゲーム及び被告ゲームは,いずれもシミュレーションRPGと呼ばれるゲーム分野に属するゲームであるところ,シミュレーションRPGとは,シミュレーションゲーム(経営,戦略,恋愛,育成などの分野において,現実に存在する物や空想上の対象物をゲーム上のルールに従って操作して事件等をゲームで再現するもの)とロールプレイイングゲーム(RPG。物語性があり,キャラクターを成長させながら物語に参加してゲームの結末をめざすもの)とを融合させたタイプのゲームである。そして,証拠及び弁論の全趣旨によれば,原告ゲーム及び被告ゲームには,全体の地図を示す全体マップと個々の戦闘場面を示すマップがあり,この2種類のマップを交互に繰り返すことでゲームが進行する。全体マップは,地図の形態をとったマップになっており,目的地となる場所(街など)の位置の確認,アイテム(武器等)の売買,データの保存や読み出しなどを行うことができる。戦闘場面を示すマップ(原告ゲームでは「戦闘マップ」,被告ゲームでは「戦術マップ」と呼ぶが,本判決では,便宜上,以下,双方のゲームにおいて「戦闘マップ」という。)は,その場所の特徴を簡略化したマップになっており,敵との戦闘がメインとなる。全体マップで「移動」のコマンドを選択して目的地へと移動すると,会話を初めとするさまざまなイベントが発生する。移動した場所に敵がいなければイベント終了後に次の目的地へと向かうことになるが,敵がいた場合は全体マップから戦闘マップへと画面が切り替わり戦闘へと突入する。戦闘マップは原告ゲーム,被告ゲームとも数十という規模で存在し,このすべてをクリアすることでエンディングを迎えられる。
(イ) 前記(ア)に認定したとおり,原告ら著作権主張部分を含む原告ゲームはシミュレーションRPGというゲーム分野に属するものであるが,一般に,シミュレーションRPGの分野に属するゲームソフトは,将棋ゲーム,麻雀ゲーム等のゲームソフトと異なり,基本的なストーリーの枠内においてプレイヤーの操作により複数の表示画面の展開が生じ得るように構成されており,その表示画面も,ゲームの展開状況を明らかにする補助として,プレイヤーがユニット(登場人物)をどのように操作したいかについての情報を入力したり,プレイヤーが操作しうるユニット全体の位置や個々のユニットの状況を確認したり,味方ユニットが敵ユニットと戦闘している状況を表示したりするためのものである。このような表示画面は,プレイヤーによるユニットの交戦状況の確認の便宜や,プレイヤーによる入力や状況確認の容易性等の観点からその構成が決定されるものであって,当該ゲームソフトの影像表示の性能,ハードウエアの性能やプレイヤーのユニット操作の利便性(例えばこの観点からは,マップ上における各ユニットは桝目に小さく表示されざるを得ない。)の観点からの制約があり,作成者がその思想・感情を創作的に表現する範囲は,通常の映画と異なり,限定的なものとならざるを得ない。
このような点を考慮すると,原告ら著作権主張部分の各表示画面については,各表示画面におけるユニットの表示の仕方や情報項目の並べ方などの点において,作成者の知的活動が介在する余地があり,作成者の個性が創作的に表現される可能性がないとはいえないが,上述のような多様な制約が存在することから,作成者の思想・感情を創作的に表現する範囲は限定されており,創作的要素が認められる余地は少ないというべきである。
イ そこで,証拠及び弁論の全趣旨に基づき,原告ら著作権主張部分と被告ゲームにおけるこれと対応する表示画面を対比して,両者の間の共通点を抽出し,これらの共通点が創作的要素を有するものであって,原告ゲームにおける創作的表現ないし創作的特徴を感得させるものかどうかを,以下,検討する。
(3) 「トラキア」の戦闘マップ部分と対応する被告ゲームの部分との対比
ア ゲームソフトの概要
「トラキア」と被告ゲームのゲームソフトの概要が,「戦略性の高い戦闘システムと壮大なシナリオを満喫できるシミュレーションRPG(SRPG)であり,西洋中世をモチーフとしてペガサス,ドラゴン,魔法等も登場するファンタジーの世界を背景とし,架空の大陸における架空の小王国・小公国・小領主国を舞台とする。」という点で共通することは,当事者間で争いがない。また,「トラキア」のゲームソフトの概要が,「架空の大陸における架空の小王国・小公国・小領主国間の戦乱を舞台とする。プレイヤーは,主人公の少年王子と自軍ユニットを,シナリオに従って順次表示される西洋中世風の堅固な要塞,山岳地帯,領主館内,峡谷,森林地帯,民家の点在する村,城内,祭壇等の影像からなる複数のマップ画面上を移動させ,各マップに用意された『戦闘画面』(トップビューによるオンマップバトル画面及びサイドビューによる1対1のアニメーション切換戦闘画面)と『イベント画面』をプレイし,戦闘等を行って仲間を増やし,成長させ,敵側を制圧する。死亡したユニットは原則として生き返らず,主人公の死亡によってゲームオーバーとなる。」というものであることは,当事者間で争いがないところ,原告らは,この点についても「トラキア」は被告ゲームと共通すると主張する。
しかし,原告の主張する上記の点は,ゲームの基本的な構成に関するアイデアの段階にとどまるものであって,小説のあらすじと同様,表現それ自体ではない部分であるから,このような部分が共通するからといって表現の創作的特徴が共通して感じられるということはできない。また,上記のような構成は,証拠及び弁論の全趣旨によれば,「ファースト・クィーン」(平成元年12月ころ発売),「エルスリード」(昭和62年3月発売),「ガイアの紋章」(昭和62年8月ころ発売),「リトルマスター」(平成7年発売),「ラングリッサーⅠ&Ⅱ」(平成9年発売),「ファーランドストーリー」(平成7年発売),「ファーランドストーリー2」(平成7年発売),「ドラゴンクエストⅢ」(昭和63年2月発売)といったゲームにおいても採用されているごくありふれたものにすぎない。
以上によれば,被告ゲームの概要をもって,「トラキア」の概要の複製ないし翻案ということはできない。
イ ゲームソフトの登場人物等
(略)
ウ ゲーム内容
(略)
エ まとめ
以上に認定したとおり,被告ゲームの戦術マップ部分を「トラキア」の戦闘マップ部分の複製ないし翻案ということはできない。
(略)
(6) まとめ
以上によれば,被告ゲームは,「トラキア」の戦闘マップ部分を複製ないし翻案したものとも,「外伝」の全体マップ部分を複製ないし翻案したものとも,「トラキア」,「紋章の謎」,「聖戦の系譜」の登場人物等の影像を複製ないし翻案したものとも認めることができない。
[控訴審]
2 被控訴人ゲームはトラキアの翻案に該当するかどうか
控訴人らは,①被控訴人ゲームの全体がトラキア全体の翻案に当たり(選択的主張1),又は,②被控訴人ゲームの「戦闘マップをプレイする場面」がトラキア全体の翻案に当たり(選択的主張2),又は,③被控訴人ゲームの「戦闘マップをプレイする場面」がトラキアの「戦闘マップをプレイする場面」の翻案に当たる(選択的主張3),と主張する。
以下,まず,選択的主張1につき,判断する。
(1) 翻案の意義及び判断基準
翻案とは,既存の著作物に依拠しながら,その表現上の本質的な特徴の同一性を維持しつつ,具体的表現に増減,変更等を加えて,新たに思想又は感情を創作的に表現することにより,これに接する者が既存の著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得することのできる場合において,その新たな著作物を創作する行為をいうものであるが,新たな著作物が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において,既存の著作物と同一性を有するにすぎないときは,翻案には当たらないものというべきである(江差追分事件上告審判決参照)。
(2) ゲームソフトとしてのトラキアの内容
トラキアにおける表現上の本質的な特徴の現れた部分がどこかを判断するに当たり,ゲームソフトとしてのトラキアの内容について検討する。証拠及び弁論の全趣旨によれば,トラキアの内容は,以下のとおりであると認めることができる(以下,「ストーリー」という用語は,原則としてゲームソフトの文章表示やセリフによって語られる物語若しくはシナリオをいうが,これを基礎にして影像展開などによる表現を加えたものから把握される物語をいうこともある。また,「ユニット」は「キャラクター」と同義で登場人物をいう。)。
(ア) 概要 トラキアは,西洋中世をモチーフとし,戦略性の高い戦闘システムと壮大なシナリオを満喫できるSRPGである。トラキアの基本的なストーリーは,敵国に祖国を追われた少年王子である主人公が,王国間との戦乱が絶えない架空の大陸において,祖国奪還のために立ち上がり,仲間とともに,ペガサス,ドラゴン,魔道士なども登場する空想上の世界を背景として,敵軍との間に戦闘を繰り広げていく,というものである。プレイヤーは,山岳,海岸,峡谷,森林,民家の点在する村,城内,都市等を背景とし,章立てで次々と表示される戦闘マップにおいて,主人公や自軍ユニットを移動させ,仲間を増やしたり,自軍ユニットを成長させながら,次々と現れる敵軍と戦闘等を行い,戦闘マップを1枚1枚クリアしていく。ゲームは,最後の戦闘マップをクリアするか,主人公の死亡によって終了する。
(イ) 全体の構成
トラキアの全体構成は,大別して,冒頭の場面(タイトル表示を含む全体マップの場面の開始までをいう。),全体マップの場面(全体マップが表示されている場面をいう。),戦闘マップの場面(全体マップの場面の終了から戦闘マップクリア後の会話場面の終了までをいう。),エンディングの場面(最終章の戦闘マップクリア後の会話場面終了後をいう。)からなる。
冒頭の場面は,ゲームをプレイする前提となるストーリーの表示や,ゲームのタイトルの表示等を含む。その後,全体マップに移行し,最初の全体マップの場面においては,主人公が祖国を追われてからのストーリーが文字で表示され,その逃避行の様子が全体マップ上の地点の移動で示されるとともに,主人公の現在地が表示される。この全体マップの場面が終わると,タイトルが付され,章立てで構成される個別の戦闘マップの場面に切り替わり,第1章が開始される。戦闘マップの場面は,プレイヤーが部隊の編成や戦闘マップの確認をする場面(この場面が「戦闘前の出撃準備場面」である。),戦闘前のユニット間の会話の場面,自軍ユニットと敵軍ユニットが交互に行動してマップクリアに至るまで戦闘等を繰り広げる場面(この場面が「戦闘マップをプレイする場面」である。)を経て,マップクリア後にはユニット間の会話場面が表現される。こうして一つの戦闘マップの場面が終了すると,画面は再び全体マップの場面に切り替わり,表示された大陸の上を自軍が前章の位置から次章の位置に移動した様子が表現されるとともに,次章を開始するに当たってのストーリーが文字で表示される。プレイヤーは,こうして全体マップと各戦闘マップとを交互に繰り返し,最終章の戦闘マップをクリアすると,その後の会話の場面を経て,エンディングの場面を迎えることになる。
(ウ) ストーリー
ゲームをプレイする前提となるストーリーは,上記のとおり,冒頭の場面及び最初の全体マップ場面において,文字で表示される。これを要約すると,敵国に滅ぼされた小国レンスターの王子リーフは、騎士フィンらとともに,北トラキアの支配権を手に入れたグランベル帝国などの追手をかわしながら,トラキア地方東部のフィアナという小さな村の女城主エーヴェルの庇護のもとで成長していた,というものである。
その後のストーリーの展開は,順次戦闘マップをプレイする中で,全体マップの場面での文字表示や各戦闘マップにおける登場ユニットの会話等を通じて,表現される。主人公リーフは,「第1章 フィアナの戦士」において,15歳にして祖国奪還のために立ち上がる意思を表明し,その後,主人公とその仲間は,主人公が捕虜になったり,上記エーヴェルが石化されたり,信頼する軍師が戦死するなどの出来事を乗り越えて,レンスター城の奪還を果たし,最終章では,敵軍の居城において敵将を倒して,北トラキアを敵軍から解放することになる。
(エ) ユニット
トラキアには,主人公と,主人公を助けて共に敵を制圧する自軍ユニットと,相手方となる敵軍ユニットが登場する。トラキアでユニットとして登場する人物は90名を超え,とりわけ自軍ユニットは,それぞれ名前,容姿,服装が異なり,使用する武器や戦闘能力も異なる上,ユニット相互間には主従関係,親族関係など様々な人間関係が設定されている。プレイヤーは,会話場面やステータス画面等における上半身の静止影像から各ユニットの名前,容姿,服装等を認識し,会話の内容等からその性格や人間関係等を感じ取ることができる。
トラキアの各ユニットは,細かいクラスに分けられ,クラスによって所与の戦闘能力が設定されている。各ユニットが使う武器には,斧,弓,剣,槍,杖,魔力等があるが,ユニットの中には,ペガサス,ドラゴン,馬に乗ったり,重い鎧をつけて高い防御力を持つ者(アーマーユニット)も存在し,さらには「踊る」「盗む」等の特殊な技を持ったり,杖を使って味方のHP(体力)を回復させることのできるユニットなどもいる。また,トラキアの各ユニットは武器以外のアイテムを使用することもできる。このようなアイテムには,「宝箱の鍵」「跳ね橋の鍵」「傷薬」「毒消し」「たいまつ」などがある。
各ユニットは戦闘を行うことなどにより経験値を獲得できるが,経験値が100を超えるごとにレベルアップして,戦闘能力値が上昇する。また,ほとんどのユニットは一定の条件のもとで、上級クラスにクラスチェンジをすることができ,これによってさらに戦闘能力が高まることになる。こうして,プレイヤーは気に入ったユニットを成長させて楽しむことができる。ユニット間の親疎の関係は,特定のユニットが一定距離内にいると命中率や回避率が上がるという支援効果として数値化され,地形の属性によって回避率が一定程度上がることもある。
(オ) 戦闘マップにおける戦闘及びその他のイベント
戦闘マップにおいて,自軍・敵軍ユニットの会話場面等が終わると,画面には自軍の攻撃の順番(自軍ターン)であることを示す表示がなされ,プレイヤーが自軍ユニットを移動させて行動する場面となる。プレイヤーは,トップビューで表現される戦闘マップの地形,自軍・敵軍の配置,各ユニットの戦闘能力,各ユニットの移動又は攻撃可能範囲等を把握し,作戦を立てて,戦闘マップ上にあらかじめ配置されている自軍ユニットを移動可能な範囲内に移動させる。移動可能範囲内であれば,どのユニットをどこに移動するかは基本的にプレイヤーの自由であり,ペガサス,ドラゴン,馬等に乗れるユニットの場合には,これらの乗り物を利用して移動することもできる。当該ユニットを移動させると,プレイヤーは,そのユニットをその場で待機させるか,攻撃可能範囲内の敵兵を攻撃するか,その他の行動をするかを選択することになる。
移動した自軍ユニットを使って敵兵を攻撃する場合には,自軍と敵軍のユニットが1対1で戦うシーンが,設定により自動的に,アニメーション切替戦闘場面又はオンマップバトル場面の形式で表示される。オンマップバトルは,画面が切り替わることなく戦闘マップ上で戦闘シーンが表現されるものであり,アニメーション切換戦闘場面は,サイドビューの画面に切り替わった上で画面全体に戦闘場面が表示されるものである。戦闘場面は,あらかじめ設定されたプログラムに基づいて影像表示されるため,プレイヤーは操作できない。相手の攻撃によってダメージを受けたユニットはHPが減少し,HPがゼロになった場合に死亡するが,戦闘によって必ず一方が死亡するわけではない。死亡したユニットは生き返らず,主人公の死亡などゲーム終了条件が満たされるとゲームオーバーとなる。
戦闘マップにおいて,戦闘以外の行動(イベント)も起こすことができる。例えば,特定の敵軍ユニットに自軍ユニットが「話す」ことにより敵軍ユニットを寝返らせて味方としたり,敵軍を「捕える」ことや「解放」することもできる。また,踊る技を持ったユニットが「踊る」と自軍ユニット一人を再移動させることができ,杖を使えるユニットが特定の杖を「使う」と自軍ユニットのHPを回復することなどができる。さらに,「跳ね橋の鍵」を使って跳ね橋を下ろし,「たいまつ」を使って周囲を明るくするなどして,アイテムを使用する場面もある。アイテムは,民家を「訪ねる」ことや「宝箱」を開けることによって得ることもでき,盗む技を持った自軍ユニットが敵から「ぬすむ」こともある。戦闘マップによっては,アイテムの購入資金を一対一の決闘により稼ぐことのできる「闘技場」,アイテムを販売している「道具屋」や「秘密の店」,武器を購入できる「武器屋」等が配置されている。
こうして,プレイヤーが自軍ユニットの行動を終了すると,今度は敵軍が攻撃する順番(敵軍ターン)となる。敵軍の攻撃は,すべてあらかじめ設定されたプログラムによって自動的に行われる。戦闘場面等の表現は,自軍ターンのときと変わらないが,敵軍が自軍に攻撃を仕掛けてこないこともある。敵軍ターンが終了すると,その旨が表示され,自軍ターンとなる。
こうして,戦闘マップをクリアするための勝利条件を満たしてマップクリアするか,途中でゲームオーバーになるまで,自軍ターンと敵軍ターンが交互に繰り返される。
(カ) 背景画面
戦闘マップは,各章ごとに異なっており,その舞台も山岳,森林,海岸,都市,村,城内など様々であり,マップ上には,民家,城壁,教会,門,闘技場,道具屋,武器屋等の建物が置かれていることもある。また,アニメーション切替戦闘場面の背景には,切替前の戦闘マップとは異なる地形や風景が背景画面として表示される。
(キ) 音楽
トラキアでは,その全編を通じて,背景音楽が流れており,敵軍ターンになったり,アニメーション切替戦闘場面に切り替わった際には,音楽が変わる。
(3) トラキアにおける表現上の本質的な特徴の現れた部分
ゲームソフトとしてのトラキアの表現上の本質的な特徴の現れた部分について,控訴人らは,戦闘マップの場面の一部である「戦闘マップをプレイする場面」の全体構成とその各場面の視聴覚的表現であると主張する。これに対し,被控訴人らは,トラキアは,ストーリー,ゲームシステム,各場面の影像表示,ユニット,音楽を主たる要素とする複合的な著作物であり,中でも最も重要な要素はストーリーであると主張する。そこで,以下,判断する。
(ア) 上記(2)で認定のとおりのゲームソフトとしてのトラキアの内容によれば,トラキアは,著作権法2条3項に規定する「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され・・・ている著作物」であるということができる(この点は当事者間に争いがない。)。また,上記認定によれば,トラキアの全体構成のうち,量的にも大部分を占め,影像が視聴覚的効果を与えつつ変化し,プレイヤーが多大な時間を費やしてプレイして楽しむ部分は,章立てで展開する戦闘マップの場面であり,中でも自軍ターンと敵軍ターンが交互に展開する「戦闘マップをプレイする場面」は,まさに,プレイヤーが自軍ユニットを操作し,敵軍と戦闘をして,ゲームの勝敗を決する場面であるから,トラキアのゲームソフトの中核をなす部分であると認めることができる。
(イ) 次に,この「戦闘マップをプレイする場面」がどのような要素から構成されているかを検討する。上記(2)で認定したトラキアのゲーム内容によれば,トラキアの「戦闘マップをプレイする場面」においては,①背景画面一面に様々な地形や建物を描いた戦闘マップが表示され,②そこに,自軍及び敵軍の様々なユニットが登場し,③このようなユニットが,ゲームシステムに基づいて,多彩な行動を繰り広げることによって,視覚的な効果をもたらす一連の影像が連続的に変化し,④全体としてのストーリーを踏まえ,当該戦闘マップで戦闘が行われることにより,ストーリが展開し,⑤場面を通して奏でられている背景音楽が聴覚的な効果をもたらしているということができる。したがって,「戦闘マップをプレイする場面」は,以上の5つの要素が同期的に複合して形成されていると認めるのが相当である。なお,被控訴人らは,ゲームバランスもゲームの重要な要素であると主張するが,ゲームバランスはその概念があいまいであり(その具体的な意義・内容については的確な主張立証がない。),テレビゲームの客観的な考察分析上の概念として採用するに堪えるものではない。
(ウ) そこで,以下,各要素の重要性につき検討する。
(a) ゲームシステムに基づき連続的に変化する一連の影像
ゲームソフトであるトラキアは,「映画の効果に類似する視覚的又は視聴覚的効果を生じさせる方法で表現され・・・ている著作物」であり,またトラキアのプレイヤーは,自軍ユニットを操作して行動させ,敵と戦闘を行わせることにより,ゲームを楽しむものであるから,「戦闘マップをプレイする場面」においてゲームシステムに基づき視覚的に表現される一連の影像及びその全体構成が,トラキアの表現の本質をなす重要な構成要素であることは当然であり,この点は被控訴人らも争っていない。
(b) ストーリー
当事者間に争いがあるのは,ストーリーが「戦闘マップをプレイする場面」を構成する要素として最も重要であるかどうかである。以下の理由により,ストーリーは,「戦闘マップをプレイする場面」を構成する重要な要素の一つであると認めることができる。
まず,トラキアがSRPGの分野に属することは当事者間に争いがない。証拠によれば,SRPGはRPG(架空世界の物語をプレイヤーが主人公などになって疑似体験するゲーム)とSLG(戦争,恋愛等を題材に実際の状況を設定し,その場の判断で展開させていくゲーム)の要素を併せ持つものであると認められるところ,トラキアにRPGとしての要素が含まれると理解されているのは,プレイヤーが,トラキアをプレイすることにより,主人公やその仲間と心理的に同化し,自らも物語に参加して,敵軍と戦いながら祖国の奪還を目指す気持ちになることができるからであると考えられる。したがって,トラキアは,プレイヤーによってその受け取り方にある程度の違いがあることは想像されるものの,ストーリーを重視するタイプのゲームソフトであるということができる。
その上で,トラキアにおけるストーリーを具体的にみると,前記(2)で認定のとおり,トラキアは,祖国を追われた少年王子である主人公が,王国間との戦乱が絶えない架空の大陸において,祖国奪還のために立ち上がるとの想定のもと,ゲームが展開するものであり,プレイヤーは,様々な出来事の起こる戦闘マップをクリアしつつ自らストーリーを展開し,最後の戦闘マップをクリアすることにより,主人公らの悲願を達成することができる構成となっている。このように,トラキアのストーリーは,戦闘マップでプレイすることにより展開していくのであるから,ストーリーと「戦闘マップをプレイする場面」における影像変化とは密接不可分の関係にあり,いずれも重要であるということができる。
さらに,ストーリーは「戦闘マップをプレイする場面」を通じて展開するばかりではなく,戦闘マップの勝利条件やプレイヤーの戦略も規定し,戦闘マップ自体のデザインもストーリーに合わせて作成されているということができる。例えば,トラキアの「第3章 ケルベスの門」は,敵軍の子供狩りにより砦内に捕らえられた子供を救い出して民家に返すともに,砦の敵軍を制圧するというストーリー展開となっているが,かかる状況設定となっているために,プレイヤーは,戦闘マップの全体を見ながら,動けない子供の救出方法を考え,敵軍の制圧を目指すことになる(こうした作戦は会話場面を通じてプレイヤーに示唆される。)。このように,ストーリーの内容は「戦闘マップをプレイする場面」における勝利条件や戦略とも密接に関係し,戦闘マップも設定された状況に沿ってデザインされているということができる。
これに対し,控訴人らは,トラキアのセリフ場面はキャンセル機能によりとばすことができるから,ストーリーは重要ではないと主張する。しかしながら,キャンセル機能は何回も同じマップをプレイしてその内容を暗記するに至ったプレイヤーのために設けられているものであり,上記のとおり,プレイヤーにとって,ストーリーは,ゲームの中の世界を疑似体験する上でも,また戦闘マップをクリアするためにも重要であることを考えれば,プレイヤーが当初の段階からセリフをキャンセルしてゲームをプレイするとは考えにくい。したがって,キャンセル機能があることは,ストーリーが重要な要素であることを否定する根拠とはならない。控訴人らは,ゲームシステムの制作段階の終盤においてもセリフを差し替えることは容易であるなどとも主張するが,仮にそのとおりであったとしても,そのことはトラキアにおけるストーリーの重要性を左右するものではない。
以上によれば,ストーリーは「戦闘マップをプレイする場面」を構成する本質的な要素と認めることができる。
(c) ユニット
前記認定のとおり,トラキアでは90人以上のユニットが登場するが,中でも自軍ユニットは,それぞれ異なる名前,容姿,服装をし,戦闘能力や使う武器も異なるので,それぞれが個性的な存在であるということができる。そして,プレイヤーは,戦闘マップ上の戦闘において,好きなユニットを頻繁に使用して戦闘させることが可能なので,自軍ユニットの中で育てるユニットを決め,その成長を楽しむことができる。このように,プレイヤーが登場するユニットに強い思い入れを抱くことも少なくないことに照らすと,トラキアの登場ユニットは,その影像表示が小さく,静止画が多いことから,ゲームシステムに基づき視覚的に表現される一連の影像及びその全体構成やストーリーほどの重要性はないとしても,「戦闘マップをプレイする場面」における主要な要素の一つであるということができる。
(d) 戦闘マップ
戦闘マップの場面の背景として画面一面に表示される地形や建物のデザインは,画面の全体的な印象をプレイヤーに与える点で軽視できないが,それ自体が変化する影像ではなく,戦闘場面の背景をなすにすぎないことも考慮すると,ゲームシステムに基づき視覚的に表現される一連の影像及びその全体構成やストーリーに比較すると,その重要性はかなり低いものといわざるを得ない。
(e)
音楽,効果音
背景音楽,効果音は,ゲームを通じて流されるものであり,戦闘の臨場感を高めてゲームに聴覚的な効果をもたらすものではあるが,これまたあくまで背景的なものであり,特に音楽性に優れた特徴的なリズム・旋律等であったり,従来なかったような特殊な効果音であったりすれば格別,トラキアのように単調な音楽や効果音の繰返しである場合には,プレイヤーに与える印象は,他の諸要素に比較すると,かなり後退したものであると考えられる。
(エ) 以上のとおり,「戦闘マップをプレイする場面」はトラキアの中核をなす部分であり,その構成要素として重要なのは,ゲームシステムに基づいて変化する影像及びその全体構成とストーリーであるということができる。
(4) 本件共通表現の検討に当たっての前提となる基本的な考え方
トラキアの本質的な特徴が現れる部分についての上記認定を踏まえ,控訴人らが主張する本件共通表現について検討することとするが,その前提となる基本的な考え方は以下のとおりである。
(ア) 創作性の判断
前述したように,本件共通表現が,思想,感情若しくはアイデア,事実若しくは事件など表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において共通するにすぎない場合には,翻案は成立しないと解すべきである。
著作権法上の著作物の要件である「創作性」については,著作権法に定義規定がないが,独創性を備えることまで必要であると解すると,著作権による保護の範囲を不当に限定することになりかねないことや,創作性の有無を画する客観的な判定基準を求めることは難しいことなどを考慮すると,表現者の個性が何らかの形で発揮されていれば,創作性自体は認めることができるものと解すべきである。
ただし,創作性の程度には自ずと幅があるのは当然であるから,当該著作物の著作権を新たな著作物が侵害したといえるかどうかを判断するに当たっては,当該著作物の保護の限度を画する要素として,その創作性の程度を考慮することは当然必要になるものと解される。すなわち,創作性の高い著作物については,その保護の範囲は拡大し,著作者の個性は現れているものの極めてわずかな創作性しかない著作物については,保護の範囲は極めて狭小なものに限定されると解するのが相当である。
(イ) 本件共通表現の判断対象
控訴人らは,本件共通表現は,影像の動的変化と音を一つのまとまりとして連続影像で表現したものであるから,創作性の判断においては,一つのまとまりとして判断すべきであり,創作性を有する部分を創作性のない部分まで細分化して,その著作物性を否定すべきではないと主張する。
確かに,一つのまとまりのある著作物を細分化し,その各部分がアイデアないしありふれた表現にすぎないとして,全体としての創作性を否定することは誤りである。しかしながら,一つのまとまりのある著作物の創作性を判断するに当たり,その構成部分まで分解し,それぞれの構成部分を逐一考察して,創作性の有無程度を検討することは正当な分析方法である。控訴人らの主張は,まとまりのある一連の影像を構成する各影像の組合せに創作性を認める余地があるという意味では相当であるが,一つのまとまりのある著作物の個々の構成部分を考察すべきでないとの趣旨であれば失当というほかない(なお,控訴人らは,例えば小説や文章を単語のレベルまで細分化することの不当性をいうが,文章を構成するいくつかの単語が新規性と表現性に富んだ新造語であるため,全体の作品が創作性と表現性に富むこともあり,また,個々の単語に創作性がないとしても,例えば単語と単語という最小の組合せに特異性があれば(例えば「幸せのかたち」「小さい秋」などが初めて使われたとき等),創作性や表現性を十分に充足することになろう。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という小説中の一節も,使う単語を厳選して,無数の表現の中からできるかぎり簡明な表現を選択し,その余を読者の類似体験や豊かな感性に託すことにより,高い創作性や表現性を備えるに至ったものであると理解でき,個々の構成部分を考慮することが不要ないし不当とは到底いえないのである。)。
(ウ) 展開する影像の組合せと配列の著作物性
控訴人らが主張する本件共通表現は,いずれも一つのまとまりをもった連続影像による視聴覚的表現の総体であるが,後に検討するように,各共通表現は,いずれも,一連のまとまった表現として把握される複数の影像が,プレイヤーの操作・選択により,又はあらかじめ設定されたプログラムに基づいて,連続的に展開することにより形成されているということができる。例えば,共通表現(6)は,後記(5-6)のとおり,自軍ユニットの待機ポーズの影像,プレイヤーの操作によりカーソルが移動する影像,カーソルを自軍ユニットに合わせると吹出しが表示される影像,移動コマンドの選択により自軍ユニットがその場動きをする影像,移動・攻撃可能範囲の影像,当該ユニットが移動先に移動する影像,当該ユニットが移動を終えて待機ポーズに切り替わる影像が,連続的に展開することにより形成されている。このように,一つの大きなまとまりとしての表現が,その構成部分として把握することができる複数の影像の展開により形成されている場合には,これを構成する各影像自体の創作性及び表現性のみならず,その組合せ・配列により表現される影像の変化も,著作権法による保護の対象となり得るものであることは,上述のとおり,当然である。したがって,この点についても検討することが必要かつ相当である。
(エ) ルールの表現性
通常の映画の著作物と異なり,トラキアはゲームソフトであるから,当然のことながら,ルールが決められ,プレイヤーはルールに基づいてプレイする。例えば,トラキアでは死亡したユニットは生き返らないというルールがあり,それに基づいて,一度死亡したユニットはその後画面上に表示されないが,このようなゲームのルールはアイデアそのものであり,著作物ということはできず,ルールが具体的に表現したものがある場合に,はじめてその創作性等が問題となると解すべきである。
(オ) ユーザーインターフェース
ゲームソフトは,通常の映画と異なり,プレイヤーが参加して楽しむというインタラクティブ性を有しているため,プレイヤーが必要とする情報を表示し,又はプレイヤーの選択肢を表示するための画面(以下ではかかる意味で「ユーザーインターフェース」という言葉を用いる。)を表示する必要がある。このようなプレイヤーの便宜のための画面は,プレイヤーの操作の容易性や一覧性等の機能的な面を重視せざるを得ないため,作成者がその思想・感情を創作的に表現する範囲は自ずと限定的なものとならざるを得ず,特に特徴的あるいは独自性があると認められない限り,創作性は認められないというべきである。トラキアについていえば,ステータス表示,ユニットの一覧表示,縮小画面,会話を表示するための吹出し表示,名前等の情報を提供するための吹出し表示,コマンド選択のためのメニュー画面,武器メニューに関する画面,戦闘パラメータ表示,HPの数値の変化の表示,経験値の獲得の表示,クラスチェンジに伴う戦闘パラメータの変化の場面,アイテム交換の際のアイテムの表示画面等は,いずれもプレイヤーの判断に必要な情報を表示し,又はプレイヤーの選択肢を表示するものであるから,ユーザーインターフェースとしての性格を有しているというべきである。
(カ) 作風の同一性
本件では,トラキアの実際の制作に被控訴人Aがどの程度関与したかについては当事者間に争いがあるが,証拠によれば,被控訴人Aはトラキアについても実質的な責任者として関与し,トラキアも被控訴人ゲームも,被控訴人Aの個性が色濃く反映した作品であると認めることができる。被控訴人らは,トラキアと被控訴人ゲームの類似性は作風の同一性にすぎず,制作者が同一人物であることは翻案該当性を否定する方向で斟酌すべきであると主張するところ,確かに,著作権法上の保護は,このような作品の作風や傾向といった抽象的な部分にまでは及ばないと解されるので,1人のゲームクリエイターが関与した2つの作品を比較して翻案該当性を判断する際には,その作風の類似性を翻案該当性の基礎としないように留意する必要がある。
しかしながら,ゲームクリエイターがゲームソフトを制作するに当たっては,自らが以前に制作して現在は他の者に著作権が帰属する作品の翻案を行うべきでないことは当然であり,かつ,それは可能であると考えられる。したがって,原著作物と二次的著作物の実質的な著作者が同一であることは,翻案の判断基準に基本的な変更を迫るものではないと解される。
(キ) 相違点の考慮
翻案権とは,原著作物を利用して創作性を加え,別個の著作物を創作する権利であるから,二次的な著作物に新たな表現が付加されたからといって,直ちに翻案該当性が否定されるわけではない。しかしながら,新たな表現が付加されることにより,二次的な著作物が原著作物との同一性を失い,これに接する者が著作物全体から受ける印象を異にすると認められるときは,二次的な著作物から原著作物の創作的特徴を直接感得することはできないから,その二次的著作物はもはや原著作物の複製ないし翻案ということはできないと解すべきである。
(5) 本件共通表現についての検討
上記のとおりの基本的な考え方に基づき,以下では,控訴人らの主張する個々の本件共通表現に即して,トラキアと被控訴人ゲーム(以下,「両ゲーム」とはトラキアと被控訴人ゲームをいう。)との共通表現の認定,その表現性,創作性の存否及び程度,相違点について検討する。
(5-1) 登場ユニット
(ア) ユニットの分類の共通性
控訴人らは,両ゲームのすべての登場ユニットは12の同一の種類に分類できる点で共通すると主張する。証拠及び弁論の全趣旨によれば,両ゲームには,①敵国に祖国を追われ王国再興のために立ち上がる亡国の王子である主人公と,主人公を助けて敵と戦う自軍ユニットと,相手方となる敵軍ユニットが登場すること,②ペガサス,ドラゴン,馬に騎乗するユニット,踊ることにより自軍ユニットを再行動させることができるユニット,全身を頑強な鎧で固めている特異な形状のユニット,敵からアイテムを盗むことのできるユニット,魔法を武器とするユニット,杖,斧,剣,弓等を使うユニットが登場すること,において共通すると認めることができる。
しかしながら,証拠を総合しても,両ゲームに登場するユニットを控訴人らの主張する12種類によってすべて合理的に分類することができるとは認めることができない。控訴人らの分類方法は,統一的でかつ合理的な基準(例えば,使用する武器による分類)によるものではなく,一人のユニットが複数の武器を使うことも可能な上,両ゲームの攻略本や取扱説明書にも控訴人らの主張を裏付けるに足る記載は存在しない。
また,控訴人らの指摘する特徴を有するユニット(①主人公,②ペガサスに乗るユニット,③ドラゴンに乗るユニット,④馬に乗るユニット,⑤踊れるユニット,⑥アーマーユニット,⑦盗賊ユニット,⑧魔道士ユニット,⑨杖を使うユニット,⑩斧を使うユニット,⑪剣を使うユニット,⑫弓を使うユニット)をゲームに登場させること自体はアイデアにすぎず,証拠及び弁論の全趣旨によれば,これらのユニットは他のゲームでも登場している一般的なものであるとの事実を認めることができる。なお,控訴人らは,特許権のように厳密に被控訴人ゲームの制作時点を基準にして当該他のゲームが公知であったかどうかを問題とすべきであると主張するが,テレビゲームの著作物としての特性などを考えると,被控訴人ゲームの創作性の有無や程度を判断する上で,被控訴人ゲームの制作後相当期間内のゲームも考慮に入れることは,特段の事情がない限り,許されるというべきである。
(イ) 登場ユニットに共通する容姿,服装,動き等
両ゲームの登場ユニットの戦闘マップにおける容姿,服装,動き等に関し,証拠及び弁論の全趣旨によれば,両ゲームの登場ユニットは,①いずれも戦闘マップにおいてトップビューの視点で表現され,西洋中世風の衣装をつけ,全身は移動範囲及び攻撃範囲のほぼ一桝目大であって人間に近い頭身比の人物として表現されていること,②登場ユニットが,戦闘マップ上で待機する姿態は,基本的には斜め前向きで武器等を絶えず動かしていること,③戦闘マップ上で行動を終了した場合には,基本的に斜め前向きで武器等を絶えず動かしている待機の容姿・姿態が透けてみえる暗系色の待機ポーズに変わること,において共通していると認めることができる。
しかしながら,戦闘マップにおける登場ユニットは,碁盤目状に小さく区切られた戦闘マップの一桝に小さく表示されているのであって,詳細な描写ができないためその容貌や服装から個体識別をすることはかなり困難であり,精々,敵味方の区別,主人公かどうか,一定の兵種,男女の別などが識別できる程度である(それゆえ吹出しで名前等が表示される。)。このような制約のもとにおいては,当該ユニットが格別な特徴を備えない限り,ありふれた表現にならざるを得ないところ,両ゲームの上記共通点(西洋中世風の衣装をつけていること,全身は一桝目大であること,人間に近い頭身比の人物として表現されていること)は,いずれもごく一般的なものというほかなく,創作性のある表現と認めることはできない。
また,戦闘マップをトップビューの視点から表現することは,アイデアにすぎない上,ゲームソフトでは,通常の映画と異なり,ハード面での制約等から,取り入れることのできる視点には限りがあるというべきである。さらに,ユニットの移動前及び移動後の待機ポーズについても,当該ユニットがこれから移動することが可能かどうかをプレイヤーにわかりやすく表示するという機能的な目的が主であって,プレイヤーの大多数がその影像及び動きを一見して待機ポーズの状態にあると感得するものでなければならない以上,本来的にありふれたものであって,その表現自体に創作性がないのは当然である。
(ウ) 各登場ユニット人物設定,容姿,動き等の表現
各登場ユニットの人物設定,容姿,動き等に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(1)①ないし⑫記載の点において共通すると認めることができる。
これを前提に,各ユニットについて,検討する。
(a) 主人公ユニット
上記認定のとおり,トラキアの主人公であるリーフと被控訴人ゲームの主人公であるリュナンは,①亡国の少年王子で,祖国のため立ち上がること,②兵種が主人公専用のもので,イベントにより変化すること,③襟を立てた肩当てのある衣装をつけ,裏地が赤となっている丈の長いマントを翻すこと,④武器として主人公専用の長い剣を持つこと,⑤移動はタッタッタッとの効果音とともに駆け足で行うこと,において共通している。
しかしながら,敵国に祖国を追われた主人公が祖国のために立ち上がるという筋立ては,歴史物語等において繰返し展開されてきた普通に見られたものであり,武器としての長剣や衣装についても,その中に登場するありふれた表現である。また,移動の態様や効果音も,他の徒歩のユニットと同様,主人公として特徴のあるものではなく,兵種を主人公専用のものとしたり,イベントにより変化させることはごく普通に想到されるアイデアにすぎない。
また,控訴人らは,両ゲームの主人公の死にセリフの場面,敵軍拠点の制圧の場面,マップクリア後のクラスチェンジする場面の表現が共通することや,登場する場面が同一であることなども指摘するが,これらは主人公の容姿,服装,性格その他の人物像を特徴付けるものではないので,後の該当箇所において検討する。
以上のとおり,両ゲームの主人公は,その服装,人物設定,武器,動作等において共通する点もあるが,その共通する部分は,アイデアにすぎないか,ありふれていて創作性の認められない表現にすぎない。
他方,証拠によれば,両ゲームの主人公は,トラキアでは王子であるリーフ一人であるのに対し,被控訴人ゲームでは公子であるリュナンと海賊の長であるホームズの二人であると認めることができる。
控訴人らは,被控訴人ゲームの主人公はリュナン一人であると主張するが,被控訴人ゲームにおいて,リュナンとホームズはそれぞれ別の部隊を率いて戦闘マップ上で戦闘し,ホームズ隊が戦う戦闘マップにおいてはホームズの死亡がゲームオーバーの条件となっていることによれば,ホームズも被控訴人ゲームの主人公であるというべきである。ホームズがリーフと大きく異なることは明らかであり,トラキアにはホームズに匹敵するユニットは存在しないことも,当事者間には積極的な争いはない。主人公としてのホームズの存在ゆえに,被控訴人ゲームはストーリーが複線化し,トラキアにはない特徴が与えられているということができる。
(b) ペガサスユニット
上記認定のとおり,両ゲームのペガサスに乗るユニットは,①女性騎士ユニットであること,②白い胸当て及び白い肩当てのある衣装をつけ,武器としてはペガサス騎乗時には槍を,ペガサスから降りた状態では剣を持っていること,③ペガサスの翼を広げてバサバサと風を切る移動の効果音とともに空中を飛翔し,地上の地形を無視して移動することができるが,弓による攻撃に弱いこと,④攻撃するときは空中から地面に降下して相手を攻撃し,相手の攻撃を避けるときは後ろに軽く飛翔して避け,再攻撃するときは垂直に飛翔してから再び相手に向かって降下して攻撃するという飛翔戦闘シーンを展開すること,において共通している。
しかしながら,そもそも,ペガサスは架空の冒険物語等にしばしば登場する天翔ける馬(「天馬」と邦訳される。)であって,これに乗るユニットを登場させること自体は誰しも想到し得るアイデアにすぎないし,他のゲームにも登場している。また,飛翔した状態から攻撃するユニットに対し弓の攻撃が有効であることは,常識そのものであり,飛翔して移動するペガサスが地上の地形を無視して移動できることも,また至極当然である。
次に,ペガサスに乗ったユニットの具体的な表現を見ても,両ゲームのペガサスは,背中に大きな翼を有する白馬というオーソドックスな姿態であり,何ら特徴があるものではなく,創作性はないに等しい。ペガサスユニットの移動態様(翼を広げてバサバサという効果音とともに空中を飛翔して移動する。)や,戦闘態様(空中から地面に降下して相手を攻撃し,相手の攻撃を避けるときは後ろに軽く飛翔して避け,再攻撃する時は垂直に飛翔してから再び相手に向かって降下して攻撃する。)に関する表現も,その飛翔の仕方や効果音,攻撃のための降下の仕方,退避の仕方等は,いずれも翼を持った飛翔能力のあるユニットとしては一般的なものといわざるを得ず,創作性がないとはいえないが,その創作性の程度は低いといわざるを得ない。
ペガサスに騎乗する女性騎士については,控訴人らは具体的なユニット名を挙げてその共通点を主張しておらず,上記認定のような共通点(女性騎士であること。白い胸当て及び白い肩当てのある衣装をつけていること。ペガサス騎乗時には槍を,ペガサスから降りた状態では剣を持っていること。)だけでは,両ゲームのペガサスに騎乗する騎士が,創作性のある表現において共通又は類似しているということはできない。
以上のとおり,両ゲームのペガサスユニットには共通点はあるが,その共通する部分は,アイデアにすぎないか,表現であっても控訴人らが主張するような創作性の高いものとは到底いえず,むしろ創作性の程度は低いというべきである。
(c) ドラゴンユニット
上記認定のとおり,両ゲームのドラゴンに乗るユニットは,①騎士ユニットであり,武器としては主に槍を持つこと,②ドラゴンの翼を広げてバサバサと風を切る移動の効果音とともに空中を飛翔し,地上の地形を無視して移動すること,③弓による攻撃に弱いが,ドラゴンに守られているため高い防御力を持つこと,④騎士を乗せて大きな翼を曲げるようにして飛翔し,頂点の高さに達した位置から斜め下方の地上に降下して相手を攻撃し,再攻撃する時は垂直に飛翔してから再び相手に向かって降下して攻撃するという戦闘シーンを展開すること,において共通している。
しかしながら,そもそもドラゴンも西洋の伝説・神話等によく登場する動物であって,ドラゴンに乗るユニットを登場させること自体は簡単に想到し得るアイデアにすぎないし,他のゲームにも登場している。また,飛翔するドラゴンユニットに対し弓の攻撃が有効であることや,ドラゴンが高い防御力を有することは,翼と鋭い爪を有するドラゴンの特性からすれば,普通に想到し得るものであり,飛翔して移動するドラゴンが地上の地形を無視して移動できることも,同様である。
次に,ドラゴンに乗ったユニットの具体的な表現をみると,両ゲームのドラゴンは,単純で,かつ,普通の姿態であり,取り立てて特徴があるものでは決してない。ドラゴンユニットの移動態様(翼を広げてバサバサと風を切る効果音と共に空中を飛翔して移動する。)や,戦闘態様(騎士を乗せて大きな翼を曲げるようにして飛翔し,頂点の高さに達した位置から斜め下方の地上に降下して相手を攻撃し,再攻撃する時は垂直に飛翔してから再び相手に向かって降下して攻撃する。)も,創作性がないとはいえないが,翼を持った飛翔能力のあるユニットの移動及び攻撃態様としては自然に想到し得る普通の表現であって(ペガサスユニットもほぼ同様の移動及び攻撃態様である。),控訴人らが主張するように独創的で創作性の高い表現であるとは,到底いうことができない。
ドラゴンに騎乗する騎士については,控訴人らは具体的な人物名を挙げてその共通点を主張するものではなく,武器が共通であることを指摘するのみであって,両ゲームの騎士が共通又は類似していることを積極的に裏付ける具体的な主張立証はなく,むしろ,証拠によれば,両ゲームとも,ドラゴンに乗ることができるユニットは複数おり,その容姿,服装,性格等において共通性又は類似性はないものと認められる。
以上のとおり,両ゲームのドラゴンユニットには一部共通点はあるが,その共通する部分は,アイデアにすぎないか,表現であっても控訴人らが主張するような創作性の高いものとは到底いえず,むしろ創作性の程度は低いというべきである。
(d) 馬ユニット
上記認定のとおり,両ゲームの馬に乗るユニットは,①兵種に応じて槍,剣等の各種の武器を持つこと,②馬に乗っている状態では,高い移動力を持ち,馬を走らせて地を蹴る移動の効果音とともに移動すること,において共通している。
しかしながら,馬に乗る騎士は,他のゲームにも登場するありふれたユニットにすぎず,馬に乗る騎士が兵種に応じて槍,剣等の各種の武器を持つこともごく当然である。両ゲームに登場する馬ユニットの移動の表現は,創作性の全くない表現とはいえないが,格別,特徴的であるとは認められない。
また,両ゲームにおける馬に乗る騎士については,控訴人らは特に言及していないが,両ゲームとも多数のユニットが馬に乗ることができ,馬ユニット相互の間に共通点又は類似点を認めることはできない。したがって,両ゲームの馬ユニットには共通する点もないではないが,その共通する部分は,アイデアか,創作性の乏しい表現にすぎないというべきである。
(e) 踊れるユニット
上記認定事実及び後記(5-9)における認定事実によれば,両ゲームの踊れるユニットは,①いずれも女性で,茶色の長い髪をポニーテールに結ったプロポーション良い姿をしており,上下に分かれた衣服から腹部の一部が露出しているとともに,両腕があらわになり,スカートのスリットは脚の付け根にまで及んでいること,②長いひも状のリボンを両手に持って回転して踊り,最後には,左腕を真っ直ぐに高く上げ,左足は真っ直ぐに伸ばして重心を置き,脚の付け根まで露わにした右脚を出し,真っ直ぐに横に伸ばした腕には長いひも状のリボンを持ち,これを地面に垂らす決めポーズで静止すること,③踊ることによって,自軍ユニットを再行動させることができること,において共通している。
そもそも,踊ることにより自軍ユニットに一定の利益をもたらすユニットを登場させること自体はアイデアにすぎず,他のゲームにおいても登場する。したがって,踊れるユニットを登場させて,その踊る様子を一般的な形で影像表現しただけでは,創作性があるということはできない。
そこで,両ゲームにおける踊れるユニットに関する具体的な表現を検討するに,証拠によれば,トラキアの踊れるユニットとは具体的にはラーラであり,被控訴人ゲームの踊れるユニットはプラムであると認められるところ,確かに,両者が踊る場面の表現は,上記のとおり,容姿,服装,踊り方,最後のポーズ,踊る効果等において一部共通しているが,踊る場面以外の両者の容姿,服装,性格は,顕著な相違を呈している上,踊る場面についても,服装の変化(プラムは変身するかのように服が変わる。),服の色(プラムは場面により服の色が違う。),ポニーテールに結った髪の長さ(プラムの方がかなり長い。),動作(プラムは飛び跳ねるようにして踊り,ラーラは一度しゃがむような姿勢になる。),リボンの持ち方(プラムは両手で持っている。)などの特徴的ないくつかの点において明らかに相違していると認めることができる。そうすると,全体としては,踊れるユニットに関する表現の相違点は,共通点又は類似点を大きく凌いでいるというべきであり,結局,両ゲームはアイデアを共通にするにすぎず,具体的な表現において類似しているということはできない。
(f)
杖ユニット
上記認定のとおり,両ゲームの杖を使うユニットは,①戦場であるにもかかわらず非常に軽装で,長いローブを身につけて杖を持ち,タッタッタッとの移動の効果音とともに戦闘マップ上を移動すること,②杖を用いて自軍ユニットを別の場所にワープさせたり,自軍ユニットのHPを回復させたりすることができること,③トラキアのサラと被控訴人ゲームのネイファとは,兵種(シスター),容姿の一部,において共通しているということができる。
しかしながら,このような杖を使うユニットをゲームに登場させること自体は他のゲームでも取り入れられており,自軍ユニットを杖でワープさせたり,そのHPを回復させることもアイデアにすぎない。また,このようなユニットは,特殊な力を持つ杖が武器であるから,軽装で徒歩であるのはごく自然なことで,その移動の態様も他の徒歩のユニットの移動と変わるところがない。
証拠によれば,杖は,両ゲームともに多種類あり,その効果もHP回復やワープに限らず多種多様である上,杖を使うユニットも少なくなく,杖を使う場面の具体的な表現も様々である。控訴人らは,トラキアのサラと被控訴人ゲームのネイファを取り上げ,兵種,顔立ち,髪型,髪色,額飾りなどが酷似すると主張するが,証拠によれば,サラは,石化を解除する特殊な杖を使い,魔道士としての能力も併せ持つ戦闘能力の高いユニットであるのに対し,ネイファは,竜に変身できる巫女で,戦闘する場面がないのであるから,両者はその印象を明らかに異にするというべきである。さらに,杖を使って自軍ユニットをワープさせる場面と,杖を使って自軍ユニットのHPを回復させる場面の具体的表現は,両ゲームにおいて異なることは後記のとおりである。
以上によれば,両ゲームの杖ユニットには共通する点もあるが,その共通する部分は,アイデアにすぎないか,創作性の乏しい表現にすぎず,他方,杖を使う場面や杖ユニットの具体的な表現においては両ゲームは相違しているということができる。
(g) 魔道士ユニット
上記認定によれば,両ゲームに登場する魔道士は,①戦場であるにもかかわらず非常に軽装で,長いマントを身につけて,戦闘マップ上をタッタッタッとの移動の効果音とともに移動すること,②武器である魔道書を用いて,魔法攻撃を行うことができること,③被控訴人ゲームの魔道士ユニットであるマルジュは,トラキアの魔道士ユニットであるアスベルと人物設定(風魔法を得意とする少年で,自身専用の風魔法を持ち,登場時の兵種は魔道書で攻撃魔法を専用に使う下位の兵種である。),容姿(少女のような風貌で,ショートヘアから耳を出している。),において共通するということができる。
しかしながら,魔法を使う登場人物は冒険物語等ではよく見られ,このような魔法を使うユニットを登場させること自体は他のゲームでも採用されているありふれたアイデアにすぎない。このような魔道士ユニットはその性質からいって(魔法以外の武器等を使用する必要があまりない。)軽装であるのは自然なことであり,移動方法も徒歩か特殊な移動用具又は動物に乗るぐらいしか考えられないのであるから,そのうち徒歩等が選択されたとしてもその選択自体に独自性はない。また,魔法使いが長いマントを身につけているのも典型的な姿の一つであり,戦闘マップ上の移動の態様も他の徒歩のユニットと変わるところがない。
さらに,証拠によれば,魔法は,トラキアで約20種類,被控訴人ゲームで約30種類もあり,その魔力も多種多様である上,魔力を使うユニットの数は少なくなく,魔力を使用する場面の具体的な表現も様々である。控訴人らは,トラキアのアスベルと被控訴人ゲームのマルジュが酷似すると主張するところ,確かに,両者は,魔法の種類(風魔法を得意とし,専用の風魔法を持つ。)や容姿(少女のような風貌で,耳を出している。)などの点で共通するところがあるが,証拠によれば,その表情(アスベルは目元・口元が柔らかく優しい印象であるのに対し,マルジュは目元・口元がきつく勝気な印象),髪の色(アスベルは緑なのに対しマルジュは金色)が異なる上,風魔法による攻撃の場面についても,アスベルが,片手を上げ,画面が青く光るとともに魔法の風を相手に投げつけるのに対し,マルジュは,画面が暗くなるとともに,両手を上げて体の回りに竜巻のような風を起こし,魔法の風を両手で押し出すようにして相手に浴びせるのであって,その具体的な表現において明らかな差異を呈している。したがって,アスベルとマルジュは,共通しているとか,特に類似している等ということはできない。
以上によれば,両ゲームの魔道士ユニットには共通する点もあるが,その共通する部分は,アイデアにすぎないか,創作性の乏しい表現にすぎず,他方,魔法を使う場面や魔道士ユニットの具体的な表現においては両ゲームは相違しているということができる。
(h) 斧ユニット
上記認定によれば,両ゲームの斧ユニットは,①比較的軽装で,武器として斧を持ち,強力な破壊力を特徴とするユニットであること,②乗り物に乗れないので,タッタッタッとの移動の効果音とともに移動すること,において共通するということができる。
しかしながら,斧を武器とするユニットはありふれたものであり,他のゲームにも登場しているところ,上記共通点(服装,攻撃力,移動の態様)にも格別特徴ある点を見出すことはできない。控訴人らは,具体的に共通又は類似するユニットを挙げていないが,例えば,トラキアにおける斧を使用するユニットであるダグダや,被控訴人ゲームにおいて斧を使用するガロに類似するユニットは見出しがたい。
以上によれば,両ゲームの斧ユニットには共通する点もあるが,その共通する部分は,アイデアか,ありふれていて創作性の認められない表現にすぎず,控訴人らが主張するような独自性・創作性があるということはできない。
(i)
弓ユニット
上記認定によれば,両ゲームの弓ユニットは,①比較的軽装で,武器として弓を使うこと,②戦闘マップにおいて,弓を用いて2桝目以上離れた敵を攻撃することができること,③タッタッタッとの移動の効果音とともに移動すること,④弓による攻撃は,飛翔するユニットであるペガサスユニット及びドラゴンユニットに対して強力な攻撃力を発揮すること,において共通している。
しかしながら,弓を武器とするユニットはありふれたものであり,他のゲームにも登場しているところ,弓を用いた場合に距離の離れた敵を攻撃することができるようにするのは当たり前のことであり,飛翔して攻撃してくるユニットに弓が強いこともごく当然なことであって,その他の共通点(服装,移動の態様)もありふれたものである。証拠によれば,両ゲームにおける弓を使うユニットは少なくなく,具体的なユニット一人一人は容姿,服装,性格等も異なるのであって,両ゲームの弓ユニットに共通点又は類似点を見出すのは困難である。
以上によれば,両ゲームの弓ユニットに共通する点はわずかであり,しかも,その共通する表現には,独自性も創作性も認められない。
(j)
剣ユニット
上記認定のとおり,両ゲームの剣ユニットは,剣を操る技に優れた剣士であり,軽装で,武器として剣を持ち,タッタッタッとの移動の効果音とともに移動するユニットであることにおいて共通し,またトラキアの特徴的な剣ユニットであるシヴァと,被控訴人ゲームの代表的な剣ユニットであるヴェガは,その容姿(鋭い目つきで,黒髪の前髪をばさりと垂らし,鎧を付けずに着流し的な服装),人物設定(当初は敵として登場し,自軍の女性ユニットとの会話が行われると寝返って自軍ユニットになる。),スキル(攻撃直前に音と共に全身から光が放たれ,剣で敵に与えたダメージ分自らのHPが回復する。)が共通であるということができる。
まず,剣を使うユニットに共通する表現からみるに,剣を使うユニット自体はゲームでも登場しているごくありふれたものであり,両ゲームにおける剣ユニットに共通する表現(服装,移動態様)にも特徴があるとはいえない。したがって,これらの共通する表現に創作性を認めることはできない。
次に,被控訴人らは,トラキアのシヴァと被控訴人ゲームのヴェガが酷似すると主張する。確かに,両者は,その容姿,使用する剣の特殊な効果,味方になる経過において一部共通する点があるが,証拠によれば,髪型,顔の輪郭,服装等については異なっており,類似しているとまでは認められない。
そもそも,重要なユニットも含め,両ゲームに剣を使うユニットは数多く,それぞれが名前,服装,性格を異にしているといってよく(例えば,剣を使うユニットであるトラキアのエーヴェルに類似するユニットは,被控訴人ゲームにはいない。),仮にシヴァとヴェガが類似しているところがあったとしても,全体としては,両ゲームの剣ユニットが特に類似しているというわけではない。
(k) アーマーユニット
上記認定のとおり,両ゲームのアーマーユニットは,①全身を頑強な鎧で固めているという極めて独自の特異な形状のユニットであること,②全身を頑強な鎧で固めているという重量から,機動力には乏しいものの,高い防御力を誇るユニットであること,において共通しているということができる。
全身を頑強な鎧で固めているアーマーユニットをユニットとして登場させること自体はアイデアにすぎず,アーマーユニットは他のゲームでも登場しているユニットである。アーマーユニットが機動力には乏しいが防御力が高いことは,頑強な鎧で全身を覆っている以上,当然であり,両ゲームにおけるアーマーユニットに関する共通表現が,控訴人らが主張するような独自性・創作性があるものということはできない。
(l) 盗賊ユニット
上記認定のとおり,両ゲームの盗賊ユニットは,①比較的軽装で,武器として剣を持ち,タッタッタッとの移動の効果音とともに素早く動く動きを特徴とすること,②宝箱や扉を開けることができたり,跳ね橋を降ろしたりすることを特徴とするユニットであること,において共通している。
しかしながら,敵からアイテムを盗み出す盗賊ユニットを登場させること自体はよく使われるアイデアにすぎず,他のゲームにも同様なものが登場している。また,両ゲームの盗賊ユニットに関する共通点(服装,武器,移動の態様)はごくありふれたものであり,盗賊ユニットが鍵を使って宝箱の扉を開けたり,跳ね橋を降ろす設定もアイデアにすぎず,その影像表現も普通にイメージし得るようなものであって,両ゲームの具体的な盗賊ユニットにも共通又は類似する点を認めることはできない。したがって,盗賊ユニットに関する共通表現が,控訴人らが主張するような独自性・創作性があるものとは認められない。
(m) まとめ
以上のとおり,控訴人らが主張するところのユニットに関する共通部分は,いずれもその共通する部分がアイデアにすぎないか,有意な創作性を有するとは認められないものであり,両ゲームのユニットが全体として同一性,類似性があるとは認めがたい。むしろ,両ゲームに登場する具体的なユニットは,それぞれが異なる名前,容姿,服装,性格,武器,戦闘能力等を有する存在であり,異なるユニットとして認識することが相当なものである。
(5-2) ゲームの全体構成とその各場面の表現
証拠によれば,ゲームの全体構成とその各場面に関し,両ゲームは,共通表現(2)記載の共通部分を有するということができる。
上記認定のとおり,両ゲームの全体構成は,基本的には全体マップ部分と個別の戦闘マップを繰り返し,最終の戦闘マップにおける「戦闘マップをプレイする場面」をクリアしたときにゲームクリアとなる,という点において共通する。これを各場面について敷衍すると,両ゲームは,①全体マップ部分は,架空の大陸を表現したセピア色の古地図であり,個々の戦闘マップの所在場所とこれらをつなぐ道等が表示されている,②戦闘マップは,トップビューの視点で描かれた西洋中世風の要塞,領主館内,山岳地帯,峡谷,民家の点在する村,城内,祭壇等を背景としており,マップタイトル(章タイトル)が付されている,③「戦闘前の出撃準備場面」は,地形等を出撃前スクロールなどで確認したり,自軍ユニットの編成やアイテムの編集をしたりする場面である,④その後,戦闘前会話場面を経て「戦闘マップをプレイする場面」になり,自軍ユニットを行動させる自軍ターンと,コンピューターが自動的に敵軍ユニットを行動させる敵軍ターンが繰り返される,⑤当該マップのクリア条件を達成したときにマップクリアとなり,会話の場面が自動的に影像表示される,⑥次いで全体マップに戻る場合には,全体マップが表示され,全体マップに戻らず戦闘マップに移行する場合には戦闘マップのマップタイトルが表示される,⑦最終マップをクリアしたときにゲームクリアとなる,という点において共通しているいうことができる。
まず,ゲームの全体構成に関し,全体マップ部分と個別の戦闘マップを交互に往復し,最後の戦闘マップをクリアしたときにゲームクリアとなるという全体構造をとること自体は,他のゲームでも採用されている最も典型的な構成の一つであるといわざるを得ない。また,戦闘マップの場面について,控訴人らは,これを「戦闘前の出撃準備場面」「戦闘前会話場面」「戦闘マップをプレイする場面」「マップクリア後の会話の場面」に分けるが,かかる場面構成は,マップクリアに向けて戦闘を行うゲームとしては,時系列に沿った自然な場面構成であり,格別な独自性を有するということはできない。
全体マップに関し,両ゲームはセピア色の古地図として描いている点で共通しているが,ゲームの舞台となる架空の大陸の全体地図を表示すること自体はアイデアにすぎず,他のゲームでも採用されている。全体マップは,プレイヤーに対して戦闘マップの所在と経路を表示するための表示画面としての性質も持っており,セピア色の古地図として表現された両ゲームの全体マップは,古地図を表示する色彩としてセピア色を選択したことに何ら独自性又は創作性を有するとはいえず,そのほか全体マップに特徴的な表現を看取することは困難である。
また,戦闘マップに関し,両ゲームは,トップビューの視点から描かれた西洋中世風の要塞,領主館内,山岳地帯,峡谷,民家の点在する村,城内,祭壇等を背景としている点で共通しているが,このような視点を採用することも,またよく使われるアイデアにすぎず,他のゲームでも採用されているものである。次に,個々の戦闘マップのデザインは,ゲーム機のハード面からの制約が存在するために使用できる色彩等の制約があると考えられるが,被控訴人ゲームにはかなり創作的な表現が多く用いられており,両ゲームの各戦闘マップの具体的表現は異なっているということができる(控訴人らも各戦闘マップの具体的なデザインの類似性は主張していない。)。したがって,両ゲームは戦闘マップについては創作性のある表現において相違しているということができる。
(5-3) 基本ストーリー
証拠によれば,両ゲームのゲーム概要は,共通表現(3)記載の内容において共通しているということができる。すなわち,両ゲームは,「亡国の少年王子が,ペガサスユニット,ドラゴンユニット,魔道士ユニット等も登場するファンタジーな世界を背景とし,架空の大陸における架空の小王国,小公国,小領主国間の戦乱を舞台として,戦闘等を行って仲間を増やし,成長させ,敵側を制圧する。」という概要において共通している。
しかしながら,上記概要は,抽象的な粗筋の域を超えるものではなく,具体的なストーリーについてみれば,トラキアのストーリーは前記認定のとおりであり,被控訴人ゲームのストーリーは,「主人公リュナンはかつてリーベリア大陸に存在した4王国の一つであるリーヴェ王国のラゼリア公国の公子であるが,敵であるカナン王国と邪神ガーゼル教団が連合してできたゾーア帝国に祖国を奪われ,親友であり海賊の長であるもう一人の主人公ホームズとともに,祖国奪還の兵をあげる。リュナンとホームズは,それぞれの部隊を率いて行動し,リュナン隊は,祖国奪還を目指して帝国軍と戦い,ラゼリア公国を奪還し,リーヴェ王国を制圧した後,カナン王国との和平を実現する。ホームズ隊は,魔物,海賊,蛮族,魔竜等と戦いながら,リュナンを側面援助する。リュナン隊とホームズ隊は,何度か合流し,部隊編成等を行い,最後には,ガーゼル教国の神殿最深部の祭壇で再会し,復活した邪神ガーゼルを打倒する。」というものである。
このように,両ゲームは,ストーリーを抽象化した粗筋としては共通するが,この粗筋は著作物として保護するには抽象的すぎるというべきであり,著作物としての創作性を有する具体的なストーリーにおいては両ゲームは異なることは明らかである。また,証拠によれば,両ゲームは,各章ごとのストーリー展開という点においても,類似していないことが認められる。
ストーリーは,著作者が創作性を発揮し得る幅が大きいものであり,両ゲームのストーリーの創作性も高いと認められるところ,両ゲームはかかる創作性の高いストーリーにおいて相違しているということができる。
(5-4) 「戦闘マップをプレイする場面」の全体構成とその各場面の表現
「戦闘マップをプレイする場面」の全体構成及び各場面に関し,証拠及び弁論の全趣旨によれば,両ゲームは共通表現(4)記載の共通部分を有すると認められる。
上記認定によれば,「戦闘マップをプレイする場面」の全体構成に関し,両ゲームは,①基本的には,プレイヤーがカーソルを操作して自軍ユニットを行動させる自軍ターンと,コンピューターが自動的に敵軍ユニットを行動させる敵軍ターンとを繰り返すことから構成される,②自軍ターンは,コンピューターにより戦闘マップ上に自軍ユニットと敵軍ユニットが自動的に配置され,自軍ターンであることを示す英文文字が画面上に表示されることにより開始する,③自軍ターンの基本構成は,自軍ユニットを,プレイヤーがカーソルを操作してユニット1人につきそれぞれ1回だけ行動させることからなっており,その行動としては,待機,攻撃,その他の行動の三種類がある,④自軍ターンにおける自軍ユニットの行動を終えたとプレイヤーが判断して,メインメニューから「終了」コマンドを選択すると,自軍ターンは終了する,⑤敵軍ターンは,敵軍ターンであることを示す英文文字が表示されて開始し,敵軍ユニットが,プログラムに従って自動的に動き,移動して待機したり,自軍ユニットに対して攻撃を仕掛けてくる,⑥敵軍ターンはプログラムによって自動的に終了し,自軍ターンが開始する,⑦自軍ターンと敵軍ターンは,各戦闘マップに設けられたクリア条件をクリアするまで繰り返され,クリア条件をクリアすることにより,当該戦闘マップがマップクリアとなる,という点で共通している。
このように,「戦闘マップをプレイする場面」を,プレイヤーが自軍ユニットを操作して行動させる自軍ターンと,コンピューターが自動的に敵軍ユニットを動かす敵軍ターンから構成し,両ターンが戦闘マップをクリアするまで交互に繰り返されること自体は,戦闘場面を中心とするゲームにおいてはごくありふれた構成にすぎず,自軍ターン又は敵軍ターンの表示自体も特に特徴的なものとはいえない。
また,自軍ターンにおいて,プレイヤーがカーソルを操作して自軍ユニット1人につきそれぞれ1回だけ行動させることができることは,よくあるゲームのルールにすぎず,その行動の種類が大別して,待機,攻撃,その他の行動の三種類であることも,戦闘場面を中心とするゲームとしては,一般的であるということができる。
なお,両ゲームは,戦闘マップ上の地形の属性に応じて地形効果が設定されてあり,「戦闘マップをプレイする場面」において,カーソルがある場所の地形効果が,小さな長方形状の枠として,カーソルが位置する場所とは左右反対の画面上方隅に表示され,その枠内には「平地」等の地形の属性と地形効果の数値が表示されている点で共通する。しかしながら,戦闘マップ上の地形の属性に応じて地形効果を設定すること自体は容易に想到し得るアイデアにすぎず,かかる効果を設定している他のゲームも存在する。また,画面上での地形効果の表示は,プレイヤーに対する情報提供であり,ユーザーインターフェースとしての性質を有するもので,アイデア及びその表現方法とも,特に特徴的なものとはいえないので,創作性があるとはいえない。
以上によれば,「戦闘マップをプレイする場面」の全体構成とその各場面の表現に関し,両ゲームには共通する点もあるが,その全体構成はありふれたものであり,上記で検討した各場面の表現にも格別な創作性を認めることはできない。なお,「戦闘マップをプレイする場面」における待機,攻撃,その他の行動に関する共通部分については,(5ー6)以下で検討する。
(5-5) 控訴人らの主張する「本質的ストーリー」
控訴人らは,両ゲームは「本質的ストーリー」において共通すると主張する。控訴人らは,「本質的ストーリー」とは,プレイヤーが「戦闘マップをプレイする場面」をプレイした際に,ディスプレイ上に現れるプレイの遊戯内容を通じて感得されるものであり,プレイヤーに非常に強い感情移入を起こさせるものであると主張する。しかしながら,控訴人らが主張する「本質的ストーリー」は抽象的かつあいまいなものであり,甲442や494(いずれも控訴人イズの開発部担当者作成の陳述書)を精査しても,具体的な影像表現,ユニット,ストーリーなどとは別に「本質的ストーリー」の意義内容を具体的かつ一義的に把握することはできない。
もとより,ゲームソフトは一定の需要者集団を想定して,難易度が設定されているが,ゲーム全体の難易度のバランス自体を,著作権法上保護されるべき表現と認めるのは困難であり,当該ゲームソフトをプレイした結果,プレイヤーが当該ゲームソフトに強く感情移入するかどうかは,プレイヤー側の当該ゲームへの嗜好や熟練度にもよるのであり,当該ゲームに没頭する場合も,その理由はプレイヤーにより様々であると考えられる。したがって,プレイヤーに感得され,強い感情移入を起こさせるものとして「本質的ストーリー」なるものを,裁判規範を充填する明確かつ具体的なものとして把握することは困難であり,このように漠然とした「本質的ストーリー」なるものに表現性を認めることは躊躇せざるを得ない。
(5-6) 自軍ターンにおいて待機する場面の表現
前記判示のとおり,両ゲームの「戦闘マップをプレイする場面」における行動は,待機,攻撃,その他の行動からなるところ,自軍ユニットを移動させ,移動先で待機させることは,「戦闘マップをプレイする場面」の基本的な行動の一つであると認められる。証拠及び弁論の全趣旨によれば,この場面に関し,両ゲームは,共通表現(6)記載の共通部分を有すると認められる。
これによれば,待機の場面は,基本的に,①待機していた自軍ユニットの中から移動させるユニットを選択する,②選択されたユニットはその場動きを開始する,③移動可能範囲内から移動先を選択する,④当該ユニットが移動する様子が表現される,⑤移動完了後,表示された移動後のメニューから「待機」コマンドを選択すると,当該ユニットは移動先で待機ポーズに切り替わる,という各影像表現の組合せ・配列により構成されているものということができる。
(ァ) 上記で認定した共通部分の中には,プレイヤーが自軍ユニットを移動・待機させるために必要な情報及び選択肢の表示にすぎないと認められるものが含まれている。例えば,カーソル,吹出し表示,移動及び攻撃可能範囲の表示,移動後のメニュー表示は,いずれも,プレイヤーの便宜のためのユーザーインターフェースとしての性質を有する表示であって,効果音も含め,その具体的な表現方法が特に特徴的とも認められないのであって,これらの表現が創作性が有するということはできない。また,これらの表現は,プレイヤーの選択に付随するものであるから,その表示のタイミングは,多少前後することはあっても,自ずと定まったものにならざるを得ないのであって(例えば,移動後のメニュー表示が移動完了の直後になるのは当然である。),この点においても,独自性のあるようなものを見出すことはできない。
(ィ) さらに,コンピューターがプログラムに基づいて自動的に表現する,ユニットが移動する様子の表現については,前記判示のとおりであり,ペガサス,ドラゴン,馬に乗ったユニットや徒歩のユニットの移動表現(移動の際のユニットの向きや効果音も含む。)は,創作性が全くないとはいえないが,その創作性の程度は低いというべきである。また,移動前の待機ポーズ,選択されたユニットのその場動きの表現,移動後の待機ポーズ,をそれぞれ異なる色合いや動作等で表現することも,どちらかといえば,プレイヤーにその自軍ユニットが移動可能かどうかをわかりやすく知らせることに眼目があり,その表現上の選択肢には限界がある上,個々の待機ポーズや動きについて格別な特徴があるともいえない。
(ゥ) また,上記のような①ないし⑤の影像表現の組合せ・配列については,プレイヤーの選択により各自軍ユニットを移動して待機させる場面を表現しようとすれば,自ずと最も落ち着きやすいありふれた組合せ・配列の一つであって,創作性はないものというべきである。
(エ) 以上によれば,両ゲームの待機の場面を構成する各影像表現の組合せ・配列には上記認定のような共通点があるが,これは,ごくありふれた場面展開を構成する表現の組合せ・配列に,プレイヤーへの情報及び選択肢表示のための影像を組み合わせたものにすぎず,全体としての組合せ・配列についても,創作性があると認めることはできない。また,移動の場面等の具体的表現について創作性がないか,あっても決して高いものといえないことは,既に判断したとおりである。したがって,両ゲームの待機の場面に関する共通部分については,創作性がない表現あるいは創作性の程度が低い表現にすぎず,控訴人らが主張するような独自で創作性が高い表現であるということはできない。
(5-7) 自軍ターンにおいて攻撃する場面の表現
前記判示のとおり,両ゲームの「戦闘マップをプレイする場面」における行動は,待機,攻撃,その他の行動からなり,自軍ユニットを移動し攻撃させることは,「戦闘マップをプレイする場面」における基本的な行動の一つであると認められるところであり,証拠及び弁論の全趣旨によれば,両ゲームは,共通表現(7)記載の共通部分を有すると認められる(なお,待機の場面と重複する表現の創作性等については,(5-6)で判示したとおりであり,自軍ユニット及び主人公の死亡の場面の表現については,(5-12),(5-13)でそれぞれ検討する。)。
(ァ) 上記認定によれば,両ゲームに共通する攻撃の場面は,①移動後のメインメニューから「攻撃」を選択し,戦闘を行う敵軍ユニットを決定する,②自軍ユニットの武器を選択する,③自軍ユニットと敵軍ユニットの戦闘場面が影像表現される,④ダメージを受けた方のHPが減少し,HPが0になれば死亡する,⑤戦闘した自軍ユニットの経験値が付与され,場合によってはクラスチェンジができる,⑥行動終了後の待機のポーズに切り替わる,という組合せ・配列を反映した影像表現により構成されるものということができる。
(ィ) 上記で認定した共通部分の中には,敵軍ユニットを攻撃するために必要な情報及び選択肢の表示と認められるものが含まれている。例えば,武器選択メニュー表示,戦闘前パラメータ表示,自軍ユニットの名前,武器の名称,攻撃能力等の表示,HP及びその数値の変化の表示,戦闘後の経験値の変化の表示,レベルアップに伴う戦闘能力パラメータの数値の変化の表示は,いずれもプレイヤーに情報を与え,またプレイヤーが選択するためのユーザーインターフェースとしての性質を有する。こうした表示画面を設けること自体はアイデアであり,その具体的な表現方法あるいは表示の内容(各種パラメータの項目の内容も含む。)に特徴があるともいえないのであるから,これらの表示に創作性があるとは到底認められない。なお,これらの表示は,上記(ァ)記載の各表現に付随してなされるものであるから,その表示のタイミングは,多少前後することはあっても,自ずと定まったものにならざるを得ないのであって(例えば,武器選択メニューの表示が武器選択の直前に行われるのは当然である。),上記(ァ)を構成する各影像表現との組合せ・配列も,独自性のある特徴的なものと認めることはできない。
(ゥ) 次に,自軍及び敵軍ユニットの攻撃回数が基本的に1回ずつであり,攻撃速度差が所定値以上の差がある場合に限り,攻撃速度の値の大きい方が再度攻撃できること,一回の攻撃では確率によりダメージを与えたり与えられなかったりすること,一回の攻撃によるダメージ値は「攻撃力ー守備力」で一定値となっていること,攻撃を受けたユニットがダメージを受けるとそのHPが減少すること,HPが0になると死亡すること,戦闘後に経験値を付与すること,経験値が100を超えたらレベルアップすること,戦闘を終えると行動が終了になることは,いずれもゲームのルールないしアイデアにすぎず,それ自体に創作性は認められない。
(ェ) また,戦闘場面に関し,オンマップバトルに加え,戦闘場面の迫真性を増すため,サイドビューのアニメーション切替戦闘への切替えを可能にすることは,他のゲームでも採用されている一般的な手法であり,アイデアにすぎない。また,攻撃する場合に武器等の軌跡が白く表現されること,攻撃を受けたユニットがダメージを受けた場合にそのままのポーズで白く光ること,HPがゼロになった敵軍ユニットはその場で徐々に半透明になって消滅すること,攻撃が当たらなかった場合に避ける動きをすることは,いずれも他のゲームにも例のあるありふれた表現にすぎず,効果音も特に特徴的なものではない。したがって,これらの表現は,創作性があるとしてもその程度は低いというほかない。
(ォ) 攻撃の場面においてプレイヤーの関心を最も引きつけるのは自軍ユニットと敵軍ユニットとの間の戦闘場面であり,この場面はコンピューターのプログラムに基づいて自動的に表示されるため,プレイヤーが操作することができず,画面はアニメーション映画のように展開する。戦闘場面に登場する自軍・敵軍ユニットの組合せの数,使用される武器の数,戦闘する際の具体的な動きなどを考慮すれば,戦闘場面では創作性を有する表現が可能であると考えられるところ,証拠によれば,両ゲームの戦闘場面は,登場するユニット及びその組合せ,使用される武器の種類及びその使用態様,戦闘の際の自軍・敵軍ユニットの動きの表現,背景画面のデザイン,画面の明るさや色の変化等の具体的な表現において相違しているということができる。
(カ) また,上記(ァ)①ないし⑥のような各影像表現の組合せ・配列は,プレイヤーが自軍ユニットにより敵軍ユニットを攻撃する場面を表現しようとすれば,ごく一般的に採用されるありふれたものであって,経験値を付与することやクラスチェンジすることも他のゲームで採用されているアイデアにすぎない。したがって,上記の組合せ・配列に創作性を認めることはできない。
(キ) 以上によれば,両ゲームの攻撃の場面に関する共通部分については,アイデア,ルール,創作性がない表現,創作性の程度が低い表現にすぎず,各影像表現の組合せ・配列についても,両ゲームに共通する点は見られるものの,全体として,創作性があると認めることはできない。
(5-8) 敵軍ターンの場面の表現
両ゲームの敵軍ターンの場面について,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(8)記載の共通部分を有すると認めることができる。
敵軍ターンの場面における敵軍ユニットの移動,待機,攻撃の表現は,コンピューターのプログラムによって自動的に敵軍ユニットが行動するため,プレイヤーのためのユーザーインターフェース画面が表示されないなどの違いはあるが,基本的には自軍ターンの場合と同様である。なお,両ゲームともに,敵軍ターンの場面に切り替わった直後に,暗系色の待機ポーズをとっていた各自軍ユニットが元の色に戻り,敵軍ターンが終了すると暗系色のポーズをとっていた各敵軍ユニットが元の色に戻るが,これはプレイヤーに対するターン交替の表示としての機能を果たすものであり,このような表現に創作性があるとは認められない。敵軍ターンの場面のその他の共通部分に関しては,上記(5-6)及び(5-7)で判示したとおり,その創作性等を認めることができない。
(5-9) 踊る場面の表現
前記判示のとおり,両ゲームの「戦闘マップをプレイする場面」における行動は,待機,攻撃,その他の行動からなるところ,本項以下の各項は,その他の行動に係る共通部分である。本項以下の各項記載の場面が,待機,攻撃,敵軍ターンの場面と重複する共通部分を含む場合,その部分についての判断は,上記(5-6)ないし(5-8)のとおりである。
これを前提に,踊る場面について検討する。
「戦闘マップをプレイする場面」において,自軍の踊れるユニットが踊ると,自軍ユニットを再行動させることができる。この踊る場面の表現に関して,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(9)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する踊る場面の展開は,待機及び攻撃の場面と比較して,①移動先が再移動させる自軍ユニットの隣であること,②選択するコマンドが「踊る」であること,③一対一の戦闘場面の代わりに踊る様子が表示されること,④踊れるユニットが踊り終わると移動できるようになった自軍ユニットが通常の色彩に戻ること,において異なるが,これは踊ることにより自軍ユニットが再移動できるという効果が設定されていることに伴う当然の組合せ・配列の変化にすぎず,前記(5-6),(5-7)で判示したのと同様の理由から,その影像表現の組合せ・配列に創作性を認めることはできない。
踊る場面の具体的な表現の創作性については,上記(5-1)で判示したとおりであり,両ゲームの踊れるユニットの踊る場面の表現は,その相違点が共通点を凌駕し,全体として類似しているとは認められない。
したがって,踊る場面に関する共通部分について,控訴人らの主張するような独自性・創作性は認められない。
(5-10) ユニット間のアイテム交換の場面の表現
ユニット間のアイテム交換の場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(10)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通するユニット間のアイテム交換の場面は,プレイヤーが,自軍ユニットを,アイテム交換の相手先となる自軍ユニットの隣に移動し,移動後のメニューの中からアイテム交換を意味するコマンドを選択すると,アイテム交換用の画面が表示され,その画面上でアイテム交換を行った後,ボタン操作により移動後のメニューに戻る,との一連の流れで展開するものと認めることができる。
自軍ユニット間におけるアイテム交換の場面は,他のゲームにも採用されているありふれたアイデアにすぎないところ,上記のような場面展開も,アイテムを交換する場面としては,ごく自然でありふれたものであり,同場面を展開する各影像表現の組合せ・配列には,創作性は認められない。
次に,アイテム交換を行う場面の具体的な表現について検討する。上記認定のとおり,両ゲームに共通するアイテム交換を行う場面の表現は,①アイテム交換画面は,画面を縦に二分して,左にアイテム交換を求める自軍ユニットを,右に交換相手となる自軍ユニットを影像表現したものであり,画面左側には,上段に,横長の長方形状の枠が表示され,その枠内に,アイテム交換を求めるユニットの斜め前向きの顔影像が表示されるとともに,その横に,名前,兵種,HP値等が表示され,下段には,縦長の長方形状の枠が表示され,その枠内に,当該自軍ユニットの現在所持している所持アイテムに関する情報が影像表示され,画面右側には,アイテム交換の相手となるユニットについて,同様の表示がなされている,②画面上に表示された指カーソルを操作して相手の所持アイテムの中から交換したいアイテムを選択してボタンを押すと,その指カーソルは動きを止め,新たな指カーソルがアイテム交換を実行したユニットの所持アイテム欄の空欄となっている個所を指すので,そこでボタンを押す,③すると,交換相手の所持アイテム欄に表示されていたアイテムが,交換を求めるユニットの所持アイテム欄に移動し,空欄になった当該相手方の所持アイテム欄には,その下方にあるアイテム名が繰り上がってきて,次のアイテムを交換することができる状態となる,④アイテム交換を終了する場合にはボタン操作により,当該ユニットの移動後のメインメニューの場面に戻ることができる,というものであると認めることができる。
上記のうち,アイテム交換を行う各当事者の顔,名前,アイテムなどを左右対照に表示した画面は,プレイヤーが必要とする情報を一覧し,交換するアイテムを容易に選択できるようにするための表示であり,ユーザーインターフェースとしての性格を持つものであって,その表示方法及び内容に特徴があるものでもないので,創作性を有するとは認められない。また,カーソル操作により画面上でのアイテムの移動を可能にすることも,プレイヤーの選択を容易にするための機能的な観点からのアイデアであり,その具体的な表示に創作性が認められるものでもない。アイテム交換が行われる画面における表現は,全体としても,創作性を有するとは認められない。
以上のとおり,アイテム交換の場面に関する共通部分は,アイデアにすぎないか,創作性の認められない表現にすぎないというべきである。
(5-11) ステータス画面の場面の表現
ステータス画面の場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(11)記載の共通部分を有すると認めることができる。
ステータス画面は,トップビューの戦闘マップ上において,カーソルをユニットに合わせて操作ボタンを押すことにより,画面全体に表示されるものであり,プレイヤーに,自軍ユニットや敵軍ユニットの能力,状態,アイテムなどの情報を提供する機能を有するものである。したがって,ステータス画面は,ユーザーインターフェースとしての性質を有するものであり,その具体的な表示形式や含まれる情報の内容に特に特徴があるものでもないので,創作性があると認めることができない。
(5-12) 死亡判断と死にセリフの場面の表現
ユニットの死亡判断と死にセリフの場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(12)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する死亡判断と死にセリフの場面は,戦闘により自軍ユニットのHPが0になり,そのユニットが死亡したものと判断されると,自動的に開始されるものであり,具体的には,画面上に死にセリフが表示されてから,そのユニットの全身影像が消えていき,完全に消滅すると,当初のオンマップの場面に切り替わる,というものであると認めることができる。
このように,自軍ユニットが死亡する際に,そのユニットのセリフを表示することは,他のゲームでも採用されているアイデアであり,ユニットのHPが0になるとそのユニットは死亡すること,死亡したユニットは二度と生き返らないことは,いずれもゲームのルールにすぎない。また,死亡した自軍ユニットの全身影像が半透明となって徐々に消え,最後には消滅の効果音とともに消滅するという表現も,ありふれているというほかない。さらに,死にセリフの表示方法は,会話等を表示する際の普通の手法にすぎず,創作性は認められない。
以上のとおり,両ゲームの死亡判断と死にセリフの場面に関する共通部分は,アイデア又は創作性のない表現にすぎないというべきである。
(5-13) 主人公の死亡によるゲームオーバーの場面の表現
主人公の死亡によるゲームオーバーの場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(13)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,主人公の死亡によるゲームオーバーの場面が,上記(5-12)の場面と異なる主な点は,主人公の死にセリフが表示され,その全身影像が消滅した後に,画面がトップビューによる戦闘マップの場面に切り替わり,その下方一杯に長方形状の吹出しが表示され,その吹出しの上方かつ画面の右側に,主人公に最も親しい自軍ユニットの顔が主人公の顔のあった左側を向いて表示され,その吹出し内に主人公の死を無念に思う当該自軍ユニットの言葉が文字表示される,という点にあると認めることができる。
このように,主人公の死亡の場合に,主人公自身の死にセリフに続いて,その死を無念に思う自軍ユニットの言葉を表示することは,アイデアにすぎない。セリフの表示方法に創作性が認められないことは,前記のとおりであり,その他の表現(主人公の死にセリフの表示とその全身影像の消滅する表現)の創作性については,上記(5-12)で判示したとおりである。
以上によれば,主人公の死亡によるゲームオーバーの場面に関する共通部分は,アイデアないし創作性のない表現にすぎないというべきである。
(5-14) クラスチェンジの場面の表現
クラスチェンジの場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(14)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームは,クラスチェンジの場面に関し,①クラスチェンジを可能にするアイテムを所持した自軍ユニットが,移動を完了すると,移動後のメニューが表示されるので,その中から,アイテムを意味するコマンド,続いて「使う」とのコマンドを選択する,②すると,戦闘画面の設定がオンマップであってもトップビューのマップ画面から自動的にサイドビューのクラスチェンジの場面に切り替わり,クラスチェンジの様子が影像表現される,③クラスチェンジが完了すると,長方形状の枠が表示され,枠内の左端に当該自軍ユニットの右斜め前向きの上半身の影像を,その横には当該ユニットのクラスチェンジ後の戦闘能力パラメータが影像表示され,パラメータがアップする場合には,パラメータの数値の上昇が,数値の変化や上昇マークとともに表現される,④クラスチェンジの場面が終了すると,当該ユニットの自軍ターンでの行動は終了となり,トップビューのマップ場面に再び切り替わり,当該ユニットは待機ポーズとなる,という点で共通すると認められる。
上記のうち,自軍ユニットが一定の条件のもとでクラスチェンジすること自体は,他のゲームでも取り入れられているありふれたアイデアにすぎず,クラスチェンジの場面を構成する各影像表現の組合せ・配列も,アイテムを使ってクラスチェンジする場面としては,容易に考えられる自然なものであって,創作性があると認めることができない。また,クラスチェンジ後の戦闘パラメーターの表示はユーザーインターフェースとしての性質を持つ表示であり,その表示方法や内容において特徴的であるとも認められないので,創作性があるとはいえない。
次に,両ゲームのクラスチェンジの具体的表現は,上記認定のとおり,まず,画面中央に,クラスチェンジするユニットが,現在の兵種での服装(及び乗り物)で,左向きの影像で表現され,黒背景の画面下段の右半分には,当該ユニットの名前等が青色系の枠内に影像表示され,続いて,当該ユニットは強い光に照らされるように明るくなり,その光が徐々に弱くなると,クラスチェンジしたユニットが,クラスチェンジ後の兵種での服装(及び乗り物)で,右向きの影像として表現される,という点で共通すると認められる。しかしながら,証拠によれば,トラキアでは,クラスチェンジする前のユニットを強い光が白い円柱状に包んで,その中の当該ユニットが黒い影のように映り,光が消えると,中からクラスチェンジした後のユニットが現れるという表現方法をとっているのに対し,被控訴人ゲームでは,クラスチェンジする前のユニットがぼやけるようにして一度消え,その後徐々にクラスチェンジ後の姿が現れるという表現方法をとっていると認められ,その具体的な表現方法は両ゲームで異なるといわざるを得ない。
以上のとおり,そもそも自軍ユニットが一定の条件の下,クラスチェンジすること自体はアイデアにすぎず,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列も特徴的とはいえず創作性は認められない一方,両ゲームの具体的なクラスチェンジの表現は異なるというべきである。
(5-15) マップクリア後に主人公がクラスチェンジする場面の表現
マップクリア後に主人公がクラスチェンジする場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(15)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通するマップクリア後に主人公がクラスチェンジする場面は,クラスチェンジする主体が主人公であり,その時期がマップクリア後であることを除き,上記(5-14)の場面と変わらないものと認められる。マップクリア後に主人公が一定の場合にクラスチェンジすること自体は,他のゲームにも取り入れられているアイデアにすぎず,その他の表現(主人公がクラスチェンジする様子の表現も含む。)の創作性については,上記(5-14)で判示したとおりである。
以上によれば,主人公のマップクリア後のクラスチェンジの場面の共通部分は,アイデア又は創作性のない表現にすぎず,両ゲームは具体的な表現において相違しているということができる。
(5-16) 闘技場の場面の表現
闘技場は,プレイヤーが,武器やアイテムなどを購入する資金を取得するために,一定の賭金をかけて相手と決闘するために設けられた施設である。闘技場の場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(16)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する闘技場の場面は,戦闘マップ上に古代ローマの闘技場のように表現された闘技場が配置されている場合,自軍ユニットをその闘技場の上に移動させ,移動後のメニューから闘技場コマンドを選択すると,闘技場における場面が影像表現され,闘技場の場面が終了すると,戦闘マップの場面に戻り,当該ユニットは待機ポーズに切り替わる,という一連の流れで構成されると認められる。
そもそも,一定の金額を賭金として相手と決闘する場所として闘技場を設けることは,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,闘技場に入ると,その主人が登場し,プレイヤーに話しかけるような形で,ルールや選択肢を説明するという手法も,単なるアイデアにすぎない。
また,対戦したユニットのいずれかが死亡するか,プレイヤーがキャンセルのためのボタンを操作するまで戦闘が続けられることは,ゲームのルールにすぎず,対戦相手のデータや賞金額の表示,セリフの表示方法等は,プレイヤーに対する情報及び選択肢の提供を主たる目的とする表示であって,創作性があるとは認められない。
さらに,闘技場の外観や,闘技場の場面を構成する各影像表現の組合せ・配列も,容易に考えられるありふれたもので,いずれにも,創作性を認めることはできない。両ゲームの闘技場における「おやじ」のセリフも,一般的なルールや選択肢の説明にすぎず,特に創作性があるとは認められない。
他方,証拠によれば,両ゲームの闘技場の場面の具体的な表現,例えば「おやじ」の容姿,闘技場の外観及び内部の様子等は,異なっていると認められ,ユニット間の戦闘場面の具体的な表現が両ゲームで異なることは,他の戦闘場面と同様である。
以上によれば,両ゲームの闘技場の場面には共通する点もあるが,その共通する部分は,アイデアにすぎないか,創作性に乏しい表現にすぎず,具体的な表現においては,両ゲームは相違するということができる。
(5-17) 秘密の店の場面の表現
秘密の店とは,特殊な条件として設定したアイテムを持った自軍ユニットのみが入って珍しいアイテムを購入できる店であり,一見して店だとはわからないようになっている。秘密の店の場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(17)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する秘密の店の場面の展開は,移動先が秘密の店であるほかは,闘技場の場面(5-16)と同様であると認めることができる。
そもそも,マップ上に表示されない秘密の店を設けるということは,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,秘密の店に入ると,その主人が登場し,プレイヤーに話しかけるような形で,アイテムの売買が行われることも,単なるアイデアにすぎない。さらに,秘密の店の店内の場面における,所持金,アイテムとその価格のリスト表及び残金額の表示,選択のための文字表示等は,プレイヤーに対する情報及び選択肢の提供を主たる目的とする表示であって,創作性があるとは認められない。秘密の店の主人のセリフも,プレイヤーに対する情報の提供及び選択肢の表示としてなされものであって,特に創作性があるとは認められない。
他方,証拠によれば,秘密の店に関する具体的な表現,例えば,店の主人の容姿(トラキアでは武器屋,道具屋,秘密の店の主人は同じ容姿であるのに対し,被控訴人ゲームの各主人の容姿はそれぞれ異なる。),店の背景画面等は,両ゲームで異なっていると認められる。
以上によれば,秘密の店の場面には共通する点もあるが,その共通する部分は,アイデア又は創作性に乏しい表現にすぎず,具体的な表現においては相違するということができる。
(5-18) 「制圧」コマンドによるマップクリアの場面の表現
制圧によるマップクリアの場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(18)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する制圧によるマップクリアの場面は,主人公による制圧コマンドの選択がクリア条件となっているマップにおいて,戦闘によって敵軍ボスが死亡した後,制圧できる所定の場所に主人公を移動させ,制圧コマンドを選択すると,マップクリアとなる,というものであると認めることができる。
敵軍の将を倒し,敵の特定の拠点に主人公が移動することによりマップクリアとなるというのは,きわめてありふれたゲームのルールないしはアイデアにすぎず,同場面に関し,他に創作性ある具体的表現と認めるに足るものはない。したがって,制圧によるマップクリアの場面に関する共通部分は,アイデアにすぎないか,ありふれていて創作性の認められない表現にすぎないというほかない。
(5-19) ペガサスに乗る場面の表現
徒歩で移動したユニットが移動先でペガサスに乗る場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(19)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通するペガサスに乗る場面は,ペガサスに乗れるユニットが徒歩で移動した後に,移動後のメニューから「乗る」コマンドを選択すると,その場で当該ユニットがペガサスに乗る様子が表現され,続いて「待機」コマンドを選択すると,ペガサスが当該ユニットを乗せたまま翼をたたんで斜め前を向いた待機ポーズに影像が切り替わる,という一連の流れで展開するものと認められる。そして,ペガサスに乗る様子の具体的な表現は,「乗る」コマンドを選択することにより,当該ユニットがペガサスに乗った影像に切り替わり,ペガサスが当該ユニットを乗せて空中で翼を羽ばたかせている状態がトップビューのアニメーション手法によって影像表現され,地上には,空中で羽ばたくペガサスの黒い影が表現される,というものであると認められる。
上記のうち,ペガサスに乗ることのできるユニットがペガサスを乗る場面を設けることは,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,ペガサスの乗る場面を構成する各影像表現の組合せ・配列も,特に特徴的であるとは認められない。また,ペガサスに乗る場面の具体的な表現も,当該ユニットを乗せたペガサスが空中で翼を羽ばたかせ,その影がマップ上に黒く映るというものであり,創作性がないとはいえないが,空中にとどまって飛翔する姿としてはそれほど特徴があるとはいえず,戦闘マップの桝目上での表現であることも考慮すると,その創作性の程度は低いというべきである。ペガサスの移動後の待機ポーズについても同様である。したがって,ペガサスに乗る場面に関する共通部分は,アイデア,創作性のない表現又は創作性の程度の低い表現にすぎず,控訴人らが主張するような独自で創作性の高い表現とは認めることができない。
(5-20) ペガサスから降りる場面の表現
ペガサスに乗って移動したユニットが移動先でペガサスから降りる場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(20)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通するペガサスから降りる場面は,①ペガサスに乗った自軍ユニットが待機ポーズをとっている場合,当該ユニットにカーソルを合わせて選択すると,ペガサスが当該ユニットを乗せたままその場に飛翔し,大きく羽ばたきをし始める,②移動先を決定すると,ペガサスが当該ユニットを乗せて,翼を大きく羽ばたかせて空中を飛翔し,移動先に移動する,③ペガサスが当該ユニットを乗せたままで移動先に到達すると,「おりる」コマンドを含む移動後のメニューが表示されるので,このコマンドを選択すると,ペガサスの影像は消え,当該ユニットがその場で駆けている姿が影像表現される,④移動後のメニューから「待機」コマンドを選択すると,当該ユニットは待機ポーズに切り替わる,という一連の流れで展開するものと認められる。
上記のうち,ペガサスに乗ったユニットがペガサスから降りる場面を設けることは,他のゲームでも採用されている単なるアイデアにすぎず,ペガサスに乗ったユニットが移動を開始してから,移動先でペガサスから降りるまでの各影像表現の組合せ・配列も,普通に考えられるものである。また,ペガサスが当該ユニットを乗せて飛翔する表現,ペガサスが当該ユニットを乗せたまま空中を飛翔して移動する表現,当該ユニットがペガサスから降りる表現,当該ユニットがその場で駆ける動作の表現は,いずれも,創作性がないとはいえないが,特に特徴的であるとも認められないものであり,その創作性は低いというべきである。したがって,ペガサスから降りる場面に関する共通部分は,アイデア,創作性のない表現又は創作性の程度の低い表現にすぎず,控訴人らが主張するような独自で創作性の高い表現とは認めることができない。
(5-21) ドラゴンに乗る場面の表現
徒歩で移動したユニットが移動先でドラゴンに乗る場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(21)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通するドラゴンに乗る場面の展開は,乗り物がドラゴンである以外は,上記(5-19)と同様であると認められる。ペガサスと同様,ドラゴンに乗ることのできるユニットがドラゴンを乗る場面を設けることは,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,ドラゴンに乗る場面を構成する各影像表現の組合せ・配列も,特に特徴的であるとは認められない。また,ドラゴンに乗る場面の具体的な表現も,当該ユニットを乗せたドラゴンが空中で翼をはばたかせ,その影がマップ上に黒く映るというものであり,創作性がないとはいえないが,空中にとどまって飛翔する姿としてはそれほど特徴があるとはいえず,戦闘マップの桝目上での表現であることも考慮すると,その創作性の程度は低いというべきである。ドラゴンの移動後の待機ポーズについても同様である。したがって,ドラゴンに乗る場面に関する共通部分は,アイデア,創作性のない表現又は創作性の程度の低い表現にすぎず,控訴人らが主張するような独自で創作性の高い表現とは認めることができない。
(5-22) ドラゴンから降りる場面の表現
ドラゴンに乗って移動したユニットが移動先でドラゴンから降りる場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(22)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通するドラゴンから降りる場面の展開は,乗り物がドラゴンである以外は,上記(5-20)と同様であると認められる。ペガサスと同様,ドラゴンに乗ったユニットがドラゴンから降りる場面を設けることは,他のゲームでも採用されている単なるアイデアにすぎず,ドラゴンに乗ったユニットが移動を開始してから,移動先でドラゴンから降りるまでの各影像表現の組合せ・配列も,普通に考えられるものである。また,ドラゴンが当該ユニットを乗せて飛翔する表現,ドラゴンが当該ユニットを乗せて移動する表現,当該ユニットがドラゴンから降りる表現,当該ユニットがその場で駆ける動作の表現は,いずれも,創作性がないとはいえないが,特に特徴的であるとも認められないものであり,その創作性は低いというべきである。したがって,ドラゴンから降りる場面に関する共通部分は,アイデア,創作性のない表現又は創作性の程度の低い表現にすぎず,控訴人らが主張するような独自で創作性の高い表現とは認めることができない。
(5-23) 馬に乗る場面の表現
徒歩で移動したユニットが移動先で馬に乗る場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(23)記載の共通部分を有すると認めることができる。
両ゲームにおける馬に乗る場面の展開は,乗り物が馬である以外は上記(5-19),(5-21)と同様であると認めることができる。ペガサス及びドラゴン同様,馬に乗ることのできるユニットが馬に乗る表現を設けることは,他のゲームでも採用されている単なるアイデアにすぎず,馬に乗る場面を構成する各影像表現の組合せ・配列も,特に特徴的であるとは認められない。また,馬に乗る場面の具体的な表現も,馬に乗れるユニットが馬に乗ってその場でギャロップをするというもので,創作性がないとはいえないが,マップの桝目上での表現であり,特に特徴的な表現であるとは認められない。馬の移動後の待機ポーズについても同様である。したがって,馬に乗る場面に関する共通部分は,アイデア,創作性のない表現又は創作性の程度の低い表現にすぎず,控訴人らが主張するような独自で創作性の高い表現とは認めることができない。
(5-24) 馬から降りる場面の表現
馬に乗って移動したユニットが移動先で馬から降りる場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(24)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する馬から降りる場面の展開は,乗り物が馬である以外は,上記(5-20),(5-22)と同様であると認められる。ペガサス及びドラゴンと同様,馬に乗ったユニットが馬から降りる場面を設けることは,他のゲームでも採用されている単なるアイデアにすぎず,馬に乗ったユニットが移動を開始してから,移動先で馬から降りるまでの各影像表現の組合せ・配列も,普通に考えられるものである。また,馬が当該ユニットを乗せてギャロップする表現,馬が当該ユニットを乗せて移動する表現,当該ユニットが馬から降りる表現,当該ユニットがその場で駆ける動作の表現は,いずれも,創作性がないとはいえないが,特に特徴的であるとも認められないものであり,その創作性は低いというべきである。したがって,馬から降りる場面に関する共通部分は,アイデア,創作性のない表現又は創作性の程度が低い表現にすぎず,控訴人らが主張するような独自で創作性の高い表現とは認めることができない。
(5-25) ユニット間の会話で寝返る場面の表現
自軍ユニットが敵軍ユニットに話しかけて会話することにより,敵軍ユニットが自軍に寝返る場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(25)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通するユニット間の会話で寝返る場面は,自軍ユニットが,話しかけて仲間にできる(寝返る)敵軍ユニットの隣りに移動し,「話す」コマンドを選択すると,トップビューのマップ場面から会話場面に切り替わり,会話場面が終了すると,それ以降は寝返った敵軍ユニットが自軍ユニットとして表示され,行動を終了した自軍ユニットは待機ポーズに切り替わる,というものであると認めることができる。また,両者の会話場面では,両者の上半身の影像が,画面の左右に表示され,横に長い長方形状の吹出し内に会話内容が文字表示される。
そもそも,自軍ユニットが特定の敵軍ユニットに話しかけることにより,当該敵軍ユニットが寝返るという設定は,他のゲームでも採用されている単なるアイデアにすぎず,同場面の展開も容易に考えられるありふれたものであるから,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列に創作性があると認めることはできない。また,寝返った敵軍ユニットの吹出し表示の色が,寝返った後に自軍の色になるのは当然であり,自軍ユニットと敵軍ユニットの会話の表示方法も一般的なものである。むしろ,プレイヤーは,吹出しの中に表示される自軍ユニットと寝返る敵軍ユニットの会話内容に関心を持つものであり,こうした会話の内容は,制作者が自由に創作できる余地が大きいと考えられるところ,証拠によれば,この点については,両ゲームは相違していると認められる。
以上のとおり,自軍ユニットが話しかけることにより敵軍ユニットが寝返る場面に関する共通部分は,アイデア又は創作性のない表現にすぎず,会話場面で表示される会話内容については両ゲームは異なるということができる。
(5-26) ユニット間の会話で仲間になる場面の表現
自軍ユニットが中立ユニットに話しかけることにより仲間になる場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(26)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通するユニット間の会話で仲間になる場面は,自軍ユニットが話をする相手が中立のユニットであるほかは,上記(5-25)と同様であると認められる。上記(5-25)と同様,自軍ユニットが中立ユニットに話しかけて味方にすることができるという設定は,他のゲームでも採用されているありふれたアイデアにすぎず,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列に創作性があるとも認められない。また,味方になった中立ユニットの吹出し表示の色が,味方になった以降に自軍の色になるのは当然であり,自軍ユニットと中立ユニットの会話の表示方法も一般的なものにすぎない。両ゲームが,吹出しの中に表示される自軍ユニットと中立ユニットの会話内容において相違していると認められることも,上記(5-25)と同様である。
したがって,自軍ユニットが話しかけることにより中立ユニットが味方になる場面に関する共通部分は,アイデア又は創作性のない表現にすぎず,会話場面で表示される会話内容については両ゲームは異なるということができる。
(5-27) 武器屋の場面の表現
武器を売買する武器屋の場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(27)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する武器屋の場面の展開は,移動先が武器屋(民家とは異なって,四角く中央がへこみ,周りが少し高い壁となっており,壁は西洋中世の城のように四角いでこぼこが並んだ屋根をもった四角い建物)であるほかは,闘技場の場面(5-16)と同様であると認めることができる。
そもそも,武器を売買する場所として武器屋を設けるということは,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,武器屋の店内に入ると,主人が現れ,プレイヤーに話しかけるような形で,売買が行われるという手法も,単なるアイデアにすぎない。また,武器屋の外観や,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列も,容易に考えられるありふれたものであって,いずれにも,創作性を認めることはできない。
さらに,武器屋の店内の場面における,所持金,武器とその価格のリスト表及び残金額の表示,選択のための文字表示等は,プレイヤーに対する情報及び選択肢の提供を主たる目的とする表示であって,創作性があるとは認められない。武器屋の主人のセリフも,プレイヤーに対する情報の提供及び選択肢の表示としてなされるものであって,特に創作性があるとは認められない。
他方,証拠によれば,武器屋に関する具体的な表現,例えば,店の主人の容姿(トラキアでは武器屋,道具屋,秘密の店の主人は同じ容姿であるのに対し,被控訴人ゲームの各主人の容姿はそれぞれ異なる。),店の背景画面等は,両ゲームで異なっていると認められる。
以上によれば,武器屋の場面には共通する点もあるが,その共通する部分は,アイデア又は創作性に乏しい表現にすぎず,具体的な表現においては相違する点があるということができる。
(5-28) 道具屋の場面の表現
アイテムを売買する道具屋の場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(28)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する道具屋の場面の展開は,移動先が道具屋(民家とは異なって,民家とは異なった白い四角の枠がはまった屋根の建物)であるほかは,闘技場の場面(5-16)と同様であると認めることができる。
そもそも,アイテムを売買する場所として道具屋を設けるということは,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,道具屋の店内に入ると,主人が現れ,プレイヤーに話しかけるような形で,売買が行われるという手法も,単なるアイデアにすぎない。また,道具屋の外観や,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列も,容易に考えられるありふれたものであって,いずれにも,創作性を認めることはできない。
さらに,道具屋店内の場面における,所持金,アイテムとその価格のリスト表及び残金額の表示,選択のための文字表示は,プレイヤーに対する情報及び選択肢の提供を主たる目的とする表示であって,創作性があるとは認められない。主人のセリフも,プレイヤーに対する情報の提供又は選択肢の表示としてなされるものであって,特に創作性があるとは認められない。
他方,証拠によれば,道具屋に関する具体的な表現,たとえば,両ゲームの道具屋に関する具体的な表現,例えば,店の主人の容姿(トラキアでは武器屋,道具屋,秘密の店の主人は同じ容姿であるのに対し,被控訴人ゲームの各主人の容姿はそれぞれ異なる。),店の背景画面等は,異なっていると認められる。
以上によれば,道具屋の場面には共通する点もあるが,その共通する部分は,アイデア又は創作性に乏しい表現にすぎず,具体的な表現においては相違するということができる。
(5-29) 縮小マップの場面の表現
縮小マップの場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(29)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定のとおり,縮小マップは,トップビューの戦闘マップ上において,戦闘マップの一面が画面サイズより大きく,一画面だけでは戦闘マップの状況を把握できないときに,プレイヤーが操作ボタンを押すと,マップ画面上に重なって表示される縮小された戦闘マップである。縮小マップ上に表示されるカーソルは,画面上で背景として表現されている戦闘マップが,縮小マップ上のどこに位置するかを表示しており,このカーソルを上下左右に移動させると,背景の戦闘マップが,カーソルの動きに合わせて画面上でスクロールする。プレイヤーが操作ボタンを押すと,縮小マップの影像表現は一瞬にして消滅し,元のトップビューの戦闘マップ影像が表現される。
ゲームソフトにおいて,縮小マップを設けることは他のゲームでも採用されているアイデアにすぎない。縮小マップは,プレイヤーが戦闘マップ全体の地形や自軍及び敵軍ユニットの配置を確認するためのものであり,単に戦闘マップを縮小したにすぎないのであるから,創作性がある表現とは認められない。
(5-30) ユニット一覧の場面の表現
ユニット一覧の場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(30)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定のとおり,ユニット一覧の場面の表示は,トップビューの戦闘マップ上において,カーソルの位置にユニットが存在していない状態で操作ボタンを押してメインメニューを表示させた上,その中からユニットを意味するコマンドを選択すると表示されるものである。ユニット一覧は,ユニット名は固定して表示したままで,操作ボタンを押すことにより,画面上の横方向の項目を順次切り換えて表現するものとなっており,方向キーの上下でユニットを選択して,操作ボタンを押すと,一瞬にしてユニット一覧表は消え,戦闘マップ画面に切り替わり,場合によっては,戦闘マップがスクロールすることにより,ユニット一覧表で選択されたユニットにカーソルが合わされ,吹出しが影像表示される。このようなユニット一覧画面は,プレイヤーが各自軍ユニットの経験値,HP,装備武器等を一覧できるようにするためのものであり,ユーザーインターフェースとしての性質を有するものであって,その具体的な表示形式や含まれる情報の内容に特徴があるものでもない。
したがって,創作性のある表現とは認められない。
(5-31) 杖を使って相手をワープさせる場面の表現
杖ユニットが杖を使って自軍ユニットを別の場所にワープさせる場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(31)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する杖を使って相手をワープさせる場面は,①相手をワープさせることのできる杖を所持している杖ユニットを,ワープさせる自軍ユニットの隣に移動させて,移動後のメニューから杖コマンド,続いて該当する杖を選択し,ワープさせる自軍ユニットを選択する,②ワープさせる場所を,指が四角い枠を下げ持っている形状の特別な指カーソルで指定する,③ワープ先を指定して,杖ユニットが杖を使うと,ワープさせる相手が立っている場所が光り,ワープさせる相手はその場から消え,ワープ先に指定した場所にワープさせた相手が現れる,④この杖を使った杖ユニットに経験値が付与され,経験値が100を超えた場合にはレベルアップの場面へ移行する,⑤杖ユニットの行動は終了し,待機ポーズに切り替わる,という一連の流れで展開するものと認められる。
そもそも,杖を使って自軍ユニットをワープさせる場面を設けること自体は他のゲームでも採用されているアイデアであり,また,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列は,杖で相手をワープさせる場面としては容易に考えられる組合せ・配列にすぎないというべきである。また,カーソルについては,特徴的な形をしていることは確かであるが,その目的は移動先の選択をさせることにあるのであるから,機能的な表示にすぎず,創作性は認められない。さらに,証拠によれば,両ゲームにおける,杖ユニットが自軍ユニットをワープさせる具体的表現は,杖が光を発する様子や,ワープする自軍ユニットの光り方,当該ユニットの移動先での現れ方などにおいて相違していると認められる。
以上のとおり,杖を使って自軍ユニットをワープさせる場面を設けること自体はアイデアにすぎず,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列にも創作性を認めることができない上,両ゲームの杖を使う場面の具体的表現は異なるのであって,同場面の共通部分が控訴人らが主張するように独自で創作性の高い表現であるとは認めることができない。
(5-32) 杖を使って相手を回復させる場面の表現
杖ユニットが杖を使ってHPの減少した自軍ユニットを回復させる場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(32)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する杖を使って相手を回復させる場面は,①HPを回復させる杖を所持する杖ユニットを,HPが減少している自軍ユニットの隣に移動させて,移動後のメニューから,「杖」コマンド,続いて該当する杖を選択し,HPを回復する自軍ユニットを選択する,②すると,杖ユニットが杖を使い,杖ユニットから光る輪が外へ広がり,HPを回復させる自軍ユニットに光の輪がすぼまってゆく,③効果音とともに,HPを表す数値が上がり,棒グラフが伸びる影像により,当該ユニットのHPが回復して増加する様子が示される,④この杖ユニットに,経験値が付与される場面に自動的に切り替わり,経験値が100を超えるとレベルアップの場面へ移行する,⑤杖ユニットの行動は終了し,待機ポーズに切り替わる,という一連の流れで展開するものと認められる。
そもそも,杖を使って自軍ユニットのHPを回復させること自体は他のゲームでも採用されているアイデアであり,また,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列は,杖で相手をワープさせる場面としては自然に想到し得るありふれたものにすぎないというべきである。また,証拠によれば,両ゲームにおける,杖ユニットが杖を使って自軍ユニットのHPを回復させる具体的表現は,光の発せられ方,光の色,光の収束の様子などにおいて異なっているものと認められる。
以上のとおり,杖を使って相手を回復させる場面に関する共通部分は,アイデアにすぎないか,ありふれていて創作性の認められない表現にすぎず,創作性のある表現においては,両ゲームは相違するというべきである。
(5-33) 敵軍ボスの口上の場面の表現
自軍ターンにおける攻撃時に,敵軍のボスユニットが初めて自軍ユニットと戦闘を行う場合には,敵軍ボス口上の場面が表現される。この場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(33)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する敵軍ボスの口上の場面は,戦闘する相手が敵軍ボスである場合に限り,戦闘場面が開始される直前に表示されるものであり,具体的には,画面下段に,横長の長方形状の吹出しが表示されるとともに当該敵軍のボスユニットの斜め前方を向いた顔の影像が表示され,その吹出しの中に戦闘を初めて行うに当たっての当該ボスユニットの口上が文字で表示される,というものであると認めることができる。
このように,戦闘場面の開始前に敵軍ボスが口上を述べる場面を設けることは他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,その口上の表示方法や吹出しに特に特徴があるものでもない。むしろ,敵軍ボスが口上を述べる場面において,プレイヤーが関心を寄せるのは,当該敵軍ボスの口上の内容そのものであり,この点については制作者が自由に創作する余地が大きいと認められるところ,両ゲームの敵軍ボスの口上の内容が共通又は類似していると認めるに足る証拠はない。
したがって,敵軍ボスの口上の場面に関する共通部分は,アイデア又はありふれていて創作性の認められない表現にすぎないというべきである。
(5-34) 敵軍ボスの死にセリフの場面の表現
敵軍ボスの死にセリフの場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(34)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する敵軍ボスの死にセリフの場面は,戦闘によって敵軍のボスユニットが死亡した場合に自動的に開始されるものであり,具体的には,斜め前方を向いた当該ボスユニットの顔の影像が表現されるとともに,横長の長方形状の吹出しが影像表現され,その吹出しの中に当該ボスユニットの死にセリフの言葉が文字で影像表示された後,当該ボスユニットの全身影像は,徐々に半透明となって消えるように影像表現され,最後には消滅の効果音とともに消えてしまう,というものであると認めることができる。
上記のうち,敵軍ボスが死亡した場合に死にセリフを述べる場面を設定することは,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列も特徴的であるとは認められない。また,敵軍のボスユニットの全身影像が消滅していく表現もありふれていて,創作性は認められない。むしろ,敵軍ボスの死にセリフの場面において,プレイヤーが関心を寄せるのは,当該敵軍ボスの死にセリフの内容そのものであり,この点については,両ゲームの敵軍ボスの死にセリフの内容が共通又は類似していると認めるに足る証拠はない。
したがって,敵軍ボスの死にセリフの場面に関する共通部分は,アイデア又はありふれていて創作性の認められない表現にすぎないというべきである。
(5-35) 民家を訪ねて仲間を増やす場面の表現
民家を訪ねて仲間を増やす場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(35)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する民家を訪ねて仲間を増やす場面は,①自軍ユニットが,ドアが開いておりかつ仲間にできるユニットが中にいる民家に移動し,移動後のメニューから「訪ねる」コマンドを選択すると,トップビューのマップ場面から,民家内での会話の場面に切り替わり,人物影像の下に設けられた横に長い長方形状の吹出し内に,仲間になる旨の会話内容が文字で表示される,②会話場面が終了すると,戦闘マップ画面に戻り,新たに仲間になった自軍ユニットが民家の外に出て所定の待機ポーズをし,以降,当該ユニットにカーソルを合わせると自軍の色(青色系)の吹出しが出る,③当該民家は,以降は,ドアが閉じた状態に変わって影像表現され,行動を終了した自軍ユニットは待機ポーズに切り替わる,という一連の流れで展開するものと認めることができる。
そもそも,民家を訪ねて仲間を得るという設定自体は,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎない。また,仲間になったユニットの吹出しの色の変化の表現,民家のドアの開閉の変化の表現については,プレイヤーへの表示を目的とするものであり,創作性があるとは認められない。民家における自軍ユニットと仲間にできるユニットとの間の会話内容については,両ゲームでその内容が共通又は類似していると認めるに足る証拠はない。
以上によれば,民家を訪ねて仲間を増やす場面に関する共通部分は,アイデアか,創作性の認められない表現にすぎないというべきである。
(5-36) 民家を訪ねてアイテムを得る場面の表現
民家を訪ねてアイテムを得る場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(36)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する民家を訪ねてアイテムを得る場面は,民家を訪れてその中にいる人物からアイテムを受け取る点で上記(5-35)と異なり,その具体的な表現は,民家の中の人物との会話の場面が終了すると,アイテム獲得場面となり,画面中央に横に長い長方形のウィンドウが表現され,そのウィンドウ中に,獲得したアイテムのアイコン及びアイテム名称並びに当該アイテムを手に入れたという文字が影像表現され,音階が上がる短いファンファーレが鳴るというものであると認めることができる。
そもそも,民家を訪ねてアイテムを得るという設定自体は他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,前記判示のとおり,アイテムの表示画面も,プレイヤーへの情報提供を主たる目的とするものであり,創作性があるとは認められない。その他の表現の創作性等については,上記(5-35)で判示したとおりである。したがって,民家を訪ねてアイテムを得る場面に関する共通部分は,アイデアか,創作性の認められない表現にすぎないというべきである。
(5-37) 宝箱を開ける場面の表現
戦闘マップ上に宝箱が存在するとき,盗賊ユニットは宝箱を開けることにより,アイテムを入手させることができる。この場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(37)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する宝箱を開ける場面は,宝箱を開けることのできる盗賊ユニットを宝箱まで移動させ,宝箱を開けることを意味するコマンドを選択すると,自動的に宝箱が開けられた影像がなされ,画面中央に表示される横に長い長方形のウィンドウ中に,獲得したアイテムのアイコン及びアイテム名称並びに当該アイテムを手に入れたという文字が表示されるとともに,音階が上がる短いファンファーレが鳴り,その画面が自動的に消えると当該ユニットは待機ポーズに切り替わる,という流れで展開すると認めることができる。
宝箱の中にアイテムがあり,それを自軍の特定のユニットが開けることにより,アイテムを獲得するという設定は,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列にも特徴があるとは認められない。また,両ゲームの戦闘マップ上に表現された宝箱及びそれが開く表現は,ごくありふれたもので創作性があるとは認められず,取得したアイテムの名称等の表示は,プレイヤーに対するユーザーインターフェースとしての性質を持つもので,これについても創作性を認めることはできない。
したがって,宝箱を開ける場面に関する共通部分は,アイデアか,ありふれていて創作性の認められない表現にすぎないというべきである。
(5-38) 扉を開く場面の表現
閉まっている扉を開く場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(38)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する扉を開く場面は,扉を開ける鍵又は技を持った特定の自軍ユニットが,戦闘マップ上の閉まっている扉の隣に移動し,扉を開けることを意味するコマンドを選択すると,扉が軋むように開く効果音とともに,扉が開き,扉を開けた当該ユニットは移動を終了し,待機ポーズに切り替わる,という一連の流れで展開すると認めることができる。
このように特定の自軍ユニットが鍵を使って扉を開くことができるという設定は,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列も,容易に考えられるありふれたもので,特に特徴があるとは認められない。また,両ゲームの扉を開く場面の表現を具体的に見ても,その効果音,扉の表現などもありふれており,扉が開くと,それ以降,戦闘マップ上でその扉が開き続け,ユニットが自由に出入りできるようになることは当然である。したがって,扉を開く場面に関する共通部分は,アイデアか,ありふれていて創作性の認められない表現にすぎないというべきである。
(5-39) 跳ね橋を降ろす場面の表現
川や堀等に設置され自軍の通行を阻んでいる跳ね橋を降ろす場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(39)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する跳ね橋を降ろす場面は,戦闘マップ上において,横棒を並べたような形状で中央から跳ね上がるように開いている跳ね橋が存在する場合において,この跳ね橋を渡れるようにするための鍵を所持している特定の自軍ユニットが,跳ね橋と隣接する位置に移動し,「跳ね橋」コマンドを選択すると,効果音とともに跳ね橋が降り,跳ね橋を降ろした当該ユニットの行動は終了し,待機ポーズに切り替わる,という一連の流れで展開すると認めることができる。
地形上に川や堀等がある場合に跳ね橋を設け,鍵を持った特定の自軍ユニットのみがこれを降ろすことができるようにすることは,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列も,容易に考えられるありふれたもので,特に特徴的であるとは認められない。また,跳ね橋自体や跳ね橋が降りる場面の具体的表現も,ありふれたものであって,創作性があるとは認められず,跳ね橋が一度降りると,それ以降,そのままの状態となり,各ユニットが自由に橋を渡ることができるようになることは当然である。したがって,両ゲームは,跳ね橋を降ろす場面に関し,アイデア又は創作性を有しない表現において共通するにすぎないというべきである。
(5-40) 風魔法の場面の表現
自軍ユニットの特定のユニットが使える風魔法(魔法の風を相手に飛ばして倒す技)の場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(40)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する風魔法の場面は,待機及び攻撃の場面の表現と比較して,登場するのが魔道士ユニットであること,使用する武器が風魔法であること,戦闘場面において風魔法を使う場面が表現されることが相違するのみであると認めることができる。
そもそも,風魔法を使って敵を攻撃できる魔道士を設定することは,他のゲームでも採用されているアイデアにすぎない。また,風魔法を使える特定のユニットであるトラキアのアスベルと被控訴人ゲームのマルジュが風魔法を使う場面の具体的な表現は,手を敵軍ユニットに向かって真っ直ぐに伸ばして白っぽい三日月形の鎌のような強力な風を敵軍ユニットに向かって飛ばす点では共通しているものの,全体としては異なる表現であると認められることは,前記判示のとおりである。風魔法の場面のその他の共通部分(待機,攻撃と重複する部分)の創作性については,上記(5-6)及び(5-7)で判示したとおりである。
したがって,両ゲームは,風魔法の場面に関し,アイデア又は創作性に乏しい表現において共通するにすぎず,創作性ある具体的な表現においては相違しているということができる。
(5-41) ロングアーチ/クインクエインの場面の表現
ロングアーチ/クインクエイン(以下「機械式弓兵器」という。)は,遠距離にいる相手を攻撃できる機械式の巨大な弓兵器であり,敵軍が使用する。この場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(41)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定によれば,両ゲームに共通する機械式弓兵器の場面は,まず,敵の攻撃を受ける自軍ユニットがカーソルで表示された上,アニメーション戦闘場面に切り替わり,画面の上段中央に機械式弓兵器がこれを操作する兵士とともに表示され,同兵器から弓が発射されると,画面が切り替わり,攻撃を受ける自軍ユニットが画面上段の中央に立っている場面となり,左上から自軍ユニットに対して機械式弓兵器から放たれた巨大な矢が飛んでくる影像が表示される,という一連の流れで展開し,攻撃を受けた自軍ユニットがダメージを受け,あるいは受けなかった場合の影像は,上記攻撃の場面(5-7)と同様であると認めることができる。
このように,遠方の敵を攻撃できるような射程距離を持つ弓兵器等を武器として設定することは他のゲームでも採用されているアイデアにすぎず,他のゲームで採用することが妨げられるものではない。また,このような兵器の性質に照らせば,あらかじめ攻撃を受ける自軍ユニットが表示され,戦闘場面が開始された後,機械式弓兵器から弓が発射される様子が表現され,続いて,攻撃を受ける自軍ユニットに画面が切り替わるというのは,普通に考えられる展開であり,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列に創作性があるとは認められない。
両ゲームは,敵軍ユニットが装備する機械式弓兵器とこれを兵士が操作して発射する場面の表現に関し,上記認定のとおりの共通点を有するが,他方,証拠によれば,両ゲームは,機械式弓兵器の機械の色,重量感,画面における表示の大きさ(迫力),土台の形状,弓の装填状況,設置されている場所,背景画面,兵士の動作等の表現において異なり,両ゲームにおける機械式弓兵器の具体的表現が類似しているとは認められない。
以上によれば,そもそも機械式弓兵器が登場して自軍ユニットを攻撃する場面を設けることはアイデアにすぎず,同場面を構成する各影像表現の組合せ・配列にも創作性を認めることはできない上,その具体的表現において両ゲームは相違していると認められる。
(5-42) 再移動の場面の表現
自軍ターンにおいて,乗り物に乗った状態のペガサスユニット,ドラゴンユニット又は馬ユニットが敵を攻撃した後,残りの移動力で移動できる状態であった場合には,自動的に当該ユニットが再移動できる場面となる。この場面に関し,証拠によれば,両ゲームは,共通表現(42)記載の共通部分を有すると認めることができる。
上記認定のとおり,両ゲームは,再移動の場面に切り替わると,残りの移動力で移動できる状態のユニットが,自動的にその場動きを開始し,移動可能な範囲が,背景とは異なる色の半透明な桝目で表現される点で共通する。その後の移動の表現は,通常の移動の場合と同じである。
特定のユニットを攻撃後に再移動させるというのは,ゲームのルールないしアイデアにすぎない。再移動の態様については,最初の移動と異なる点はないのであるから,その創作性等については,前記待機の場面(5-6)で判示したとおりで,付加すべき点はない。
(6) 全体的・総合的観察
以上,詳細に判示したとおりであるが,重要判示部分を要約すると,以下のとおりである。
前記(3)で判示したとおり,ゲームシステムに基づいて変化する影像及びその全体構成とストーリーは,「戦闘マップをプレイする場面」の重要な構成要素であるということができる。
ゲームシステムに基づいて変化する影像及びその全体構成に関し,控訴人らは,両ゲームの,ゲームソフト全体の構成(共通表現(2)),「戦闘マップをプレイする場面」の構成(共通表現(4)),「戦闘マップをプレイする場面」における待機,攻撃,その他の行動の場面の表現(共通表現(6)ないし(42))は,いずれも独自で特徴的であると主張する。しかしながら,上記(5)で判示したとおり,ゲームソフト全体の構成及び「戦闘マップをプレイする場面」の構成には,確かに共通する部分が存在するものの,これらの共通部分は,他のゲームでも採用されている極めて典型的なものであり,創作性があると認めることはできない。また,両ゲームは,待機,攻撃,その他の各行動の場面についても,共通する部分を有すると認められるが,これらの部分は,いずれも,各場面を構成する影像表現の組合せ・配列も含め,アイデアにすぎないか,創作性が認められない表現にすぎず,創作性が認められる表現についても,その程度は低いというべきである。加えて,上記各場面については,創作性ある表現において両ゲームが相違するものも存在するのであるから,被控訴人ゲームに接した者が,トラキアの本質的な特徴を感得することは困難であるといわざるを得ない。
他方,ストーリー(共通表現(3))については,(5-3)で判示したとおり,両ゲームで共通しているのは,抽象的な筋立てにとどまり,具体的なストーリーとしては,全体的なストーリー,各戦闘マップで展開するストーリー,ユニット間の会話のいずれにおいても相違していると認められる。また,控訴人らが主張する「本質的ストーリー」(共通表現(5))は抽象的かつあいまいなものであって,表現性を認めることはできない。したがって,両ゲームは創作性のあるストーリーにおいて,相違しているということができる。
さらに,「戦闘マップをプレイする場面」を構成する他の要素のうち,ユニット(共通表現(1))については,上記(5-1)で検討したとおり,両ゲームのユニットには共通する部分も認められるが,いずれもその共通する部分は,アイデアにすぎないか,有意な創作性を有するとは認められないものであり,両ゲームのユニットが全体として同一性,類似性があるとは認めがたい。むしろ,両ゲームに登場する具体的なユニットは,それぞれが異なるユニットとして認識することが相当なものである。そして,両ゲームの戦闘マップや音楽が相違していることも,翻案該当性を否定する一事情ということができる。
以上判示したとおりであって,帰するところ,両ゲームは,アイデアなどの表現それ自体でない部分又は創作性の乏しい表現において共通するにすぎないのであるから,被控訴人ゲームに接する者がトラキアの表現上の本質的な特徴を感得することは困難であるというべきであり,被控訴人ゲームがトラキアの翻案に当たると認めることはできない。
(7) その余の選択的主張について
控訴人らは,被控訴人ゲームの「戦闘マップをプレイする場面」がトラキア全体の翻案に当たり(選択的主張2),又は,被控訴人ゲームの「戦闘マップをプレイする場面」がトラキアの「戦闘マップをプレイする場面」の翻案に当たる(選択的主張3)と主張する。しかしながら,以上の判示に照らせば,選択的主張2及び3も理由がないことは明らかである。
(8) まとめ
以上によれば,控訴人らの主張する翻案はいずれも認めることができないというべきであるから,その余の点を判断するまでもなく,控訴人らの著作権法に基づく請求は理由がない。